人生はそんなに甘くはない
ボス令嬢には縁談話が出ている。間もなく、目の上のたん瘤は消えてくれるだろう。そう思っていたら……。
「私の可愛い薔薇の花。美しいグレイス。父さんの話を聞いてくれるかい?」
「何でしょうか、お父様」
その日は、私が社交界デビューしてから二年が経っていた。今日もこの後、舞踏会へ向かうため、ワイン色の大人っぽいドレスに身を包んでいた。
「実はな、グレイス。先代の伯爵夫人はとんでもない悪女だったようだ」
「え、ど、どういうことですか……?」
「つまり父さんの母親は、オシャレが大好きで沢山の宝石とドレスを買いまくっていた。しかもツケで」
ツケの総額は我が伯爵家が所有する銅山と銀山を売り払い、さらに商会二つを売却し、屋敷も処分する必要があるぐらい、膨大だった。
しかもツケ払いをしていた相手は、エルン商会。彼らはこのツケの件をずっと黙っていたが……。
エルン商会の創業者であるダンは、平民だった。織物産業で儲けが出るようになると、いち早くスパイスに目をつける。船を出し、その産地まで向かい、買い付けを行ったのだ。その結果、財を成し、爵位を手に入れたいと考えた。だが、平民が爵位を手に入れるのは、楽なことではない。
そこで急に私の父親に近づき、王室への橋渡しを依頼してきた。
断ろうとした父親に、ダンは先代伯爵夫人のツケの件を持ち出したのだ。由緒正しき歴史ある家門の伯爵夫人が、ツケ払いで多大な借金を作っていた。ただそれが世間に知られるだけでも外聞が悪い。そこを黙る。だからまずは王室への橋渡しを。そしてツケによる借金は、帳消しにする。ただし、条件がある。
「ダンに息子がいる。ウス・レイリー、年齢は現在二十六歳で独身。彼は舞踏会でグレイスを見て、一目惚れしたそうだ。ダンは間もなく男爵位を手に入れる。そこでグレイスを、ウスの結婚相手として迎え入れたいそうなんだ」
この父親の言葉に、ショックで私の手からは、扇子がバサリと落ちた。
そんなどこの馬の骨とも分からない、平民出身の成金男の息子と、名門伯爵家の令嬢の私が結婚!? 両親は私を溺愛しているはずだ。そんなことするはずは……。
「もし、この話を拒めば、我が家はすべての財を失う。とても爵位を維持することはできないだろう。父さんも母さんも働き、グレイス……お前にも働いてもらうことになる。使用人は全員解雇、舞踏会には二度と行けないだろう……」
まさに前世で言う破産みたいな状態になると理解した。
落雷で死亡し、転生した私は、完全無敵なモテ伯爵令嬢になれたと思ったのに。
人生はそんなに甘くはない。
かくして社交界の華は、不意に現れた成金男爵の息子の手で、摘まれることになった。