080 紡ぐ命
黒耀騎のバルダー三機をほぼ瞬殺で倒した啓は、シャトンを収容した後、バルダーを全速力で走らせてキャリアへと戻った。
キャリアに戻った啓は、そこにミトラがいなかったことを疑問に思ったが、今優先すべきことはシャトンの救護であるため、その疑問を頭の片隅に追いやった。
シャトンをキャリアの後部座席に寝かせたその傍では、サリーが額に汗を流しながら、女神の奇跡の技による治癒を続けていた。
「サリー、シャトンの具合は……」
「……」
「サリー?」
「ごめん、今は話しかけないで……いえ、話しかけるならシャトンに呼びかけて」
シャトンをバルダーに収容した時からずっと治癒を続けているサリーの顔には疲労の色が見える。それでもサリーは治癒の手を止めなかった。
当初、シャトンは心停止していた。外傷も酷いが、骨も内臓も損傷を受けているに違いない。体の至る所から流れ出た血は、シャトン自身の服を真っ赤に染めていた。
そこでサリーは、外傷の治癒と心臓マッサージを交互に行った。するとシャトンは一度咳き込み、血を吐き出した。心臓の鼓動がわずかに復活したのだ。
それからサリーは、休むことなく女神の奇跡による治癒を続けている。
「シャトン、シャトン!」
「ニャッ!」
「ンニャーーー!」
サリーに促された啓とバル子とカンティークは、シャトンに必死に呼びかけた。
「シャトン、しっかり!」
「ニャニャニャッ……シャトン様!死なないでください!」
「ちょっ……バル子、お前喋ったら駄目だろう」
「ニャーニャーって言いにくいんですよ。普通に呼びかけさせてくださいませ!」
猫としてはあるまじきバル子の発言に、啓は思わず目を剥いた。なによりシャトンには、バル子が喋れることは秘密にしているのだ。
しかし、このバル子のスタンドプレーが功を奏した。
バル子の声が、シャトンの意識を呼び覚ましたのだ。
「あ……お……」
「シャトン!」
「シャトン様!」
シャトンは僅かに瞼を開き、焦点のあっていない目で啓を探した。
「シャトン、オレが分かるか?」
「オーナー……うぐっ!」
再び血を吐き、苦悶の表情を浮かべるシャトンに、啓が首を振って応える。
「いいから……いいから喋るな。今、サリーがお前を癒してくれている。だから大丈夫だ。頑張れ、シャトン!」
「ゴホッ……オーナー……私、オーナーのお役に、立てましたか……」
「ああ、ああ、もちろんだ!」
啓はシャトンの手を握った。シャトンもその手を握り返そうとしたが、指先は震えるだけで握ることはできなかった。
「オーナー……私は……」
「喋らなくていいから。今は回復だけに専念して……」
「ケイ、シャトンに喋らせてやれ」
「サリー?」
啓は頭を上げてサリーを見た。サリーは歯を食いしばり、沈鬱な表情を浮かべていた。目を見張った啓の視線に気づいたサリーは顔を背けた。その頬には涙が伝っていた。
それで啓も悟った。シャトンはもう手遅れなのだと。シャトンの最後の言葉を聞いてやれと、サリーが言っているということを。
「シャトン……」
「私は……守りたかった……店だけじゃない。オーナーが……大切に隠している、床下のものを……」
「シャトン、知ってたのか……」
フェリテの床下には、本物の「ユスティールの至宝」である巨大な魔硝石が隠されている。そのことを知るのは、啓と動物達以外には、サリー、ミトラ、亡くなったオルリック王、そしてナタリアだけだ。
しかし、毎日フェリテで働いているシャトンは、啓とサリーの隠語満載の会話や、啓のふとした仕草の中で、床下に何かが隠されていることに気づいた。
隠されているものがユスティールの至宝だとは知らなかったが、そこに大切な何かがあることだけは気づいていたのだ。
