077 シャトン
ユスティールの街のあちこちで黒煙が上がっていた。建屋は崩れ、街道には瓦礫が散乱していた。
かつては多くの市民で溢れていた大通りには、見慣れない武装をした兵士達が走り回っている。アスラ連合軍は、既にユスティールの街の大半を占拠していた。
オルリック側は、約100機のバルダーを主軸とした部隊編成でアスラ連合軍を迎え打った。しかし、アスラ連合の軍勢は約300機のバルダーでユスティールに攻め入ってきた。
約三倍の兵力差は、普通に考えれば絶望的な数字だ。しかしオルリック軍は、街全体を利用した市街地戦を行うことで、かなり長い時間、アスラ連合軍の足止めに成功した。
また、地の利を活かした分断作戦や各個撃破によって、損害はアスラ連合軍の方が多かった。
しかし数の暴力によって、オルリック軍は徐々に押されていった。街の南側で始まった戦いは、今や街の中心部を越え、西側まで戦線を下げている。
ユスティールの中枢である市場と管理棟も、既にアスラ連合軍に制圧されていた。しかし、既に無人の施設が占拠されたところで、どうと言うことはなかった。
今守るべきは、オルリックの西側へと通じる街道の入口なのだ。何故なら、その街道は現在、多くのユスティール市民が脱出のために使っているからだ。
そこはオルリック軍が、ユスティール地方の最終防衛ラインと考えている場所でもあった。
全員がエレンテールの街に到着するまで街の西側出口を守り切るのが最良だが、おそらくそれは無理だろう。だがせめて、あと数日は持ちこたえたい。いや、持ちこたえて見せる。
レナはそんな決意を固めながら、自陣の後方でバルダーの整備と補給をしていた。
「あと少しだけ、お願いね」
レナは爆砲の弾をバルダーに補充しながら、幾多の戦闘で傷ついたバルダーの装甲にそっと触れた。
「お前に乗ってから、もう何年になるかな……」
ふとレナは、親友のサリーが自分のバルダーに名前をつけていることを思い出した。
バルダーに名前をつけることで愛着が湧き、バルダーの動きも良くなるのだとサリーは言っていたが、レナはその話を真に受けはしなかった。
バルダーに名前をつけたところで、性能が変わるはずなどない。バルダーの性能を引き出すのは、己の力だけだ。レナはそう考えていたため、自分の乗るバルダーに名前をつけたことはなかった。
しかし今は、少しでもそんな力にすがりたい気持ちだった。
「名前、どうしようかな…………ケイ、とか?なんちゃって……」
「隊長!」
「うひゃい!」
突然、警備隊員に呼ばれたレナは、素っ頓狂な声で返事をしてしまった。
(今の独り言、聞かれてないよね!?)
レナはドキドキしながら、隊員の要件を聞いた。
「いえ、こちらの準備は整いましたので、あとは隊長待ちなのですが」
「そ、そうなの?みんな早いわね!とても優秀で良いと思うわっ!」
うわずった声で答えるレナに、隊員は一瞬固まった後、妙に納得したような顔でレナに言った。
「……隊長。ずっと気を張っててお疲れなのですね。心中、お察しします」
「え、違う。違うよ?」
どうやらこの隊員は、普段のレナの言動と違う、挙動不審な態度を見て、レナが連日の戦いで心が疲れたのだと思ったらしい。
「敵の攻撃も一段落しているようですので、我々が先に行って、前線にいる部隊と交代してきます。隊長は後からゆっくり来てください」
「いやいや、私も一緒に出る!」
慌てて残りの準備を済ませたレナは、すぐにバルダーに乗り込んで、自分の部隊に合流した。
「さあ、気合いを入れていくわよ!」
それからレナは心の中だけで、密かにバルダーに付けた名前を呼んだ。
◇
ユスティールの街を大回りして、街の東側付近に到着した啓達は、街の至る所で黒煙が上がっている様子を見ていた。
「あいつら、絶対許さない……」
ミトラがキャリアの運転席で怒りを露わにする。啓とサリーも、街が今どんな状況かを考えると、胸が締め付けられる思いだった。
「今はフェリテに向かうことだけを考えよう、ミトラ」
「……うん。分かってる」
チャコとノイエの索敵で、付近に敵がいないことを確認した啓は、ゆっくりとキャリアを走らせて街の中へと入っていった。
幸い、アスラ軍は交戦中の西側から中央付近と、アスラ軍が陣を張っている街の南の郊外に集まっているようで、啓達の進む先に敵兵の姿は無かった。
順調にフェリテに向かって進んでいる途中で、再びチャコから連絡が入った。この先に、敵のバルダーが数機いるとのことだ。啓は一旦、キャリアを停止させた。
「ここからは徒歩で行くか、バルダーで行くか……」
徒歩ならば、敵に見つかる可能性を最小限にできるが、万が一見つかった場合には命の危険がある。
バルダーであれば身を守ることはできるが、敵に発見されることは確実だ。
