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007 初めての模擬戦 その2

「あの小僧、武器を隠し持っているな」


 市長は、ザックスが啓に何か反則行為を行ったことに気付いていた。おそらく蒸気で視界が悪くなった状況を利用して隠し持っていた武器を使用したのだろう。観客の中にもザックスが何かをしでかしたと気がついた者もいた。しかし視界を遮られていたため、明確な証拠を提示することはできそうもなく、試合を止めるには理由が不十分だった。ザックスが一度距離を取るように移動する一方、啓のバルダーは動く様子がない。ザックスの攻撃によって故障したのだと市長は推測した。もはやこれまでか、と思ったその時、市長を呼ぶ声が聞こえた。


「市長ー!」

「おお、ミトラ。もう動いていいのかね?」


 ミトラが走って、市長のいるタープテントへとやってきた。怪我の後遺症のようなものは無さそうなミトラの様子に、市長は安堵した。


「ケイがバルダーに乗ったって聞いたの!寝てなんていられないよ!」

「うむ、ケイは見事に戦った。奴から1本取ったのだ」

「戦闘用バルダーを相手に!?ケイ、すごいじゃない!」

「そうだな、ケイはよく頑張った。だが、ここまでのようだ」


 市長は簡潔に、これまでの試合展開と現在の状況をミトラに説明した。もはや勝ち目が絶望的なことも。


「ミトラの市場出入り禁止の件は、儂がロッタリーに掛け合ってなんとかしよう。心配は無用だ」

「市長……」

「ザックスが武器を使用したことは間違いないのだ。それを交渉材料にするだけだ」

「今すぐ反則負けにはできないのですか?」

「はっきりと見えた訳では無いのでな。試合が終わった後でザックスの機体は調べさせてもらうが、どうせ言い逃れをするに決まっている。内々でロッタリーと交渉する他あるまい」

「……いやです」

「ミトラ?だがそれではこの先、市場には入れなくなるかもしれんのだぞ」

「ケイが負けたって決めつける、その言葉がいやなんです!」


 ミトラは目に涙を浮かべ、まっすぐ前を見た。ミトラの視線の先には、傷ついて、ボロボロになってもまだ立っている啓のバルダーがあった。


「まだケイは諦めてないと思います。だからあたしもケイの勝ちを信じてます!」

「……そうだな。儂が間違っていた。ケイを信じよう」



「さすがに諦めるしかないかー」


 ミトラと市長の想いとは裏腹に、啓は動けなくなったバルダーの中で途方に暮れていた。左足はまだ稼働するので全く動けないわけでは無いが、機動力は皆無に等しかった。また、右足がまともに動かないのに下手に移動しようとすれば、姿勢制御がうまく働かず倒れる可能性も考えられる。かたや黒いバルダーは距離を取って静止している。おそらく例の機体性能強化をするための時間稼ぎをしているのだろう。次に黒いバルダーから蒸気が噴出した時、奴は体当たりで今度こそこのバルダーを吹き飛ばすに違いない。まさに八方塞がりと言ったところだった。


「ミトラには謝らないといけないな。不甲斐ない試合をしてしまったことを。市場への出入り禁止は……そうだな。癪だけど、もう一度ザックスに土下座して頼んでみよう。今度は頭だって踏ませてやるさ。金が必要なら市長にでも頼んで何か仕事を紹介してもらって、それで金を支払って……それからこの街を出ようかな」


 ミトラにも市長にも迷惑をかけてしまって申し訳ない、啓はそんな自責の念にかられていた。自分を看病してくれた恩義には精一杯報いるつもりだが、礼が済んだらこの町を出よう、そう啓は決心した。


「そういえば、市長の名前ってまだ聞いてなかったな。お前、知ってるか?」


 啓は何気なくバルダーに向かって聞いてみた。無論、バルダーは何も答えない。


「はあ。お前にも悪いことをしたな。こんなにボロボロにしちゃってゴメンな。この試合が終わったらちゃんとキレイにして、整備させてもらおうとは思ってるのだけれど……」


 問題はこの後来るであろう黒いバルダーの攻撃だ。満身創痍のこのバルダーが、あの体当たり攻撃や、武器による攻撃を食らってしまったら大破するかもしれない。そうなってしまえば、整備以前の問題だ。そもそも、このバルダーは廃棄する予定だと市長が言っていたので整備自体も不要かもしれない。だが、それでは啓の気が済まなかった。競艇選手だった啓は、艇やモーターの整備が好きだった。試合後もしっかり整備して、無事にレースを終えることができたと艇に感謝を伝える、それが啓のルーティーンだった。初めて一般戦で優勝した時には、自分が使用したプロペラに名前すらつけ、破損して使えなくなった時にも捨てずに、大事に実家にしまってあったりする。同僚はその話を聞いて『ある意味』ドン引きしていたが、啓は全く気にしなかった。


