073 出発準備と恩返し
ユスティールは、オルリック王国の最も東にある工房都市だ。工房都市という名は、数百年前に鉄鉱山と魔硝石鉱床が見つかって以降、しだいに人が集まって多くの工房が作られたことに由来する。
主な産業はバルダーや自走車などの製造と販売で、人口分布は鉱山のある北側に集中しているが、南側には広大な農地が広がっており、ユスティールは工業と農業の両面で都市の経済を支えていた。
そんなユスティールの南側に隣接するアスラ連合は、これまでオルリック王国とカナート王国との衝突に介入すること無く、中立あるいは無関心の立場を取っていた。そのため、国境付近の警備は緩く、近隣に住む者達は互いの国を行き来して普通に交流をしてさえもいた。
しかし先日、アスラ連合がカナート王国と同盟を結んだために事態は一変した。オルリック王国に正式に宣戦布告を行ったカナート王国の動きに合わせて、アスラ連合もオルリック王国へ侵攻する兆しを見せたのだ。
カナート王国軍はオルリック王国の西南側から侵攻を開始した。一方のアスラ連合は、東側のユスティールとの国境付近に兵力を結集し始めていた。その情報を入手したオルリック王国は、敵の狙いがオルリック王国の兵力を分散することと、南側と東側の二方向から王都陥落を狙うものだと確信した。
オルリック王国軍は東側にも兵力を割くことにしたが、王都からの派兵では間に合わないため、まずは近隣の都市に配置した駐在兵や警備隊を中心に、東側の防衛に当たらせることにした。
それでも、ユスティールの防衛には間に合わず、都市の陥落は時間の問題だろうというのが大方の見解となっていた。
ナタリアは、町で仕入れたこれらの情報を、余すこと無く啓達に伝えた。
「そんな……ユスティールがアスラ連合に攻められるって……父ちゃん達はどうなるの?ねえ、どうなるのよ!」
「ミトラ、落ち着くんだ」
「自分の生まれ故郷が軍隊に攻め込まれるのよ。落ち着いてなんていられないわよ!」
ミトラの実家は、ユスティールにあるガドウェル工房だ。工房には、工房長である父親と、多くの従業員達がいる。古株の従業員や職人達は、ミトラを娘や妹のように可愛がってくれており、ミトラにとっては家族も同然だった。そんな家族達が戦争に巻き込まれ、命の危機にさらされていると聞いたミトラは、じっといていられるはずがなかった。
啓は部屋を飛び出していこうとするミトラの腕を掴んだが、身体能力の高いミトラは、啓の手をあっさり振りほどいた。そして再びミトラが駆け出そうとした時、景気の良い破裂音が間髪入れずに二回響いた。
「……ふぇっ!?」
「ミトラ様。少々乱暴な手段を取らせていただいたこと、お詫びいたします」
頭を抑えてキョドるミトラの前後には、サリーとナタリアが立っていた。そして二人の手には、いつの間にかハリセンのようなものが握られている。先程の景気の良い音は、そのハリセンでミトラの頭を叩いた時のものだ。
突然現れたハリセンは、例によってスカートに隠し持っていた物なのだろうと啓は思ったが、スカート技の本家本元とその一番弟子による息の合った連携攻撃に、啓は舌を巻いた。
一方、叩かれたミトラはたいして痛くなさそうではあるが、突然の衝撃と破裂音に驚き、目をパチクリさせている。
「ミトラ、落ち着いたかしら?」
「サリー姉……あたし……うん、落ち着いた」
「で、ミトラは何処に行こうとしたのかしら?」
「えっと……それは、もちろん、ユスティールに……」
「ミトラ。貴方、一人でユスティールに行くつもりなの?作戦も無しで?」
サリーは溜息を吐いて、ミトラを見つめた。ミトラはバツの悪そうな顔を浮かべて、サリーに恐る恐る尋ねた。
「サリー姉……あたし、ユスティールに行きたい。みんなを助けたい」
「うん。それで?」
「だから……サリー姉、一緒に行ってくれる?」
サリーはその言葉を待ってましたとばかりに、笑顔でミトラの頭を撫でた。
