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088 異変

 ユスティールの市場は、町で最も活気があった場所である。

 啓のいた世界の建造物で例えるならば、ユスティールの市場はドーム球場のような形状と、多目的アリーナほどの広さを持つ施設だ。

 かつての市場では、所狭しと並べられたバルダーや自走車が売りに出され、毎日多くの人々が訪れていた。


 しかしアスラ連合に占拠された今の市場は活気の欠片もなく、侵攻軍の物資置き場となっていた。


 その市場の入口付近では、二人の兵士が退屈そうに夜の見張り番を務めていた。

 少し前までは、もっと多くの兵士が市場を警備していたのだが、町の随所に現れた猫を見るために持ち場を離れてしまったため、今はその二人だけが残されている。


 気が緩み過ぎているとも言えるが、戦況は未だアスラ連合軍が有利であり、ユスティール軍のほうから攻めてくる可能性は低いと思われた。


 だからといって最低限の警戒を怠るようなことはしなかった。

 アスラ軍はユスティール軍のいる方面だけではなく、占拠した町の外周にも見張りを立て、一応、奇襲にも備えていた。


 そのため「いきなり占拠地の中心部が襲撃されるはずがない」と高を括る兵士達が、持ち場を守ることよりも物珍しい猫に対する好奇心に完全敗北するのは、仕方がないことかもしれなかった。


 結果、アスラ軍の兵士達は、市場を襲撃しに来たミトラとシャトンに気づくことはなかった。

 もっとも警戒していたとしても、人が空を飛んで来るのは想定外のことだろうが。


 空を飛んでユスティールにやってきたミトラとシャトンは、市場の入り口付近の物陰に静かに着地した。

 身を低くしたシャトンは、改めて鼻と耳を総動員して市場の中の様子を伺った。


(市場の中に人の気配はありません。その先にある管理棟内までは分かりませんが、少なくとも兵士は入口付近にいる二人だけで間違いないです、ミトラさん)

(上出来だわ、シャトン。それにしても本当に便利な能力だよねえ)

(ミトラさんの飛行能力のほうが凄いじゃないですか……そんなことより、まずはあの兵士達の始末ですね)


 シャトンは腰に吊るした小さな木箱に手をかけた。そしてシャトンは「よろしくね」と呟き、木箱の蓋を開いた。

 夜の闇を切り裂くように、鋭い虫の羽音が周囲に響いた。



 市場内の警備担当だった上官は、入口を警備していた部下に見張りを押し付けて猫を見にいってしまった訳だが、押し付けられた側としては当然面白くはなかった。

 押し付けられた二人の兵士のうち、一人は憮然とし、一人はぼやき続けていた。


「なあ、ネコって夜行性なのかな」

「さあな」

「どれぐらいかわいいんだろうな」

「知るか」

「見てみたいよなあ……」

「別に、俺は見いでええええええ!」

「だよな、やっぱりお前も見たいよな……どうした?」


 ぼやいていた兵士は、相方が突然、絶叫するほど猫が見たいという衝動を爆発させたのかと思ったが、そうではなかった。

 相方の兵士は苦悶の表情で、左手首を押さえていた。


「いだだだだだだだだ!」

「おい、どうした。何があったんだよ!」

「何かが、腕に、触れたと思ったら、激痛が……いでででででで!」


 その手首は真っ赤に腫れ上がっていた。得体のしれない虫にでも刺されたような有り様だった。


 無論、その犯人は、夜目が効くモンスズメバチの「蜂姫隊」であるが、そのことを兵士達は知る由もなかった。


「なんだこりゃ……大丈夫かよ」

「大丈夫なわけねえだろ、イテテ……」


 悶絶する相方を見た兵士は、救護班に診てもらうべきだと提案した。しかし頭の固い相方は、持ち場を離れるわけにはいかないと提案を拒否する。


「でもなあ……痛いんだろ?」

「…………痛い。死ぬほど痛い」


 モンスズメバチに刺されると、赤みのある腫れと激痛を引き起こす。大人でも耐えられる痛みではない。


「無理すんな。救護班の所へ行こう。俺も一緒に行くから」

「……ああ」


 刺された男は痛みに負けて、持ち場を離れることを選択した。一方、被害の無かった兵士のほうは、ついでに猫を見れる機会を得られるかも知れないという打算で付き添うことにした。

