こんなに楽しい思い出ができたなら……
カウンターにソーサーを置き、カップに砂糖を入れる。
クレマに浮かぶ砂糖が、ゆっくり底へと落ちて行く。それをスプーンでかき混ぜたら、一気にゴクッと飲むのが、本場の飲み方。そう前世知識で知っていたので、その通りに飲むと……。
「まるで薬を飲むような勢いですね」とイーサンがクスクスと笑う。私は「多分、これが本場の飲み方なんですよ!」と伝える。「なるほど」と応じたイーサンは同じように一気に飲み「これは……甘くて苦い。甘さの後にガツンと来る苦みは……いい目覚ましですね」と驚いた表情を見せる。
私はカップの底に沈む砂糖をスプーンですくい、「この底に残った砂糖。カラメルみたいに香ばしく、甘いんです。こちらもたまらないですよ」と、囁き声で教えた。こんな風に砂糖をなめるのは、マナー的にはダメなのかもしれない。よって二人で隠れるようにしてスプーンを口に運ぶ。
「ほろ苦く甘い……。しかもローズベリー伯爵令嬢と、二人でこっそりこの味を楽しむのは……スリリングで、一生忘れないと思います」
それは私も同じだ。
こんな風にイーサンとエスプレッソを飲める機会なんて、もうないだろう。
一ヵ月限定での恋のレッスン。
彼の休暇の終わりと共に、すべては終わる。
でもこんなに楽しい思い出ができたなら、それで十分だろう。
「ではそろそろ座席に行きましょうか。あ、でもその前に。レストルームに行っておきますか?」
「! はい。それでお願いします」
観劇前にレストルームへ行くことを提案してくれる男性は、気遣いができる人だと思う。特に女性から「レストルームへ行きたいのですが……」と切り出すのは恥ずかしくもある。スマートにこれを口にできるのは……やはりイーサンの恋愛偏差値は高いと思う。
イケオジなエルン騎士団長は一体、イーサンの何を見てあの間違った判断をしてしまったのかしら?
そんなことを思いながらレストルームへ向かい、そしてさっぱりした後。
洗面台の鏡の前で身だしなみチェック。
口紅だけ薄く塗りなおし、ドレスに乱れがないか確認。
ドレスは繊細なので、ちょっと踏まれたり、ひっかかったりで、ほつれが出てしまうので、要注意だった。
でもどうやら大丈夫そうね。
レストルームを出ると、いよいよ座席に向かう。
ドアマンがいてチケットを見せると、進むべき方向を簡潔に伝えてくれるが、それはイーサンがしっかり聞いてくれている。そのままイーサンのエスコートで席まで着いて「え」と声が漏れる。
一階の中央席なんて、一番高い座席では!?
前世でいうS席よ、絶対に。
え、ここに座っていいのですか!?
「さあ、ローズベリー伯爵令嬢、お座りください」
座っていいんだ……。
腰を下ろした瞬間。
「クラエス副団長! おや、今日は別嬪さんをお連れですな」
驚いた。これは内務大臣とその奥様では!
「おー、クラエス副団長。まさかあなたとバレエ公演で会えるとは!」
こちらは宮廷音楽家の方!
一階中央席には、次々とこの国のVIPがやってくる。そしてイーサンは当たり前のように彼らに私を紹介してくれるけれど……。みんな、私を知らないわけがない。笑顔で応じてくれているが、きっと「ああ、あのバツイチ出戻りの……」と思っているのでは!?
ものすごく汗をかきながら、なんとかすべての挨拶を終え、席に腰をおろした時には。
どっと疲れが出たように感じた。
そう。
体がなんだか鉛のように重く思えて……。