「それに、私は……知ってましたよ……バル子ちゃんが喋れることを……」
「それも知っていたのか……」
「どれだけ貴方と一緒にいたと思っているのですか……どれだけ貴方を見てきたと思っているのですか……」
「……今まで言えなくてごめん」
「でも、最後にバル子ちゃんの声を聞けました……」
「シャトン様、最後なんて嫌です。私はもっとシャトン様とお話も喧嘩もしたいです」
「ふふっ……私もですよ、バル子ちゃん。ゴホッ!」
「シャトン様!」
「シャトン!」
シャトンは激しく咳き込み、血を吐いた。激しい呼吸がしばらく続いた後、シャトンはふう、と大きく息を吐いた。そして瞼をゆっくりと開き、啓を見た。
「ありがとう、オーナー……」
「お礼を言うのはオレの方だよ、シャトン」
「オーナーは……絶望していた私に、こんなにたくさんの幸せをくれました……」
「まだだ……まだ足りないよ、シャトンはこれからもっと幸せになるんだ!」
サリーは嗚咽の声を漏らし、涙を流していた。啓も涙で視界をゆがませた。
「泣かないで、オーナー……」
「シャトン、逝くな。逝かないでくれ……」
「もしも、生まれ変わったら……今度こそオーナーのお嫁さんに……」
シャトンの目からも涙がこぼれ落ちる。啓はシャトンの手を強く握りしめながら、シャトンを逝かせまいと叫んだ。
「今度なんて言うなよ、シャトン!」
「それだ!」
「……サリー?」
啓の叫びに呼応するかのように、突然サリーが声を上げ、立ち上がった。
「ケイ、召喚するんだ」
「召喚って何をさ」
「シャトンに決まってるだろう」
「……はい?」
啓はサリーの言葉に疑問形で返事をした。しかし頭では、サリーの意図を正しく理解していた。
「シャトンを召喚して、生まれ変わらせると言うことだろう?……だけど、そんなこと、できるのか?」
「知らん」
「おい、知らんって……」
「やってみるかどうか、決めるのも、やるのもケイだ。少なくとも、シャトンはもう逝く。逝ってしまう。もしも救えるとしたら、ケイの召喚だけだ。動物達を召喚したように、シャトンの魂を召喚できないか?」
「それは……」
啓はできるかもしれないと思った。しかし、それはあくまで可能性だけの話だ。
啓は動物を召喚する時、その対象を思い浮かべて召喚を実行している。だが、その時に思い浮かべるのはユニークな個体ではなく、種が対象だ。
要するに「アメリカンショートヘアを召喚」としての召喚はできるが「山田さんちのタマを召喚」のように、個体を限定して召喚したことは無いのだ。
なので実際に試してみるしかないのだが、もしも前者の召喚しかできなかった場合、仮に召喚に成功したとしても、見た目はシャトンだが中身は全然別人になっているという可能性もある。それはもうシャトンではない。
そんなリスクを冒してまでシャトンの召喚を試すべきなのか、啓は頭を悩ませた。
また、召喚するにしても、もうひとつ問題があった。
「サリー、召喚には魔硝石が必要だ。人を召喚するとなると、それなりに大きくて品質の良い魔硝石が無いと駄目だと思う。だけど、オレは持ってない」
今まで召喚した中で最も大きいのは、サリーのカンティークか、ナタリアのために召喚したノルウェージャンフォレストキャットだろう。その時に使った魔硝石は、サリーとナタリアが幼少期から持っていた魔硝石で、大きさも品質も猫を召喚するにはちょうど良い物だった。
「少なくとも、ナタリアさんの猫を召喚する時に使った魔硝石と同等以上の品質と大きさが無ければ、とてもじゃないが人の召喚なんてできない。オレができないと思った時点で、失敗する可能性が高いと思う」
「それならば大丈夫だ。ケイ、これを使ってくれ」
