093 急転
突然空から降ってきた(少なくともウルガー達にとってはそう見える)バルダーを遠巻きにして見ていたウルガーは、啓一派がアスラ連合の手の者である確信を強めていた。
「殿下!ご無事ですか!」
「ああ、マルティン。私は大丈夫だ」
近衛騎士隊長のマルティン・テイラーはすぐにウルガーに駆け寄り、無事を確認した。
完全に虚を突かれたマルティンの顔は青ざめていた。マルティンは自らの能力で周囲の索敵は行っていたものの、上空への警戒はしていなかった。
もしもバルダーがウルガーの頭上に落ちてきていたら、もしもウルガーが踏み潰されていたら……と思うと、平常心ではいられなかった。
「アスラ連合め……まさかバルダーを爆砲のように撃ち出してくるとは……」
マルティンは、バルダーが空を「自分で飛んできた」という非常識な考え方はしなかった。
マルティンが考えたのは、バルダーを「何かで飛ばしてきた」ということだ。
とはいえ、バルダーほどの重量を飛ばすとなると、かなりの出力が必要となる。バルダーに搭載されている爆砲の出力よりも、遥かに大きい力が必要だ。そして飛距離も爆砲よりも短くなるはずだ。
マルティンの索敵範囲は、バルダーに搭載されている爆砲の射程圏内をカバーできる。
それにも関わらず、少なくとも、通常の爆砲の射程内に敵は検知できなかった。
「一体どこからどうやってバルダーを……」
思考に没頭し始めたマルティンの頭を、ウルガーが小突く。
「マルティン、考えるのは後だ。まずはそこのバルダーに対処せよ」
「おっと、そうでした!」
マルティンは近衛騎士達にバルダーを排除すべく、指示を出した。
そしてマルティン自身は、同じ轍を踏まないよう、索敵方向を上空に変更した。
◇
啓の正面に降り立ったミトラのバルダーは、立ったまま運転席のハッチを開いた。するとそこから、一匹の獣が飛び出した。
シェルティの姿をしたシャトンだ。
「オーナー!」
「シャトン!」
「少し待っててください。今その縄を切ります!」
シャトンは付近に近衛騎士がいないことを確認すると、啓を縛っている縄に噛みついた。
そして縄を食いちぎろうと奮闘を始めた。
縄は啓の体を縛るだけではなく、後ろの木にも縄を結んで、啓が逃走できないようにしてあった。
この縄を外さないことには、啓を連れて逃げることができない。
「ありがとうシャトン。しかしなんでアスラ軍のバルダーに?それに空からって……」
その質問にシャトンは答えようとしたのだが……
「ほれは、ミンあさんがふぁいへんなンとになっへ、ほれあら……」
「ああ、ごめん、シャトン……今は縄を切ることに専念してくれ」
「ふぁい」
縄を噛みながら喋るのは少々無理があった。
代わりに、ミトラがバルダーの拡声器を使って啓に呼びかけた。
『ケイ!縄が切れたらバルダーに乗って!』
「ああ、分かった。助けに来てくれてありがとう」
『いやあ、本当はもっと早く戻ってこれるはずだったのよ。でも、ちょっと色々とあってね』
何があったのか気になる啓は、ミトラにそのことを聞いてみようとしたが、状況がそれを許さなかった。
「ミトラ!来るぞ!」
『へ?……うわっ、はやっ!』
ウルガーの近衛騎士隊の対応は速かった。あっという間に、ミトラのバルダーに向かって五機のバルダーがやってきた。ミトラはバルダーを前進させ、啓を巻き込みそうもない位置まで移動した。
ミトラを包囲した近衛騎士隊のバルダーが、拡声器でミトラに呼びかけた。
『アスラ連合の者!大人しく投降しろ!』
『はあ?あたしはアスラ連合じゃないわよ!』
『その機体はアスラ軍のバルダーだろうが!言い逃れはできんぞ!』
『いや、これはちょっと借りただけだから!あたしはユスティール生まれのミトラよ!』
