071 御用邸の一日、そして
エルストの御用邸は、木々に囲まれた自然豊かな場所にある。その一画を切り拓いて作られた御用邸とその敷地の近辺には、一般市民の住居や店舗はない。
よって、御用邸に用事のある人間以外がこの付近に近づくことは滅多にない。用事もなく王家御用達の土地に近付き、もしも警備の者に目をつけられれば、後々面倒なことになるかもしれないからだ。
そのため、警備をする者がいなくなった現在でも、御用邸に近づく者はいない。館にいる者にとっては色々と好都合だった。
「ケイ、入ってきていいわよ」
「ああ。分かった」
サリーに呼ばれた啓は、手探りで扉を開けて、そろりそろりと歩を進めた。今、啓がいるのは、御用邸の女性用の風呂である。しかし、女子風呂でサリーに呼ばれたからといって、これから二人で混浴をするわけではない。そもそも啓は今、目隠しをした状態なのだ。
「はい、そこで止まって!」
「おっと、はいっ」
サリーの号令で啓は足を止めた。目隠しをした啓は、周りの様子が一切見えていない。しかし啓は今、自分の目の前にミトラがいることを知っている。すぐさまサリーが啓の手を掴み、そのまま啓の手をそっと前に引き寄せた。啓の手のひらが、柔らかいものに触れる。
「ひっ!」
「ミトラ、変な声を出さないの」
「だってケイの手が妙に熱いんだもん」
今、啓の手が触れているのは、ミトラのお腹だ。無論、啓には何も見えていないので、サリーの誘導が正しければお腹に触っているはずだ、という認識ではあるが。
啓の手のひらが熱いのには理由がある。事前の打ち合わせの通りであれば、ミトラは今、全裸のはずなのだ。見えていないとはいえ、裸の女の子のお腹に手を触れていると思うと、啓の心拍数が上がり、手が汗ばむのも無理はないだろう。
「姫様、こちらは準備できましたよ。ケイ様、ミトラ様。よろしいですか」
今度はナタリアの声が聞こえる。声といっしょに、何やらゴトゴトと洗い場の床を打ちつける音も聞こえてくる。
「はい、あたしは大丈夫です。ケイ、お願い」
「分かった。じゃあ行くよ……」
啓は深呼吸して、高ぶった気持ちを落ち着かせた。そして手のひらに意識を集中すると、ゆっくりと魔力を放出した。
十数秒の後、ミトラが嘔付くような声を出す。すかさずサリーが「ここまでよ!」と叫び、啓の手を払い除ける。直後、洗い場の床の上で何かを引きずるような音が聞こえた。
「ケイ、もう大丈夫よ。全力で撤収!」
「分かった!」
啓は目隠しを外した。目の前には大きな木の板と、それを左右から支えるサリーとナタリアの姿が見えたが、啓はすぐに後ろを向いて、ダッシュで女子風呂から客間へ走った。
客間に戻った啓は、転げるように椅子にもたれかかって脱力した。部屋の中で待っていたバル子とチャコが、啓を気遣うようにすり寄ってくる。
「お疲れさまです、ご主人」
「ああ、バル子。疲れたよ……精神的に、すっごく疲れた」
魔力を使ったから疲れたのではない。間違いなく気疲れだ。バル子とチャコを撫でながら、啓が答える。
「ミトラ様の様子はいかがでしたか?」
「ああ。大丈夫だと思うよ。サリーとナタリアさんが見てくれているし、『ミトラ特訓計画』は順調だ。ただ、まあ、色々としんどいな」
「しんどい、ですか?」
「目隠しで、全裸の女の子の肌に触ると言うのが、なんというかね……」
「そんなにミトラ様の裸が見たいのですか?」
「違う!」
ミトラ特訓計画。それは先日、ミトラが女神の奇跡を使えるようになりたいという懇願から始まったものだった。ミトラの体に啓が魔力を流した結果、色々と体の不調は発生したものの、ミトラの体には魔力量の増加が見られたのだ。
そこで啓達は全員で相談して、できるだけ安全にミトラの魔力量を増加する計画を練ったのだ。
まずひとつめは、啓からミトラへの魔力の提供は、本当に少しずつ行うこと。ミトラが不調をきたした時点ですぐにやめること。ミトラの体調にもよるが、特訓は一日につき三回まで。朝食前、昼食前、夕食前だけに行うこと。
ふたつめに、ミトラが不調をきたすと、(上からも下からも)色々と大変なことになるので、すぐに洗える風呂場で行うこと。体調を崩した時点ですぐにフォローできるよう、サリーとナタリアがそばで控え、サリーはすぐに治癒を施すこと。
