087 暗躍
「ニャン」
「なんだこの獣は?」
「知らん。でもなんか癒されるなあ……」
アスラ軍の前線基地で夜の見張りに立っていた二人の兵士は、見たこともない小さな獣に遭遇していた。その獣は人を前にしても臆すこと無く、呑気に毛づくろいをしている。
しばらくすると、近くで哨戒に当たっていた別の兵士もやってきた。そして言った。
「おい、これ、噂のネコという動物じゃないか」
「お前、知ってるのか?」
「うむ、聞いたことがある。可愛い姿でニャアと鳴く、ユスティールで今大人気の獣らしいぞ」
「これがネコか……」
兵士は猫に向かって手を出しつつ、恐る恐る猫に近づいてみた。すると猫は逃げるどころか、兵士のそばに寄り、手に頬を擦り寄せた。
「うおおお、このネコって奴、やたら人懐こいぞ」
「俺にも触らせてくれるかな……」
「そっとだぞ……警戒させるなよ……」
「ニャン」
「なんてかわいいんだ……」
「ああ……癒やされるな」
こうして、アメリカンショートヘアのアルトは、その愛嬌で数名の兵士達を骨抜きにした。
猫が現れたのはその場所だけではなかった。その夜はユスティールの町の随所で、猫の目撃情報が相次いだ。
その噂は、市場内の見張りの耳にも届いていた。
「なあ、ネコだってよ」
「ああ、そうらしいな」
「俺も見てみたいなあ」
「今は任務中だ。大人しく見張りを続けよう。どうせこの町は俺達が占拠しているんだ。そのうち見れるだろう」
「見張りっつったって、こんな所まで敵が来るわけないだろう……でもさ、なんで突然、ネコが現れるようになったんだと思う?昨日までは、目撃情報なんて無かっただろう?」
「さあな。いい加減、隠れているのに飽きたんじゃないのか?」
市場はこのユスティールで最も大きな建造物だ。かつてはこの市場で、工房から持ち込まれたバルダーや自走車など様々な商品が並べられ、活気に満ち溢れていた。
しかし今は当時の活気など見る影もなく、アスラ軍の軍事物資倉庫として使われているだけだった。
その倉庫内の見張りでは、遠目でもネコを見ることなどできない。その兵士達がガッカリしている所に、さらに追い打ちをかける事態が発生した。
「おい、お前達」
「部隊長!」
同じく夜間の見張りに当たっていた部隊長と、市場内で他所の見張りをしていた兵士達が一団となってやってきたのだ。
「あー、すまないが、我々はこれから外の様子を見てくる。何やら騒がしいようなのでな」
「あの、市場の見張りは……」
「ここに敵が来ることなど無いだろう。それにお前達がいれば安心だ。任せたぞ」
「はあ……承知しました」
そう言って部隊長と兵士達は、市場の外へと向かっていった。
「……ネコだよな?」
「ああ。絶対、ネコを見に行ったな」
「俺も行きたかったなあ……ちきしょう」
貧乏くじを引かされた兵士は、部隊長に向けて恨み言を呟くことしかできなかった。
◇
猫達が市場で愛想を振り撒いている頃、ミトラとシャトンはユスティール上空を飛んでいた。
とはいえ、空を飛ぶ力を持っているのはミトラだけなので、シャトンはミトラの背にしがみついている状態だ。
最初は空を怖がって奇声を上げていたシャトンだったが、今は落ち着き(あるいは諦めて)、ミトラに話しかけるぐらいのことはできるようになった。
「ミトラさん。聞いてもいいですか?」
「なに?」
「ミトラさんは貴族だったのですか?」
「え、違うよ。生まれも育ちもユスティールの、ただの平民だよ」
ミトラの言葉は事実だったが、シャトンはまだ納得していない。
「町で見せてもらった力も、この空を飛ぶ力も、女神の奇跡の技じゃないですか。女神の奇跡の力は貴族でなければ使えないのですよね?ミトラさんは、貴族であることを隠していたのでは?」
「あたしは本当に貴族じゃないってば。それにこの力は、あたしがケイに頼み込んで特訓して、最近身につけたものだし」
「訓練でどうにかなるものでは無いと思いますけど……オーナーが絡んでいるのであれば、きっとそうなのでしょうね」
シャトンはようやく少しだけ納得した。シャトン自身、啓の力によって新たな生を受けたのだ。啓が絡んでいると聞けば、多少のことでは驚かなくなった。
「そそ。ケイだからね」
「そうですね、オーナーですものね」
ミトラもシャトンと同意見だった。
「はあ……でも残念です」
「何が?」
「だって、私だけが特別になれたと思ったのに……」
「特別って?」
