090 狂騒
「第一小隊と第二小隊は市場に向かえ!」
「第三小隊は周辺の捜査だ!街の中にも潜んでいる可能性があるぞ!」
ユスティールに駐留しているアスラ連合軍の東側侵攻部隊は、夜半にも関わらず、慌ただしく動き出していた。
物資の倉庫代わりにしている市場の中に、正体不明の危険な獣が現れたという報告を受けて、寝ていた兵士達も全員起こされたのだ。
「はあ……せっかくネコに癒されていたのに、何なんだよ……」
そうボヤくこの兵士は、夜間警備の最中に突然現れた猫に、完全に心を鷲掴みにされていた。
猫という生物の噂は聞いていたものの、見たこともないし、たいして興味も持っていなかった。
しかし、事情通の兵士によって、目の前に現れた獣が猫だと知らされた途端、兵士は腕がねじ切れる程、手のひらを返した。
人懐っこく、愛らしいフォルムの猫に、兵士は骨抜きにされた。
そして夜間警備任務の事など忘れて、猫と戯れ続けた。
しかし幸せな時間は突如、終わりを告げた。
緊急呼集が発生したのだ。
兵士は後ろ髪を引かれる思いで猫のそばを離れ、自分のバルダーに乗り込んだ。
しかし、バルダーに乗り込んだのは一人ではなかった。
「にゃっ」
「おい、お前、乗ってきちゃ駄目じゃないか!」
兵士の後をついて、操縦席に入ってきたのは、褐色の毛色に黒も斑点模様を持つ、クロアシネコのフェルトだった。
「にゃにゃっ(早くバルダーを動かしなさい)」
「もしかして……俺と一緒にいたいのか?」
「にゃにゃにゃ(あたしが用があるのはあんたじゃなくてバルダーよ)」
「そうかそうか……この戦いが終わったら、俺と暮らそうな」
「にゃ(お断りよ)」
会話はまるで噛み合っていなかったが、兵士は上機嫌でバルダーの操縦桿を握り、市場へと走らせた。
「にゃにゃー(なるほど、そこで操作するのね)」
バルダーを操縦する兵士の足元で、フェルトは悪い笑みを浮かべた。
◇
市場の前の広場では、既に数機のバルダーが集まっていた。
夜間警備のために外にいた第一小隊と第二小隊は、市場内の獣討伐を命じられ、今はそれぞれの隊のバルダーが全て揃うのを待っている。
やがて、一機のバルダーが広場に向かって走ってくるのが見えた。
そのバルダーはよほど慌てているのか、バランスを崩しながらも全力で市場前広場に向かって来ている。
『おい、そんなに急ぐことはないぞ』
既に広場にいた第二小隊の隊長は、拡声器で走ってくるバルダーに呼びかけた。
バルダーには自動自立機能が備わっているため、よほどのことが無ければ転ぶことはない。
しかし、任務の前に余計に疲れるようなことをする必要はないので、隊長はそう声をかけたのだが、返ってきた返答は予想していないものだった。
『隊長!止めてください!』
『……は?』
走ってくるバルダーに乗る兵士が、絶叫に近い声量で呼びかける。
そして走る速度を緩めることなく、集合場所に向かって突っ込んできた。
先に集まっていたバルダー乗り達も、流石に異常に気付いてどよめき始めた。
『隊長、様子がおかしいですよ』
『バルダーが壊れたのでは?』
そうこうしているうちに、向かってくるバルダーから再び叫び声が投げられた。
『隊長、操縦が効きません!助けて!止めてください!』
『操縦が効かないだと!?……第二小隊、向かってくるバルダーを食い止めろ!』
隊長はやむなく、部下に指示を出した。
隊長の号令で、待機していた第二小隊の三機のバルダーが動いた。
突っ込んでくるバルダーを止めるべく、正面方向に一機、左右に一機ずつ展開した第二小隊のバルダーは、見事な連携でバルダーの突進を食い止めた。
後は操縦していた兵士が操縦桿から手を離し、魔硝石を魔動連結器から抜いてしまえば、動力を無くしたバルダーは沈黙するだろう。
