094 姉弟
サリーは自ら正体を明かし、弟であるウルガーの前に立った。無論、元々そんな予定は無かったが、啓達の危機を救う為にはそれしか思いつかなかった。
サリーはヒルキの町に戻る途中で、啓達の危機を知った。サリーの愛猫であるカンティークが大量の念話を受信したからだ。
念話の内容は無秩序で取り留めのないものだったが、とにかく大騒ぎしている様子と「主人が危ない」とか「倒さなきゃ」といった言葉の端々から、何か良からぬ問題が起こっていることは察知できた。
その後、シャトンが状況を整理してカンティークに伝えたが、その時には全員囚われた後だった。サリーは自走車を飛ばしながら、自分の身分を明かして啓達を救出することを決めたのだった。
「本当に、姉上なのですね……死んではいなかったのですね」
「ええ……今まで黙っていてごめんなさい」
ウルガーが一歩、また一歩とサリーに向かって足を進める。
しかしすぐに姉弟の感動の再会とはいかなかった。
「お待ちください、殿下」
マルティンがウルガーの前に身を滑り込ませた。やむなくウルガーは足を止め、マルティンに非難の目を向ける。
「おい、どけ、マ……」
「陛下、落ち着いてください。この者が本物の王女殿下であるとは限りません」
「いや、どう見ても姉上だ。お前も姉上の顔を覚えているだろう?それにあのスカート技は……」
「もちろん覚えていますよ。私だって子供の頃、王女殿下のスカート技で、殿下と一緒にいじめられたではありませんか。それを忘れるわけがございません」
「いや、私は二人をいじめてたのではなく、一緒に遊んでいただけで……」
「ならば間違えようがないではないか。あのえげつないスカート技は間違いなく姉上だ!」
「確かに王女殿下のせいで、私はスカートを履いた女性が怖くなりましたよ。ですが、それだけでは断定できません!」
二人の口論の裏では、「だから、いじめてないってば……」と小声で弁明するサリーと「だからマルティンは私にスカートを履かせないのね」とアーシャが腑に落ちた表情を浮かべていた。
「とにかく、何か確たる証拠を見せていただけないことには、信用してはなりません!」
婚約者の呟きを誤魔化すように、マルティンは声高に主張した。近衛騎士隊長の立場を考えれば、マルティンの主張はもっともなことだった。
「ちょっと待ってくれ!」
「ケイ?」
未だ縛られている啓が声を上げ、サリーとマルティンの会話に割り込む。啓を見張っているアーシャも、事態が思わぬ方向に進んでいるせいか、あえて啓を止めようとしなかった。
「サリー!バル子を……バル子を助けてやってくれ!」
「ああ、そういえばそうだったな」
「頼む、早く!」
「えっと、ウルガー……殿下。少しだけよいだろうか。その袋の中のネコを出してやりたいのだが。もちろん、私は余計なことをしないと誓う。このカンティークにやらせるなら構わないだろう?」
剣で刺されたバル子のことで気が気でない啓と、そのことを忘れかけていたサリーには、見てわかるほどの温度差があった。
この場の対応としては正しい手順だが、サリーは一切慌てること無く、ウルガーに願い出た。ウルガーはマルティンを一瞥した後、承諾の返事をした。
「……分かった」
「感謝する。カンティーク、頼む」
「ニャア」
ウルガーの許可を得たサリーは、カンティークを剣が刺さったままの袋に向かわせた。
カンティークは猫パンチで雑に剣を払いのけると、袋に頭を突っ込み、バル子の首元を咥えて袋から引っ張り出した。
「バル子!バル子!!」
「落ち着け、ケイ。バル子ちゃんは無事だよ」
「……無事?」
サリーの言う通り、バル子は無事だった。シルバーの美しい毛並みには一切の傷も無かった。
袋から引っ張り出されたバル子は自分の足で立つと、トコトコと啓の所に歩いていき、啓の頬を舐めた。
「バル子、無事で良かった……」
「にゃっ」
「あなた、どうして助かったの?バルトロの馬鹿に刺されていたわよね?」
涙をにじませる啓の後ろから、アーシャがバル子に小声で聞く。
アーシャにはバル子が言葉を話せる猫だとバレている。今更隠してもしょうがないと考えた啓は「構わないから教えてくれ」とやはり小声で聞いた。
「ご主人、お忘れですか?バル子は特別なのです。ちょっと刺されたぐらいでは「消滅」しません。ご主人から授かった力を使い果たしてしまった時が、死ぬ時ですよ」
「そうか、そうだよな。でも本当に良かった……」
「……全然分からないんだけど」
納得する啓とは対照的に、アーシャは首を傾げた。