最後に、ミトラに魔力を流し込む際、『離れた場所からよりも、直接体に触れて行ったほうが効率も良いし、調整もしやすいのでは』というバル子の意見を採用し、ミトラは裸になることが決まった。
なお、これには「わざわざ全裸になる必要はないでしょ」とミトラから苦情が出たが、服が汚れるならばいっそ着ないほうが良いし、風呂場だからすぐにお湯で流せるから、という建設的な意見が採用された。そしてミトラが裸になる以上、啓には「特訓中は目隠しをすること」という条件も追加された。
ちなみに啓の目隠しに関しては、ミトラは別にしなくてもいいというスタンスだったが、サリーが「だったら私も脱ぐ」と言い出したため、結局目隠しをすることで決着した。
何故サリーが張り合いだしたのかについては、啓だけが理解できなかった。
これで第一回目を行ったところ、不調をきたしたミトラを治癒して洗っている間、啓が目隠し状態で、もどかしそうにずっとその場に立ち尽くすという事態が発生した。そこで二回目以降は、大きな木の板でミトラを隠し、その間に啓に退去してもらうという手順が追加されたのだった。
こうしてミトラは、少しずつ啓に魔力を流してもらっては様子を見る、という特訓を続けている。最初の頃に比べれば、ミトラの不調はかなり軽くなってきている。いずれは風呂場で特訓を行う必要も無くなるだろう。
なお、この特訓のゴールは、ミトラ自身が女神の奇跡を行使できるようになることではない。ミトラのパートナーであるノイエが、ミトラからの力の供給を受けて、何かしらの能力を具現化できれば良いとしている。ミトラの成長ぶりを見ていると、それはあまり遠くない未来に訪れそうだった。
「さ、ミトラ達が戻ってきたら昼食を取って、午後はオレ達も訓練だ。今日も頑張ろうな」
「はい、ご主人」
◇
午後は各自の訓練である。なお、訓練には御用邸の庭を使っているが、外から部外者に見られないよう、念の為にチャコが上空から付近を監視している。
「じゃあミトラ。ゆっくりでいいから、ノイエに向かって力を込める感じで……」
「うん、分かってる」
啓がまず最初にやることは、ミトラの成長確認を行うことだ。早速、ミトラが目を瞑って集中を始める。すると、ミトラの肩に止まっているノイエが薄っすらと光を纏い始めた。
このままうまくいけば、ミトラがノイエを介して、何かしらの能力を具現化することができるのだが……
「なあ、ミトラ。結局ミトラは、どんな力を具現化したいんだ?」
「んっ……秘密……」
「攻撃系とか放出系とか、そういった種別ぐらいは教えてくれないか」
「待って。今、集中してるから……」
このような感じで、ミトラはすぐに話をはぐらかしてしまい、何を具現化したいのかを絶対に言わないのだ。
最終形は成功するまで秘密にすると明言しているものの、あまりにも突拍子もないものであれば、とんでもない量の魔力が必要だったり、実現不能なこともあるかもしれない。
「せめて方向性ぐらいは教えてくれないと、助言のしようもないんだけどなあ」
「ケイ、そこはミトラに任せてもいいんじゃないか」
「サリー」
近くで話を聞いていたサリーが、カンティークを抱いてやってきた。カンティークが口をモグモグさせているところを見ると、魔硝石を食べさせてきたのだろう。
バル子やカンティークのように、魔硝石から生み出された動物達は、魔硝石を与えることで能力が向上することがこれまでの検証で分かっている。
無論、啓もサリーも、大事なパートナーを使って動物実験をするつもりはないし、バル子達にも無理をさせるつもりはないので、過剰な摂取や、粗悪な魔硝石の供与は行っていない。
品質の良い魔硝石は高価なので、ユスティールにいる時は時々しか与えられなかったが、この御用邸は王家御用達だけあって、品質の良い魔硝石が大量にストックされていた。
本来の用途は、災害発生時などの緊急対策用とのことだが、ナタリアは「今まさに緊急対策をしているところなのですから、姫様達で遠慮なくお使いください」と、柔軟とも拡大解釈とも言える論法で魔硝石を分けてくれたのだった。
モグモグタイムのカンティークを見た啓は、自分も後でバル子とチャコに魔硝石を与えねば、と思った。なお、バル子によると、品質の良い魔硝石は甘くて美味しいらしい。