 そんな調子の啓だから、たとえ僅かな時間ではあったものの、初めて乗ったこのバルダーには既に愛着が湧いていた。勝手に自分でこのバルダーの名前も思い浮かべてしまった。しかし、これ以上感傷に浸る時間は無かった。黒いバルダーが再び蒸気を噴き出し始めたのだ。啓の額から冷や汗が伝い落ちる。


「負けたくない……」


 黒いバルダーが体当たりの構えを取り、地響きを立てて向かってくる。


「こいつを壊したくない……」


 見れば、黒いバルダーの肩付近の武器口が開いている。体当たりの後、銃のような武器を再び撃ち込む気だろう。ザックスはこのバルダーを完全に破壊する気なのだ。


「破壊……させてたまるか!」


 操縦桿を握る手に力がこもる。


(接触まであと数秒……転身はできない。ならば片足でもできることをやるしかない。何ができる……片足で……片足なら……片足があるならば!)


 啓はポッと頭に浮かんだ言葉を、『啓のバルダー』に向かって叫んだ。


「跳べ!『バル子!』」


 ……啓が自分のプロペラに名前をつけて持ち帰った、その話を聞いて同僚がドン引きした理由。それは、啓のネーミングセンスの悪さだった。



 ザックスは目を疑った。市長もミトラも、観客のすべてが目を疑った。ザックスには啓のバルダーが目の前から突然消えたように見えた。市長は、ミトラは、観客は、上を見ていた。啓のバルダーはとんでもない高さまで跳躍していたのだ。


「有り得ん!あのバルダーが、いや、どのバルダーでさえ、そんなに跳べる訳がない!」


 市長は立ち上がって大声を上げた。目の前で起こっていることを受け入れられずにいた。そもそもバルダーの足は歩行のためにあり、せいぜい駆け足や軽いスキップを行う程度に跳ねることができる程度だ。軽いジャンプも出来なくはないが、そういった用途に造られてないし、自重の関係で人の身長を超えるほどにも跳ぶことはできないはずだった。


「ケイ……凄い、凄いよ!」


 ミトラも目の前のあり得ない光景に驚いていたが、それ以上に啓の満身創痍のバルダーが黒いバルダーを躱し、空に舞い上がったことに感激していた。


 驚いていたのは啓も同じだった。啓が「跳べ!『バル子!』」と叫んだ瞬間、後ろの方から強い光が差し、操縦席を照らした。そしてバルダーの機体が一瞬沈み込んだその直後、バルダーは勢いよく跳躍したのだ。今、啓が操縦席から見ているのは、試運転場の全景と、足を止めてキョロキョロと周りを見ている黒いバルダーだった。


「跳んだのか?バル子が跳んだのか!?いや、でも跳びすぎだろ!?」


 跳んだのはいいが、地面に落ちたら間違いなくバルダーが壊れると考えた啓は、安全に降りれそうな場所を急いで探した。そして一箇所、全く安全とは言えない着地点を見つけた。いや、そもそも選択肢など無かった。


「……バル子、ゴメンな。これが最後の仕事になるかもしれないけど……あそこめがけて……思いっきり蹴っ飛ばせ!」


 啓のバルダーがそれを計算して跳躍したのかどうかは分からない。だが、バルダーが落下するその着地点には、啓を見失って戸惑っている黒いバルダーがいた。



「どこだ、奴はどこだ!?」


 ザックスは完全に啓のバルダーを見失っていた。消えるバルダーの噂は聞いたことがあるが、老朽化した、しかも作業用のバルダーにそんな芸当ができるはずがない。


「作業用……そうか地面か!地面を掘って隠れたのか!?」


 ザックスは目を皿にして試運転場の地面を見たが、穴が掘られている形跡は見つけられなかった。しかし、一箇所、黒くなっている地面を見つけた。


「そこかぁ!食らいやがれ!」


 ザックスは躊躇することなく、黒いバルダーに搭載されている銃を乱射した。これでザックスが武器を使用したことが衆人環視の中で明らかになったが、ザックスは啓のバルダーを見失った不安と焦燥で自我を失っていたため、そんなことを気にも留めていなかった。銃に撃たれた地面はめくれ上がったが、当然そこに啓のバルダーはいなかった。