このような緊急停止処理は、基礎中の基礎であり、全ての兵士が軍隊で学んでいる。だから当然、そうすると思っていた。
しかし、暴走を止められたバルダーは、機能を停止するどころか、正面にいるバルダーに向かって右腕を振り下ろし、右手側にいるバルダーに蹴りを喰らわせた。
正面にいたバルダーは上部に損傷を受け、右手側にいたバルダーは吹っ飛ばされて転がった。
思わぬ部下の暴挙に、隊長は激昂した。
『おい、何をしている!早くバルダーを止めんか!』
『止めました!とっくに止めてるんですよ!』
『馬鹿者!現に止まっておらんではないか!暴走しているならば、魔硝石を抜くのが基本だろうが!』
『だから、魔硝石はとっくに抜いてるんです!でも止まらないんです!』
『……はあ?』
バルダーを暴走させている兵士が嘘を吐いているとも思えないが、何らかの勘違いで緊急停止に失敗しているのかもしれない。
そう考えた隊長は、やむなく力技でバルダーを止めることにした。
『全員、爆砲用意!暴走したバルダーの脚を狙え!』
爆砲とは、バルダーに備わっている遠隔攻撃用の武器で、金属の砲弾を勢いよく射出して攻撃する武器だ。当たればバルダーの装甲を貫通する程度の威力はある。
命中精度はあまり高くはないが、少なくともこの近距離ならば、そうそう外れることもない。
脚を破壊してしまえば、ひとまず暴れられることはないと考えた隊長は、すぐに発砲命令を下した。
『撃て!』
小隊のバルダーから複数の爆砲が放たれ、暴走バルダーの脚に命中した。片脚を完全に失ったバルダーはバランスを崩し、地べたに倒れた。
バルダーが沈黙したのを確認した隊長と小隊の兵士達は、自分のバルダーから降りて、倒れたバルダーに近づいた。そして昇降口をこじ開けた。
操縦していた兵士は気絶していた。しかし、乗っていたのは兵士だけではなかった。
「にゃっ」
「……ネコか?」
操縦席の中にはフェルトがいた。
かくいう隊長も、先刻まで町に現れた猫を愛でていた一人だ。
隊長が見た猫とは種類こそ違うものの、鳴き声とフォルムで、それが猫だとすぐに推測できた。
「……つまりこいつは、操縦席にネコを連れ込んだ挙句、ネコと遊んでいて操縦を誤ったということか。まったく、懲罰ものだな……あっ!」
隊長が誤った推測で独り言を呟いている間に、フェルトは操縦席を飛び出し、駆けて行ってしまった。
隊長がフェルトの背中を名残惜しそうに見送っていると、操縦席を検分していた兵士が、怪訝な表情で隊長を呼んだ。
「隊長……魔動連結器に、魔硝石が入っていません」
「なんだと?そんなはずがなかろう!」
「ですが…….あ、こいつが握り込んでいます」
確かに、気絶した兵士の手の中には、バルダー用の魔硝石が握られていた。
魔硝石は、「普通は」持っているだけではバルダーを動かすことはできない。魔動連結器の中に正しくセットしないと、バルダーの動力として使えないのだ。
「では、こいつの言っていたことは本当だったのか?だったらなぜ、バルダーは動いたのだ……」
「隊長!!」
「今度は何だ!」
倒れたバルダーから少し離れたところにいた別の兵士が、大声で隊長を呼んだ。その兵士は、町の大通り方面に目を向け、その方向に指を差している。
「隊長……またおかしな動きをしているバルダーが接近してきます!」
隊長と兵士達は、大通りが見える位置に急いで移動した。
大通りには、住宅や商店にぶつかりながら、千鳥足で大通りを歩いてくる二機のバルダーの姿があった。
「あれは、第三小隊のバルダーのように見えますが……」
「酒でも飲んだのか?まったく、どいつもこいつも……」
第三小隊は町の周辺捜査を命じられており、市場に来る命令は下されていない。
「市場の獣を追い出さなければならんのに、手間ばかり増やしやがって……」
隊長はボヤきつつ、気絶した兵士と壊れたバルダーの後始末を部下に命じた。