「サリーもミトラに助言をしにきてくれたのか?」
「いや、様子を見に来ただけだよ。むしろケイに助言かな」
「オレに?」
意外なことを言われた啓は、サリーの顔をまじまじと見た。
「ミトラがどんな力を発現させるかなんて、ケイがそんなに心配しなくても、きっと大丈夫よ」
「そうなのか?」
「コホン。女神の奇跡は、己の望みを映して宿る。女神様は、己に相応しい御力を授けてくれるのですよ」
啓は、妙に芝居がかったサリーの言い方に思わず破顔した。サリーは「この言葉は父から教えられたものだ」と補足説明をしたが、わざわざ身振りや、無理な声真似までしなくてもいいのではと啓は思った。口には出さなかったが。
「アイゼン兄様は、国や民を守るために鉄壁の防御を、体の弱かったイザーク兄様は、自力で好きな場所に行くために瞬間移動を授かった。私は、皆の病気や怪我を治したいと願い、治癒の力を授かった。そういうことなんだよ」
「ウルガー王子は?」
「ウルガーは……いつも兄様や私にやられっぱなしだったから、私達にやりかえすため、かな」
「なるほど、ひどい姉さんもいたものだな」
「ケイ、こら」
なお、ウルガーの女神の奇跡の力は「自分が投げたものを好きなように動かす」というもので、これはウルガーが兄達のサポートをするために、後方から様々な支援をしたいと願って発現した力だった。しかしウルガーは、自分のことをあまり語らない性格のため、サリーもそこまでは知らなかった。
「ともかく、ミトラがどんな能力を発現するかは、ミトラ自身の心が決めることだ。その点に関しては、我々の助言は役に立たないだろう」
「なるほど。そういうものか」
ひとまず啓は、ミトラに無理をしないようにだけ言うと、ミトラのそばを離れて、自分の訓練に取り掛かった。啓は建国王の手記を取り出し、力の使い方の説明に目を落とす。既に何度も読んだ箇所だが、啓はその都度、首をひねるのだった。
「ジャネットさんは、自分の魔力を好きなように使って、様々な能力を発現させたんだよなあ……」
500年前に、女神シェラフィールによって地球からこの地に転生したジャネットという少女は、女神に与えられた膨大な魔力を使って様々な奇跡を起こし、この大陸の大半を平定した。そしてオルリック王国を建国し、後に建国王と呼ばれることになる。
そのジャネットは「いつか自分と同じように転生してきた者のために」とフランス語で記した手記を残していた。その手記を入手した啓は、ジャネットの残したアドバイスに従い、魔力を能力に変えて使おうとしているのだが、未だに成功していなかった。
「要するに、イメージを膨らませて魔力を放出すればいいだけなんだよな……火よ出ろ!」
「……ご主人?」
「やっぱり何も起きないか」
バル子がキョトンとして啓を見上げている。その後も啓は、思いつく事象をイメージしては魔力を放出してみるが、結局何も起きなかった。
「ご主人。無理をなさらず、バル子を使ってくださいませ」
「それじゃ訓練にはならないんだけど……でも、やっぱりそれしかないかな」
啓はバル子に左手を向け、盾をイメージしながら、左手からバル子に魔力を放出するように意識を集中していく。すぐに金色の丸い盾が啓の左手付近に具現化する。
「バル子、もう一枚だ」
「承知しました」
今度は何も考えずに、普通にバル子に命令する。するとバル子の意志で、啓に右腕に同じような丸盾が出現した。
「これは問題なくできるんだよな……結局、オレにはバル子が必要ってことなんだな」
「もったいないお言葉です、ご主人」
身を捩って喜ぶバル子を見ながら、啓は改めて自分の力を整理する。
(オレはジャネットさんと違って、好きなように奇跡、いや、魔術を使うことができない)
(できるのは、魔力の放出と吸収、それと、魔硝石を使って動物を召喚することだけ)
(召喚した動物を介して、武器や盾といった武器を具現化することができるが、最初に固まったイメージから乖離したものは作れない)
啓はバル子を経由して盾を、チャコを経由して槍を具現化することができる。しかしチャコから盾を、バル子から槍を作るようなことはできない。
その理由は啓にもなんとなく分かっている。バル子については、自分とバル子を守りたいという意志から盾が生まれた。チャコは単純に、オオハチドリの嘴攻撃が槍を思わせたので、そのイメージが固定化されたためだ。
