075 既知との遭遇
エレンテール方面からユスティールに向かう啓達は、この日も夜に移動を開始し、間もなく夜明けを迎えようとしていた。日が昇る前に休む場所を探そうとしていたその時、先行して街道の先を偵察していたオオハチドリのチャコから、こちらにやってくる集団がいるとの連絡を受けた。
賊ならばともかく、もしもオルリック王国の軍や警備隊だった場合は、手を出すわけにはいかない。そう思って警戒した啓だったが、向かってくる集団は敵ではなかった。
「ザックスがいるって?」
チャコの報告をバル子経由で聞いた啓は、久しぶりに聞いたその名前に驚き、そして喜んだ。
ザックスは、ユスティールにある大工房のひとつである、ロッタリー工房の工房長だ。かつては啓やミトラといがみ合っていたこともあったが、今は色々あって和解し、協力関係を結んでいる。
「しかしこんな早朝に?ザックス達は徒歩なのか?」
「いえ、自走車と輸送車だけだそうです。なお、ザックスはその先頭を走る自走車に乗っているそうです」
「そうか。それにしても、チャコがザックスの顔を覚えていてよかったよ。ところで、どうでもいい事だけど、バル子はザックスのことは呼び捨てなんだな……」
ザックスはバル子の主人である啓に楯突いた上、バル子の昔のバルダーを破壊した過去がある。そのため、バル子は口にこそ出さないが、ザックスに全く気を許していないし、啓の知人関係の中では下位と見なしていた。そのため、バル子はザックスに敬称をつける気はなかった。
「ねえ、ケイ。ザックスが来たってことは、その集団ってみんなユスティールの人なんじゃない?」
「ああ、ミトラの言う通りだろうな。エレンテールに向かっているのだろう」
ザックスが先導しているのであれば、その集団はユスティールからの避難民達で、目的地はエレンテールに違いない。そう考えた啓とミトラは、キャリアから降りてザックス達の到着を待とうとしたのだが、すぐにサリーに止められた。
「ちょっとケイ、ミトラ。貴方達は指名手配犯なのよ。たとえ知り合いとはいえ、ノコノコ出ていってどうするのよ」
「ああ、そういえばそんな設定だったな。すっかり忘れていたよ」
「設定じゃなくて事実よ。二人はここで待っていなさい。私が先に会って話をしてくるから」
何かあればチャコに伝えてもらうからと言って、サリーはカンティークを連れてキャリアを降り、街道をスタスタと歩いていった。上空からはチャコもついていく。
しばらく待っていると、サリーが戻ってきた。徒歩ではなく、自走車に乗って。
自走車はキャリアの前で停車した。そして搭乗口からザックスとサリーが降りてきて、サリーは啓に向かって手招きをした。それを見た啓とミトラもキャリアから降りた。
「よお、久しぶりだな、指名手配犯」
「ずいぶんな挨拶だな、ザックス」
ザックスは普段と全く変わらない調子で啓に声をかけた。念の為にサリーに目を向けると、サリーは「大丈夫だ」と言うように軽い笑顔で頷きを返した。
「サリーさんから話は聞いた。お前らも大変だったみたいだな」
「……ザックスは、オレが犯人じゃないと信じてくれるのか?」
「いや、信じない」
「えっ?」
そう言うとザックスは、腰から短剣を引き抜いて啓に向けた。
「待て、ザックス。お前、サリーから話を聞いたって……」
「ああ、サリーさんからは聞いた。だが、まだお前の口からは聞いていない」
「オレの口?それってどういう……」
「答えろ、ケイ。お前は国王を殺したのか?オルリック王国の敵なのか?」
ザックスの目は真剣そのものだった。だから啓も真剣に答えた。
「……オレは国王を殺してなどいない。国に敵対する気もさらさらない。オレ達は、王都で罠にはめられた。証明できるものは何もないが、本当のことなんだ。信じてほしい」
そう言って啓は唾を飲んだ。
もしもザックスが啓の言葉を受け入れなければ、ここでザックスと一戦交えなければならないだろう。ザックスだけでなく、ユスティールからやってきた人達からも攻撃されるだろう。
啓はユスティールの人々を傷つけてまで、街道を強行突破しようとは思わなかった。もしも信じてくれなければ、この場からすぐに逃げ出すつもりだった。ミトラにも緊張が伝わったのか、肩に乗せたノイエに手を添えて、すぐに動ける体制を取っていた。
そんな二人の緊張とは裏腹に、ザックスの答えは非常にあっさりしたものだった。
