キスへの願望
私が見ていることに気づかれてしまう。
慌てて会釈すると、彼も会釈を返してくれる。
そのままドリンクコーナーへ行き、その騎士はシードルの入ったグラスを手にとった。
珍しく長い黒髪は、後ろに一本で結わかれている。
多分、かつらだ。
そして今見えているのは横顔だが、鼻が高い!
グラスに触れている唇は、淡い紅色をしている。
ふんわりとして、触れ心地が良さそうな唇だ。
弾力があり、艶もあり、潤いも感じる。
初めて思った。
キスをしたいと。
私のファーストキスは、無機質で、感動などないものだった。
ときめきもなく、ただ結婚式という儀式の場で、義務的に済まされている。
以後のキスは私の意思とは無関係に行われるもので、自分から「キスをしたい」と思うことなどない。
でも、今、目の前にいる見知らぬ騎士の男性を見て。
その美しい唇を見て、キスをしたいと感じていた。
「!」
つい、じっと見てしまった。
しかもキスをしたいと物欲し気な顔で見てしまったと思う。
女性からそんな風に見つめるのは、はしたない。
慌てて視線を伏せることになった。
かつて社交界の華と言われ、無駄に恋愛偏差値が高かった私は。
こんな風に異性と二人きりになった時の対処法も心得ていた。
こんな風にもじもじする必要はないのに!
気持ちを落ち着かせるため、異性と二人きりになった時の対応について思い出す。
基本的に男性との会話は一問一答になりがち。
でもそれは、質問する女性側の工夫で、いくらでも変化させることができる。
例えば「今日はいい天気でしたね」という、当たり障りのない話題ナンバー1の天候の話。
でもこれは「そうですね」で終わる可能性が大。
では初対面の男性、特に騎士と天候の話で盛り上がるには、どうすればいいのか。
「今日はいい天気でしたよね、愛馬の調子はどうでしたか?」
これだけで相手の騎士は、例え見習い騎士であろうと、饒舌に話し出す。
騎士にとって愛馬は相棒。毎日顔を合わせる。
特に天気のいい日は、朝から厩舎に向かい、馬に乗ることが多い。
なぜなら朝一番は、人馬共に集中力が高いからだ。
相棒について詳しく話すということは、自己開示をするも同様なこと。一度自己開示をしたのなら、その後の会話も、「はい」や「いいえ」で終わらせるのは申し訳ないという気持ちも芽生える。ゆえに一問一答になる確率はグッと減り、会話の幅が広がるのだ。
ということで話しかければいいのに。
信じられない程、胸がドキドキして、声を……かけられない。
こんなこと初めてのことだった。
唇を見ただけで、こんなに胸がときめくなんて……!
「!」
見つめていた床に淡い影が広がり、よく磨き込まれた革靴が目に入る。
そう。
靴はいい男を見分ける大切なポイント。ヨレヨレの靴や、ボロボロの靴、きちんと手入れされていない靴を履いている男性は……交際する女性、伴侶を大切にしない。
毎日履く靴である。その手入れさえできない男が、パートナーへ気配りができるはずがない。よって靴を見れば……。