シャトンの体は、文字通り特別なものだ。
一度死んでしまったシャトンの魂は、啓の召喚術によって、魔硝石から生み出されたシェットランド・シープドックという犬の体に宿っている。
そのため、犬の姿こそが今のシャトンの本来の姿なのだが、元の人の姿に「変身」することもできるので、特に人としての生活に困ることはない。
さらにシャトンは、他の動物達と意思を疎通することができるようになったし、犬の特性を活かした様々な能力も身につけた。
シャトンはこの力で啓の役に立てると思った。啓の特別になれると思った。
ところが蓋を開けてみれば、ミトラはとんでもない女神の奇跡の力を使えるようになっていたし、サリーに至っては元王女という素性を持つ女性だった。
ついでに言えば、突然先輩風を吹かせてきたバル子の存在もある。
シャトンとしては、ライバル達より頭一つ飛び抜けたと思っていたのに、実はやっと同じスタートラインに立った程度に過ぎないという思いだった。
「はあ……いえ、何でもないです。でも負けないように、もっと頑張ります」
シャトンはミトラの質問には答えず、ライバルに対して決意表明だけしておいた。
「そんなことより、シャトンちゃん。ネコ達の様子はどうなの?」
「……順調に兵士達を懐柔しているようです。どの子達も、乱暴な目には遭っていませんが、あまりにもベタベタと触られるので、ポルトとリリエットが辟易しています」
シャトンは空から、念話を使って猫達とコンタクトを取っている。そのため、シャトンはすべての猫の動向が手に取るように分かっていた。
ポルトはターキッシュアンゴラで、白いフサフサの毛を持っている。そのため、カフェでも客によくモフモフされている。ただ、彼女は少し臆病なので、大人数に囲まれるのはあまり得意ではなかった。
リリエットは白と黒のハチワレのジャパニーズ・ボブテイルだ。短毛でやや小柄なため、客に抱っこされがちである。本人はお姉さん気質で、周りのお世話をするのは好きなのだが、自分が子供扱いされるのはあまり好きではなかった。
もちろん、カフェ時代は見事に(文字通り)猫を被って愛嬌を振りまいていたので、その演技は現在も活かされている。
「あはは……大変だろうけど頑張ってと伝えてあげて」
「はい。皆にも引き続き、兵士達の注意を引き付けておくように通達します」
「うん、よろしく」
猫達への伝達を終えたシャトンは、今度は「自分の役目」を遂行する。
猫達の動向をチェックすることだけがシャトンの役目ではないのだ。
「……やはり食料は市場内ですね。匂いの元はそこに集中しています……ただ、市場内にはまだ数名の兵士がいるようです。どうしますか?」
シャトンは本体が犬になったことにより、鼻と耳の性能が爆発的に向上していた。その能力をフルに発揮し、物資の格納場所や敵兵の存在を感知した。
「数人だったらなんとかなるけど、騒ぎは起こさないようにしないとだし……」
「であれば私達にお任せください。まずは見つからないよう、近くに降りましょう」
「分かった。じゃあ、作戦開始だね」
ミトラとシャトンは黒い服を着て、口元も黒い布で覆っている。二人は闇夜に紛れて、音もなく市場の傍に着陸した。
◇
二日前……啓達が考えた作戦は、敵の軍事物資を奪う、あるいは使い物にならない状態にすることだった。
ミトラの能力が確認できたこと。
その力が長時間安定して使えることも確認できたこと。
シャトンの能力が把握できたこと。
その力が諜報や隠密行動に適していること。
この二人と、動物達の協力があれば実現可能と考えたのだ。
その作戦自体は単純なものだ。
猫を使って兵士達の注意を引きつけ、その間にシャトンが嗅覚と、動物達が目と耳で集めた情報を使い、物資の格納場所を見つけ出す。その物資に壊滅的なダメージを与えるのだ。
『ただ、これだけは忘れないでほしい。ミトラもシャトンも動物達も、最も優先にするのは自分の命を守ることだ。作戦なんて失敗しても構わない。危険を感じたらすぐに逃げるんだ。自分を犠牲にとか絶対に考えないように。特にシャトン。わかったね?』
啓によって「命大事に」と何度も復唱させられたミトラとシャトンは、こうして敵基地に潜入し、作戦を開始したのだった。
シャトンとミトラ、そして動物達による潜入作戦が開始しました。
次回、基地内が大騒ぎに。
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