6柱(D)_名前とはこの世にある事の証明
白い着物はみるみる赤く染まり、地面にまで広がってゆく。
左腕が肩からちぎれ飛び、彼女の傍らに転がっていた。
「邪魔すんじゃねぇよ!」
流れる血液が自分の指先に触れて、その温度を感じた時、ようやく理解が追いついた。
「ぁぁぁあああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
「うるせぇなぁ! 今喰ってやるから黙ってろ!」
「が!」
熊童子は幼女の首を掴み、片腕で軽々持ち上げる。
幼女は宙に浮いた足で熊童子に蹴りかかるが、空を切るばかりのそれを熊童子は気にする様子もない。
「ごお《この》! あ゛がぜ《離せ》ーーーー!!!」
首を締め付けられている状態で呼吸すらままならないが、顔を真っ赤にして泣き叫ぶ。
「ハッハッハ! タコみてぇだな、おい! もっと踊れよ! おら! おら! おら!」
「ぐ! が! ごぉ!」
熊童子に掴まれている幼女は、左右に揺らされる度に喉から漏れた空気と共に、苦しそうな声を発した。
涙や鼻水が溢れ、顔の赤みが増す。
その姿を見た熊童子が腹を抱えて笑う。
「がぁーーっはっはっはっはっは!!! 面白ぇなあ! こうしたらどうなるんだよ!?」
く、苦し……。
息が……。
今度は幼女を縦に揺らし始める。
息も限界で、幼女が意識を失いそうになった。
その時。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
「うお!? 何しやがんだ、死に損ないが!」
し、師匠!?
切断された肩や背中の傷からは血が噴き出ており、真っ赤に染まった襦袢からも滴り落ちている。
そんな状態でも何とか片腕と両足で熊童子の腕にしがみつき、毛皮に歯を立てる鬼女。
「クソ! 離しやがれ!」
自分の腕から引き剥がそうと鬼女を掴んで引っ張るが、鬼女は離されまいと、より強くしがみつき、より歯を食い込ませる。
「ぐ! この! いい加減にしろってんだ!」
熊童子は空いているもう片方の拳を鬼女の顔や腹に打ちつける。
殴られる度に噛み付く力が強くなるのか、熊童子の顔が徐々に歪んできた。
鬼女を殴打する熊童子の力がどんどん強くなる。
止めろ!
師匠に何するのです!
このヤロ!
「がぁ!!! ご!!!」
「くそ! テメェもか!」
幼女も力を振り絞る。
渾身の力で足を振り上げ、その度に首が強く締まり、顔色が真っ赤に染まる。その甲斐あってか、振り上げた足が熊童子の腕に届き始めた。
「ああ! めんどくせぇ!」
熊童子は腕を振り回して幼女を投げ捨てる。
ベチャ!
「かは! げほ、げほ!」
落ちた場所は泥濘がひどくダメージこそなかったものの、体が半分近く泥の中に埋まってしまった。
鬼女の方はと言うと、未だ熊童子の腕に噛みついていた。
「いつまでしがみついてやがんだ!」
「し、師匠!」
鬼女が取り付いたままの腕を振り上げる熊童子。
そして。
ドォンッ!
「あ゛ぁ!!!」
凄まじい勢いで地面に叩きつけられた鬼女は、ついに熊童子の腕から離れた。
「何度も邪魔しやがって! 大人しく死んどけ!」
ドスッ!
ドスッ!
ドスッ!
熊童子は鬼女を何度も足蹴にし始める。
「や、やめるのです! お前の相手は私なのです! 師匠には手を出すなです!」
全身泥だらけになりながら、這いつくばって鬼女のもとへと進もうとするが、手足を置く度に深く沈み込んでしまって思うように進めない。
幼女は焦りから、足元の泥を固定するのを忘れてしまっている。
そんな幼女の様子を見て、熊童子はニタリと口角を上げる。
「おぅおぅ、泣かせるねぇ。これは俺様も心が痛むぜえ……なんて言うと思ったか!」
ドンッ!!!
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
「や゛め゛ろ゛ーーーー!!!」
体重を乗せ、思い切り鬼女の足を踏みつけた。
細い脚は潰れてあり得ない方向に向いてしまっており、通常の神経なら直視するのも躊躇われるほど痛々しいが。
「ぎゃははは! おいおい、すげぇ方向に曲がったぞ!」
「あ゛……あ゛…………」
惨い姿を見て、本当に楽しそうに笑う。
まるで、道徳心も身につく前の無垢な子供が道端の虫を拾い上げ、その足を一本一本折る毎に反応を楽しんでいるかの如く。
「全く、手こずらせやがって。ペッ!」
動かなくなった、痛々しい姿の鬼女に唾を吐きつける熊童子。
怒りのあまり全身の血液が一瞬にして沸騰してしまう。
「お゛前ーーーー!!! ごろじでやるーーーー!!!」
ようやく泥の中から這い出た幼女は、雄叫びにも近い叫びを発する。
「何キレてんだよ! お前ぇとも遊んでやるから、機嫌直せよ!」
「ぅああぁぁぁぁ!!!」
今までで一番の速度で真っ直ぐに熊童子へ突撃し、渾身の力で殴りかかるが。
バシン!