「俺はあの酔っ払いどもに、持ち場に戻るよう呼びかける。お前達は引き続き市場に突入する準備を……ん?」
第三小隊のバルダーに呼びかけるため、自分のバルダーに戻ろうとした隊長は目を疑った。
隊長のバルダーは、動いていた。
一歩、一歩と前に歩いている。
しかし隊長のバルダーの昇降口は開いたままであり、遠目で見ても操縦席に人は乗っていなかった。
それにも関わらず、バルダーが動いているのだ。
「どういうことだ……一体、何が起きて……」
「隊長!爆砲が……逃げてください!」
「なっ!?」
兵士の叫ぶ声に反応した隊長は、自機のバルダーの肩口にある、爆砲の射出口が開いていく様を見た。
すぐに隊長は体を投げ出し、バルダーの正面から退いた。
直後、隊長機から爆砲が発射され、町の一角に着弾して家屋を破壊した。
それに呼応するかのように、千鳥足で歩いてきた第三小隊の二機のバルダーからも爆砲が発射され、道沿いの商店を破壊した。
狙いはメチャクチャだったが、万が一にも当たれば即死である。兵士達は戦々恐々とした。
「全員……一時退避!野営地に避難しろ!」
第一小隊と第二小隊の兵士達は、町の西側の野営地に向かって、一目散に逃げ出した。
その後ろを、爆砲を撃ちながら、よたよた歩きのバルダーが追いかける。
市場周辺の建屋は、バルダーの無差別攻撃によって破壊されまくっていった。
◇
(嘘でしょ……)
シャトンは心の中でそう呟いた。
その一部始終は、シャトンの耳にも届いていた。
猫達の念話を、全て聞いていたからだ。
事の発端は、フェルトの行動からだった。
自走車の運転練習をするシャトンを見ていたフェルトが、「自分にもできるのでは。何ならバルダーも動かせるのでは」と考え、敵のバルダーに乗り込んだのだ。
フェルトは、敵の兵士がバルダーを操縦する様子を見て操縦の方法を覚えた(と言っても、どこが操縦桿かを知るだけだが)。
そしてフェルトは操縦桿に触れ、兵士よりも強い魔力を込めることで、バルダーの操縦権を奪った。
操縦権を奪われ、バルダーを制御できなくなった兵士は、緊急停止の操作をすぐに実行した。魔動連結器から魔硝石を抜き取ったのである。
それによって一時はバルダーが動きを止めたが、フェルトは前にバル子が「私はご主人のバルダーを動かす魔硝石でもあるのよ」と言っていたことを覚えていた。
フェルトは自らの力を直接魔動連結器に作用させ、バルダーを再起動させた。
元々、フェルトをはじめとしたカフェの猫達は、バルダーを動かすための魔硝石だった。そのため、バルダーとの連結は思いの外容易だった。
再び動き出したバルダーに兵士が慌てる中、フェルトは他の猫達に念話でバルダーの操縦方法を伝えた。
「……というわけで、あたし達もバルダーを動かせるわよ」
「なるほど、さすがはフェルトね!」
「残念だけど、私の近くにはバルダーが無いわ」
「あたしのそばにはあるよ!やってみるね!」
「あたしも!」
「はーい、私もやりますー」
『ちょっと待ってみんな、落ち着いて!危ないことはしちゃ駄目だって、オーナーも言っていたでしょう!』
「でもシャトン姉様は今、危険な状況なのでしょう?」
『え、まあ、そうですけど……』
「だったら、私達が騒ぎを起こしている間に、安全な場所に逃げて頂戴。いいわね?」
『は、はい……』
そんな感じで、シャトンは猫達に押し切られてしまったのだった。
実際、シャトンはミトラが動けるようになるまで、身動きが取れない状況だったため、周囲で騒ぎを起こしてもらえるのはありがたかった。
ただ、騒ぎは想定以上のものとなった。
猫達は、都合で十機のバルダーを奪い取った
ただ、バルダーの操縦に全く慣れていない猫達は、ほとんど勘でバルダーを操作していた。
