099 失ったもの
啓はキャリアでユスティール工房都市へと向かっていた。
マルク・テイラー総隊長の率いるオルリック軍東側防衛部隊は、オルリック王国に侵攻し、ユスティールを占拠していたアスラ軍を見事に撃退し、ユスティールを奪還した。
しかし、アスラ軍はただ撤退したわけではなかった。
ユスティールの所々に、爆発を起こす装置を仕掛けていたのだ。
テイラーに助力を求められた啓達は、装置の対処方法を検討するため、ユスティールに向かうことになったのだが……
「ちょっとケイ、なんでこの女が一緒に乗ってるのよ」
「オレだって知らないよ。だいたい、ミトラだって気付かなかったじゃないか」
啓の自走車であり、バルダーの輸送車でもあるキャリアを運転するミトラが、隣りに座っている啓に超小声で尋ねる。
ミトラが言っている女とは、啓を挟んで反対側に座っているアーシャ・リーのことだ。
アーシャ・リーは、ウルガー王子の側近であるマルティン・テイラー近衛騎士隊長の婚約者であり、近衛騎士の一員でもある。
また、アーシャは認識阻害という能力を持っており、その力を使って啓の拘束にも成功している。
そのアーシャが、何故かキャリアに同乗しているのだ。
気が付いたときには乗っていた、というのが正しいだろうか。
認識阻害の能力は姿消しとは違い、目に見えなくなるのではない。そこに存在しているにも関わらず、まるで路傍の石のように気にされなくなるのだ。
だから啓は、出発前にアーシャがキャリアに入ってきた時、まるで荷物を避けるかのように普通に体をずらして、アーシャが座る場所を空けた。
アーシャが存在することに気付かない啓達は、そのままキャリアを発進させた。
そしてしばらく走ったところで、アーシャは能力を解除した。
突然アーシャを認識した啓達は、飛び上がるほどに(バル子とノイエは本当に飛び上がり)驚いた。
……というわけで、現在に至る。
「二人とも、聞こえてるわよ」
アーシャは二人のヒソヒソ話をしっかり耳で拾っていた。
「私は貴方達のお目付け役。殿下は貴方達の罪を許したけれど、貴方達を完全に信用したわけじゃない。そのために私がこうして見張りについているの」
「あの、だったら最初からそう言って、普通に付いてきてくれればよかったんじゃ……」
「断られたら面倒だから」
今の状況のほうがが面倒なんですけど、という言葉を啓はなんとか飲み込んだ。
なお、ウルガー王子はユスティールの安全が確保されるまで、ヒルキの村で待機している。当然、近衛騎士隊長のマルティンや騎士隊の大半も留守番だ。
今、ユスティールに向かっているのは、サリーを呼びに来たテイラー総隊長とその部下数名、近衛騎士隊からの選抜者達、そしてサリーと、サリーの輸送車を運転しているシャトンとフェリテの動物達全員である。
「今更、降りろとは言わないでよね」
「言いませんよ……」
この会話を最後に、啓達はしばらくの間、無言のドライブを続けた。
とはいえ、何を喋っていいのか分からない啓とミトラは、居心地の悪い沈黙の時間を甘んじて受け入れるしか無かった。
「何か喋らないの?」
その沈黙を破ったのはアーシャだった。
何か話題を提供しなさい、ということだと判断した啓は、助けを求めてミトラに顔を向けたが、ミトラは首を小さく横に振って「あたしは無理」と拒否した。
しかたなく、啓はこの場でできる共通の話題をひねり出した。
「えっと……その……アスラ軍の置き土産ってやつ、気になりますね」
「……いや、貴方ではなく、そのネコのこと」
「……」
「ネコ、喋るんでしょ?」
啓は心の中で、そっちかいとツッコミを入れた。
アーシャは相変わらず無表情のままで、今どんな感情なのか、何を考えているのかも分からない。掴みどころのない人だと啓は思った。
啓は膝の上で丸くなっているバル子の背中をトントンと叩いて、喋っていいよと呟いた。アーシャには、バル子が言葉を話せる猫であることを既に知られているからだ。
バル子は膝の上で姿勢を変え、アーシャのほうを向けた。
「……こんにちは、アーシャ様」
「はい、こんにちは」
「……」
「……」
(それだけかい!)
