079 静かな怒り
グレースは目の前で起きた事態を飲み込めずにいた。
乱入してきた青白いバルダーには、バルダーの稼働を阻害する杖の効果が及ばなかった。それどころか、そのバルダーはパンチ一発で、黒耀騎のバルダーを真っ二つにしたのだ。
黒耀騎のバルダーは決して弱くはない。黒耀騎シリーズはやや小型ではあるものの、「ある特殊な改造」によって、装甲の強度も速度も出力も、一般的な戦闘用バルダーに比べて格段に高くなっている。
その黒耀騎が相手の攻撃にまるで反応できず、わずか一撃で屠られるなど、グレースには信じられないことだった。
崩れ落ちた黒耀騎のバルダーを唖然として見ていたグレースだったが、啓のバルダーが転身したことで我に返った。次に攻撃されるのは自分だと悟ったからだ。
グレースは、待機していた二機のバルダーに命令した。
「お前達、何をしているんだ!このバルダーをやれ!」
命令を受けた黒耀騎のバルダーは、啓のバルダーを破壊すべく、二機同時に動き出した。
◇
啓も敵バルダーの動きには気づいていた。リーダー格と思われる女を先に潰すべきだと思ったが、迫ってくるバルダーの攻撃も無視できない。
やむなく啓は、標的を二機の黒いバルダーに切り替え、バルダーを走らせた。
一方、啓のバルダーに同乗しているサリーは、自分の声を聞かない啓にヤキモキしていた。
サリーは一刻も早く、敵バルダーに殴り飛ばされたシャトンの元に行きたかった。シャトンはまだ死んだと決まったわけでは無い。だが生きているとしても、危険な状況には変わりないだろう。
だからサリーは、次の敵と戦わない、あるいは牽制だけしてシャトンを回収して逃げろと提案をした。しかし啓は戦う選択をした。もっとも啓にはサリーの声など届いておらず、最初から戦うの一択だったが。
サリーも、すぐに敵を倒せるならばそれもありだと思っていたが、サリーは別の意味でもこの黒いバルダーと戦いたくないと思っていた。
サリーはこの敵バルダーに対して、何か異質なものを感じていたからだ。
敵の黒いバルダーは、通常のバルダーよりもひと回り小さく、全体的に小柄だった。特に違和感を感じるのは胴体部だ。操縦席がある胴体部は、その空間を確保するために、厚みと幅を必要とする。啓のバルダーの胴幅も細いほうではあるが、その代わりに奥行きを確保している。
しかし、この黒いバルダーの胴体部はその奥行きもなかった。さらに言えば、開閉式の搭乗口も見当たらなかった。
搭乗口の継ぎ目が巧妙に隠されているのか、あるいは背中から乗り込むタイプなのかは分からないが、操縦者はかなり窮屈な姿勢で操縦しているように思われる。
大人ではかなり厳しい姿勢となるだろう。もしかして子供が操縦しているのか……
そう考えた直後、サリーは頭を左右に振った。いくら敵とはいえ、子供を殺戮の道具にするなどという行為は想像したくもなかった。何より、そんな推測を啓に言えるはずもなかった。
(ケイは分かっているのだろうか……お前が今、人を殺したかもしれないということを……)
啓は先ほど、敵バルダーの胴体部を攻撃して真っ二つにした。通常、操縦席は操縦者を守るために他所よりも強固な作りになっているものだが、啓はそれをたやすく粉砕したのだ。おそらく敵バルダーの操縦者は命を落としているだろう。
かつての啓は、人を殺めることを忌避していた。そのせいで、啓自身が危ない目に遭ったこともある。それにも関わらず、先程の啓の攻撃には一切の躊躇も感じなかった。
戦争で人の命を奪わずに勝利するような甘い考えを持っていては、自分が死ぬことになる。ましてや、自分を殺そうと襲ってくる相手に手心を加えるのは弱さでしかない。
そう思えば、先の啓の判断や行動は称賛に値すべきことだが、サリーには、啓の良さがひとつ失われていくような、喪失感や悲壮感に近いものを感じていた。
◇
実のところ、啓も敵の黒いバルダーに対して、何か禍々しいものを感じていた。自身で感じ取ったのか、バル子を通してそう感じたのかは分からない。
しかし今はそんなことに構っている暇はなかった。
