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逆しまの子(後編)④――行く者、戻る日

 ウネたちに別れを告げ、慈慧がひとり坂を下り、吊り橋を渡り終えようとしたときだった。向こうから、髪を振り乱してこちらに駆けてくる巫女の姿が見えた。


「一足、遅うございましたな、有馬様」


 慈慧は橋のたもとで足を止め、あえて有馬の進路をふさぐようにした。


「慈慧殿、そこをどいてくだされ」

「どかぬ、と申したら?」


 有馬は切れ長の目を針のように細め、慈慧を射すくめた。


「…白山中宮社に長らく世話になっておいて、そのような恩知らずな振る舞いをなされるか。宿坊も、もう貸しませぬぞ」

「おお、それは困りましたな。寝床に困れば、せいぜい雨露を凌ぐ術を考えねば…」

「…どういうつもりじゃ、慈慧殿」

「子は、もう産まれております。御身が今向かわれても、何一つ変えられはせぬ。それとも、有馬様。そなたは巫女として母子の無事を祈りに行かれるのとは別に、何か思惑がおありなのですかな」

 

 有馬は慈慧を見据えたまま、回答を思案しているようだった。逆巻く濁流の音が、一時、あたりを支配する。


「先ほど生まれた子は、夜叉ヶ池の龍神様がエツの胎に授けたんや」

 有馬はそこでまた少しばかり口ごもったが、語気を強め、

「この先、村に災いをもたらす前に、今手を打っておかねばならん」

 と言い放った。


 それを聞くや、慈慧の目が静かに怒気を帯び、有馬を貫いた。


「ならば、なおのこと、ここは通せませぬな」

「なんですと?」

「子を授けたのは龍神かもしれぬ。が、あの子が産声をあげたのは、間違いなく御仏のはからいじゃ。あの子が産まれる時に、千手観音様が降り立ち御手を差し伸べられるのを、確かにこの目で見た」

「そのような出まかせを…」


 有馬は口ではそう言いながらも、慈慧の気迫に押されて、無意識に一歩たじろいでいた。


「有馬様、後生でございます。あの子が育つのを待ち、龍神の子か、はたまた、御仏の子か、見定めてくださらぬか」


 慈慧は下手に出ているようで、目の奥には剣のような光を宿していた。有馬は、またもう一歩たじろぎながら、唇を噛みしめる。


「この村を離れていくよそ者には、なんとでも言えるのじゃ」

「では、あの子が十五になるそのときに、再びここに戻って参りましょう。そこで、あの子の処遇を決めようではありませぬか」


 慈慧は、有馬の方へと一歩踏み出す。必ず戻ってくるから、それまでに子に手出ししたらただではおかないと言っているのだった。汗がこめかみを伝い、有馬の視界を曇らせる。


 不承不承、有馬が頷くのを見届けて、慈慧は安堵したように息をつき、その場を去ろうとした。


「出産の場に立ち会うて、情が湧いたんかえ。それにしては、妙にあの子に肩入れなさる」

 

 有馬がすれ違い様に呟く。


「解せぬことがありましてな。雨の日も新月の夜も、足の悪いエツが、果たしてひとりでお百度に通えたものかと。誰かが、手助けしとったに違いないと踏んでおったんやが、もしや慈慧様、おぬしかえ」


 足を止めた慈慧の背中に、有馬はさらに畳みかける。


「仏に仕える身でありながら、あの女に誑かされたか。恥を知るがいい!」


 慈慧はそれには何も答えず、不敵な笑みを浮かべ、有馬をちらと振り返った。


「十と五年後じゃ。忘れませぬなよ」

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