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009 猫と工房長

「で、その猫?という動物は、ケイを探して追いかけてきて、ついに運命の再会を果たしたと」

「そう!そうなんだよ、バル子にまた会えて本当に良かったよ。ははは……」


 啓がもはや何個目かわからない、苦し紛れに考えた『設定』をミトラに説明した。そのうちボロが出る気がするが、今は考えないことにした。ミトラは啓の肩の上にちょこんと乗っているバル子を物珍しそうに見た。


「よく懐いてるのねー。もしかしたらケイが昨日、バルダーに向かってバル子と呼びかけたのは、記憶の混同のせいかも知れないわね」

「ああ……そう、そうかもしれないね。無意識にバル子を探していたのかも」


 啓はバル子の件が作り話だと悟られないよう、あくまで冷静を装い、バル子の喉を掻きながらミトラに同意した。バル子は目を細め、気持ちよさそうに喉を鳴らした。


「それで、そのバル子ちゃん以外のことは思い出せたの?」


 啓の設定のひとつである『記憶喪失』の回復具合について、ミトラが言及する。


「いや、残念ながら思い出せない。でもバル子と一緒にいれば、何かをきっかけに思い出すかも知れないし、気長に待つさ」

「まあ、あたしは別に無理して思い出さなくてもいいと思うけど……」

「ん?今なんて?」


 啓はミトラが小声で呟いた言葉が聞き取れなかったので聞き返したが、ミトラは「なんでもない」と手をブンブン振った。バル子は溜め息を吐いて残念そうに啓を見たが、啓は全く気が付かなかった。


「ねえ。やっぱりケイはタリア公国から来たんじゃない?こっちとは生態系の違う生き物がいるって話だし、猫もタリアにしかいないのかもしれないよ。そんな動物がいても不思議じゃないもの」

「そういえばタリア公国は自然が豊富な国だと言ってたね。生態系が違うということは、もしかしてタリア公国は島国なのか?」

「そうよ。タリア公国はこの大陸の南側にある島国。そんなに遠くはないけどね」


 海を隔てた大陸同士を比べると、動植物の生態や生息環境の違いで、異なる進化や発展を遂げることがよくあるのだ。それはこの地でも同様らしい。


「つまり、オーストラリアやニュージーランドみたいなもんかな」

「それ、何処のこと?」

「いや、何でもない。ところでミトラ、バル子が言葉を話せることは皆には黙っていてくれないか。普通の猫は言葉なんて喋らない。ニャーと鳴くだけなんだ。この子だけが特別なんだよ」


 ミトラは少しだけ考える素振りを見せたが、すぐに啓の提案を受け入れた。


「別に黙っているのは構わないよ。話ができる動物なんて、あたしは他に聞いたことがないし、もしもばれたら大騒ぎになるかもしれないわね。うっかり誰かに知られて、王都の変人研究者達に目をつけられたらそれこそ大変だわ」

「変人研究者?」

「そ。王都には魔硝石の研究をしている施設があるんだけど、あそこは研究狂いの変人ばかりがいるという噂よ。バル子ちゃんが捕まったらきっと解剖されちゃうわ」

「怖いこと言うなよ……」


 啓とバル子は同時にブルっと身震いした。

 

「ところで、ケイ。このことを知っているのはあたしだけだよね?」

「ああ。そうだよ」

「じゃあ、2人だけの秘密だね!」


 ミトラが嬉しそうな顔をしている理由が啓には分からなかったが、ミトラが秘密にすることを承諾してくれたことにまずは安堵した。


「バル子も、人前では決して人の言葉を喋ってはいけないよ。喋っていい相手はオレとミトラだけだ。それも周囲に人がいない1人でいる時、あるいはオレとミトラが2人きりの時だけだ」

「承知しました。ご主人。ミトラ様、今後とも、どうぞよろしく」

「あたしこそ、よろしくね、バル子ちゃん!」


 これでバル子に関する話は終わり……のはずだが、ミトラは何やらモジモジしている。啓がミトラに、まだ何か聞きたいことがあるのかと尋ねると、ミトラは意を決して言った。


「あのね、ケイ。それと、バル子ちゃん!」

「何だい?」

「何でしょうか、ミトラ様」

「あたしも、バル子ちゃんに……触ってみてもいいかな?」

「……ミトラ、バル子に触りたかったのか?」

「だって、だって……めちゃくちゃかわいいじゃん!」


 猫の可愛さは万国共通、いや、万世界共通なのかも知れないと啓は思った。



「ミトラ。ケイがウチの工房で働くことは認めると言ったが、その獣のことは聞いてないぞ」


 啓とミトラは、ガドウェルにこの工房で働きたいと伝えるために、工房長の執務室を訪れていた。執務室といっても、作業場の一角を簡素な仕切りで隔てたところにある空間なので、作業音も普通に聞こえてくるのだが。