「当たり前だ。一緒に行くに決まってるじゃないか。私もユスティールに友人がいるし、市長にも世話になった。それに私のバルダーも置きっぱなしだから、壊される前に回収に行かなきゃならんしな。もちろん、ケイも一緒に行くだろう?」
「ああ。ユスティールにはシャトンや動物達がいるんだ。全員まとめて助けにいくさ」
「そっか……そうだよね。えっと……一人で慌てちゃってごめんなさい」
落ち着きを取り戻し、頭を下げるミトラを微笑ましく見た一同は、ひとまず行動方針を立てるために、御用邸内の客間へ行くことにした。
その道すがら、ナタリアは啓に尋ねた。
「ところでケイ様。シャトン様というのは?」
「シャトンは、ユスティールでオレが経営している猫カフェの店長をしてくれている女の子です。オレの不在中も、一人で店を切り盛りしてくれているはずです」
「女の子でございますか……あの、姫様。シャトン様という方はケイ様のことをどう思って……」
「小母様。それ以上言わないでくれ。間違いなく、小母様の思っている通りだよ」
「はあ……左様でございますか。全く、ケイ様は、つくづく罪深い方でございますね」
「え、オレ、何か悪いことをしたのか?」
啓は全員の溜息を背中に受けながら、客間に入っていった。
◇
「本来であればお止めするべきところなのでしょう。ですが、ユスティールには皆様にとって大切な方々がいらっしゃるのですね」
「はい、その通りです!」
「すまない、小母様」
サリーとミトラの返事に続き、啓も頷きでナタリアの問いに答えた。ナタリアは「これはお止めすることはできませんね」と言って笑顔を浮かべた。
「もしもケイ様がユスティールに向かう理由として、例の魔硝石のことを真っ先に口に出したら、私はケイ様をお諌めするつもりでした」
「あー、そういえば……言われるまで忘れていましたね」
例の魔硝石とは、本物の『ユスティールの至宝』である巨大魔硝石のことだ。啓はその事も包み隠さずナタリアに話している。
「しかしケイ様は……いえ、ケイ様だけでなく、皆様は最初に、ご心配なさる人達の名前を挙げられました。姫様は照れ隠しでバルダーのことを付け足しておりましたが」
「べっ、別に照れ隠しじゃないから!」
「大切な人を助けようとするために動く方々をお止めする言葉を、私は持ち合わせておりません。ですから、せめて私は、策と方針を授けたいと思います」
そう言うとナタリアは、オルリック王国の地図を広げた。
「ユスティールに向かう行程ですが、まずはキャリアで海上に出てくださいませ。流石にお忘れではないと思いますが、皆様は指名手配されている身です。戦時下ですので、捜査の手は薄くなっていると思いますが、危険は最小限にしたほうが良いでしょう」
「オレもそう思っていました。海に出た後は、どこから上陸すればいいですか?」
「ここです」
ナタリアは地図を指差し、上陸地点や、上陸後のルートについて啓達に細かく説明していった。またナタリアは、ユスティールの人々が避難を開始した場合、小さな町を経由して、最終的にはオルリック王国の中央東寄りにある、エレンテールに向かうだろうとの予想を立てていた。
なお、エレンテールとは、かつて啓の猫を騙し取ろうとしたポート商会があった場所でもある。
「エレンテールは城郭都市です。駐留している警備隊も多く、守りに徹しやすい街ですから、アスラ連合軍を迎え撃つ王都軍も、この街を拠点として対抗すると思われます」
「つまり、私達は、エレンテールの街からユスティールに向かう街道を進めばいいのね」
「その通りでございます」
それからナタリアは、皆の無事が確認できたら無理せずに撤退することや、無闇にアスラ連合軍と戦わないように忠告した。
「無事に大切な方々にお会いできたら、この御用邸に連れてきてくださいませ。姫様達の戦いが終わるまで、私が責任をもってお預かりします」
「いや、そこまでお世話になるわけには……」