(とすると、オレが様々な力を発揮するために必要なことは……)
考え込みすぎた啓は、自然と口から言葉が溢れていた。
「もっと動物を増やすか」
「ニャッ!?」
啓の発言を聞いて、バル子が軽く驚きの鳴き声を上げた。
「あ、もしかして声に出てたか?」
「ご主人、もしかしてこの館にある魔硝石で、ご主人の従属を増やすおつもりなのですか?」
「従属か……いや、今はやめておこう」
実際、それは良い考えにも思える。かわいい動物達が増えるのは啓の望むところでもある。しかし啓は、戦うために動物を使うということに忌避も感じていた。
「例えば、ヒクイドリを召喚すれば、名前のイメージから火を使う攻撃ができそうな気はする。もちろん火には直接関係ないけど、少なくともヒクイドリは強いから、別の攻撃方法も取れるだろう。他にも、テッポウウオを召喚すれば、水撃ができるようになると思う。でもオレは、そんなことのために動物を利用したくはないんだ」
かつて啓は、王都の保安部隊に喧嘩をふっかけられた時にセジロスカンクを召喚し、その強烈な臭気を使って部隊を撃退した。あの時は、必要に迫られてのことだったので仕方なかったと割り切っているが、やはり武器として動物を召喚するのは違うと思っている。
「オレはたくさんの動物に囲まれて、平和で穏やかに暮らしたいと思っている。その時には、いろいろな動物を召喚するかもしれない。だから、戦いなんてできれば避けて通りたいってのがオレの本音だよ」
「存じ上げております、ご主人。だからバル子は、ご主人に安寧の日々が訪れるようになるまで、全力で戦わせていただきます」
「それは、本末転倒な気もするけどな……でも、よろしく頼む」
その後、啓は盾の発動速度の向上を試したり、サリーとの模擬戦などを行い、午後の訓練を終えた。ナタリアは、そんな啓の様子を厳しい顔つきで見ていた。
◇
夕食を終えると、各々自由時間となる。ミトラはノイエと、サリーはカンティークと戯れたりして自由に過ごしているが、啓はナタリアと真剣勝負を行うのが日課となりつつある。
それは、啓が暇つぶしに作ってみた遊具が発端だった。少し厚手の板にマス目を引いて、小さく切り出した木材を整形して文字を記入する。こちらの世界の文字で「歩兵」や「王」などを意味する文字を書いた駒をマスに配置したそれは、まさに将棋だった。
将棋という遊びは、ミトラとサリーにはあまり受けが良くなかったが、思いの外、ナタリアは大ハマリした。ナタリアは夕食後には、後片付けを素早く終わらせ、テーブルの上に将棋盤を置き、お茶と茶請けも完備して啓を待つほど、将棋中毒となっていた。
啓も将棋は好きなので、対戦相手ができたことは嬉しかった。キャリアの差でまだ啓の方が上手だったが、ナタリアは一戦ごとに腕を上げてくるし、様々な戦術を考案しては啓に挑んできた。啓もナタリアに定石や戦法を教えたり、記憶にある詰将棋を出題するなど、ライバルの育成に進んで協力した。
この日も、いつもと同じように将棋の対戦を行っていた。中盤から啓が押し始めた頃、ナタリアがふと啓に言った。
「本日の特訓を拝見しました。女神の奇跡を発動する強さと速さ、どちらも素晴らしいものでした」
「いやいや、まだまだです」
「ですがケイ様は、まだ本気を出していないように見えました。いえ、出していないのではなく、出せないが正しいでしょうか」
「えっ?」
啓は駒を動かす手を止めて、ナタリアの顔を見た。ナタリアは啓と目を合わせず、盤面を凝視したままだ。
「姫様から伺いましたが、ケイ様は人が死ぬことに殊更抵抗があると。たとえそれが、敵であっても同じであると」
「……はい。オレのいた世界では、人の命は何よりも大切なものでした」
「もちろん、それはオルリックでも同じです。ケイ様の番ですよ」
「あ、はい」
駒を動かし終えて待っていたナタリアが、啓の順番であると告げる。啓が次の一手を考え、まさに駒を動かそうとした時、再びナタリアが口を開いた。
「ケイ様のそのお考えは、とても美徳なものだと思います。ですが」
啓が駒を動かした直後、ナタリアは間髪入れずに自分の駒を動かした。
「本当に大切なものを守ると決めた時は、相手に手心を加えてはなりません。さもなければ、ケイ様は大切なものを失い、そこに残るのは後悔だけです」