もちろん、アーシャは知らないことだが、バル子はただの動物ではなく、魔硝石をベースに生まれた動物である。
バル子は「バル子は特別なのです」と表現したが、それは何もバル子に限ったことではない。啓が魔硝石から生み出した動物達は、物理的な損傷を受けることはない。
もう少し正確に言えば、物理的な損傷を受けても、魔硝石の力ですぐに復元できる、ということだ。
魔硝石から生み出されたバル子達が「消滅」したり「死ぬ」のは、その魔硝石の力を完全に使い切ってしまった時だ。
かつて、一度だけバル子の中の魔硝石の力が枯渇しそうな状況に陥ったことがあるが、その時はサリーの機転(魔硝石を食べさせる)で窮地を脱している。
だが、物理的な損傷を受けても死なないと頭では理解していても、今までバル子に大きな怪我を負わせたこともないし、ましてや剣に貫かれるなどという大惨事を目の当たりにして、平静でいられるはずは無かった。
だから啓は心からバル子の無事を喜び、たとえ死なないと分かっていても、怪我を負わせてしまった自分を責めた。
「ごめんな、バル子。怖い思いをさせて。本当にごめん」
「謝ることは無いですよ、ご主人。バル子はご主人のその気持ちだけで十分幸せです。それに説明が足りなかったのはサリー様のほうですね」
サリーはカンティーク経由で、袋の中のバル子が無事だということを聞いていた。単にバル子は、体に剣が刺さっているせいで、ちょっと身動きが取れなくて困っていたのと、勝手に飛び出してはいけないと思ってじっとしていただけだったのだ。
「そうだな。あとでサリーをとっちめてやろう……サリー!ありがとう!」
こっちの用事は済んだので、あとは任せたと言わんばかりに、啓はサリーに呼びかけた。
その後もアーシャは啓にしつこく説明を求めてきたが、啓もバル子もひとまず無視した。
啓からバトンを受け取ったサリーは笑顔で頷き、再びマルティンに顔を向けた。
「えっと、マルティン……近衛騎士隊長?」
「疑問形はやめてください。今はれっきとした騎士隊長です」
サリーは「へえ、偉くなったのね」と呟いた後、マルティンに宣言した。
「ではマルティン近衛騎士隊長。私がサルバティエラであることを証明しましょう。ですが、これから私が言うことを聞いて、後悔しないでくださいね。ウルガー王子も良いですね?」
「後悔?」
マルティンとウルガーが揃って軽く首を傾げる。そんな素振りを気に留めず、サリーは口を開いた。
「ウルガー殿下は……十歳になっても、よくおねしょをしておりました。しかしウルガー殿下は「マルティンだってしているから」と言い訳をしておりました」
「なっ!」
「は?殿下、私はおねしょなどしていませんよ!?」
「嘘を吐くな!お前もおねしょで叱られたと言っていたではないか!」
「それは殿下を慰めるための口実です!私は…」
突然の暴露話に、ウルガーは顔色を変えた。そして飛び火を食らったマルティンがウルガーに食って掛かる。
近衛騎士隊の隊員達の間にどよめきが起きる。
そこを、さらにサリーが畳み掛ける。
「城内で、ウルガーとマルティンが兄上達と一緒に隠れ遊びをしていた時のことです。マルティンはウルガーを連れて「絶対に見つからない安全な場所だから」と言って、私のスカートの中に隠れようとしました。そして二人揃って、私に蹴飛ばされたことがありましたね」
「……あった」
「……ありましたね」
「マルティン、後でお話があります」
「アーシャ!?でも、その、子供の時の話なので……」
「いいですね?」
「……はいっ!」
マルティンは神妙な顔をして、アーシャに向かってコクコクと何度も頷いた。
二人共、サリーが敬称を外していることにも気が付かないほどに動揺していた。
近衛騎士隊員のざわめきも大きくなるばかりだ。
その後もサリーは王女、あるいは姉弟しか知らないであろう幾つもの暴露話を披露し、その都度ウルガーとマルティンは苦しい言い訳を挟みつつ、顔色を何色にも変えた。
近衛騎士隊員のざわめきはさらに大きくなり、やがて「次は?」「もっと!」とリクエストをするほどだった。そして……
「殿下。こりゃ本物ですね。もう認めましょう」
「だから私は最初からそう言ったではないか!」
サリーが本物のサルバティエラ王女である確証を得ると同時に、ウルガーとマルティンは大切な何かを失った。
「あ……そういえば、お父様からいただいた手紙もあったわ。それを見てもらったほうが早かったかしら」
「……先にそれを出してくれ」
ウルガーは魂の抜けそうな顔で、サリーから手紙を受け取った。
◇