啓は再び心の中でツッコミを入れた。
そして再び沈黙が訪れたが、今度はそれほど長いことではなかった。
「魔動武器、じゃないかしら」
アーシャが小声で呟いた。
「え、なんですか?」
「貴方が言ったのでしょう。気になるって」
「ああ、そっちの話ですか……」
バル子との会話は既に終わっていたらしい。
アーシャは、啓が言った「アスラ軍の置き土産」の話に時間差で乗ってきたのだ。
「えっと、魔動武器とはなんですか?」
「魔硝石の力を利用した武器。オルリックの研究所でも研究していたわ」
「あの研究所ですか……」
「ああ、そうか。研究所は貴方達が破壊したのよね」
「だから、それも違いますからね!」
啓達には国王殺しだけではなく、王立研究所の破壊の容疑もかけられていた。実際には、研究所の所長だったガーランによる仕業だったのだが。
しかしアーシャはそれ以上横道に逸れることなく、説明を続けた。
「バルダーや自走車は、人が魔硝石を活性化させてその力を引き出して動かす。でも魔動武器は、人の力を必要としない」
「それって人ではなく、死者や動物の力を使うという話ですか?」
「……貴方、結構怖いことを考えるのね?」
「オレが考えたわけじゃないですからね」
サリーとミトラは研究所の奥でルーヴェットという獣が、そして啓は研究所の地下で、死者が生体実験に使われているのを見た。だから啓はすぐにそのことを連想したのだ。
「魔動武器は、人の力を使わず、それ自体で完結する。もちろん、人が使うことで、効果を発揮するものもある」
「そういえば、アスラ軍の女士官が持っていた杖もへんな能力があったわね。それも魔動武器の一種かな」
「アスラ軍の女士官って……貴女、アスラ軍と戦ったの?」
「えっ?まあ、その、成り行きで……」
啓達はアスラ軍がユスティールを占拠した直後、町に残ったシャトン達を助けるために町に潜入していた。その時、ミトラはグレースと戦ったのだが、グレースの持っていた奇妙な杖のせいで苦戦したのだ。
なお、グレースや、連れていた黒曜騎というバルダーの軍団がカナート王国から派遣されたことを知らない啓達は、グレース達をアスラ連合の人間だと認識している。
「きっとその杖も魔動武器だったのでしょう。爆発する装置といい、アスラの連中は魔動武器を実用水準に上げてきたということね……」
「厄介ですね……フェリテは大丈夫かな……」
「レナさんも心配だわ……」
三人共、それぞれ考えにふけり始め、キャリア内には再び沈黙が訪れるのだった。
◇
シャトンが運転するサリーの輸送車内も、似たようなものだった。
アーシャのように部外者が乗り込んではいなかったが、シャトンもサリーも互いにユスティールのことを考えていて、口数は少なかった。
「大丈夫だろうか……」
ふと、サリーの口から独り言が溢れた。
シャトンは聞こえなかった振りをしようかとも思ったが、シャトンは車内でサリーとほとんど会話をしていなかったことを思い出し、あえて聞いてみることにした。
「もしかして、レナさんのことですか?」
「ん、ああ、すまない。声に出てしまっていたのか……その通りだよ」
シャトンの言う通り、サリーはレナの心配をしていた。
オルリック軍の防衛部隊には、近隣の町の警備隊も合流している。もちろん、戦火に巻き込まれたユスティール警備隊も同様だ。そのユスティール警備隊の隊長であるレナは、サリーの親友でもある。
テイラーは、防衛部隊の本隊を前線で使い、警備隊は遠距離攻撃や後方支援として運用していた。そのため、前線に比べれば危険度は多少低いが、負傷者や死者が出ていないわけではなかった。
「レナは無理はしないと言ってはいたが、敵にはそんなことは関係ない。状況がそれを許さないこともある」
「いざとなったら、レナさんは無茶しそうですしね」
「そういえば、シャトンもレナのことをよく知っているのだな」
「ええ。フェリテによく来てくださいますから」