「……分かっているつもりです」
「いいえ、分かっておいでではありません」
ナタリアは顔を上げ、啓の顔を正視した。
「将棋も戦いも同じです。相手の先の先を読むこと。こうなるかもしれないと思うならば、その対策を予め準備をしておくこと。違いますか?」
「いえ、違いません……」
啓はナタリアの視線を避けるように盤面に目を落として、力無く駒を動かした。
「建国王と同じ力をお持ちのケイ様には、その能力をさらに発揮する方法をご存知なのですよね」
「建国王と同じだなんて、そんなことはないです。建国王の力には全然及びません」
「能力を発揮する方法があることに関しては、否定なさらないのですね」
大量の動物を召喚して、使役して、攻撃手段に用いる。今の自分ならばできると啓は思っている。だが、それを実行する決断ができるかどうかは別問題だ。今はその答えを出すことができずにいる。
そのことを考え、押し黙った啓に、ナタリアは小さい溜息を吐いた。そして小さく頭を下げる。
「出過ぎたことを申したと、私も分かっております。大変申し訳ございませんでした」
「いえ、そんなこと!」
啓は慌てて、ナタリアに頭を上げるように言った。
「ナタリアさんが言うことも分かっているんです。そうした方がいいことも、頭では分かっているつもりです。だから……もう少しだけ時間をください。必ず自分で答えを出します」
「そうですか。分かりました」
頭を上げたナタリアは、小さく微笑んだ。
「ケイ様の心の中にあるその枷は、大変貴重であり、姫様達が貴方に惹かれている本質的な部分なのだと思います。ですから、その枷を無理やり取っ払えとは申しません。必要な時に、必要な時間だけ、自らの意志で枷を外すことができるようになって欲しいと、私は思います」
「はい、頑張ります」
「……ケイ様は、本当に鈍い方なのですね。今、私が申し上げたことをちゃんと理解しておいでですか?」
「えっと、必要な時に枷を外せるようにと……」
「言ったのはそれだけでは無いのですが……まあいいでしょう。ほら、王手ですよ」
「あっ!」
この日、啓は初めてナタリアに敗北した。
◇
こうして、御用邸での日々は過ぎていった。
啓達は日々特訓を、ナタリアは町での買い出しついでに、様々な情報を集めた。
ナタリアのもたらす情報の中には、例の犯人に繋がるものは無かったが、国の動向は色々と知ることができた。
王の国葬が行われた日は、全員で喪に服した。
次期王をすぐに決める様子はなく、しばらくの間は空位となるそうだが、これはおそらく「実行犯」を捕まえるまでは王を選出しないつもりなのではないかとナタリアが推測した。
それを裏付けるように、啓達の首にかかった懸賞金は倍になった。
時折、御用邸に王都軍の兵士が情報収集に御用邸に訪れることもあったが、部外者の訪問を事前に察知できる啓達が見つかることはなかった。
そんなある日のことだった。
いつも通り、町に情報収集に行っていたナタリアが普段よりも早めに帰宅した。そして、すぐさまナタリアは特訓中の啓達を邸宅内に集めた。
「小母様、一体何があった?」
「姫様、ケイ様、ミトラ様。一大事でございます。カナート王国が、アスラ連合国と同盟を結びました。そして、オルリック王国に対して、宣戦布告を行いました」
「なんだって……」
啓は息を呑んだ。ミトラはあたふたと皆の顔を見回している。サリーは静かに、ナタリアの言葉を噛み締めていた。
「でも、ほら。どっちの国もオルリックの南側だし。とりあえず、このエルストがすぐに戦場になることは無い……よね?」
「はい。ミトラ様の仰るとおりです。ですが……」
カナート王国は、前回侵攻したオルリック南側の国境戦線からオルリック王国に攻め入ると想定されるが、問題はアスラ連合の進行ルートだとナタリアは言った。
「アスラ連合は、カナート軍の進行に合わせて、南東から攻め入る可能性が高いとのことです。つまり、最初の侵攻予定地は……ユスティールでございます」
ミトラの特訓が始まりました。
啓が葛藤に苦しむ中、ユスティールが危険な状況になりました。
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