 なお、啓を雇うことは既にミトラが根回しをしていたので、二つ返事でガドウェルから了承を得られるはずだったのだが、ここで想定外の事態が発生した。ガドウェルはバル子の存在に難色を示したのだ。ガドウェルは椅子から立ち上がり、後ろの壁にもたれて腕を組んだ。そして啓に訊ねた。


「ケイ。そいつは何だ?見たこともない獣だが」

「あの、この子はですね……」


 啓はガドウェルに、ミトラに紹介した時と同じようにバル子の説明をした。もちろん言葉を喋ることは伏せての説明だ。ガドウェルは最後まで黙って話を聞いていたが、ケイの話を聞き終えると即座に「駄目だ」と言った。


「いいか。ここは工房だ。獣がウロウロしていい場所じゃない」

「駄目、ですか……」

「えー、いいじゃん、父ちゃん。こんなにかわいいんだよ?ねー、バル子ちゃん」

「ニャーン」


 ミトラの腕に抱かれてバル子が鳴く。その鳴き声にガドウェルがピクッと反応する。


「……その獣、随分とお前に懐いているじゃねえか」

「へへー。あたしとバル子ちゃんはもう仲良しだもんねー」

「だが、駄目なものは駄目だ。獣はそこらじゅうの物をひっくり返す。すぐに人間を噛む。食料を食い散らかして備蓄を駄目にする。おまけに糞尿を巻き散らかす迷惑千万な奴だ。お前もそれぐらい知ってるだろうが!」

「バル子ちゃんは賢いからそんな事しないわよ!」

「その獣は昨夜来たばかりなんだろう?何故ミトラにそんなことが分かるんだ?」

「それは……そうだけど……」


 痛い所を突かれたミトラが口籠る。バル子は意思の疎通も会話もできるから……などと説明できるはずもなく、話は平行線、いや、啓とミトラの敗北が濃厚な様相となった。ガドウェルは真後ろの壁から離れて部屋の右奥にある窓を開き、外を指差しながら啓に最後通告をした。


「いいか、ケイ。お前を雇うことに異存はない。だがどうしてもここで働きたければ、その獣は捨ててこい」

「どうしても、ですか……」

「父ちゃん、酷いよ!ケイもバル子も可哀想だよ!」

「それがこの工房の掟だ。それとここでは俺のことは工房長と呼べ」

「何が掟よ!ただ父ちゃんが動物が苦手で怖いだけじゃない!」

「えっ、そうなの?」


 ミトラの指摘で啓は気付いた。思い返せば、ガドウェルは少しずつ部屋の奥へと移動している。この行動は、バル子から距離を取るためだったのではないかと。


「父ちゃん、バル子ちゃんは大人しくて賢いんだよ。それにこんなにかわいいんだよ。よく見てよ!」

「それ以上こっちに来るな!寄るな!」


 ミトラがバル子を抱き抱えたまま一歩前に出た。同時にガドウェルは自分の机を挟んでミトラの真反対になるように壁沿いを移動した。このガドウェルの様子から、啓の推測は正しいと裏付けられた。


(こんなかわいい猫に怯えるなんて……とは言えないか。猫が苦手な人もいるし、初めて見る動物なら尚更だな。さすがにこれは無理か……)


 啓がほぼ諦めたその時、工房の従業員が執務室に飛び込んできた。


「お話し中すみません、工房長。またアレが出ました!」

「何だと!?早く駆除しろ!」

「それが、見失っちゃいまして……こっちの方に来ませんでしたか?」

「馬鹿野郎!見失うとは何事だ!」


 ガドウェルはものすごい剣幕で、全員総出ですぐに探して駆除するよう従業員に指示を出した。


「なあ、ミトラ。アレって何だ?」

「アレっていうのは……『ネズミ』のことだよ」


 ミトラは『ネズミ』の部分だけ、ケイの耳元で囁いた。ミトラはガドウェルに気を遣ってそうしたのだろう。きっとガドウェルはその単語を聞くのも嫌いなのだと啓は察した。


 すると突然、バル子がミトラの腕から飛び降り、ガドウェルの執務机の上に飛び乗った。バル子の突然の行動にガドウェルは珍妙な声を発したが、その直後にはバル子は机から飛び降りて、執務室を飛び出して行った。