その時、バル子が啓の顔をポンポンと叩いた。
「ご主人、チャコから追加の連絡です。フェリテの中にいる猫達と連絡がついたそうです。やはりシャトン様もいるそうです」
「やっぱりそうか……」
「そして、敵のバルダーは、どうやらフェリテに向かっているとのことです」
「なんだって!?」
啓は座席から腰を浮かせた。急に動いたせいで、肩にいたバル子が落ちそうになる。啓はバル子が落ちないように押さえながら、サリーに顔を向けた。
「サリー!」
「ああ、私も同じことを考えていると思う。バルダーで行くのだろう?」
サリーは既に荷台に移動しようとしていた。啓は頷き、サリーの後を追うために席を立つ。
「ミトラはここで待っていてくれ。シャトン達を救出したら、すぐに戻る」
「あたしも行くよ!あたしだって……」
「ミトラ、ここはオレ達に任せてくれ。ミトラはキャリアをすぐに出せるよう準備して待っていて欲しい」
「……さっさと戻ってきなさいよ」
ミトラは納得のいかない顔を啓に向けたが、言葉では肯定と取れる返事を返した。ミトラは操作盤のスイッチを操作し、キャリアの荷台の天板を開いた。
「すぐにシャトン達を連れて戻るよ」
そう言って啓は、座席の後ろの連絡口から荷台に入っていった。
啓を見送ったミトラは、そっとシートベルトを外した。
◇
その頃、フェリテでは猫達が騒いでいた。騒ぐと言っても、好き勝手に暴れているのではない。
猫達は外に向かって威嚇し、シャトンのスカートを引っ張ったり、シャトンの足を押そうと奮闘していた。
猫達は、数台のバルダーが近づいてくるのを感知していた。バルダーは間違いなく、このフェリテに向かって進んできている。だからこそ、猫達はシャトンをここから逃がそうとしているのだ。
シャトンにもその意図は伝わっていた。しかしシャトンは動こうとしなかった。
「駄目よ、みんな。ここはオーナーの大切な場所なの。だから私は最後まで、ここを守る役目を果たさなきゃいけないの。皆と同じよ。分かるでしょう?」
「ニャニャニャ!」
「ンニャ!」
「ニャッ!ニャッ!」
「ミュッ!」
猫達とセジロスカンクのミュウは、必死に鳴き声を上げて抗議するが、シャトンはそれを聞き入れてはくれなかった。
フェリテにいる動物達は、バル子やカンティークと違い、人の言葉を話すことができない。せめて言葉が通じれば、すぐ近くに啓達が来ていることを伝え、その方向に案内することもできただろう。そのことを伝えられない彼女達は、もどかしくてたまらなかった。
しかし、そこに救世主が現れた。窓をコツコツと叩く音が聞こえたシャトンは、暗い部屋の中から、そっと窓に目を向けた。
窓の外には、大きめの黒い鳥がいた。ミトラのパートナーであるノイエだ。
「貴女、ミトラさんのノイエちゃん!?待ってね、今窓を開けるから」
シャトンは窓を開け、ノイエを招き入れた。ノイエはシャトンの肩に止まると、すぐに猫達の声を代弁した。
「シャトン、ケイ、来た。すぐ逃げろ。ガアッ!」
「オーナーが?来てくれたの?」
シャトンはすぐに店の扉を開け、外に出た。動物達もシャトンに続いた。
しかし、そのタイミングは最悪だった。シャトン達が店を出た時、三機の黒いバルダーが店の前に現れたのだ。
「あら、お嬢さん。貴女は街に残っていたのね」
シャトンは声がした方に目を向けた。シャトンが見たのは、一機の黒いバルダーの肩の上に座っている女の姿だった。
女はバルダーから飛び降りると、ゆっくりとシャトンに近づいた。同時に、猫達とミュウがシャトンを守るように、シャトンの前に集まる。
「あら、それはネコという動物ね。するとここがケイの店で間違いないかしら?」
「……」
「貴女はケイの妹さん?まさか奥さんじゃないわよね?」
「……」
シャトンは答えなかった。心の中では「将来、妻になる予定です」と答えはしたが。
女が啓の名を出した以上、この女が店を狙う敵であることは間違いない。シャトンは女から目をそらさずに、そっと小さく手で合図を出した。
「何も答えないの?それとも怖くて何も言えないのかしら?」
「……」
「まあいいわ。私は貴女にもネコにも興味はないの。そこで大人しくしていてくれれば……」
何もしない、と言おうとしたが、言えなかった。女は突然、身を屈めた。その後も何度か身を翻し、何かを避けた。
「……このグレースの意表を突くなんて、大したものね。一体何の攻撃かしら」
グレースと名乗った女を攻撃したのは、フェリテを守る「蜂姫隊」のモンスズメバチ達だ。モンスズメバチは、シャトンの合図を正確に理解し、グレースの顔や露出した腕を狙って攻撃を仕掛けたのだが、グレースは蜂達の攻撃に素早く反応し、全てを避けた。
(今の攻撃は何?何処から撃ってきた?……もしやこの娘も、平民のくせに女神の奇跡持ちか?)
