068 父の手紙
068 父の手紙
『獣の仮面の君へ』
宛名にそう書かれていた封書は、オルリック国王の執務室で啓が拝借してきたものだった。
王城で建国王の資料を見終えた後、啓とサリーは王の執務室を訪れた。そこで啓達は王の遺体を発見した。既に手遅れと見るや、啓とサリーは犯人の遺留品を探すことにした。
その時に啓がその封書を発見し、そのまま持ち出していたのだ。
「奇妙な宛名だけど、これってサリーに宛てたものだろう?あの時、サリーはずっとカンティークの仮面を被っていたわけだし」
「そうだな……しかしなぜお父様がこんな手紙を……」
「とりあえず読んでみたら?サリー姉」
啓とミトラに促されたサリーは、封書を手に取ると、真っ先に封蝋を確認して、誰かに開封された形跡がないことを確認した。
サリーはナタリアが持ってきた紙切小刀を受け取ると、少し震える手で封書を開封した。
封書の中からは、畳まれた手紙が数枚入っていた。サリーは手紙を広げ、最初の一枚を読んだ。そしてヒュッと息を呑んだ。
「サリー?」
「皆……逃げろ!」
「ちょっ!ちょっと待ってよ、サリー姉!」
サリーはそう言うと、手紙を投げて立ち上がった。サリーはそのまま部屋から出ようとしたが、ミトラは素早くサリーに抱きついて動きを封じた。
「サリー姉、落ち着いてよ、どうしたのよ!」
「みんな、逃げて、早く!」
サリーは必死にミトラは剥がそうともがいた。しかしミトラは、サリーをガッチリとホールドして逃さない。その様子を見た啓は、ミトラが体術を得意としていることを思い出した。
サリーのことはミトラに任せて、啓は無造作に放り投げられた手紙を拾い、最初の一枚目に目を通した。
「ケイ!読むな!手紙から手を離せ!」
「これは……うわわっ!」
啓も慌てて手紙を放り投げた。投げざるを得なかった。手紙の一枚目には、たった一文だけ、こう書かれていたからだ。
『これを読んでいる者が、サルバニアの花と深い縁がある者であることを祈る。もしもそうでない場合、また、近くに無関係の者がいる場合、この手紙は自動的に爆発する』
啓は床に伏せると、咄嗟にバル子に命じた。
「バル子、盾だ!全員を覆うように盾を!」
「ニャッ!」
啓の指示で、バル子は半透明の金色の盾を展開して、啓、ミトラ、サリー、そしてナタリアを覆うように大きな盾が展開される。
「皆、盾の陰に!」
「えっ、どっ、どういうこと!?」
「手紙が爆発するんだ!」
ミトラの問いに啓が簡潔に答えると、ミトラとナタリアは盾の後ろで体を小さくした。ノイエとチャコとカンティークも、それぞれの主人のそばに身を寄せる。
そして全員、やがてやって来る爆発の衝撃に備えた。
「……」
「…………」
「………………爆発は?」
しかし、いつまで経っても爆発は起こらなかった。痺れを切らしたミトラが誰にともなく声を上げる。
「あの、姫様。陛下のお手紙にはなんと書かれていたのですか?」
ナタリアが聞くと、サリーは簡潔に手紙の内容を説明した。
それを聞いたナタリアは少し考えた後、スッと立ち上がって、投げ出されていた手紙に向かってスタスタと歩き出した。
「小母様、戻るんだ!それに近づいては……」
「魔硝石が同封されていたのならともかく、手紙だけで爆発するとは考えにくいですよ、姫様」
「しかし、字は間違いなくお父様の筆跡で……」
「姫様はお忘れですか?陛下の性格を」
「あっ……」
ナタリアの忠告で何かを察したサリーは、困惑とも苦笑いともとれる、なんとも言えない表情をした。
その間にもナタリアは手紙を拾い集め、「失礼します」と断りを入れてから、手紙の二枚目に目を通した。そして肩の力を抜いた。
「皆様。こちらをご覧くださいませ」
ナタリアはテーブルの上に手紙を広げて置いた。啓はいつでもすぐに盾を貼り直せるよう、バル子に言ってから盾を解除した。
盾が消えると同時に、サリーはテーブルに向かい、手紙に目を通した。そして表情を凍らせて「またやられたわ」と呟いた。
一歩遅れて、啓も手紙の二枚目の冒頭を読んだ。
『まあ、爆発するというのは冗談だが、サルバニアの話に覚えのない者であった場合は、この先を読まずに、手紙を燃やして欲しい……』
冗談という言葉で全身の力が抜けた啓は、深い溜息を吐いた。
「冗談かよ……はぁ」