レナは猫カフェ・フェリテに足繁く通う常連だった。非番の時に遊びに行くのはもちろん、町を警備巡回している時にも、異常がないかとわざわざ店に顔を出すほどだ。
ユスティールの人間で、フェリテにいる猫達全ての顔と名前を覚えているのは、フェリテ関係者以外ではレナだけではないだろうかとシャトンは思っている。それぐらい、レナは熱烈にフェリテと猫達を愛していた。
「レナさんは、町からの避難が決まった時も、最後までフェリテを気にかけてくださいました。それなのに私は、身勝手な思いで町に残ってしまいました。だから今度会った時には、しっかり謝罪したいと思っています」
「ああ、そうだな……謝罪ついでに、フェリテを一日、レナの貸し切りにしてやるのはどうだ?」
「それ、いいですね!オーナーに相談してみます!」
会話で気が紛れた二人は、和やかな雰囲気のままユスティールまでの道中を進んだ。
しかし、ユスティールでは、非情な現実が待っていた。
◇
ユスティールの町の入口に到着した啓達は、警備をしていた兵士達の前で車を停めた。
先頭を走っていたのはテイラー総隊長の乗る自走車だったため、町に入るために兵士と押し問答が始まるようなことはなかった。
テイラーが後ろの啓達に手で合図をして、自走車を再び走らせ、町へと入っていく。
その後を啓達も続くが、サリーはふと、警備している人の中に顔見知りを見つけた。それはユスティール警備隊員の一人だった。
サリーはシャトンに車を停めてもらうと、窓から顔を出して警備隊員に声を掛けた。警備隊員もサリーに気付いたようで、一瞬サリーに笑顔を見せたが、すぐに神妙な顔つきになった。
サリーが隊員に労いの言葉をかけると、隊員は礼を返したが、その直後に顔を逸らした。サリーは胸の中に小さな不安を抱えながら、隊員に聞いた。
「どうした、何かあったのか?」
「その、隊長が……」
「レナが、レナがどうかしたのか!」
隊員は、サリーとレナが親友であることを知っていた。だからこそ、自分がサリーにそれを説明する役目になることが辛かった。
「隊長は……隊長は、アスラ軍が仕掛けた罠に掛かり……大怪我を負いました。今、警備隊本部の救護室で治療をしていますが……もう……」
「サリーさん!」
「サリー、どうした?」
サリーは隊員の話を最後まで聞かなかった。サリーは自走車から飛び降り、警備隊本部に向かって全速力で走った。カンティークも自走車を飛び出し、サリーを追って走る。
(レナ……レナ!!)
シャトンや、啓の声掛けにも気付かず、サリーは夢中で町を走った。
◇
警備隊本部は破壊されること無く、そのまま残っていた。
本部に到着したサリーは、荒い呼吸を整えることなく、流れる汗もそのままに救護室に向かった。
本部内の廊下では、長期間不在だった本部の掃除や、荷物運びをしている警備隊員と何度も遭遇したが、サリーのことを知る警備隊員はサリーを呼び止めること無く、むしろサリーが通りやすいように道を空けた。
それは、一刻も早く、レナに会って欲しいという思いでもあった。
「レナ!!」
救護室に飛び込んだサリーは、すぐにレナを探した。
救護室には簡易寝台が幾つか並んでいるが、寝台を使っているのは一人だけだった。
警備隊所属の救護担当と、防衛隊所属の衛生兵が、簡易寝台に横たわるレナの容態を見ていた。サリーに気付いた救護担当が衛生兵に耳打ちすると、二人はサリーのために場所を空けた。
「レナ……」
血の気が無く、青白い肌をしたレナの顔には幾つもの絆創膏が貼られている。首と肩には包帯が見えるが、首から下は肌掛けが掛けられていて、体の様子は見えないが、おそらく全身包帯まみれになっていることだろう。
「隊長は爆風を浴び……」
「……で、失血がひどく、意識が……」
救護担当がレナの容態を静かに語る。しかしサリーには、その声がとても遠くに聞こえていた。
サリーの目は、レナに掛けられた肌掛けの膨らみを見ていた。
しかしそこには、本来あるはずの膨らみがなかった。
レナは、左足を失っていた。