『ミトラだと……お前、指名手配犯のミトラか!』
『ああっ……もう!それも違うから!』
『かかれ!』
盛大に自爆したミトラの言うことに、当然ながら耳を貸さない近衛騎士は、すぐさま攻撃命令を下した。
二機のバルダーがミトラの左右から突撃を開始する。近衛騎士隊のバルダーの手には小型の斧が握られている。オルリック軍のバルダーの標準的な武器だ。
「やられるもんですかっ」
ミトラは右側のバルダーに向かってバルダーを走らせた。そして接触する手前で、バルダーを浮かせた。
ミトラの操縦するバルダーは、まるで体操の跳馬競技のように、迫ってきたバルダーの上部に手をついて飛び越えた。無論これは、バルダーの性能や跳躍技術ではなく、ミトラの飛行能力の応用だ。
突然目標を見失った近衛騎士のバルダーは、反対側から突進してきたバルダーと危うくぶつかりかけたが、なんとか踏みとどまった。
しかしミトラが後ろからバルダーの背中を蹴飛ばしたため、二機のバルダーは結局衝突し、二機揃ってもつれるように地面に倒れた。
「なるほど。やっぱりミトラは、飛行能力をバルダーにも作用させたんだな」
その様子を見ていた啓は、推測を確信に変えた。
バルダーに搭載されている魔動連結器は、女神の奇跡の能力を増大させる。
さきほど空からバルダーごと降ってきたのは、外部の力で飛ばされてきたのではなく、自分で飛んできたのだろう。
アスラ連合のバルダーの性能は、近衛騎士達のバルダーよりも低いものだったが、ミトラの能力のおかげで、その差を埋められるほどの機動性能を発揮していた。
『怯むな!数で押せ!』
さらに追加で四機のバルダーがミトラに接近していた。
今この場にいるのがミトラだけであれば、空を飛んで逃げてしまうのが最善手だろう。しかし啓を連れて帰らなければならない以上、ミトラはこの場から離れるわけにはいかなかった。
「シャトン、縄はまだ切れないか?」
「ほうひょっと(もうちょっと)……」
シャトンの牙が食い込んだ縄は、キリキリと音を立てている。丈夫な縄だが、シャトンの頑張りによって、あと少しという所まできていた。
「あの、ご主人」
「なんだ、バル子。今はシャトンを……」
「今なら、チャコを武器に変化させれば縄を切れるのではないかと」
「あ、なるほど……シャトン、ちょっと下がってくれ。チャコ!槍に変化して……」
「させないわよ」
「え?うわっ!」
突然、啓の体が横に倒れる。いや、倒された。
啓が驚き声を上げたのとほぼ同時に、啓のそばに女性が現れた。
「ご主人!」
「動かないで……ネコという動物は話もできるの?」
「オーナー!」
「あなたも動かないで……これもネコなの?」
現れたのは近衛騎士隊所属の、アーシャ・リーだった。アーシャは「認識阻害」の能力で、気配察知に長けたバル子や、鼻も耳も優秀なシャトンにも気づかれずに啓に接近していたのだった。
アーシャは啓の上半身を背後から起こし、短刀を首に当てた。
そしてバル子とシャトンに、啓から離れるよう命じた。
「ケイ。あのバルダーに投降するように命令しなさい」
「あんた、いつの間に……がっ!」
アーシャは空いている手で啓の顔を殴った。バル子とシャトンは、低くうなりながら、毛を逆立てて怒りをあらわにする。
「余計な事は口に出すな。そこのネコ達もだ。動くな。喋るな。従わなければケイを殺す」
啓は頬の痛みに耐えながら、シャトンは猫ではなく犬だと突っ込みたいのを我慢した。
◇
その時、ミトラもバルダーの操縦席から啓が喉元に短刀を突きつけられている様子に気付いた。ミトラだけでなく、操縦席にいる猫達も主人の危機を察した。
(ご主人がピンチです)
(分かってるわ。早く助けないと)
(でも先にバルダーをやっつけなきゃ!)
(じゃあ右から!)