黒耀騎は二機同時に、左右から手斧で斬り掛かってきた。その動きは速く、並のバルダーの速度ではなかった。片方を受け止めても、もう片方の攻撃は避けられないだろう。
だから啓は、その場に留まって攻撃を受けようとはしなかった。啓は力強く地面を蹴り出し、左手側のバルダーに向かって猛然と体当たりを食らわせた。その速度は、黒耀騎のバルダーを凌駕していた。体当たりを食らったほうのバルダーは、地面に仰向けに倒れた。
一方、体当たりを食らわなかった方のバルダーは、仲間が押し倒されたのをそのまま指を咥えて見ていたわけではない。
仲間を押し倒したバルダーは自分に背を向けている。その後背を狙うべく、黒いバルダーは急停止して、素早く啓のバルダーに向きを変えた。
しかし啓のバルダーは既に向きを変え、もう一機のバルダーを迎え打つ準備ができていた。倒したバルダーを脚で踏みつけて。
足蹴にされたバルダーもすぐに反撃を試みた。もう一機のバルダーが有利になるよう、仰向けになったまま啓のバルダーの脚を掴もうと腕を動かした。
しかしできなかった。それどころか、起き上がることも、脚から逃れることもできなかった。
啓は黒耀騎のバルダーに体当たりする際、前面に方形の盾を具現化していた。盾の大きさはバルダーよりも大きいものだった。
そして啓は、具現化した盾を押し倒したバルダーに被せ、その盾ごと脚で踏みつけていたのだ。
足元で金属が軋む音を立てながら足掻くバルダーには目もくれず、啓は残る一機のバルダーに冷たい視線を向けた。
黒いバルダーは手斧を水平に薙ぎ払った。肩口を狙ったと思われる攻撃を、啓はしゃがんで躱した。啓のバルダーが膝をついた衝撃で盾が沈み、再び足元から破裂音や金属のひしゃげる音が鳴る。
横薙ぎの攻撃を躱されたバルダーは、今度は手斧を上段に振りかぶった。そして啓のバルダーめがけて、兜割りをするように手斧を振り下ろした。
「遅い」
操縦席で呟いた啓は、素早いバックステップで手斧の軌道から回避した。回避と同時に、啓は具現化していた盾を消した。
敵のバルダーが振り下ろした手斧は、横たわるバルダーの胴体に深く食い込んだ。味方の斧の攻撃を受けたバルダーは、完全に動きを停止した。
「あと一機」
再び静かに呟いた啓は、食い込んだ斧を引っ張り出そうとしているバルダーに組み付いた。速度だけでなく、パワーでも圧倒した啓は、そのまま黒いバルダーに馬乗りした。
黒耀騎のバルダーを眼下に見下ろした啓は無表情のまま、操縦桿に力を込めた。
啓はバルダーの拳を黒いバルダーに突き立てた。バルダーの頭部に当たる部分が粉砕され、そのまま地面まで抉った。啓は続けて、二発、三発とバルダーを殴り続けた。敵のバルダーも反撃しようと腕を動かしたが、啓に払いのけられ、その腕も殴打で破壊された。
この時、啓はバルダーの拳に薄い盾を纏わせていた。そのため、バルダーの拳は破損すること無く、敵の装甲だけを粉砕することができていた。最初の一機を真っ二つにした時にも、啓はこの手法を使っていた。
しかし、硬い地面まで殴りつけたことで、腕関節には反動のダメージが発生する。このまま殴り続ければ、啓のバルダーの腕も故障する可能性が高い。
そう思ったサリーは、そのことを啓に忠告したが、啓の手は止まらなかった。
「おい、いい加減にしろ!ケイ!」
啓を揺さぶりながら、サリーが叫ぶ。しかし啓はバルダーを止めなかった。
「ご主人……」
「ああ、分かってる」
その時、サリーの声には反応しなかった啓が、バル子の声に応えた。ようやく手を止めてくれるのかとサリーは思ったが、そうではなかった。
バル子の忠告は、敵のバルダーの胸部にある砲弾発射口が開いたことに対する注意だった。馬乗りになっている啓のバルダーは、砲弾が確実に命中する絶好の位置にいる。
だが、起死回生の反撃になるかもしれない砲弾の攻撃は、無情な結末を迎えた。啓は発射口の真上に、サイズこそ小さいが重厚な盾を具現化させ、固定した。それに気付かず砲弾を発射したバルダーは、発射口内で砲弾を暴発させた。
