手遅れになる前に
エカテリーナ様の屋敷へと辿り着くと、冒険者ギルドで見た悪趣味な真っ赤な馬車が止まっているのが見えた。
「……ハジメ様?」
巨大な門扉へ辿り着くと、馬の世話をしていたと思われるエカテリーナ様に仕える老執事が話しかけてくる。
「ど、どうしたのですか。申し訳ありませんが今日は……」
「通して下さい。いえ、通させて下さい」
狼狽える老執事に、俺は強気に話しかける。
「ここに来たのは大体の事情を知ったからです」
「でしたら尚更おわかりでしょう。私たちにできることは……」
「あります。あるからここに来ました!」
そう言って俺は背負っている木箱を老執事に指し示す。
「これさえあれば、少なくとも今日のところはどうにかなります」
「ほ、本当ですか?」
「本当です。だから俺を通して下さい。手遅れになる前に、早く!」
「…………」
俺の必死の訴えに、老執事は暫く何かを考えるように黙考していたが、
「わかりました」
大きく頷いて鉄の門扉を開けてくれる。
「お嬢様の試練を正面から突破したハジメ様を信じます。万が一の責任は私が取りますから、どうかお嬢様を……」
「任せて下さい。あっ、一応、荒事になった時のために近くにいてくれると助かります」
「承りました。そちらの方はお任せを」
老執事の目が怪しく光るのを見た俺は、この力があれば全て解決するんじゃないかと思いながら、屋敷の中へと入って行った。
※
自分は選ぶべき道を誤ったのだろうか?
理想しか追い求めず、現実を全く顧みない愚鈍な婚約者を見限って追い出さず、自分が出て行くべきだったのだろうか?
そんな全てを見捨てて、自分だけが助かる道を選ぶことができようか?
いや、できるはずがない。
この街の領主の一人娘として生を受けた以上、民を守ることは使命なのだ。
そのためならば、自分一人が犠牲になることなどなんてことはない。
「そう、何でもありませんわ……」
エカテリーナは誰となくひとりごちると、付き人たちに部屋の中に誰も入れるなと厳命して目の前の扉を開いた。
「……来たな」
部屋の中に足を踏み入れると、醜悪な脂肪の塊のような男がエカテリーナを待っていた。
「さて、今月の支払いだが……用意できていないそうだな」
「ええ、教会を取り壊してあれこれ売りましたが、思ったほどの金額で売れませんでしたの」
「カカカ、それはそうだろう。神の加護を受けた品を買うなんて罪深い真似、真っ当な人間は畏れ多くてできんよ」
「さあ、生憎とわたくし、宗教にはとんと興味がありませんので」
「俺もだよ」
ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべるグリードとは対照的に、エカテリーナは表情一つ変えず静かに佇む。
「さて、ウォルターもオリガも支払ったのに、領主たるエカテリーナが利子を払えないとはお笑いだな」
立ち尽くすエカテリーナを下から舐め回すように眺めながら、グリードが探るように尋ねる。
「それでどうするのだ? 期日まで後三ヶ月あるが、諦めてこの街を私に差し出すか?」
「いいえ、それはあり得ませんわ」
エカテリーナはゆっくりかぶりを振ると、男女問わず目を釘付けにする自分の豊かな二つの双丘に手を置く。
「今月の利子は、わたくしの体でお支払いしますわ」
「それはつまり、俺に身を捧げるということか?」
「ええ、煮るなり焼くなり、お好きになさって結構ですわ」
「ほう、たいした覚悟だ」
グリードはベロリと舌なめずりをすると、脂肪に包まれて短く見える指でエカテリーナを指す。
「じゃあまずは、その邪魔なドレスを脱いでもらおうか」
「ええ、よろしくてよ」
エカテリーナはこともなげに言ってのけると、自分の身を包む赤いドレスへと手を伸ばす。
「…………」
だが、威勢よく脱ぐと言ってみたものの、エカテリーナの手は中々動かない。
パーンという婚約者こそいたものの、彼とはプラトニックな関係で手も碌に繋いだことがなかった。
まともな恋愛すら経験したことがないのに、最も嫌っているといっても過言ではない男に素肌を晒すことにエカテリーナは強い忌避感を抱いていた。
「どうした?」
動かないエカテリーナへ、グリードから苛立ちを露わにした声が飛んでくる。
「まさか、そのまま立っているだけか」
「そ、そんなことありませんわ」
ここまで来て臆するわけにはいかないと、エカテリーナは意を決して乱暴にドレスを脱ぎ捨てる。
「さ、さあ、脱ぎましたわよ」
「何を言っているのだ。まだ下着が残っているだろう?」
「わ、わかってますわ!」
容赦ない指摘に、エカテリーナは涙目になりながらレースの下着を脱いでいく。
一糸纏わぬ姿になったエカテリーナは、ドレスを脱いだ時とは違い、両手で胸と下腹部を隠して委縮するように縮こまって立つ。
「ほほっ、いいのういいのう、その恥じらう姿が最高じゃないか!」
グリードは手を叩きながら大声を上げて笑うと、恥ずかしさで今にも消えてしまいそうになっているエカテリーナにさらなる命令を出す。
「ほれ、次はその邪魔な手をどけろ。そして膝を付き、首を垂れて私に服従の意思を示すのだ」
「…………仰せの通りに」
もう何をしても逃げられないと諦めたエカテリーナは、力なく両手をどけて全てをグリードに晒す。
「むほほっ、何といやらしい身体じゃ」
「――いやっ!?」
グリードの言葉に、エカテリーナ様は衝撃を受けたように目を見開く。
五つになった時、光の御子の許嫁になったと言われた時から磨いて来た身体を、いやらしいと称されたことにエカテリーナは深く傷つき、目から涙が溢れ出す。
こんなことのために婚約破棄をした後も怠らず、自分磨きをしてきたわけじゃない。
「うっ、うぅ……」
エカテリーナは目からボロボロ涙を零しながら膝を付き、グリードに向かって深々と頭を下げる。
すると、
「お、お待ちください!」
「この先は誰も通すなと……ああっ!」
外がにわかに騒がしくなり、エカテリーナは思わず顔を上げる。
「何事だ?」
突然の事態に、グリードも訝し気に外を眺める。
その間にも外からは、従者たちの悲鳴や怒号が聞こえてくる。
声は徐々に大きくなり、そして……、
「エカテリーナ様!」
大声と共に扉が乱暴に開かれ、異世界からやって来た新参者が姿を現した。