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祈る女

 満月の光が地表に降る。


 風雨に晒された古い鳥居が、鎮守の森を背に青白く浮かび上がっていた。


 不自由な右足を引きずりながら半刻あまり歩き通してきたエツの額からは汗が吹き出し、頬を滑り落ちて礫の上にぼたりと染みを作る。


 静かだ。風もない。

 この世の一切が、月の強烈な光に晒されることを恐れて、息をひそめているようだった。


 エツは鳥居の前で手を合わせ、白い息をひとつ吐き、深々と頭を下げた。


「どうか……」


 搾り出すような声が、凍てついた空気を震わせる。

 彼女は鹿杖(かせづえ)を抱え直し、疼く足を引きずりながら鳥居をくぐった。


 鎮守の森は暗く、湿っていた。

 生い茂った雑木の間を縫って差し込む月光が、地面にまだら模様を描く。

 腐った落葉が積もり、歩を進めるたびにねばい音をたてて足にまとわりつく。


 ――ちょうど、こんな晩秋の夜だった、とエツは思い出す。


 集落から川へ下る途中、軒先で乳を与える女の姿が目にとまった。


 うつむいた母親の穏やかな顔。その胸に抱かれた赤子は、紅葉のような小さな手で乳房を掴み、夢中で吸っていた。

 やがて満足げに目を閉じ、乳首を咥えたまま深い寝息を立てはじめた。


 それは、なんてことのない日常の光景だった。

 けれどエツは、鈍器で殴られたような衝撃を受けた。


 ――これが、母親というものなのか。


 己が乳房ひとつで、赤子に生きる糧と安らぎを与える存在。

 世界にたったひとりの、絶対のぬくもり。


 エツの心は、憧憬でさざ波立った。

 自分もそのような存在になってみたい。

 なんの見返りもなく愛し、愛される存在が、どうしても欲しかった。

祈りと因果、封じられた龍をめぐる幻想譚です。

ゆるやかに流れる物語ですが、最後まで読んでくださる方の心に静かに残るものを願って書いています。

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