「いえ、ケイ様。本心を言えば、私も姫様と同行したいのです。ですが、私はこの場所を離れるわけにはいきません。せめて私ができることといえば、その程度のことなのです」
「……分かりました。その時はお願いします」
その後もナタリアは、様々な策を啓達に授けた。啓はナタリアが本気を出せば最高の軍師になるに違いないと思ったのと同時に、絶対にこの人を敵に回してはいけないと改めて心に誓った。
◇
翌日、啓達はユスティールに向かうために出発の準備をしていた。キャリアに自分達の荷物を詰め込み、あとはナタリアから譲り受けた魔硝石(と言っても、ナタリアの私物ではなく、御用邸に備蓄されていた魔硝石だが)を詰め込めば終わりというところで、魔硝石の詰め込みはミトラに任せて、啓はサリーと一緒にナタリアを呼びに行った。
「ケイ様。お呼びでしょうか。何か不足のものがあるならば何なりと仰ってください」
「いや、不足というか、むしろナタリアさんに不足しているものを提供できればと思って……いや、もちろんナタリアさんが不要と言うなら別にいいんですけど……」
「私に、ですか。一体何でしょうか?」
首を傾げるナタリアに、サリーが説明を引き継ぐ。
「夕べ、皆と話し合ったのだ。小母様はこの先も一人でこの屋敷に残ることになるので、私としてはやっぱり心配というか……いや、小母様はしたたか、じゃなくて、賢いので大丈夫だとは思うのだけど……」
「本音が漏れていますよ、姫様。それで、私に何をいただけるのですか?」
「小母様のために、ケイにネコを召喚してもらおうと思っているんだ。でもその為には、小母様が普段持っている魔硝石を使う必要があるし、それに必ず成功するとは限らないから、無理強いをするつもりは……」
「お願いいたします!」
ナタリアはサリーが言い切る前に、サッと自分の魔硝石をスカートの中から取り出した。
王族や貴族は、生まれた時に魔硝石を授けられる。当然ながら、貴族出身のナタリアも自分の魔硝石を持っている。そしてナタリアは、一切躊躇すること無く、啓とサリーに向かって自分の魔硝石を差し出した。
「是非……是非、お願いいたします!」
「あはは……では早速、召喚を始めましょうか」
啓達はこの御用邸にいる間、ナタリアがバル子やカンティークを大層可愛がっている姿を見てきた。そこで啓達は、ナタリアへの恩返しと同時に、護衛を一人増やすつもりで猫を召喚したいと考えたのだが、ナタリアの食いつきは啓の予想以上だった。
「ナタリアさん。この魔硝石の上に手を乗せて……」
啓はサリーのためにカンティークを召喚した時と同じように、ナタリアの魔硝石を啓とナタリアの手で包み込むように握った。
「これから猫を召喚します。ナタリアさんは、自分が主人であると魔硝石に向かって念じていてください。万が一、オレが主人になったとしても、ナタリアさんが主人であると命じますけど」
「承知しました」
ナタリアは、小さく返事をした後、目を瞑って集中し始めた。
「では行きます!」
啓はナタリアにふさわしいと思う猫を頭の中で思い描いた。召喚準備の間に、啓はナタリアにどんな猫が良いか聞いていた。ナタリアは、できればカンティークのように、大きくて長毛の猫が良いと答えていた。
(長毛で大きい猫か……カンティークはメインクーンだし、ナタリアさんはサリーの育ての親ともいえる存在だから、やっぱりこれだな……)
やがて、啓とナタリアの手の中で、魔硝石が光り輝いた。
光が収まった時、ナタリアの目の前には、一匹の大きめの猫が佇んでいた。背中や頭の毛色はブラックとシルバーの縞模様だが、お腹の毛は白い部分が多い。シルバーの部分はバル子の毛色に近いが、体毛は長く、体も大きい。
「ケイ様、この子は……」
「成功ですね。この猫はノルウェージャンフォレストキャットと言います。サリーのカンティークはメインクーンという品種ですが、この猫はその祖先と言われています。ちなみに毛色はブラックシルバーマッカレルタビーアンドホワイトと言って……」
