おみくじ行脚、ふたたび?
おみくじ引こうぜ、ガラガラポン。
元日は神社に行かなかったので、本日参拝。
家の近所の神社は、ご利益を感じさせないので、子供の時分に住んでいた地域の神社へとGO!
小さな神社ではあるが、けっこうな賑わい。
お賽銭を入れ、おみくじを引く ――
ちなみに今回のお賽銭は100円のみ。
たしかドクター〇パあたりが「お寺では金額の多さが大事とされるが、神社は神様なので、そういう部分には優しい」そして「風水的には55円が良い」と言っていた気がする(〇パ氏の父親も卜星屋で父親の直伝とかなんとか)。
ただ、財布には55円分の小銭がなかったので、100円で。大は小を兼ねるということで問題あるまい。
そういえば、神社なのになぜ「お賽銭」なのか?
「賽の河原」という概念って、仏教のものじゃないの?
賽の河原の舟渡し賃。
戦国時代なら、真田でおなじみの六文銭なんてものが有名だけど、神仏混交にしても、さすがに「過ぎる」んじゃないかな、日本の宗教って(苦笑)。
―― 本題に戻す。
さて、おみくじです。今年の結果は「吉」……またですか?
いい加減、そろそろ大吉が出ても良いはず。
ほんとうに久しく大吉を見ていない気がする。
それこそ十代の頃は、大吉以外を見る機会がほとんどなく、「これはお正月仕様のおみくじに違いない」と勝手に思い込んでおり、一度だけ中吉が出た折には「最悪やー!」と言っていたのが、今では懐かしい思い出。
実のところ、私には長らく、おみくじを引かない時期がありました。
その時期は、人生で最悪とも言えるひどい気分の時期で「神などいない」と縁起を担ぐ類のことは、いっさいしない日々でした。
しかし、そういった時期があまりにも長く続き、ある時「たまごが先か、ニワトリが先か」理論で「気分が悪いからお参りをしないわけだが、お参りもしないから気分が悪いまま」ということに、ふと気づく。
「楽しいから笑うは無理でも、笑うから楽しい」はあるだろうから、「とりあえず初心に戻るか」とまたお参りをするようになりました。
するとまあ、運気が向いてきたというよりも、気分的に少し楽になり、張り詰めていたものが、大分と緩和されることに。
こういう決まり事のルーティンは、心に余裕がなくなるほど、おろそかになるものですが、心に余裕を取り戻すためにも、やっておいた方が正解、というのが現在の心境でしょうか。
―― そしてタイトルへ。
それにしても大吉が出ないのは、やはり気分的に今年にノれない。
そして思いついたのが、私が二十代前半の頃にやっていた「大吉が出た神社を今年の俺の神社に認定する」を復活させてやろうか、ということ。
「何言ってんの、お前さん?」ではあるが、私を一番愛でてくれる神社をその年の推し神社にするというのは、別に悪いことでもありますまい。
大吉が出るまで近隣神社を行脚し、三が日が過ぎるようなら、その期限を「節分」過ぎにまで伸ばす。
本来、一年の切り替わりは節分が区切りなので、干支が変わるのも実は節分からが本式。そんなこんなで大吉が出るまで、行く先々の神社を訪問。
これがいわゆる「おみくじ行脚」の正体です。
まあ、実際にはそんなに多数の神社を巡るわけではありません。
ある程度、回れば、けっこう出るものです「大吉」も。
うん、出るはずだよね……信じてるよ?
なんか日常系ユーチューバーの企画みたいだな、これ(笑)。