皆で一丸となって
ミリアちゃんの握手権付き限定特典は、サービス開始から三日間で予定数に達して終了した。
特典がなくなったことで新規申し込みの数が減るかと思われたが、口コミでサービスの評判が広がったのか、その後も顧客は順調に増え続けていた。
ただ、顧客人数が増えるということは、当然ながらそれに伴って仕事量も増えるわけで……、
「ハジメさん、早くこちらの承認をお願いします!」
「は、はい、ただいま!」
メイド服を着たお姉さんの怒鳴るような声に、俺は目の前の書類をどうにか処理して声のした方へ急いで向かう。
「すみません、お待たせしました」
「こちらです。すみません、大きな声を出してしまって……」
「いえ、お気になさらないでください」
恐縮するお姉さんに気にしていないと言うが、彼女の気持ちもわからなくはない。
この数日の忙しさは、鉱員向けのサブスクサービスを開始した時とは比べ物にはならないほどで、極度の疲労からイライラしてしまうのも仕方ない。
「…………」
正直なところ、マンパワーが明らかに足りなくなってきている。
一人当たりの仕事量も一日では処理しきれない量になっており、誰か一人でも欠けたら一気に崩壊してしまいそうであり、休日すら取れるかどうかわからない。
一刻も早くこの状況をどうにかしなければと思うのだが、追加で人を雇うことは簡単ではないし、雇った人が使えるようになるまで費やされる時間と、研修に人が取られることを天秤にかけた場合、どちらがいいのかウォルターさんも判断に迷っているようだった。
だが、このままでは期限までの三ヶ月を待つまでもなく、チームの崩壊によって全てが終わってしまうかもしれない。
目の前の書類と向き合いながらそんなことを考えていると、
「ごめんあそばせ」
冒険者ギルドの入口の扉が開き、優雅な声と共に赤いドレスの淑女が現れる。
エカテリーナ様の登場に、一瞬だけそちらに注目が集まったが、業務に追われているギルド職員たちはすぐさま自分の仕事へと戻っていく。
いきなり現れたエカテリーナ様に一体何だろうと思うが、俺も人のことを気にしている場合ではないので、仕事へと集中することにする。
すると、
「それでは皆さん、手筈通りにお願い致しますわ」
エカテリーナ様の声と共にパンパン、と乾いた音が響いたかと思うと、ゾロゾロとカウンター内に誰かが入って来る気配がする。
「……えっ?」
一体何事かと思って顔を上げると、エカテリーナ様の屋敷に勤めている人たちが、次々とギルド職員たちに声をかけて業務を代わって行くのが見えた。
代打を申し出た人たちは書類に素早く目を落とすと、まるで最初からこの仕事に従事していたようにスムーズに処理していく。
「あっ……」
それを見て俺は、エカテリーナ様が現れた意味を理解する。
俺たちが激務に追われて追い詰められているのを察して、援軍を用意してくれたようだ。
「ハジメ様」
思わず手を止めて呆然とする俺に、落ち着いた声が聞こえてくる。
顔を上げると、穏やかな笑みを浮かべている老執事と目が合う。
「お疲れ様です。後は私が引き継ぎますので、どうかお休みください」
「えっ、ですが……」
俺の仕事は、他の人に任せることはできないのではないのでは?
そう思っていると、老執事は自分のギルド会員証を取り出してニコリと笑う。
「私は主に代わって仕事をする管理職代行の権利を持っています。本来は主が病に伏せた時に施行するのですが……何、構わないでしょう」
「ほ、本当ですか?」
思わずウォルターさんの方へ目を向けると、彼は禿頭の頭をピシャリと叩いて笑う。
どうやら代わってもらっても問題ないようだ。
俺は立ち上がると、柔和な笑みを浮かべている老執事に頭を下げる。
「それではすみません、暫くお願いできますか?」
「お任せを」
深く頷いた老執事は俺が座っていた椅子に座ると、書類作業へと移る。
「うおっ!?」
その速さは俺の比ではなく、山と積まれた書類が次々と処理されていく。
……これって最早、代わってもらって俺が別の仕事をした方がいいのでは?