「そうか、分かった。ところで俺はこれからエレンテールに行く。途中の町にはまだ多くの人がいるから、乗せてきた人達をエレンテールに送り届けたら、また戻ってくるつもりだが……」
ザックスは短剣をしまって、これからの予定を話し始めた。
「お、おい。ザックス、それだけか?」
「あ、まだ何かあるのか?」
「いや、オレ達が犯人じゃないとは言ったけど、お前はそれを信じるのか?」
「信じるよ。お前じゃないんだろう。だったらこの話は終わりだ」
「そうだけど、なんだか拍子抜けで……おい、サリー」
啓とザックスのやり取りを、笑いをこらえて見ているサリーに、啓は非難の目を向けた。
「サリー……これはどういうことなんだ?」
「あははっ……いや、すまない。ザックスには私らが犯人ではないと伝えたが、ザックスがどうしてもケイから直接言葉を聞きたいと言ったのでな。それと、どうやら王都とユスティールでは温度差があったようでね」
「温度差?」
サリーがザックスから聞いた話によれば、ユスティールの住人達のほとんどは、国王暗殺事件の犯人が啓だということについて、半信半疑どころか、なにかの間違いだと思っているとのことだった。
ひとつは、ユスティールが王都から遠方にあること。啓達が指名手配されたという情報こそ伝達しているものの、遠い王都で起きた事件に実感が沸かず、アスラ連合がユスティールを攻め入るという情報に比べれば現実味が無かったのだそうだ。
もうひとつは、王都の情報を元々あまり信じてはいなかったということ。王都からの情報がユスティールに届くのはいつも遅い上に、時には人づてで微妙に間違った情報が届くこともあるという。
同様に、ユスティールからの声が王都に届くのも遅い。先般、ユスティールが賊に襲撃される事件が起きた時も、調査隊が来るまでかなり待たされたし、ようやくやってきた調査隊は、調書の内容を正しく把握していなかった。そのため、王都からの情報には不信感を持っているのだそうだ。
ユスティールもオルリック王国に属している以上、決して王国を軽んじているわけではないが、帰属意識はやや希薄だった。
最後に、啓が国王暗殺など企てるはずがない、と信じて疑わなかった者の声が大きかったということ。これがユスティール市民に最大の影響を与えていた。
その声を上げていたのは、啓と一緒に王都に向かったサリーのことをよく知る市長、賊の襲撃事件で啓が街を守り、その後も街の復興作業を精力的に行っていたことを知る市民達だ。
加えて、啓とサリーに命を助けられたユスティール警備隊隊長のレナとその警備隊員達、ミトラの実家であるガドウェル工房の人達など、啓のことをよく知る人達も同様に啓達が冤罪だと口を揃えて言っていたが、その中でも最大の功労者は……
「シャトンが?」
「ああ。半分くらいは彼女のおかげかも知れないぞ」
啓が経営する、ユスティールで大人気の猫カフェ「フェリテ」の店長であるシャトンは、オーナーの啓が指名手配犯ということもあって、客に色々と聞かれたらしい。しかしシャトンは「オーナーがそんなことをするわけがないでしょう」と、まるでお手洗いの場所を聞かれた時のように平然と答えたという。
シャトンの答えをすぐに信じてくれる客がいる一方で、それでも心に疑念を持つ客もいたが、何故かそういった客には、猫は一切寄り付かなくなった。
猫が近くに来てくれないことを不満に思った客がシャトンに尋ねると「それはきっと、お客様がオーナーを疑っているからです。ネコ達はオーナーが無実であると分かっているのです。そしてネコ達は、オーナーを疑っている客もすぐに分かるのです」と答えたという。
するとそれまで啓を疑っていた客は(猫と遊ぶためにも)すぐに心を入れ替えたという。さらにそのことを外で触れ回った客によって、まるで一種の伝言ゲームのように「ネコには悪人が分かるらしい」「ネコはケイが犯人ではないと分かっているらしい」「ネコがそう言うなら間違いない」「だからケイは犯人ではない」という感じで広まり、結果的に「啓達の指名手配は何かの間違いだった」という情報が定着したらしい。
実際のところは、人間の言葉が分かる猫達が、客同士の会話や態度から啓を犯人だと思っている人の情報を共有して、改心するまでその人間を全猫で無視することした、といったところだろうか。そしてなんとなくそのことを悟ったシャトンが便乗し、巧みに客の心を誘導したことが効果的に働いたのだろうと啓は考えた。
「それにしても凄いな、シャトン……」
「だろ。小さな店長さんに、後でちゃんとお礼を言っておけよ」