「いないだと?……どこだクソがあ!」


 その地面の黒さはどんどん大きくなっていき、やがて自分のバルダーの搭乗口にまで黒味が侵食していった。それが自分のバルダーに落ちる影だとザックスが気がついた時にはもう遅かった。激しい衝突による衝撃がザックスを襲った。ザックスの黒いバルダーは勢いよく前に倒された。そして黒いバルダーの、その肩口から背中にかけては、啓のバルダーの左足が突き刺さっていた。啓のバルダーは最後まで倒れることなく、黒いバルダーを踏みつけたまま、試運転場で立っていた。


「勝者、ケイ!」


 大歓声が試運転場に響いた。観客は前代未聞のバルダーの挙動に大興奮し、操縦していた男とバルダーを称えた。観客席の一角では、啓が乗っているバルダーを製作した工房の関係者が同業者にもみくちゃにされ、同型のバルダーをウチにも売って欲しいという大量の発注依頼に戸惑いつつも、満面の笑顔で対応していた。


 搭乗口を開けた啓は、観衆の大声援で迎えられた。市長は笑顔で啓に拍手を送っていた。


「やった……勝った……死ぬかと思った……」


 啓は操縦席に深くもたれかかり、自分が疲労していること、戦いの高揚感、そして恐怖を実感して体が震えた。もう今日は動きたくない、と思っていたその直後、ミトラが自分を呼ぶ声が聞こえた。身を乗り出して操縦席から外を見れば、気絶して運ばれたはずのミトラが駆け寄って来る姿が見えた。啓はバルダーから降りて、ミトラが来るのを待った。


「ケイ!ケーーーーイ!」

「ミトラ、無事でよかっドゥフ!」


 ミトラは走ってきた勢いそのままに啓に飛びつき、啓を後ろにぶっ倒した。啓は背中を強打し、数秒間、呼吸が止まった。


「……ミトラ……その様子だと元気なんだね、良かったよ」

「ケイ!ケイ!」


 啓の首に腕を回して抱きついたまま、ミトラは啓の名を連呼した。ミトラの目からは大粒の涙が溢れていた。


「ミトラ、落ち着いて……」

「ケイ、ごめんなさい!あたしが不甲斐ないせいでケイに無理をさせちゃって。本当にごめんなさい!」

「……ミトラ。オレはミトラに謝罪なんて求めてないよ。もっと違う言葉が欲しいかな」

「うん、ケイ……ありがとう!」

「どういたしまして……って、苦しいって、ミトラぁ……」


 ミトラの熱烈な抱擁は、容赦なく啓の首を絞めた。そんな2人の様子に、観客は更に盛り上がった。


「ふむ、どうやらザックスも、一応は無事なようだな。骨ぐらいは折れているかもしれんがな」

「市長!」


 いつの間にか来ていた市長が、前のめりに倒れたザックスのバルダーを下から覗き込んでいた。見れば試運転場の入り口から数体の作業用バルダーが近づいてくるのも見えた。


「壊れたバルダーの回収と、ザックスの救助、それにザックスのバルダーが行った反則行為の証拠を押さえんといかんからな。もっとも、観客全員が見ていたから、その必要は無いかもしれんがの。それにしてもケイ、あれは何なのだ?ケイは一体、何をしたのかね?」

「あれってなんですか?」

「……自覚も無いのかね。あの跳躍のことだ」


 啓は市長の説明で、バルダーがあんな跳躍をすることはあり得ないことを初めて知った。だが、それを知ったところで、実際にやってしまった以上、あり得ないと言われても困る啓だった。