何てことを思ったが、責任者としてそんなことは許されないとかぶりを振ると、ひとまずお言葉に甘えて休ませてもらうことにする。
同じように休んでいるギルド職員たちに挨拶して、クエストカウンターの外に出た俺は、援軍を出してくれたエカテリーナ様に話しかける。
「エカテリーナ様、ありがとうございます」
「何をおっしゃいますの。これくらい当然ですわ」
エカテリーナ様は、忙しない様子のギルド内をぐるりと見渡して小さく嘆息する。
「皆さんかなり頑張っているようですが……無事に借金は返せますでしょうか?」
「わかりません」
安易に大丈夫と言ったところでエカテリーナ様も信じることはないと思うので、俺は思ったことを正直に口にする。
「ですが全力は尽くすつもりです。これからの伸び次第ですが、可能性は十分あります」
「そう……」
再び嘆息したエカテリーナ様は、俺の手を取って真正面から見つめてくる。
「ハジメ、どうかわたくしが愛するこの地を……愛しい民たちをお救い下さい」
「お任せ下さい。俺にとってもクライスは、かけがえのない場所ですから」
エカテリーナ様がこの街を守りたいと思うように、今の俺にも守りたいものがある。
「ハジメさま~」
「ぷるぷるっ!」
すると丁度、俺の守りたい仲間たちがやって来る。
プルルを背中に乗せたラックは、とてとてと俺の元までやって来て手の中にあるものを差し出してくる。
「ハジメさま、これを見て欲しいクマ」
「ん、どうした?」
ラックから小さな袋を受け取って中を見てみると、綺麗に洗われた薬草とニガニガ玉が五つずつ入っていた。
いつもの癖で『なんでも鑑定』をしてみると、薬草にもニガニガ玉にも『清浄された』という文言が付いている。
ということはつまり、
「これ全部プルルが?」
「そうクマ。プルルのやつ、毎日頑張ってここまで成長したクマよ」
「ぷるるぅ!」
ラックの褒め言葉に、プルルは嬉しそうに灰色の毛玉の背中で跳ねる。
俺が仕事をしている間、オリガさんのところで面倒を見てもらっているラックたちは、変わらず錬金術の手伝いをしているとアリシアさんから聞いている。
体に影響が出ないように素材を洗う訓練をしているプルルは、いつの間にか一日に五セットも素材を綺麗にできるようになったようだ。
「それでハジメさま、せっかくだからこれでポーションを作って欲しいクマ」
「えっ、今から?」
「そうクマ……だめクマ?」
「ぷるる?」
「うっ……」
目をキラキラさせながら懇願してくるラックたちを見て、俺は思わずお願いを聞いてやりたくなるが、錬金術は体への負担が大きく、使用後の倦怠感を考えるとできれば辞めておきたい。
ならばどうしたものかと頭を巡らせ、
「あっ、そうだ!」
名案を思いついた俺は、期待に満ちた目をしたラックたちにある提案をする。
「ラック、オリガさんにこの素材でポーションを作って欲しいと頼んでくれないか?」
「おばあちゃんにクマ?」
「そう、そしたら後で飲ませてもらうよ。プルルが用意してくれた素材で作ったポーションなら、めちゃくちゃ元気になると思うんだ」
「――っ!? そうクマね」
俺の案を聞いたラックは、弾けたように顔を上げる。
「だったら急いでお願いしてくるクマ。プルル、行くクマよ!」
「ぷるるぅ!」
クルリと背を向けたラックたちは、現れた時の倍以上の速度で去っていく。
「フフッ、慌ただしいですわね」
「はい、ですがラックたちの笑顔のためならいくらでも頑張れますよ」
そう言って俺は、エカテリーナ様にニコリと笑ってみせた。
結局、その日は思った以上に仕事が多く、深夜まで冒険者ギルドに残る羽目になったので、約束したポーションを飲むことは叶わなかった。