「グァッ! ……この。ギャッ!」
熊童子に真上から平手打ちをかまされ、地面へ叩き付けられた。起き上がろうとする幼女を熊童子が足で踏みつける。
肺が圧迫されて呼吸が浅くなり、何とか逃れようと幼女は手足をジタバタさせる。
「がぁーはっはっは! 何だよお前ぇ、まるで亀みたいじゃねえか!?」
「ガッ……カハ! この。ぐふ!」
苦しさで反論すらできない。
「おぉ〜っと! このままじゃ苦しいよなぁ? ほら、楽にしてやるよ」
熊童子が足をどかして体が動くようになった瞬間、幼女は地面に手を付いて飛び起きようとしたのだが。
ドス!
「グェ!」
蹴り上げられて宙に舞う。
立ち上がる直前の、四つん這いの状態だった為、強烈な一撃が胸に入った。
熊童子の3~4の高さまで浮かび上がった幼女は、そのまま自由落下で地面に叩きつけられる。
「あが! ……あ゛……かはっ」
肋骨が折れたか、内臓をやられたか。
どちらにしろ痛みで呼吸もままならない。
すでに幼女はボロボロだが、それでも熊童子はいたぶるのを辞めようとはしない。
「何だぁ、もう終わりか? もっと逃げてみせろよ!」
「が……あ゛。ぐぁ! あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
熊童子はうずくまる幼女の腕を掴むと、力一杯に放り投げた。
細い腕ではその力に耐えきれず、肘や肩の関節が外れる。
「ッーーーーーーーーー!!!!」
もはや悲鳴というより金切り声に近い叫びを上げる。
ベシャ!
再び泥濘の中に沈んだ幼女。
自分だけでは死に物狂いで向かって行っても、一矢報いることもできない。
熊童子の余裕の態度に、圧倒的な実力差を否応なく実感してしまう。
勝てないのです……。
ご主人を悪く言われて……。
師匠もやられたのに……。
私が弱いから……。
悔しい……。
悔しいのです……。
その時。
ふと顔を上げると、倒れている鬼女の左手が動くのを見た。
し、師匠! 生きているのです!?
鬼女は辛うじて動く左手で印を切り、幼女に向かって指をさすと、彼女の指先に光の粒子が集まる。
それは野球ボールくらいの大きさになると、鬼女の指先を離れてフワフワと幼女に飛んでくる。
そして幼女のもとに届くと、その体を優しく包み込んだ。
こ、これは!?
体の傷が癒え、骨が折れていると思うほど酷かった、腕や脇腹の痛みはみるみる引いていった。
そしてほんの少し。
たった僅かではあるものの、幼女は自分の神力が上昇したのを感じた。
何で師匠が神力を!?
疑問はあるが、今は考えるのをやめた。
師匠から貰った力を無駄にしたくない。そして、この熊童子に勝つことができたなら、尊に胸を張って”自分が役に立てる”と言えるはずだ。
幼女は、熊童子に勝つための方法を必死で考える。
自分の異能。
この場所の状況。
熊童子の攻撃方法。
師匠から与えられ、底上げされた神力。
そして脳裏に浮かぶ勝利への一筋の光と、その僅かな可能性を見い出す。
やるしかないのです。
やってやるのです!
幼女は立ち上がり、熊童子を見据えた。
「お、やる気か? そろそろ喰ってやろうかと思ったが、もうちょい遊べそうだな」
こんな挑発で怒ったらダメなのです。
その目に浮かぶのは恐怖や絶望ではない。
勝利への執念、渇望である。
■
必死に逃げ回る幼女と、それをニヤケ顔で追い回す熊童子。
コントや冗談ならツッコミや通報をされるだけだが、これは正に殺し合い。
とは言えこれでは"狩る側"と"狩られる側"であり、その一方的な展開に、幼女が勝つと予想できる者などいないだろう。
「ほらほらどうしたぁ! 逃げてばかりじゃつまらねぇだろ!」
「ッ!」
「ち! またかよ」
まだなのです。
確実な瞬間を狙わないと。
熊童子の方が早いが、幼女の方が小回りが効くため、追いつかれそうになると急に方向を転換することで何とか逃げ回っていた。
そんな展開を数回は繰り返している。
少しでも気を抜くと捕まる。
気付かれてもいけない。
あくまでも、自然に逃げなければいけない。
また真っ直ぐ走った後、急な方向転換で逃げようとした時。
「おっと! その手はもう通用しねぇぞ!」
ガッ!