「では、一体どうやったのかね?」

「ん……気合?」

「儂を馬鹿にしているのかね?」

「いえ、そんなつもりは全く無いです」

「ふむ……まあいい。詳しいことは後日にでも聞こう。それに大事なことを言っていなかったな。ケイ、おめでとう」

「……ありがとうございます!」

「観客にも応えてやると良い」


 啓は市長の伸ばした手を握り、握手をしながらもう一方の手で観客に向けて手を振った。


「本当にケイは凄かったよ!おめでとう!」

「いや、それにオレが凄かったんじゃなく、バル子が……ああっ!」


 啓がバルダーに目を向けたのと、バルダーが崩れ落ちるのはほぼ同時だった。左腕は肩から、右腕は関節から千切れ、左足は粉砕して、啓のバルダーは仰向けに倒れていった。まるで啓の勝利を見届け、その役目を全て終えたとばかりに。


「バル子!バル子ーーー!」


 地面に横たわる戦友に、啓は大粒の涙を流しながらしがみつき、感謝と惜別の言葉を送った。それをミトラと市長は呆然と見ていた。


「ケイ……バルコって何?」

 


 その後、速やかにバルダーの回収作業やザックスの救助が行われた。ザックスは全身打撲に加えて、肋骨や腕の骨が折れているそうだが、命に別条はないそうだ。なお、粗相もしていたそうだが、それは個人の名誉のために口外しないように、と市長から釘を刺された。


「この程度の怪我で済んだのは魔動連結器のおかげだな。魔動連結器は外部からの衝撃に対して強い障壁を張るのだよ。操縦席付近に設置するのはそのためだ」

「……いよいよ魔動連結器ってのが何か気になり過ぎるのですが」

「造った者に聞いてくれ」


 市長にこれ以上聞いても無駄なことは分かっているので、いずれ機会があれば分解してみようと思う啓だった。


「ところでケイ。ザックスに勝ったら一発殴れる権利があるのだろう?今やっておくかね?今ならもう1つぐらい怪我が増えても構わないだろう」

「市長も結構過激なことを言いますね……いえ、いいです。もう十分な怪我をしていますし、これ以上、余計な恨みを買いたくない」

「そうか。ならば代わりにこれをやろう」

「……これは?」


 市長が手渡してくれたのは、少し大きいビー玉ほどの黒い石だった。真っ黒なようで、透き通っているようにも見える。表面は磨き上げられていて、夕陽を反射して美しく光っていた。


「魔硝石だよ」

「これが……」

「それはケイが操縦していたバルダーに搭載されていた魔動連結器の中にあった魔硝石だ。言うなれば、あのバルダーの動力源みたいなものだ。本来であればバルダーの廃棄後は売るか、他の魔導機用に使うのだがな。ケイはあのバルダーを気に入っていたようなのでな。記念に持っていくと良い」

「そうですか、これがバル子の……」

「その、バルコというのは何だね?」


 啓はバル子の魔硝石を服のポケットにしまうと、市長に深く頭を下げた。


「市長、色々とご迷惑をおかけしまして申し訳ありませんでした。それとミトラを助ける機会をくれたことに感謝しています。ありがとうございました」

「何、儂もザックスを諫めるという役目を果たせたのだ。それにいい試合だった」

「あたしも……マウロおじさん、じゃなくて市長。ありがとうございました!」

「はっはっ。おじさんで構わんぞ」

「市長、マウロって名前だったのか……」


最後の最後に、初めて市長の名前を知った啓だった。



 色々あった市場を後にした啓とミトラは、街の酒場に連れ込まれていた。たまたま例の試合を見ていた店の主人が、たまたま店の前を通りかかった啓とミトラを見つけ、どうしても2人に酒と料理をご馳走したいと、半ば強引に引っ張り込まれたのだ。店の名前は『夜に咲く男達』。名前に一抹の不安を抱えつつ、啓はテーブルについた。店内はカウンターとテーブル席があり、30名程度が入れそうな広さだが、既に大勢のお客がいて繁盛しているようだった。


「いいから遠慮するなよ、ジャンジャン食って、ジャンジャン飲んでくれ!」

「えっと、その、ありがとう……」

「おっちゃん、エール酒おかわり!」

「おっ、ミトラちゃん、相変わらずいい飲みっぷりだねえ!」

「ミトラ、こちらのご主人と知り合いなのか?」

「うん、小さい頃からよく知ってるー。昔からよくここで飲んでるんだよ」

「……ここではアルコールは何歳から飲んでいいんだ?」


 飲酒年齢はともかく、ミトラの知っている店であればとりあえず妙な心配はいらないだろうと啓は判断し、啓も酒と食事を楽しむことにした。エール酒は結構強めの酒だったが、啓もいける口なので、一口飲んでぶっ倒れるようなことはなかった。大変だったのは、その後の質問攻めだった。