幸か不幸か、バルダーにはオートバランス機能がついているため、多少よろけてもバルダーが倒れることはなかった。
その代わり、よろけた拍子に町の至る所を破壊する羽目になったが。
バルダーを奪った猫達は、人間の気配がする方向に向けてバルダーを走らせ、兵士達を翻弄した。
味方であるはずの(しかも、ぱっと見は無人の)バルダーが勝手に動き回り、しかも自分達を踏み潰そうと追ってくる様に、兵士達は得体のしれない恐怖を感じて逃げに徹した。
そうこうしているうちに、フェルトの乗ったバルダーは市場前に到着。
直後、敵のバルダーの攻撃によって脚を破壊され、行動不能になったものの、フェルトは壊れたバルダーからすぐに離脱。そして隊長のバルダーを奪い取った。
この時、バルダーに「爆砲」という危ないオモチャが備わっていることを知ったフェルトは、再び仲間にその情報を共有した。
その結果、ユスティールの町は、四方八方に爆砲を撃ちまくりながら暴れるバルダーによって、いつぞやの賊の襲撃よりも、酷い被害を受けていた。
そして猫達は本来の目的をほぼ忘れ、ノリノリで暴れ回っていた。
◇
「どうしよう……これ、絶対怒られるやつだわ……」
シャトンは猫達の念話と、市場の外から聞こえる破壊音で、ユスティールの町がかなり大変なことになっていることを察していた。
「とにかく、早く何とかしないと……」
「ねえ、何を何とかするの?ていうか、外で何が起きてるの?」
「ミトラさん!?」
シャトンが慌てて振り向くと、真後ろでミトラが手を振っていた……ただし空中で横になったまま。
ミトラは器用にも、寝そべって手枕をした状態(啓が見たら、涅槃のポーズと言ったであろう)で、宙に浮いていた。
ちなみにノイエは、ミトラの腰の上あたりに止まっている。
「ミトラさん、目が覚めたのは良かったのですが……何ですか、そのふざけた姿勢は」
「ふざけてなんてないわよ。あたしの体調不良の原因が「マリョク」の吸いすぎだって気づいたから、こうしてマリョクを消費して体調を整えてるのよ。この姿勢を維持するのって、結構マリョクを使うのよ?」
「はあ……事情は分かりましたが、なんか力が抜けました」
「で、一体何が起きてるの?」
シャトンは手短に、ミトラに今の状況を伝えた。
「……というわけで、みんなが頑張ってくれているのです。ミトラさんも感謝してくださいね」
「そっか。シャトンちゃんも猫達も凄いねえ」
「感心するのは後です。ミトラさんが動けるなら、すぐにここから出て、ネコ達を回収して帰りますよ」
シャトン達の本来の目的は、アスラ軍の食糧や物資を使い物にならなくすることだった。
ここまで派手にやる予定などなかったのだ。
「そうだね、んじゃ、ネコ達を回収するために、あたし達もバルダーを使おうか」
「は?敵のバルダーをミトラさんが使うのですか?というかミトラさん、バルダーの魔硝石は全部使えなくしたのですよね?」
ミトラは先ほど、市場に格納されているバルダーの魔硝石と、備蓄の魔硝石から魔力を抜き取り、全てただの石ころにしたのだ。
ミトラが体調を崩したのはそのせいである。
「うん、全部使えなくしたよ」
「じゃあ、動かしようがないじゃないですか」
「何言ってるのよ、魔硝石なら、ここにあるでしょ?」
「ここって……あの、もしかして……」
「そそ。シャトンちゃんも立派な魔硝石を持ってるでしょう?魔動連結器との接続はネコ達にもできたんだし、シャトンちゃんなら余裕よ。それに、操縦するのはあたしだから、何も心配いらないわよ」
「別の心配が生まれそうですが……」
こうしてシャトンとミトラも、市場の外の狂騒に参戦することになるのだった。
猫達、バルダーで大暴れです。
町の住人はいないとはいえ、被害も甚大です。
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