 そして二人の兵士は、持ち場を離れていった。


 兵士達が十分に離れるのを待ってから、シャトンは再び市場に向かって意識を集中した。


「市場の中に人の気配……無し」

「よし、作戦、成功ね」


 ちょうど一仕事終えた蜂姫隊も戻ってきたところで、シャトンはゆっくりと立ち上がった。


「では、行ってきます」

「あたしはここで見張ってるから、何かあればノイエ経由で」

「はい、お願いします」


 シャトンはミトラと、ミトラの肩に止まっているノイエに目配せして、市場内へ入っていった。



 市場の中は最低限の光源が灯されているだけで薄暗かったが、シャトンにはかえって好都合だった。シャトンは本体である犬の特性を得ているため、夜目が効くのだ。

 シャトンは目と鼻を利かせて、目的の場所までまっすぐに向かった。そこにあるのは、大量の携行食と水だった。


「女神様……貴重な食料を駄目にしてしまう私をお許しください」


 シャトンは懺悔の言葉を口にした後、背負い袋を下ろして口紐をほどいた。


「窮屈な思いをさせてごめんね、ミュウちゃん」

「ミュッ」


 袋から顔を出したのは、セジロスカンクのミュウだ。

 シャトンはミュウに労いの言葉をかけたが、暗くて狭い場所が好きなスカンクとしては、袋の中はかなり居心地が良かった。

 ミュウのご機嫌な様子に安堵したシャトンは、今度は念話でミュウに指示をした。


(それではミュウちゃん。あそこからあそこまで、いつものやつをお願いします)

(分かったの!)


 ミュウはトコトコと食料の備蓄場所に向かった。ミュウの背中を見送ったシャトンは、すぐに小さな二枚の布を取り出した。

 そしてシャトンはその布を丸め、両方の鼻の穴に突っ込んだ。


(オーナーには見せられない顔ですね……)