サリーはスカートの中から、そこそこ大きな魔硝石を取り出した。その魔硝石は拳ほどもある大きさで、透き通った真っ赤な色をしていた。
「サリー、これは?」
「いつだか話したのを覚えているか。これは王立研究所で実験されていた、ルーヴェットの額に埋め込まれていた魔硝石だ」
「ああ、確か犬のような動物だったっけ」
オルリック王国の王城で啓が王子達と試合を行っていた頃、サリーとミトラは王立研究所の所長に招かれて研究所にいた。その時サリーは、研究所の奥で生体実験に使われていたルーヴェットに遭遇したのだ。
そのルーヴェットはサリーの目の前で死んでしまったが、その時に額からこぼれ落ちた魔硝石をサリーは大切に持っていたのだ。
「これでシャトンを救えれば、ルーヴェットの無念も晴らせる気がするんだ。是非、この子の魂も紡いでやってくれ。見ろ、大きさも品質も悪くない魔硝石だろう。きっと大丈夫だ」
「……」
サリーは啓に安心を刷り込むように、何度も大丈夫だと言った。
しかし啓は即答できなかった。即答できなかった理由は、魔硝石の品質に不安があるのではなく、別の理由だった。
(ルーヴェットという動物は、生体実験に使われていたという。それに研究所の地下では、実際に人の死体が実験に使われていた)
啓はあの時の光景を思い出した。研究所の地下室で見た動く死体は、全身に魔硝石を埋め込まれ、ゾンビ映画のように啓とサリーを襲ってきた。啓はその光景を見て、魂を穢す所業だと思い、憤りを感じた。
(オレがやろうとしていることと、地下室での実験は同じじゃないのか?シャトンの魂を穢す行為じゃないのか?)
意義も趣旨も違うとは思っている。所長は死体に魔硝石を使い、死んだ者の事など意に介さず戦争に使おうとしていた。啓はシャトンを助けるためだけに魔硝石を使おうとしている。
(だけど、命を弄ぶという点ではどちらも同じかも知れない。崇高な意義とか、そんなのは言い訳だ。結局、ただのエゴなんだ)
その時、再びシャトンが口を開いた。
「……オーナー」
「シャトン……騒がせてしまってすまない、でもオレは……」
「どうぞ、オーナーの望むままに……」
「シャトン……」
シャトンはわずかに口角を上げて微笑んだ。力尽きたシャトンは、それ以上言葉を発することはなかった。
「…………悪い」
啓は再びシャトンの手を強く握りしめながら、声を絞り出した。
「ケイ……」
「……エゴの、何が悪い!」
「ケイ?」
「やってみよう、サリー。うまくいくとは限らない。もしかしたらとんでもないことになるかもしれない。その時はオレが責任を取る。シャトンを一人で悲しませるようなことはしない」
こうしている間にも、シャトンの命の灯火はもうすぐにでも消えてしまうのだ。人や動物の命を弄ぶ真似をして地獄に落ちるなら笑顔で落ちてやる。やらないで後悔するよりも、やってから後悔すればいい。
そう考えて吹っ切れた啓は、サリーから魔硝石を受け取った。サリーは魔硝石を手渡して空いた手で、啓の肩をポンポンと叩いた。
「何を言っているんだ。言い出したのは私だ。ケイだけに責任を取らせるつもりはない」
「ご主人、バル子もお手伝いします」
「創造主様、何なりと」
「ありがとう、みんな。じゃあ祈っててくれ。もう一度、シャトンの笑顔に会えるようにと」
啓は握った魔硝石の上にシャトンの手を乗せた。そして力を込めて祈った。
「戻ってきてくれ、シャトン!」
そして、シャトンの体は眩い光に包まれた。
悩んだのですが、先にシャトンのパートを書きました。
バル子はにゃん語よりも、普通の言葉のほうが話しやすかったようです。
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