(違うよ、左だよ)
(そんなのは放って置いて、はやくご主人の所に行くべきだわ)
猫達の大合唱に、ミトラは苦言を呈した。
「ちょっとみんな、ニャアニャアうるさいって……あれ、あれれれ?ちょっと、もしかしてまたあんた達なの!?」
突然、ミトラの操縦するバルダーの動きが狂い始めた。腕を振り回したり、地団駄を踏んだりと、奇妙な行動を取り出した。
「駄目だってば!操縦はあたしに任せなさいって!」
啓のピンチに慌てた猫達が取った行動、それは操縦中のバルダーへの干渉だった。
実は、ミトラがヒルキの町へ飛んでくる最中にも、この一悶着はあった。
猫達はユスティールの町で、アスラ連合軍のバルダーを乗っ取り、自ら操縦してアスラ軍の兵士達を混乱に陥れた。
猫達は自分自身が魔硝石であるため、バルダーの操縦桿を握らずとも、直接、魔動連結器にアクセスできるという、メリットともデメリットとも言える力があったことも
しかし空を飛ぶことができるのはミトラの能力だけである。 猫に一瞬操縦を奪われたミトラは飛行能力を失い、地面に向かって墜落しかけた。
なんとか操縦権を奪い返したミトラは軟着陸した後、猫達に操縦権を奪い取らないようにと念を押したが、その後も興奮したり、興味を引いた風景を見た猫が「ついうっかり」操縦権を奪ってしまうことが度々発生し、その都度、飛行が中断された。
ヒルキの町に戻ってくるのが遅くなった理由とはこのことだった。
そして今、啓の危機を目の当たりにした猫達は、またしても操縦の乗っ取り合戦を始めてしまったのだった。
「お願い!みんな、落ち着いて!あたしに操縦させて!」
しかしミトラの願いは届かず、バルダーは不思議な踊りを踊り続けた。
やがて制御を失ったバルダーは、自動姿勢制御すら機能しないまま、前のめりに倒れた。
『……取り押さえろ』
すぐに近衛騎士隊のバルダーが殺到し、ミトラのバルダーは完全に押さえ込まれた。
その様子は、啓もアーシャも見ていた。
「貴方に投降するように言ってもらう必要は無かったようね」
「なにやってんだよ、ミトラ……」
ミトラの救出劇は、あっけない幕切れとなった。
◇
「あたしは女の子なのよ!もう少し丁寧に扱いなさいよ!」
「うるさいぞ指名手配犯!」
バルダーから引きずり出されたミトラと動物達は、そのまま近衛騎士達によって拘束された。
啓が人質に取られている手前、ミトラも動物達も下手な抵抗はできず、ミトラは体を縄で縛られ、猫や動物達は一匹ずつズタ袋に放り込まれていった。
犬の姿をしたシャトンも当然ながら人間扱いされず、同じようにズタ袋に突っ込まれた。
「せめて動物達はもう少し丁寧に扱ってくれ!」
「うるさいぞ指名手配犯!」
動物の雑な扱いに思わず口を出した啓だったが、やはり聞いてはもらえず、その様子を悔しい思いで見るしかなかった。なお、啓は相変わらず、喉元に短刀を突きつけられたままだ。
ズタ袋に入れられる動物が最後のバル子だけになった時、一人の近衛騎士がやってきて、バル子とズタ袋を奪い取った。
「おい、そいつの処分は俺にやらせろ」
「バルトロ?」
同僚からバルトロと呼ばれた男は、啓を拷問しようとしてバル子に顔を引っかかれた男だ。今もまだ、顔には生々しい縦線が残っている。
バルトロは元憲兵隊員で、アーシャと同様に啓を追いかけるための増員の際に近衛騎士隊に登用された男だ。
バルダーの操縦の腕と、憲兵隊時代の能力を買われての採用だったが、性格が粗暴という前評判もあり、ウルガーはあまり歓迎していなかった。そのため、啓を追跡する間だけの期間限定雇用としていた。
「こいつは俺の顔に傷をつけた獣だ。獣の分際で許せねえよなあ」
そう言うとバルトロは、バル子を乱暴に袋に放り込み、袋の口を縛った。
そして軽く宙に放った袋を、いきなり蹴り上げた。
「おい!!!」
突然のバルトロの暴挙に、啓はとっさにそれ以外の言葉が出なかった。
蹴飛ばされたズタ袋が地面に落ちる。同時にか細いバル子の鳴き声が聞こえた。
「お前……ふざけんじゃねえぞ!バル子を……許さねえ!」
怒りで途切れ途切れになりながらも、啓は怒りの言葉をバルトロに叩きつけた。
啓が急に身を乗り出したため、短刀が喉元に食い込みそうになり、慌ててアーシャが手を引いたほどだ。
「うるせえぞ、大罪人。お前の拷問はまだ先だ。黙ってろ」
「黙っていられるか馬鹿野郎!バル子には手を出すな!」
「バル子?それがこいつの名前か?」
バルトロはズタ袋の所まで歩くと、今度は袋を何度も踏みつけた。その都度、苦しそうな鳴き声が袋の中から聞こえてくる。
「やめろ!バル子には手を出すな!やるならオレをやれ!」
「だから、お前は、後なんだよ、順番は、守れよな?」
バルトロは啓に見せつけるように、文節毎に足を踏み降ろした。
「もう、やめてくれ……バル子をこれ以上……」
「今度は泣き落としか?ざまあねえな」
「おい、そのぐらいにしておけ」
いよいよ見かねたマルティンがバルトロを諌めに来た。ウルガーもマルティンの後ろをついてきている。