暴発で胴体部の装甲が弾け飛ぶ。爆風に飛ばされた装甲が啓のバルダーにも傷をつけた。この時点で敵のバルダーは完全に沈黙していた。
啓が最初のバルダーを倒してから計三機のバルダーを倒すまで、まだ三分も経っていなかった。
やっと終わったと息をつこうとしたサリーだったが、啓は再びバルダーの腕を振り上げた。啓は敵のバルダーが機能停止していることに気づいていないのだ。
「ケイ、もういい!こいつはもう放っておいて大丈夫だ!」
サリーが啓の耳元で叫ぶ。だが、啓はサリーの声を無視して腕を振り下ろした。
だが、途中でその腕を止めた。
「良かった、ようやく止まって……ケイ?」
今度こそ自分の声が届いたと思ったサリーは、安堵して啓の顔を覗き込んだ。
だが、啓の顔を見たサリーは、腕を止めた理由が別にあると感じた。啓は驚きとも恐怖とも取れる表情を浮かべたまま、一点を見つめていたからだ。
「ケイ、一体何を……ひっ!?」
啓の視線を追ったサリーも、それを見て思わず悲鳴を上げた。
サリーと啓が見たものは、破損して内部がむき出しになったバルダーの胴体から現れた操縦者だった。ただ、操縦者は操縦席に座っていなかった。
何故なら、そもそも操縦席など無かったのだから。
その操縦者は、頭には得体のしれない装置を被らされ、口や鎖骨付近には管が通されていた。そして体はバルダーの装置にそのまま埋め込まれていた。
サリーは思わず吐き気をもよおしたが、なんとか口を押さえてこらえた。それに気づいたカンティークが、前足でポンポンとサリーの背を叩く。
「ご主人、大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ……気分は最悪だがな。なんて非道いことを……」
バルダーの性能の理由はこれか、とサリーは思った。このバルダーは、操縦者の体と物理的な意味で直接リンクしているのだ。その結果、反応速度や出力が上がったのかも知れないとサリーは推測した。
(こんなことを考えるような奴は、一人しか思いつかない……)
サリーはオルリック国立研究所にいた男のことを思い浮かべた。
「うわあああああああああ!」
「ご主人、ご主人!!」
その時、突然、啓が叫びだした。堰を切ったように叫び続ける啓に、バル子は啓の顔をつついたり、頬を擦り寄せて落ち着かせようとした。しかし、啓の様子は一向に変わらなかった。
「バル子ちゃん」
「サリー様、ご主人が……ご主人の様子が!」
「ああ、分かってる。私も似たような経験がある」
サリーはそう言うと、バル子に自分と交代するように手招きをした。バル子は後ろ髪を引かれる思いで、啓をチラチラと振り返りながら、啓のそばを離れた。
「バル子ちゃんも分かっていたと思うが、ケイは冷静に見えて、心の中は煮えたぎっていた。ケイはあのバルダーの操縦者を見た衝撃で、張り詰めていたものが一気に弾けたのだと思う」
そう言ってサリーは啓の顔を正面から見た。啓は焦点の合わなくなった目で、唸り声を上げ続けている。サリーはそっと啓の髪を撫でた。
「こんなこともあろうかと、私はナタリア小母様から、こういう時の男の対処法を教わっている。だから任せろ」
「はい、サリー様。ご主人をお願いいたします」
バル子は期待の目をサリーに向けた。サリーは頷き、啓の真正面に立った。
そして、サリーは自分の服に手をかけ、一気に上半身をはだけた。
「ニャッ!?」
「ニャニャッ!?」
思わず鳴き声を上げたバル子とカンティークをよそに、サリーは啓の頭を両手で押さえると、そのまま自分の胸の谷間に啓の顔を押し付けた。
突然呼吸困難になった啓は、自己防衛本能でサリーを押しのけたが、サリーは啓の頭をガッチリ押さえて、再び自分の胸に押し付けた。
「ん゙ーーー!ん゙ーーー!」
「ケイ、お願い、落ち着いて」
「ん゙ーーー!」
「ケイ、大丈夫だから。もう大丈夫だから……」
「ん゙…………」
啓は顔を紅潮させながらジタバタしたが、今度はサリーが逃さなかった。
やがて啓は手先をわずかに震わせ、大人しくなった。顔色は真っ青になっていた。