サリーが王女であることが判明しても、啓達の嫌疑が完全に晴れた訳ではなかったが、少なくとも待遇は大きく改善した。
サリーの計らいで、縛られていた啓とミトラは開放され、シャトンを含む動物達も袋から出されて、今は一箇所に集められている。
物珍しい猫に触れてみたい近衛騎士達がチラチラと視線を送ってくるが、ウルガーの許可が出るまでは触ることもできないため、猫にもみくちゃにされている啓を恨めしそうに見るだけだった。
ウルガーは、姉から受け取った手紙を読み、神妙な顔つきになっていた。なお、サリーは補足説明のために、ウルガーのそばについている。
オルリック国王であった亡き父が書いた『獣の仮面の君へ』という宛名の手紙が、サリーことサルバティエラに宛てたものであることについては、サリーから多少の説明が必要だったからだ。
サリーの説明に加えて、タチの悪い冗談が好きだった父の書き出し文と、記憶にあるその字体から、この手紙が紛れもなく父の手紙だとウルガーはすぐに理解した。
しかし、問題はその内容だった。
亡くなった父も、姉を殺そうとした犯人の目星を付けていたこと。
その犯人は啓が隠した『ユスティールの至宝』を未だに狙い、そして王家の簒奪を企てていること。
そしてその犯人は、王にとって、そして姉にとって大切な人物である可能性が高いこと。
要約すれば、このような内容である。
おそらく父を殺したのも、この犯人の一味なのだろうとウルガーは察した。
「……姉上は、この手紙を読んでどう思いましたか?」
既にサリーが自分の姉だと確信しているウルガーは、至極普通にサリーを「姉上」と呼んでいる。その呼び方は昔から変わらないものだった。
「そうね……最初は衝撃を受けたわ。でも今は父の無念を晴らすためにも、絶対に犯人を捕らえてみせる。ケイもそう言ってくれたわ」
「私が聞きたいのは、そのケイについてです!」
「え、そっち?」
殺されかけた姉が、生きていることをひた隠しにしてこれまで過ごしてきたという話は、サリー本人からも聞かされた。
そして父の手紙の中で、その犯人の正体に言及することが書かれていることにもウルガーはショックを受けたが、それ以上に目を引いたのは、
『其方の仲間のケイという男は、一見頼りなさそうに見えるが、信頼に値する男だと私は感じた。もしも其方がケイを気に入ったのならば、嫁いで構わない。父が許可する』
という一文だった。
ウルガーは贔屓目に見ても、姉のことが大好き過ぎるシスコンだった。その姉が生きていたことに、今日を国の祝日にしたいほどウルガーは喜びを噛み締めているが、同時に、姉を奪い去っていきそうな男がすぐそばに存在していることに気付かされたのだ。
「姉上は、ケイをどう思っているのですか?」
「どうって……まあ、そりゃあ……」
顔を赤らめながら、髪の毛をクルクルといじる仕草は、恥ずかしさを隠す時の姉の癖だった。
元々は黒髪だったが、今は金色に染めているその髪は、逃亡生活に必要な措置だったのだろう。
(その時の姉の苦労は計り知れないものだったに違いない。その姉を支えたのがケイであるならば……そして姉がケイを愛しているのであれば、私は……)
別にウルガーは姉が誰かと結婚するのを許さないというつもりはない。むしろ姉には幸せになってもらいたいと、誰よりも強く願っている。
しかし事は論理的ではない。それは姉を愛する弟のわだかまりと、姉を奪っていく男への嫉妬である。ウルガーは自分自身でもそのことを理解していた。
理解した上で、ウルガーは決心した。
ウルガーは手紙を姉に返すと、啓の元に早足で向かった。慌てたマルティンと近衛騎士達、そしてサリーもウルガーの後を追う。
「ケイ」
「殿下?」
猫達とじゃれていた啓は、その手を止めて立ち上がった。
ウルガーは目を細めて啓の顔を見た後、啓に向かって指を突きつけた。
「ケイ、私と試合をしろ。一騎打ちだ」
「……は?」
「殿下!?」
「ウルガー!?」
啓の素っ頓狂な声と、マルティンとサリーの驚愕の声を無視して、ウルガーが続ける。
「お前が勝ったら、私は姉上の言うことを全て信じる。姉上の言う通りにすると誓う」
「……それは、「オレ達」の主張を認めてくれるということですか?」
「そうだ。「お前」を認めてやる」
かくして、啓は自分達の冤罪を、ウルガーは姉を賭けるつもりで、一騎打ちの試合をすることとなった。
ウルガーとマルティンの黒歴史を知る姉。
そして啓に嫉妬心を燃やすウルガー。
次回、一騎打ちです。
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