「ケイ、すまなかった。お父様は昔から、私にこの手のタチの悪い冗談を言うんだ」
「意外とお茶目な方だったんだな」
「陛下は、一人娘の姫様を大変可愛がっておりました。昔から陛下は、姫様の気を引こうとして、姫様に冗談ばかり仰っていました。簡単に騙される姫様の姿も大変微笑ましいものでしたが、陛下が亡くなった後もこうして陛下に翻弄される姫様を、きっと陛下は女神様の身許から見て喜んでおられることでしょう」
「不本意よっ!全く、いつもお父様は……」
サリーは不満あふれる言葉を並べて憤慨しているが、表情は柔らかかった。もしかしたらサリーは昔の父親の姿を思い出しているのかもしれない、と啓は思った。
「ねえ、サリー姉。このサルバニアの花って何のこと?」
「ああ。サルバニアは、お母様が好きな花で、私が生まれた時には、誕生祝いで城の中庭に植えたそうだ。そして私のサルバティエラと言う名は、サルバニアの花の名から取って付けたとお父様から教えてもらった」
だから私に向けた手紙で間違いない、とサリーが言った。
「そうか。なら良かった。もう手紙が爆発する心配もなさそうだし、とりあえず続きはサリーが読んでくれ」
「いや、騒がせてしまったし、皆で一緒に読もう」
「いいのか?」
「また私がお父様の冗談で踊らされても困るだろう?それに、読まれても、今更困るようなことはないから大丈夫だ」
「しかし……」
「ケイ様。姫様はお二人に隠し事をしたくないのだと思います。どうか一緒に見ていただけませんか」
そう言うとナタリアは、皆に見えるように手紙をテーブルの上に広げて置いた。
「分かったよ、サリー。でも、もしも恥ずかしい昔話が書かれていても、文句は言わないでくれよ」
「構わない。それにケイには、その……私の全てを知って欲しいから……」
「さすがは元王女。公明正大な心意気だな」
「ケイ様、それは違……いえ、何でもございません」
ナタリア、そしてサリーとミトラとバル子が大きな溜息を吐いたが、啓にはその仕草が理解できなかった。
「ま、とりあえず、読もっか」
ミトラの号令で、啓達は手紙に目を落とした。
◇
『仮面を被っていても、私は一目で其方がサルバティエラだと分かった。分かったが、其方が素性を隠している以上、私も気が付かない振りをした……』
本文の始まりは、王が娘の存在にすぐに気付いたと言うものだった。弟のウルガー王子には全く気付かれた様子がなかったのに、流石は父親である。
『心の中では、其方が生きていてくれた喜びが溢れていた。感動の衝動で、心臓が止まるのでは無いかと思うほどだった。駆け寄って娘を抱きしめたかった。だが、娘を守れなかった父には、其方に何も言う資格はない。抱きしめることもできない。不甲斐ない父を許して欲しい……』
時折、小さく「お父様……」と呟きながら、薄っすらと涙を浮かべるサリーの様子を横目で見ながら、啓は先を読み進めた。
『それに、正体を隠したことは賢明な判断といえよう。其方は既に死んだと公表され、それを国民が受け入れて数年が経っている。其方が生きていると名乗り出れば、おそらく国は大騒ぎとなるだろう。だが、そんなことはどうでも良い。私が願っていることは、其方の幸せだけだ。王女に戻る必要などない。其方は、其方の好きなように生きて、幸せになって欲しい』
王ではなく、父親として娘を思う愛情を感じた啓は、ふと亡くなった自分の両親のことを思い出した。
厳しかった父と、優しかった母。啓もサリーと同じように、親から無条件の愛情を注がれて生きてきたように思えた。
その愛情を返す前に両親が他界してしまったが、それはサリーも同じだろう。
少し感傷に浸った啓だったが、次の文章で現実に戻された。
『其方の仲間のケイという男は、一見頼りなさそうに見えるが、信頼に値する男だと私は感じた。もしも其方がケイを気に入ったのならば、嫁いで構わない。父が許可する』
それを読んだ啓は、サリーが自分に惚れるわけなんて無いですよと、心の中で答えてスルーした。
『だが、娘よ。其方には、この先も大いなる危険が待っているだろう。其方の命を狙った者共の正体は未だ掴みきれてはいない。疑わしき者はいるが、確証はないし、間違いだと信じている』
つまり王も、娘の死が事故死とは思っていなかったということが読み取れた。そして犯人の目星がついていることも。