「ケイ、バル子ちゃんは一体どうしちゃったの?」

「んー……何となく想像はついてる」

「ケイ!あの獣は何処に行った!?全く驚かせやがって!絶対に追い出してやる!」

「あの、ガドウェルさん。バル子が驚かせたことは謝ります。ごめんなさい。でも少し待ってもらえませんか?きっとバル子の見方が変わると思いますよ」

「どういうことだ?」


 啓はバル子が部屋を飛び出していく直前、バル子が啓に向かってウインクするのを見た。その時に啓は、バル子が何をしに飛び出して行ったのかすぐに理解した。


 そして、飛び出してから3分も経たずにバル子は執務室に戻ってきた。口に拳大の大きさの動物を咥えて。それを見たガドウェルは大声で叫んだ。


「ね!ねねねっ!ネズミ!」

「おお、これが(この土地の)ネズミなのか。(地球のと)似てるけど、少し違うんだな」


 そのネズミは、色が茶色で、尖った耳と大きな黒目、長いしっぽを持っていた。ただし足は6本足で、口からは剥き出しの牙が見えている。この星のネズミはかなり凶悪そうな顔つきをしているようだ。


「バル子ちゃんがネズミを捕ってきたの?凄い!」

「偉いぞ、バル子。さすがロシアンブルーだ」


 ロシアンブルーは特に狩りの習性が強いと言われている。バル子にその特性が備わっているのかは分からないが、目に見える成果を出したことに間違いはなかった。


「工房長、どうですか?バル子を置いてくれれば、この先、ネズミの駆除はバル子が引き受けますよ。見ての通り、ネズミ狩りの達人ですから」

「そうだよ、父ちゃん。これで父ちゃんの悩みが解決するんだよ!」

「俺の悩みじゃねえ!工房の悩みだ!そこを間違えるな!それから俺のことは工房長と呼……テメェ!そいつをこっちに持って来るんじゃねえ!」


 バル子がネズミを咥えたまま執務机にピョンと飛び乗り、ガドウェルに獲物を見せつける。さあ褒めて!と言わんばかりにガドウェルを見つめるバル子。そして壁にめり込むのではないかと思うほどに身を壁に押し付けて距離を取ろうとするガドウェル。


 そのまま両者動かず、数十秒の沈黙の後、ついにガドウェルが降参した。


 「ハァ……分かった。そいつを工房に置くことを認める。認めてやるかわりに、しっかりネズミ駆除をしてもらうからな!」

「やったね、ケイ!父ちゃん、ありがとう!」

「だから工房長と呼べと言っとるだろう……ところでケイ、そいつは人間を噛んだりしないだろうな?」

「しませんよ。でもバル子を虐めたりしたら身を守るために噛んだり、ネズミをわざわざ目の前に持ってくるかもしれませんよ」

「ネズミを狩ってくれる奴にそんな真似はしねえよ……頼むぞ、バル子」


 こうしてバル子も、ネズミ駆除係としてガドウェル工房で雇われることとなった。



 その日の夜。


「ご主人、ネズミ駆除、もっとやりたいです(キラーン)」

「そんなに目を輝かせて言われても……やっぱり本能なのかなあ?」

「はい、バル子は猫ですので。ネコの習性には逆らえません。いまバル子は街中の猫を駆逐したい衝動に駆られています」

「さすがにそれはちょっとな。少しずつバル子の存在を周知してからじゃないと、バル子が人間に捕獲されるかもしれないからね」

「確かに、ご主人の言う通りですね」

「あ、そういえば近くの酒場もネズミで困っていると言ってたな。確か『夜に咲く男達』という名前の酒場だったか。ミトラの知り合いの店だから、話はつけやすいと思う」


 ……その後、啓とミトラは、バル子を連れて『夜に咲く男達』に行くと、バル子がネズミを狩る代わりにタダで飲食させてもらえるようになった。



次回、啓も働きます。


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