「あの、ケイ様。申し訳ございません。ケイ様が何を仰っているのか、さっぱり分かりません……」
「あー……つまり、サリーのカンティークとは遠い親戚みたいなものだと思ってください。ナタリアさんとサリーの関係を見て、この猫が良いと思ったのです。ナタリアさんのために召喚した猫です。いかがでしょうか」
「私のために……この子を……」
ナタリアは目の前でちょこんと座っている猫をまじまじと見た。ナタリアの目は爛々と輝き、体は小さく震えていた。
「か……感激でございます。私のために……こんな可愛らしい子を……」
ナタリアがそっと猫の体に手を触れようと手を伸ばした。すると猫は、自らナタリアの手に身を寄せて言った。
「よろしくお願いします、ご主人」
その瞬間、ナタリアは恍惚の表情を浮かべながら、膝から崩れ落ちて床に横たわった。
「サリー……オレ、こんな光景を前にも見たことがあるよ」
「そうか……まあ、あれだ。小母様が気にいったようで何よりだ」
◇
程なく意識を取り戻したナタリアは、いきなり気を失ったことを陳謝した後、啓に謝辞を述べた。
「ケイ様、ありがとう存じます。このナタリア、全力でこの子を大事にする所存でございます」
「ナタリアさんなら、大切にしてくれると信じています。まずは名付けですかね。良い名前をつけてあげてください」
「ええ。じっくり考えて、良い名を贈りたいと思います」
満面の笑みで答えたナタリアは、自分の猫に目を向けた。ナタリアの猫は、バル子とカンティークから何やら主人に仕えるための心得を教わっているようだった。啓達は、魔硝石の積み込みを終えてミトラが戻ってくるまで、そのまま好きにさせておくことにした。
その頃、ミトラは魔硝石の保管してある倉庫で一人、首を傾げていた。
ミトラはこの御用邸での特訓で、女神の奇跡の技の習得に成功していた。最初の頃は、啓から流し込まれる魔力で体調を崩すことが多かったが、徐々に魔力に慣れていくと、次第に体調を崩すことも無くなっていった。そしてついに、ノイエ経由でミトラが望む能力を発現することができるようになったのだった。
これで啓やサリーと肩を並べて戦いに行けると、意気揚々と魔硝石を袋に詰めていたミトラだったが……
「ありゃ、これも普通の石だわ。魔硝石じゃない石が幾つも混ざってるなんて、全く困ったもんだわ」
「困ったもんだ、ガアッ!」
ミトラの肩に止まっていたハシボソガラスのノイエがミトラのボヤキを反芻する。ミトラの手には、魔硝石ではなく、普通の鉱石が握られていた。魔硝石ではない鉱石は、光沢も透明感もないただの石だ。見た目だけでは分かりにくい物もあるが、鉱石の街で育ったミトラにはたやすく判別できた。
「ノイエ、悪いけど分別を手伝ってくれる?魔硝石だけを選んであたしに渡して」
「分かった、ガアッ!」
肩から降りたノイエは、小さめだが、透き通った薄紫色の魔硝石を嘴で器用に咥え、ミトラに渡した。しかし、ノイエから受け取った石を見たミトラは、小さく溜息を吐いて石を横に置いた。
「こら、ノイエ。これも普通の石じゃない。駄目だよ、ちゃんと魔硝石を選ばなきゃ」
「ガアッ!?」
困惑しているノイエを横目に、ミトラはせっせと魔硝石の袋詰めを続けた。
ノイエがミトラに渡した石は、ミトラの手のひらに乗った瞬間、透き通った薄紫色の魔硝石から、ただの石に「変化」していたのだが、ミトラはそのことに気付いていなかった。
ユスティールに向かう前に、ナタリアのためにネコを召喚してあげました。
一方、ミトラの体には何やら異変が起きていますが、ミトラはその事に気づいていません。
なお、GW前半は仕事で大忙し、後半は夏風邪で寝込んでおりましたorz
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