「戦闘用バルダーに勝ったんだってな?見たかったなあ」

「なあ、どうやってバルダーを跳ばすんだ?」

「兄ちゃん、仕事を探してんのか?だったら俺が面倒を見てやろうか?」

「ザックスのやつ、小便漏らして気絶したんだってな!恥ずかしくてしばらくは人前に出れないんじゃないか?」

「はっはっは……」


 ザックスが粗相をしたことは秘密のはずだが、人の口に戸は立てられぬということだろう。この工房都市は商売人が多そうだし、噂など一瞬で広がるに違いない。ザックスには気の毒だと思うが、自業自得ということだ。啓はそんなことよりも、自分の出自に関する質問に難儀していた。ひとまず『南の方から来た』『旅をしている』『バルダーには昔から興味があった』『仕事を探している』『機械いじりは得意。手先も器用な方』といった感じで降りかかる質問を捌いていった。


「兄ちゃん、手先が器用なのか?だったら今度、うちのネズミ捕獲器をちょっと見てくれねえか?」

「ネズミ捕獲器!?」

「兄ちゃん、そんなに驚くことかよ。ネズミが苦手なのか?」


 この世界にネズミがいるということに啓は驚いたのだ。もっとも、ネズミという名の別の生き物かもしれない、という可能性もあるのだが。


「いや、ネズミが苦手ということはないけれど、この土地のネズミはまだ見たことがなくて……そんなによく出るのか?」

「ああ、この近辺は飲食店が多いせいか、特にネズミがよく出るんだよ。うちも食糧庫を荒らされて困っててな。兄ちゃん、ガドウェル工房にいるんだな?今度相談に行くからな」

「はあ……」


 その後もネズミに関する詳しい話を聞いてみると、大きさも生態も、地球のネズミとあまり変わらないらしい。ちなみにネズミの天敵とも言うべき猫は存在しているのか聞いてみた所、猫はいないどころか、そんな存在すら知らないらしい。であれば人間の手で捕獲するしかないので、ひとまず捕獲ケージや粘着シート等、自分の知っている捕獲の方法を提案することにしよう。啓がそんな事を考えていると、スッと啓の横に誰かが来た。


「お兄さんのその真剣な眼差し、私の好みよ。私、今夜暇なんだけど、どうかしら?」

「えっ、あのっ……胸が……」


 妖艶なお姉さんが啓の左腕に手を回して豊満な胸を押し付けてきた。この手の女性にほとんど免疫のない啓は、一瞬で顔が赤くなった。


「胸?私の胸が気になるの?もちろん教えてあげるわよ。隅から隅まで……」

「だぁぁぁぁぁぁめぇぇぇぇぇぇぇ!」

「ミトラ?」


 啓以上に顔を真っ赤にしたミトラが、ふらふらしながら啓と妖艶な女性の間に無理やり割り込んだ。そして両手を広げて啓の前に立ちふさがった。


「ケイはねえぇぇ……あたしが大事に、大事にぃ、預かってるんだあら、だぁめぇらの!」

「ミトラ、大丈夫か?飲み過ぎじゃないのか?」

「ケイ?ケイの、かおぉ……。ダメですよぉ、ケイは、サリー姉からぁ……」


 そう言いながら、ミトラはケイにより寄りかかるように崩れ落ちた。


「ミトラ!?おい、ミトラ!?」

「はっはっは!大丈夫だよ兄ちゃん。ミトラちゃんはいつもこうだからな!」

「それもどうかと思いますけど!」

「まあ、今日のミトラちゃんは特にご機嫌だったからな……なあ兄ちゃん」

「何ですか?」


 急に真顔になった店の主人に、思わず啓の背筋も伸びる。


「ミトラちゃんを守ってくれてありがとうな。俺やこの店の常連共は、ミトラちゃんがこんなに小さい頃から知ってるんだ。いつも元気で、こっちも元気をもらってる。商売が苦しい時も、ミトラちゃんの元気な笑顔を見れば悩みなんて吹き飛ぶってもんでよ。また明日から頑張ればいいって思えてな」

