涙の理由
その年は冬が早かった。
いつもなら雪が積もるころになるのだが、
今年は風花が舞う少し前にはもう村に戻った。
すずろはずいぶんと大きくなったお腹を抱えて迎えてくれた。
春のおわりごろには臨月だ。
この数か月は近隣の村だけを行商してきた。
すずろがひとりになるのは心細かろうと、
行商の合間にたとえ1日2日顔を見せるだけでも安心すると思ったのだ。
そしてしばらくは旅には出ないと決めている。
「そんなに心配しなくても。」
すずろは笑っていたが、珠緒は真面目だった。
「いや、産は女の戦いだ。ひとりで戦わせるわけにはいかん。」
「では珠緒は同志だな。」
「もちろんだ。」
村人もときおり訪れてはいろいろ気にかけてくれている。
「産着の用意はできてるかね。何枚あってもいいから持ってきてみたよ。」
「炭を多めに焼いてきた。暖かくして過ごせや。」
「おなかにさわっていい?」
それぞれがそれぞれに新しいいのちを心待ちにしている。
「こわいとは思わないのか?」
「なぜ?」
「初めてだから・・・。」
「多くの女が体験してきたことだろう。心配ない。」
「女というものはたくましいな。」
「ゆずり葉にいろいろ教わったしな。」
ゆずり葉からも時々手紙が届いていた。
「たくさんの人に支えられているのだな・・・。」
ぽつり、と言ったすずろの頬にひとすじの涙が流れた。
「どうしたのだ、急に。」
「ああ、大丈夫だ。」
すずろは笑顔を見せた。
「時折、胸になにか迫るような気がして泣いてしまう。」
「なにか気にかかることでもあるのか。」
すずろの過去を知る珠緒に、ふと不安がよぎる。
「いや、そうではない。」
すずろは珠緒の手を取った。
「以前にも隠れて泣いたことはある。
その時の涙は尖っていて悲しかった。
他人のいのちを自分が奪うことへの恐れや悲しさ、
それにあらがえないことに流す涙。」
そしてそのまま珠緒の手を自分のおなかにあてた。
「でもいまは違う。
おのずと零れ落ちるそれは
きらきらと美しく、まろやかで玉のようだ。
自分がいのちをはぐくむことの喜びをおさえきれない涙。」
おなかにあてた手に、とん、と振動が伝わった。
胎児が蹴っているのだろう。
珠緒はすずろを包み込むようにそっと抱いた。
「涙にはいろいろあるものなのだな。
どんな涙もお前自身を映すものだ。
思い切り流すがよい。
いつでも俺がぬぐってやろう。」
再びとん、と蹴る振動がした。
「そうだな。今は泣くことも喜びだ。」
それはそれは美しい、幸せな涙。
それはちょうど降り始めた雪のようだった。
積もるほどの幸せがこの家に訪れますように。