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夜叉ヶ池の子  作者: 七泉
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誰の子ぞ

 エツがお百度を終えてすぐ、この山間の村には初雪が降った。

 それは瞬く間に重たいぼた雪へと変わり、たちまちのうちに集落ごと飲み込んでしまった。

 山深いこの村での越冬は過酷を極めるが、今年は例年にも勝り降雪の量が多く、厳しい冬だった。故に、村人にとって春到来の喜びはひとしおだった。

 

 分厚い雪の隙間から初々しい若草色をしたフキノトウが顔をのぞかせる。

 樹木がその枝先に子鼠のようなつぼみをつけはじめる。

 川の流れが雪解け水を孕んで勢いを増し、庭先の純白のコブシや紅梅が花開く。

 やがて、浅黒かった山肌が桜や新緑で彩られると、冬の間じっと縮こまっていた村が、春を迎えて四肢をのびやかに広げたようだった。

 

 固く閉ざされていた家々の扉が開け放たれ、軽やかな風が吹き抜けていく。

 畔を走る子供たちの声が青空を突き抜けるように響き、野良にでる村人らは出会いがしらに顔をほころばせ、口々に春を讃えた。


 しかし、人々が動き出すと、それらの目はあらゆるところに向けられることになる。


「見た? 見たんか?」

 村人らは野良の合間に噂した。

「うん、見た。ありゃあ、間違いない、腹ぼてや」

「ほうかえ、やっぱりの」

「誰の話や」

「川向こうのエツや。この間、竹取りの八郎が言うとった。どうも、腹ぼてらしいと」

本当(ほっと)か?」

「ほやで、昨日わしも見に行ってみたがな。腹が、こう、ぽっこり膨れとったわ」

「ふうん。あの女が」

 ひとりが、下卑た笑みを顔に載せて、鼻で笑った。

「どうも、夜叉ヶ池の龍神様にお百度参りして、子を授かったという話じゃ」

「たあけたこと言うな、龍神様んとこやあるかい。聞いた話じゃ、夜になってから行っとったらしいで。あんな真っ昼間でも薄気味悪い所に、わざわざ夜中に行くわけないがな」

「ほうや、普通の者でも暗い道を、びっこひいて行けるはずがないわな」

「ほんなら、どこに行っとったんや。夜道を歩いてくエツを、見かけたもんがおるぞ」

 声を落とした男の目が、にやりと吊り上がる。

「ほりゃあ、男んとこに決まっとろうが」

 その言葉に、村人らは腹を抱えて笑い出した。

「藤六も気の毒じゃ。腹ぼてのかかに食わせるために、毎日、日が暮れても魚を獲っとるいう話やがの」

「腹ん中におるのが、誰の子やとも知らんでの」


 笑っている村人のひとりが、向こうから藤六が歩いてくるのに気付いて声をあげた。


「おうい、藤六、おまんのかか、おめでたらしいな」


 ただでさえひどい猫背をさらに丸くして項垂れるような恰好で歩いていた藤六は、その声を聞いてどろりと顔を上げた。

 頬骨が皮膚を突き破らんばかりに飛び出しているのとは対照的に、眼窩は深く落ちくぼみ、その洞のような暗がりの奥から、うっすらと充血した大きな目玉がぎょろりと村人らを捉えた。


「ほうなんや、おおきに」


 痰が絡んだような声で礼を言われ、村人らは思わず顔を見合わせる。


「見たか、今の藤六のツラ」

「うん、見た。笑っとったで」

「気色悪いのう。あの男が笑うとこ、おれ、初めて見たわい」

「気の毒に、子ができたのが、よほど嬉しいとみえる」

「おうい、藤六、おめでとうさん! 本当(ほっと)に、おめでとうさん!」


 村人らは、遠ざかっていく藤六の背中に向かって、揶揄するように笑いながら言葉を投げた。


 藤六は、ぴたり、と足を止めたが、振り返ることなく、また歩き出した。


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