「ああ、そうするよ……ところで、シャトンはもう街を出たのか?」
ザックスの話から察するに、少なくともザックスの一団の中にはシャトンはいないだろう。だから啓は、せめて避難情報だけでも聞くことにした。
「レナさんから聞いたが、シャトンちゃんとネコ達は、ガドウェルさん達と一緒に街を出るそうだ。確か、一番最後に出る組だったと思う。ちなみに俺達は第一陣だ」
「最後か……」
避難が遅くなれば遅くなるほど、戦禍に巻き込まれる可能性が高くなる。父親や工房の職員のことを心配するミトラも、不安そうな表情を浮かべている。
「ミトラ、そう心配そうな顔をしなくても大丈夫だ。予定通りならもう街を出ているはずだ。今から急いで向かえば、ヒルキの町で合流できるんじゃないか」
ヒルキの町は、ユスティールの西側にある小さな町だ。避難にあたっては、途中にある町を経由し、町で一日休んでから行軍を開始するとのことなので、確かに今から自走車を飛ばしてノンストップで向かえば、ヒルキで合流できる可能性はある。
「サリー、ミトラ……」
「ええ、分かってるわよ」
「あたしも賛成。父ちゃんの無事を確認したいしね」
今すぐ出発したいという啓の意図を、サリーとミトラは正確に汲み取った。二人に頷きで返した啓は、ザックスに今からヒルキの町に向かう旨を伝えた。するとザックスが「そうだ、思い出した!」と突然叫んだ。
「サリーさんのバルダーと輸送車だけど、今は俺が預かってて、うちの職員に運ばせてきたんだ」
ザックスは避難集団の後続を指差しながら言った。バルダーを運ぶ輸送車はそれなりに大きいので、おそらく最後尾あたりにいるのだろう。
サリーは王都へ向かう前に、自分のバルダーをレナに預けていた。長期不在となるため、念の為に管理をお願いしていたのだ。
「レナがザックスに託したのか?」
「レナさんは、軍と一緒に街の防衛をするため、ユスティールに最後まで残るそうです。だから、安全に預かっていられないからと俺に……」
「そうか……ありがとう、ザックス」
レナとサリーは歳が近く、親友とも言える間柄である。レナが戦地に残ると聞いたサリーの表情は、もどかしそうにも、少し悲しそうにも見えた。
「レナさんから引き継いだ手前、最新の注意を払って大切に運ばせていただきました。バルダーの整備も万全です。持っていきますか?」
「ああ……と言いたいところだが、今は速度を優先したい。私がカンティーク……いや、自分のバルダーを連れていけば、移動に時間がかかってしまう。用事が済んだら取りに行くから、そのまま預かっていてくれないか」
「だったら、うちの職員に頼んで、サリーさんのバルダーだけ引き返させましょうか。サリーさんはケイの自走車で先にヒルキに向かってください。サリーさんのバルダーは、少し遅れての到着になりますが、後でヒルキで受け取ってください」
「そうしてくれると助かる」
ザックスの好意を受け入れたサリーは、燃料代と手間賃の代わりに、幾つかの魔硝石をザックスに手渡した。ザックスの顔は少し赤らんでいた。
「ザックス、よろしく頼む」
「分かりました。自分のバルダーが無いと不安でしょうけど、頑張ってください」
「大丈夫だ。いざとなれば、ケイのバルダーに同乗するだけだ」
「えっ?」
それを聞いたザックスは、啓に勢いよく顔を向けた。
「おい、ケイ……まさかお前、サリーさんとそんな仲に……」
「そんな仲って何のことだ?」
「男女が一緒にバルダーに乗るなんて、ひとつしか無いだろうが!」
急に食って掛かってきたザックスに、啓はようやくこの国の、とある風習を思い出した。
結婚を誓う男女が、バルダーに一緒に乗るという風習を。
「違うぞ、ザックス。オレのバルダーは特別製で、二人乗りができるようになっていてだな……」
「貴様!まさか最初からそのつもりで、俺の工房を使って不埒な改造を!」
「違う、そうじゃない。頼む、サリーもなんか言ってやってくれ!」
私は別に構わないのだが、というサリーの独り言は、啓の耳には届かなかった。
その後、啓はザックスの誤解を完全には解消できないまま、逃げるようにヒルキに向けて出発したのだった。
ザックスに出会えた啓達はユスティールに関する情報を入手できました。
なお、実はザックスは、サリーに憧れ以上の何かを抱いていました。
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