 シャトンの犬並みの嗅覚は、ミュウの「いつものやつ」を嗅いだ途端に失神してしまう。自分で鼻の効き具合の制御もできるが、それにも限界はあるので対策は必要だった。


 さらにシャトンは大きめの布で、自分の鼻と口を何重にも覆った。準備が整ったところで、シャトンはミュウに合図を送った。


 ミュウは備蓄品に背を向け、しっぽを持ち上げた。そしてしっぽの付け根から、強烈な匂いを放つ分泌液を備蓄品に振りまいた。


 それからミュウはちょこちょこと場所を変え、分泌液をまんべんなく備蓄品にかけて回った。

 分泌液をかけられても、完全に密封されていれば、中の食料や水に影響はない。しかし、このひどい匂いにやられた食料を口にしようとは思わないだろう。


ノリノリで作業をこなしていくミュウを待つ間、シャトンは何気なく市場をぐるりと見回した。そしてその目は、備蓄品の並べられた場所の反対側で停止した。


「あれは……バルダーですよね」


 鼻と耳だけでは分からなかったが、市場の中には、アスラ軍のバルダーも格納されていた。


「これは好都合です。ミトラさんに連絡しないと」


 シャトンは市場の外にいるノイエに向かって念話を飛ばした。



 市場の外で見張りをしていたミトラは、ノイエに軽く頬を突っつかれた。


「ミトラ、シャトンから連絡 、ガアッ」

「ありがとう、ノイエちゃん、教えて」


 ノイエがシャトンから受けた連絡は「市場の中に敵のバルダーが格納されているが、どうするか」というお伺いだった。


 屋根付きの市場の広さを考えれば、きっと敵も便利に使うだろうとミトラは考えていたので、市場内に食料だけではなく、バルダーを格納していても不思議なことはなかった。


「どうするも何も、やっちゃうしかないよね。シャトンに今から行くって伝えて」

「…………匂いに気をつけて、とのこと。ガアッ」

「おっと、そうだった。ミュウちゃん、かわいい顔して、色々すっごいからね」


 ミトラもシャトンと同じように、(鼻栓まではしなかったが)布で鼻と口を覆い、市場の中へと向かった。



 市場の中でシャトンと合流したミトラは、シャトンからバルダーのおおよその台数と、もう一つ、耳寄りな情報を入手した。


「あちらに、魔硝石の備蓄もありました」

「お、さすがシャトン。仕事ができる女だね」

「はい。オーナーにもよく言われます」

「……うん、そうだね」


 悪びれること無く啓を引き合いに出され、なんとなく負けた感がしたミトラだったが、状況が状況なので、わざわざ張り合うようなことはしなかった。


「それで、どうします?バルダーを壊して回りますか?それとも市場ごと、バルダーを燃やして……」

「いやいや、それじゃ時間がかかりすぎるし、せっかくの隠密行動が無駄になっちゃうよ。シャトンは顔に似合わず、過激なことを考えるのね」

「はい。オーナーにもよく言われます」

「……えーと、ここはあたしに任せてもらえるかな」


 ミトラは軽い溜息を吐いた後、シャトンに方針を話した。ミトラはバルダーを無力化する手っ取り早い方法を、あらかじめ考えていたのだ。


「でも大丈夫ですか?結構な台数ですよ?」

「大丈夫。任せてよ」

「……分かりました。ではミトラさん。兵士達が戻る前にさっさと済ませてしまいましょう。ミュウちゃんの作業ももう少しで終わりますし」

「そうだね、そうしようか」


 答えたミトラは、早速手近のバルダーに向かった。

 操縦席が開け放たれたバルダーに軽く飛び乗ったミトラは、すぐに魔動連結器の場所を探った。大抵のバルダーは似たような構造をしているので、見つけるのは容易だった。


「やっぱり、魔硝石は入れっぱなしだね」


 魔動連結器はバルダーを動かすための心臓部だ。操縦者は魔動連結器を介して、バルダーを意のままに動かすことができるが、その中心には、動力源となる魔硝石が使われる。


 貴族や、自前の魔硝石を持つ者は、魔動連結器から魔硝石をいちいち取り出すこともあるが、平民出身の一介の兵士は、備え付けの魔硝石をそのまま使うことが多いのだ。


 ミトラは魔動連結器の中にある魔硝石に触れ、力を込めた。力を込めると言っても、押し出す方法ではなく、引き出す方向に。

 すると魔硝石は一度淡く光った後、みるみるうちに鈍い色へと変わっていき、そして割れた。


 これはミトラに備わった「魔力を吸い出す力」によるものだ。そして魔力を吸い出された魔硝石はただの石と化す。

 魔硝石を失ったバルダーは、有効な魔硝石と入れ替えない限り、二度と動くことはない。


「よし、次!」


 ミトラは地に降りること無く、横移動で跳ねるように空を飛び、次のバルダーの操縦席に入った。


 こうしてミトラは全てのバルダーの魔硝石を無力化し、残るは備蓄の魔硝石だけとなった。おそらく他所にも魔硝石の備蓄はあると思われるが、これだけのバルダーを充足させるだけの魔硝石を準備するには時間がかかるはずだ。

 やっておいて損はないと考えたミトラは、シャトンが見つけてくれた魔硝石の備蓄置き場へと飛んだ。


 その時、ミトラの体に異変が生じた。頭がクラッとすると同時に、鼻に熱いものを感じたのだ。


 突然の不調に、危うく飛行能力が消えそうになったミトラだったが、なんとか気合で持ちこたえ、軟着陸気味に魔硝石の備蓄置き場のそばに降り立った。


 ミトラは顔に巻いた布の上からそっと鼻に触れてみた。


「……もしかして、鼻血?」


 薄暗い中、湿った布に触れた指先が赤茶色に変色しているのが見えた。鼻の奥から液体が流れ出る感覚もあるので、鼻血で間違いなさそうだった。


(ちょっと無理しちゃったかな?まあ、大丈夫でしょ)


 少し調子を崩しただけと自己判断したミトラは、魔硝石の入った備蓄箱に手を入れ、再び魔力の吸い出しを実行した。


 大量の魔硝石が光り、そして次第に光を失い、パキパキという音と共にひび割れていく。


(よし、大丈夫、大丈夫……)


 あと少しで完了というところで、シャトンがミュウを連れてそばにやってきた。


「ミトラさん。そろそろ兵士達が……ミトラさん?その顔、どうしたんですか!?」


 鼻血で真っ赤に染まったミトラの顔布を見たシャトンが、驚きの声を上げる。


「ああ、大丈夫、大丈夫。ちょっと鼻血が出ただけだから」

「とても、ちょっとには見えないのですけど……」

「もう止まったし、大丈夫」


 既に何度「大丈夫」と言ったか分からないほど、ミトラは強がってみせたが、やはり大丈夫ではなかった。


 備蓄の魔硝石が全て無力化されると同時に、ミトラの膝がカクンと落ちた。


「ミトラさん!」


 倒れそうになったミトラを抱きかかえたシャトンは、ミトラの体に明らかな異常が起きているのが分かった。ミトラの体は、まるで火鉢のように熱くなっていた。


「シャトン……ごめん、ちょっと休ませて……」

「はい、少し横になっててください」


 床に横たわったミトラは、そのまま意識を失った。呼吸はあるので少し眠っただけのように見える。


 その時、市場の入り口付近で怒号が聞こえた。


「おい、中の様子がおかしいぞ!」

「なんだこりゃ、ひどい匂いだ……」


(しまった……このことを忘れていました……)


 シャトンがミトラの元に来た理由は、外で兵士が近づいてくるのを感知したからだった。そのことを伝えようとした矢先にミトラが倒れてしまったため、それどころではなくなってしまったが。


「兵士達を集めろ!備品とバルダーを確認するんだ!」


 異変に気づいた兵士は応援を呼んだ。


 ミトラが動けない状況で、市場に兵士達が殺到すれば、シャトン達は逃げることもできず、発見されてしまうだろう。


 シャトンとミトラは窮地に追い込まれかけていた。


後方撹乱に成功したかと思いきや、ミトラの体調に異変が生じ、逃げ場を失ってしまいました。

次回、シャトンが一肌脱ぎます。


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よろしくお願いいたしますm(_ _)m

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