『其方を亡き者にしようとした者共は、王国の簒奪を狙っているものと考えている。そしてそのために、強大な力を持つユスティールの至宝を狙っているのだと思われる。其方とケイが本物の至宝を王都に持ち込まず、隠匿したことは賞賛に値する。しかし、そのために其方は奴らに命を狙われるかもしれない。だから其方の平穏のためにも、私との約束通り、一刻も早く本物の至宝を破壊してくれることを望む』
その言葉に、啓は少し苦い顔をした。至宝の隠し場所は、ユスティールの啓が経営する猫カフェ「フェルテ」の床下だ。
至宝を破壊するためには、ユルティールに行かなければならないが、今は大っぴらに行動することができない。
そして件の至宝である巨大な魔硝石は、建国王が「後の転生者のために」と用意してくれた物でもある。
王との約束を果たすために破壊するか、建国王の意向を汲んで自分の役に立てるか……。啓は至宝の魔硝石をどうすべきか、考える時間が迫っていることを感じていた。
そして手紙は、王の決意と、娘へのメッセージで締めくくられていた。
『私は其方達がユスティールに帰った後、心を鬼にして叛徒共の証拠を集め、逆賊の粛清を行うことを決めている。其方は心を痛めるかもしれないが、私は愛する娘が、平穏で幸せな日々を過ごせるように、最後の責任を果たすつもりだ』
しかし王は、その最後の責任を果たすことなく亡くなってしまった。啓は拳をぐっと握りしめ、サリーの父である王を害し、自分に濡れ衣を着せた犯人を必ず捕まえることを改めて心に誓った。
手紙の最後には『我が最愛の娘へ』と記されていた。その最後の一行の上に、ポタッと涙が落ちる。サリーは両手で顔を押さえ、小さく震えていた。
手の隙間から滲み出た涙が再び手紙に落ちる。手紙が濡れないようにと、ミトラは慌てて手紙をテーブルの横に移動させた。
「ありがとう、ミトラ……ははっ、この二日間で、私の目はすっかり壊れてしまったようだ。涙が溢れて止まらないんだ……小母様、これはどうすれば治るだろうか」
「お気になさらず、存分に流すと良いですよ。ですが、水分が足りなくなると大変ですので、お茶を淹れてまいりましょう」
優しい笑顔をサリーに向けてから、ナタリアは立ち上がった。手伝います、と言ってミトラがナタリアの後に続き、部屋から出ていった。
「サリー。その、大丈夫か?」
「ああ……うん、大丈夫だ。情けない顔を見せてすまない……ところで、ケイ」
「なんだ?」
ナタリアとミトラがお茶を淹れに行ったため、部屋に残っているのは啓とサリーと動物達だけだ。サリーは一度姿勢を正し、啓に顔を向けた。
「その……お父様は手紙であんなことを書いていたわけだが……ケイは、どう思っている?」
サリーは顔が熱くなるのを感じた。おそらく、実際に自分は真っ赤な顔をしているだろうと思い、その恥ずかしさでサリーは啓から顔を背けた。
サリーは「啓に嫁いでも良い」と父親の承諾を得られたことについて啓に聞いた。少なくとも、サリーはそのつもりで啓に質問したのだが、残念なことに、啓の頭の中は「ユルティールの至宝の魔硝石をどうするか」で一杯だった。啓は真顔で、サリーの質問に答えた。
「そのことだが……正直迷っている。どちらにすべきか、まだ答えが出ないんだ」
「二択!?そ、そうなのか……いや、そうだよな。ミトラも素敵な女の子だし……」
「ミトラ?いや、むしろオレは、まずはバル子に聞いてみようと思っていたのだが」
「ニャッ!?」
バル子の核は魔硝石だ。こう言っては何だが、猫の前に魔硝石であるバル子に、まずは至宝の魔硝石について相談しようと啓は考えていたのだ。
「え、バル子ちゃん!?じゃあ私は……」
嫁候補の対象ですらないのかと、サリーはショックを受けて表情を凍らせた。
「おや、姫様。もう涙は止まったのですね……何かございましたか?」
お茶を持ってきたナタリアとミトラは、魂が抜けそうな顔をしたサリーと、困惑する啓と、啓とサリーのすれ違い漫才に気付いたバル子がやれやれと首を振る仕草を見て、状況を何となく察したのだった。
父親は娘に気付いていました。
サリーは父親から結婚の許可を得てウキウキでしたが、ニブチンの啓は・・・
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