「ぐあ!」
幼女が向きを変える方向を読んだ熊童子が、幼女に追従して蹴り飛ばした。
宙に浮いた幼女が、痛みに耐えつつも落下地点を確認する。
こ、こっちの地面は!
幼女はそのまま地面に落ちた。
ドサッ!
「が! ッーーーー!」
想定していたよりも大分強い痛みに、うずくまって動けなくなる。
「もう終わりか!? なら死なせてやるぜ!」
幼女は、熊童子が4つ足の姿勢を取り、全速力で向かってくるのを確認した。
い、今なのです!
「解除!」
「うお! 何だ!?」
バシャァ!
いきなり足元の踏ん張りが効かなくなり、熊童子は体勢を崩して倒れ込んでしまった。
「どうなってやがる? ここはさっき通った時は何とも無かったはずだろ!?」
熊童子は残忍で弱者を甚振る事を好むが、同時に用心深さ(ハッキリ言えば臆病)を持ち合わせている。
そうでなければ、妖怪となって100年前後を生き抜く事などできなかったからだ。
それ故に、幼女が逃げつつも何かを仕掛けようとしているのは分かっていたし、その"何か"を防ぐために、幼女が通った場所は全て覚えていた。
だが、自分の記憶と照らし合わせてみても、この部分の地面は乾いていたはずだった。
「そうか! あいつの異能か!?」
そう。
幼女はこの泥濘の上を通る時、悟られぬよう熊童子の足元も固定していた。
そのため、1度この場所を通った熊童子は、今この場所が何の変哲もない乾いた地面だと思い込んでいたのだ。
「だが、コレだけじゃ俺様はーー「止まれ!」ーーぐ!」
熊童子が顔を上げた瞬間、体が動かなくなる。
くらっちまったか……。
だが、止めていられるのは数秒だろ。
それにアイツだけじゃ俺様にダメージは入らない。
動けるようになったらまずは、この泥から出てーー。
冷静に考えていたが、何と幼女は真正面から熊童子に向かってきた。
何考えてやがる!
まさか、何か手があるってのか!?
幼女は真っ直ぐ熊童子に突撃し、そして飛びかかると。
ベシャ!
な、何してやがんだコイツ!
熊童子の顔面に抱きついたのだ。
「解除!」
い、息ができねぇ!
くそ!
離れやがれ!
幼女が固定を解除した瞬間、熊童子は幼女を引き剥がそうとしたのだが。
「止まれ!」
ぐ!
マジかコイツ!
そういう事かよ!
幼女は、熊童子の顔面を塞いだまま、自分自身を固定したのだ。
ここに至り熊童子は、この幼女の目的を理解した。
ふざけんな!
冗談じゃねえぞ!
こんなバカみたいなやり方で、俺様が死ぬはずねぇんだ!
熊童子は幼女を掴んで剥がそうとするが、手足が後頭部まで巻きついており、それが岩のように固いため、全く剥がす事ができない。
があぁ!
くそぉ!
離せぇ!
とうとう、自分の毛皮に傷が付くのもお構いなしに、爪を立て始めた。
だが、それでも幼女は離れない。
……。
まだ大丈夫なのです。
もう少しなのです。
私は強いのです。
心の中で、自分に言い聞かせるように念じる。
自分を固定してから、
5秒
10秒
30秒
1分
ここまで長く力を使うのは初めてだが、不思議なほど疲れや苦しさを感じない。
これならいけるのです!
やっぱり私は強いのです!
「ッーーーー!!!!」
息が限界に達しつつあるのか、熊童子は今までで最も暴れ回る。
自分の頭も一緒に、地面に何度も幼女を叩きつけた。
自分の頭ごと、何度も何度も幼女を殴りつける。
そして。
突然、直立したまま動きを止めた熊童子。
大きな体がゆっくりと傾いていく。
ドォォォン!
巨体が倒れ、大きな音と共に地面が揺れた後、そのままピクリとも動かなくなった。
やった。
勝ったのです!
私が勝ちなのです!!!
解除!
「やってやったのです! どうなのです、熊ちゃん野郎! 私はお前なんかよりも強いのです!」
固定を解いた幼女はピョンピョン飛び跳ねて喜んだ。
しかし。
「私は役に、立つ……あ、れ……?」
目が霞み、足がふらつく。
一気に噴き出してきた汗が全身を濡らして流れ落ちる。
足から力が抜けて立っているのも難しくなり、その場に崩れ落ちた。
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