蜂の攻撃がシャトンによるものだと考えたグレースは、腰に差していた短い杖を抜いた。先端に紫の魔硝石が嵌った杖を手に取ったグレースは、杖に力を込めた。
「さあ、大人しくしなさい!」
攻撃される、と思ったシャトンは、思わず目を瞑った。
しかし、数秒経っても、攻撃はやってこなかった。だが、異変は起きていた。
「みんな、どうしたの!?ティルトもアルトも……ミュウまで!?みんな、起きてよ!」
目を開いたしゃトンが見たのは、シャトンの周囲で力無く倒れている猫達だった。少し離れたところでは、蜂姫隊の蜂達も地面に落ちていた。
シャトンが慌てふためく中、グレースも腑に落ちない顔をしてその様子を見ていた。この杖は、生物の生命を直接脅かすようなものではない。にも関わらず、目の前の猫達は、力無く地面に横たわっているのだ。
もう一匹、黒い鳥がいたはずだが、その姿は見えなかった。既に何処かに逃げていったのだろうが、グレースにはどうでも良いことだった。
「……少し、予想外の事が起きたけど、これで貴方の力は封じられたわ。さあ、そこをどきなさい」
「嫌です」
今度はシャトンが猫達の前に立ちはだかり、グレースの前で両腕を広げた。
「私はこの店を守るためにここに残ったんです。オーナーの店には、指一本触れさせません!」
「あら、そう。それは残念。逆らうならば、私は女子供でも容赦はしないわよ」
その時グレースは、何か別の物体が急速に近づいてくる気配を感じていた。音と振動から察するにバルダーと思われるが、味方か敵かはっきりしない。
余計な邪魔が入る前に始末をつけようと考えたグレースは、後ろに控えていた黒いバルダーに合図を出した。
◇
啓はフェリテに向かって、全力でバルダーを走らせていた。操縦席にはサリーも一緒に乗り、啓と連携してバルダーのサポートをしていた。
啓のバルダーは、操縦席のスペースが広いだけではない。啓は勝手に「直列二気筒エンジン」と名付けていたが、啓のバルダーには、魔動連結器が二基備わっているのだ。
一方はバル子が、もう一方はカンティークが接続して、バルダーに力を送っている。そのため、啓のバルダーは通常の出力の二倍近くで稼働していた。
爆速で走るバルダーの操縦席から、啓はついにフェリテを肉眼で捉えた。そして近くに敵の黒いバルダーがいることも視認した。
「サリー、あのバルダーを先に倒……」
「ケイ、見ろ!シャトンが!!」
敵のバルダーばかりに気を取られていた啓が、サリーの絶叫とも言える声で目をフェリテに向けた。
「シャトン!!」
サリーに続いて、啓も絶叫した。
シャトンは、黒いバルダーの前で立ちふさがるように、両手を広げて立っていた。
啓はさらにバルダーを加速させた。バルダーの両脚が、リミット限界の出力を受けて悲鳴を上げる。そのことにバル子が注意を促すが、啓の耳には入らなかった。
そこからは、まるでスローモーションのようだった。
黒いバルダーが振り下ろした腕が、シャトンを殴り飛ばした。
シャトンの体は宙を舞い、まるで糸の切れた操り人形のように、地面に放り出された。
あと一歩、間に合いませんでした。。。
次回、啓がキレます。
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