「ご主人、ご主人!」
「よし、ようやく大人しくなったな……ん?ケイ、どうした?」
色々な意味で再び女神に再会しかけた啓は、三十秒後に息を吹き返した。
◇
「サリー、オレは一体……」
「ああ、少し気を失っていただけだ。気分はどうだ?」
「よく分からない……だけど大丈夫だ」
「それはなによりだ」
啓が気絶している間にサリーは着衣の乱れを直した。啓はまだ記憶が混濁しているように見受けられるが、少なくとも自分の声が聞こえていることは確認できたので、サリーはようやく安堵した。ついでに「さっきのこと」は忘れていてくれと願いながら。
だが、啓は思い出しかけていた。
「……なんだが、天国にいた気分だった」
「天国?何だそれは」
「柔らかくて、ふわふわしたものがオレの顔を……」
「そんなことよりもだ!!!」
啓が余計なことを思い出す前に、サリーは「すぐにシャトンを回収する」と啓に言った。それでようやく啓も意識の混濁から抜け出した。幸い、余計なことは思い出さなかった。
「そうだ、オレはシャトンの敵を……」
「バルダーはお前が全機倒した。そこにいる敵の小娘なんぞ捨て置け。今はシャトンを優先しろ!」
「でも、シャトンはもう……」
「馬鹿なことを言うな。諦めるのはまだ早い。私の能力は何だ。言ってみろ!」
「サリーの能力……そうか、治癒か!」
「その通りだ。まだ間に合うかも知れない」
「だったら先にシャトンを助けに行けば良かったじゃないか!」
「お前が私の話を聞かなかったんじゃないか!」
さすがに今度はサリーがキレた。
「……だが、先に敵のバルダーを全滅させたのは悪くない選択だった。大して時間もかからなかったしな。今なら後ろを気にせず、シャトンを連れて逃げられる。分かったら急げ!!」
サリーに叱咤された啓は、バルダーをすぐに立たせた。そして呆然としているグレースを無視してシャトンの元へ行き、シャトンをバルダーの操縦席の中に回収した後、キャリアに向かって全速力で走り去った。
◇
「私の……私の黒耀騎が一瞬で……あいつは一体何者なんだ……」
破壊された黒耀騎のバルダーの残骸を見ながら、グレースはその場で呆けていた。グレースは握りしめた杖に力を込めたまま、敗北感に打ちひしがれていた。
だからグレースは、近くの林の中にいる人と動物の気配に気付けなかった。
◇
(ノイエちゃん、どうしよう。ケイ達、行っちゃったよ?)
(ミトラ、ネコ、助ける、ガァ)
(まあ、そうだね、あのまま放って置くわけにはいかないもんね……)
啓達も気づいていなかったが、店の前では、猫達とミュウと蜂達が力を失って横たわっているのだ。
(あたし達でやるしかないね。このままじゃ、あの女の人に連れて行かれちゃうかも知れないし)
ミトラは決意を固めて、グレースの動向を伺った。
(敵のバルダーはケイが全部やっつけちゃったし、近くにいるのはあの女の人だけだね。それにしてもあの杖……なんか気持ち悪いな)
ミトラは直感で、グレースよりも、グレースが持つ杖のほうが危険だと感じ取っていた。
◇
余談。
啓がシャトンを回収する直前のバルダーの操縦席にて。
「サリー様。ところで先程のアレは、本当にナタリア様から教わったのですか?」
「ああ、そうだとも。心が疲れた男を癒す時は、優しく胸で抱いてやれと小母様に言われたんだ」
「……あの、申し上げにくいことですが、それは別に胸をはだけなくても、服の上からでも良かったのでは」
「……そうなのか?」
「それに、優しくもなかったですよね?」
「それは、その……恥ずかしくて力の加減が……」
「はあ……いつぞや、ご主人の入浴中に裸で飛び込んできた人の言葉とは思えませんが……」
「それはそれ!」
「バル子、サリー、何の話をしてるんだ?」
「何でもない!いいから早くシャトンを回収しなさい!」
「はいっ!」
口ほどにもなかった黒耀騎ですが、相手が悪かっただけで本当は強いのです。
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