「そうだったんですか……」

「だから、兄ちゃん。ミトラちゃんを泣かすんじゃねえぞ?分かってるな?」

「は、はい……」


 何か勘違いをされた気もするが、逆らってはいけない雰囲気を感じたので啓は神妙に頷いた。そして、飲みすぎて潰れたミトラを背負い、『夜に咲く男達』を後にした。


 ガドウェル工房に到着すると、出入り口でガドウェルが待ち構えていた。帰りの遅い娘を心配していたのかもしれない。ミトラを背負った啓が、帰宅の挨拶をしようとした時、ふと不安が頭をよぎった。この状況、見方によっては啓がミトラに酒を飲ませて、酔った隙に何かを……と思われかねない危険な場面かもしれないと啓は思った。足が止まった啓にガドウェルが近づき、無言の圧力をかける。


(オレ、もしかしてピンチなのでは……)


「あの……ただいま、戻りました……」

「ケイ……お前」

「何も!何もしてませんから!」

「大活躍だったみてえじゃねえか……ミトラが世話になったな。礼を言う」


 そう言うとガドウェルは啓からミトラを引き取り、戻っていった。


(寿命が縮んだ……)


 啓の酔いは完全に醒めた。



 啓も充てがわれている自室へ戻ると、着替えもせずにベッドにダイブした。体の疲労はピークに達しているし、たくさん食べて腹も膨れている。いますぐ眠れる条件は整っているはずだが、啓は眠れなかった。


「本当に色々あった……」


 啓は今日一日の事を思い出していた。ミトラと一緒に街を歩いた所から始まり、露天商を手助けして、市場で揉め事に巻き込まれた。そしてバルダーを見た。バルダーを操縦した。


「バルダーか……凄かったな……」


 魔動機、バルダー、操縦方法、魔動連結器、魔硝石……その全てが啓の知らない、いや、地球上には存在しない技術形態だった。機械工業が発達している世界なのかと思っていたが、思ったよりもファンタジー色も含んだ世界だと啓は感じていた。啓はポケットから魔硝石を取り出し、まじまじと眺めた。黒い魔硝石は窓から入る僅かな星明かりを反射して控えめに輝いた。まるで月夜に光る猫の目のようだった。


「そう言えば、この世界にはネズミはいるのに猫はいないって言ってたっけ」


 啓は『夜に咲く男達』の主人から聞いたネズミ被害の話を思い出していた。もしも猫がいればネズミ問題は解決するかもしれないのに残念なことだ、と啓は思った。何より、啓は猫が好きだった。


「いっそのこと、猫もこっちに連れてこれないかなあ……猫、欲しいなあ」


 その時、魔硝石が突然、眩い光を放った。思わず啓は魔硝石を床に放り投げた。


「何だ!?何が起きた!?」


 もしも光が炎であれば火災になるかもしれない、と啓は焦った。急いで火を消そうと魔硝石を踏むため、床に飛び降りた。そして目を細めて眩しさに耐えながら、光の発生源を目指して進み、踏み潰そうとしたところで、その足が止まった。


「ニャーン」

「……………………猫!?」


 光は徐々に収まっていき、そこに姿を現したのは一匹の猫だった。まだ全身が薄く光っているので輪郭もはっきり見える。艶のあるグレーの短い毛色、エメラルドグリーンに輝く瞳、細くて長い尻尾。おそらくロシアンブルーと言われる品種の猫だと思われる。


 まだ頭の整理がつかない啓は、眼の前にいる猫に対して、自分はどうすれば良いのか分からなかった。これ以上、不用意に近づいて、窓から逃げられでもすれば大事になるかもしれない。


「落ち着けー、落ち着けよ、啓。猫だ。眼の前にいるのはたぶん猫だ。だけどこの世界にはいないはずの猫……いや、もしかしたらこの世界にも猫がいるけれど、呼び方が違うだけなんじゃないかな?そうだよな、猫はいるんだよ。それで実は今、光につられて窓から入ってきただけなんだよ、きっとそうに違いな……」


 しかし、啓の独り言を全て覆すように、猫は言った。


「違います、ご主人。私はご主人のために生まれた、正真正銘の猫です」

「……………………猫が、喋った?」


 そこで啓の記憶は途切れた。思考回路がショートした啓は、まるで糸が切れた操り人形のようにベットに倒れ、そのまま深い眠りについた。

猫が現れました。


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