しかしバルトロは悪びれずに答えた。
「隊長殿。それに殿下も、この顔の傷を見てくださいよ。俺はこの獣に襲われて、顔に傷を負ったんですよ」
「ああ、それは私も見ていたが……」
「人間に楯突く獣など危険です、いつ殿下を襲うとも限りません。いっそ殺しておいたほうが良いと思います。それにこれだけいるんだ。一匹ぐらいい構わんでしょう」
「一匹ぐらいだと!?バル子はただの猫じゃない!オレの大切な家族だ!」
しかしバルトロは啓の言葉に耳もくれず、腰から剣を抜いた。
「やめろ!」
「よせ!」
啓とマルティンが同時に叫ぶ。
しかしバルトロの剣は止まらなかった。
剣は袋を突き刺した。
剣先が袋を貫いた直後、袋は暴れ、小刻みに震え、そして静かになった。
啓が絶叫する。しかしその声は啓自身の耳には聞こえなかった。啓はショックのあまり、自律神経が焼き切れるような衝撃を受け、一時的な難聴になっていた。
無音の世界の中で、マルティンが何かを言い、ウルガーが顔を背けるのが見えた。
「バル子……ごめん……守ってやれなくて、ごめん……」
「……イ!」
「バル子……ん?」
「ケーーーイ!」
「……この声は、もしかして……」
その、無音の世界を破ったのは、自走車が近づいてくる音と、啓の名を呼ぶ声だった。
声のする方向に顔を向けると、オープントップの自走車が、こちらに向かって爆走してきていた。
もちろん、近衛騎士達も自走車の接近に気がついた。そして形式は古いものの、近づいてくる自走車がオルリック軍所有の自走車であることにも気付いた。
なお、マルティンは索敵を上に向けたままだったので、自走車が接近してくることに直前まで気付けなかった。
騎士達は最初、前線から兵士が戻ってきたのかと思ったが、その自走車は止まらずに、近衛騎士達が取り囲む輪に突っ込んできた。
自走車の通り道にいた近衛騎士達は慌てて飛び退き、ウルガーのそばにいたマルティンと近衛騎士達は、ウルガーの正面に立って王子を守る体制を取った。
しかし自走車がウルガーに突進することはなく、輪の中心にいた啓の手前で止まった。そして一人の女が身を翻し、自走車から飛び降りた。
軍服を着ていないその女は、スカートを風になびかせ、啓と、その周囲を見回した。
「何者だ!」
職責を忘れていない騎士達は、抜剣して剣先を女に向けた。しかし女は臆すること無く、騎士を見返し、言った。
「剣を収めよ!」
その声は大声と言うほどの声量ではなかった。しかし、そのよく通る声は、全騎士の耳に届いた。
まるで命令に慣れているような風格ある声は、一瞬だが騎士達を圧倒した。
「ケイ達を放しなさい。彼らは無実です」
「……誰だ、お前は」
気後れして動きを止めた騎士達の中から、バルトロが女の前に進み出た。バルトロも若干気後れしていたものの、「楽しみの邪魔」をされたことで頭にきていた。
「誰だか知らんが、獣の処刑中に割り込んでくるんじゃねえよ!」
「獣の処刑中、だと?」
バルトロがそう言った直後、女の後を追って、一匹の大型の猫が自走車から飛び出した。猫は女の体をスルスルと登り、肩に乗った。
そして猫は女にだけ聞こえるように「あの袋の中にバル子姉さんが」と耳打ちした。
「……処刑とは、その剣の刺さった袋に入った猫のことか」
「ああ、そうだ。俺がそのげふふうううううっ!」
それは一瞬の出来事だった。女のスカートがたなびいた瞬間、バルトロの体はくの字に曲がっていた。腹のど真ん中に拳大の鉄球を埋め込んで。
バルトロは唸りながら、地面に突っ伏した。
その光景を見たウルガーは息を呑んだ。そして目の前で自分を守っている騎士を押しやり、身を乗り出した。
今、目の前にいる女は、目にも止まらぬ速さでスカートから武器を取り出し、バルトロを攻撃した。
その光景は過去に何度も見た。そして自分も痛い目に遭わされた。
痛い目と言っても、「姉弟で遊ぶ範疇」のことだったが。
ウルガーはその女の顔を凝視した。
(似ている。似すぎている……しかし……)
ウルガーは騎士達の制止を無視して、女の前に進み出た。そして呼吸を整えてから口を開いた。
「……貴殿の名を聞かせてほしい」
女はウルガーの顔を見て、一瞬躊躇するような素振りを見せたが、胸に手を当てて一呼吸すると、ウルガーの質問に答えた。
「私の名前はサリー。でも本当の名前は、サルバティエラ……サルバティエラ・オルリックよ」
「……姉上……本当に姉上なのですか?」
震えるウルガーの声に、サリーは頷きを返した。
「ええ、そうよ、ウルガー。貴方は本当に逞しくなったわね。姉として、貴方を誇りに思うわ」
そしてサリーは、ウルガーに優しく微笑んだ。
ミトラもあえなく捕まってしまいました。
バル子はバルトロによって串刺しに……
そこに真打ち、身バレ上等でサリーの登場です。
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