067 御用邸での話
エルストにある王家の御用邸は、王家の者でなくとも(由緒正しい貴族の家系であれば)、空いている時に事前予約さえすれば利用できる。
その御用邸の正門には、昨日まで『従業員募集』の張り紙が掲示されていた。しかし今は募集の張り紙ではなく、『崩御された陛下に哀悼の意を表し、当面の間は営業中止』という貼り紙に変わっている。
この日、御用邸を訪れた出入り業者は、客の来ない屋敷の支配人を不憫に思う一方で、当面の間は自分の得意先がひとつ減ることを残念に思った。
しかし、不憫とも残念とも思わず、絶好の隠れ場所が見つかったことを喜んでいる人達もいる。
喜んでいる側の人間である啓とサリーとミトラは、支配人のナタリアと共に、御用邸内にある、客間の中でも一番大きな部屋に集まっていた。
そこで啓は、これまでの経緯と共に、自分達のことを信用して手厚く匿ってくれたナタリアに、啓自身の秘密も打ち明けたのだった。
「……というわけなのです」
「なるほど……まだ幾つか信じられない点もございますが……この言葉を喋るバル子さん達を見れば、信じる他ありませんね」
「はは……」
啓は、バル子やカンティーク達が、啓の生まれた故郷の星の動物であることや、啓の力によって魔硝石から生み出されたことについても話した。そして、人語を喋ることも。
ちなみにナタリアは今、膝にバル子とカンティーク、両肩にチャコとノイエを乗せ、動物達を愛でている。
「本当に賢くて、おとなしくて、可愛らしい子達ですね」
「恐れ入ります、ナタリア様……ンニャッ」
「ゴロゴロゴロゴロ……」
ナタリアはバル子とカンティークに話しかけながら、ずっと猫達の首周りやお腹をモフり続けている。そしてそ二匹も、まんざらではない様子でナタリアに触らせ続けていた。
「あの、ナタリアさん。バル子達のことはもう分かっていただけたと思うのですが……」
「前に来ていただいた時にはあまり接する機会がございませんでしたからね。こうして触れてみると、本当に可愛らしいこと。こちらの小鳥も可憐ですし、黒い鳥も勇ましいですわ」
「ピュイッ」
「ノイエ、勇ましい、ガアッ!」
「小母様って動物好きだったのね……」
啓は「そろそろ返してくれませんか」という言葉を飲み込んだ。バル子達が嫌がっている様子もないので、無理に引き剥がす必要は無いと思ったし、これほどナタリアが猫や鳥を気に入ってくれるとは思っていなかったので、この際、好きなだけ触れ合ってもらうことにした。
ナタリアも、動物達を手放す様子は一切見せず、話を再開した。
「それで、濡れ衣を着せられてしまった姫様達は、これからどうされるのですか」
「私は犯人を突き止め、捕まえたいと思っている。父上を殺したのは、おそらく私を殺そうとした連中と同じ仲間だろう」
「あの短剣の紋章ですね。当然ながら、単独犯ではないでしょうね」
「ああ。できればその組織ごと、潰してしまいたい」
昔サリーを襲った犯人が落としたと思われる短剣、王を刺した凶器、そして王立研究所の所長の持っていた懐中時計。それら全てに同じ紋章が使われていたことを考えれば、単独犯ではなく、組織ぐるみの犯行に違いないとサリーは考えていた。
なお、王立研究所の所長は、研究所の崩壊と共に行方不明となっていた。生き埋めになったという見解が出されているが、啓もサリーも信じていない。所長はおそらく、騒ぎに紛れて行方をくらまし、紋章の組織に合流したものと思っている。
「あたしもサリー姉と同じ意見よ。怖い思いをさせられたし、犯人達を捕まえて、一発ぶん殴らないと気が済まないわよ!」
「無実の罪で指名手配にされた恨みもあるしな。もうサリーだけの問題じゃない」
「ミトラ、ケイ……」
啓とミトラの言葉に、サリーが笑顔で頷く。それを見たナタリアも、サリーに優しい笑顔を見せた。
「姫様は、本当に良いお仲間を見つけられたのですね」
「ああ。ケイはカンティークにも出会わせてくれたしな……ところでナタリア小母様、一応言っておくが、カンティークは私の大切な家族だからな」
「ええ、分かってますよ」
ナタリアはカンティークをモフる手を止めずに答えた。傍から見れば、まるでナタリアが猫達の主人のように見える。その様子に、サリーは小さい溜息をひとつ吐いた。
逆にナタリアはサリーの様子を面白がったが、すぐに姿勢を正し、真顔でサリーに言った。
「ですが、犯人探しと言っても、私は姫様が心配でなりません。相手はアイゼン様とイザーク様の不在を狙い、大胆にも王城内で陛下を殺害したのです。王城に忍び込む手腕もさることながら、研究所の所長とのつながりで、様々な研究成果を握っていると考えれば、強敵に違いありません」
「ああ。最初は所長が犯人ではないかとも思ったが、おそらく所長は実行犯ではない。組織の重要な一員には違いないだろうが……」
「ねえ、サリー姉。ウルガー王子が犯人ってことはないの?」
「ウルガーが犯人ですって?」
ミトラの唐突な振り込みに、サリーは狼狽した。サリーはウルガーが犯人だとは思っていなかった。しかしその理由は、ウルガーが自分の大好きな弟だからというだけで、根拠があるわけではない。
要するに、弟がそんなことをするはずがないとサリーは信じているのだ。
「あの、ごめんね、サリー姉。気を悪くしないで聞いてほしいんだけど……王城にいた王族の人はウルガー王子だけだったし、王子だったら王城に忍び込む必要もないし、研究所の所長と通じていてもおかしくないと思うし……」
「いや、私もミトラの言いたいことは理解できる……つもりだ。ウルガーが疑われても仕方がないと思う」
そう言ってから、サリーは激しくかぶりを振った。それはミトラの言葉を否定するというよりも、自分の発言を否定するかのようだった。
「確かにウルガーは皮肉屋だし、反感を買うようなことばかり言うけれど、それは兄様達を立てようとしてわざとそうしていることを私は知っている。ウルガーは兄様を次期王にするため、自分の実力を隠し、決して目立とうとはせず、心配性で、根は優しいのにそれをを表現することが苦手で……」
「分かった、分かったから、サリー姉。ちょっと落ち着いて!」
早口でまくしたてるサリーをミトラが止める。そしてミトラは、サリーの肩をぽんぽんと叩いて、わざとらしい笑顔を向けた。
「あたしはサリー姉の考えを聞いてみたかっただけ。弟が大好き過ぎるサリー姉の気持ちはよーく分かったから。こんなにサリー姉に愛されているウルガー王子は犯人じゃない。うん。間違いないね。変なことを聞いてごめんね、サリー姉」
「そうだな。大好きな弟さんのことを心配する姉の気持ちは痛いほどによく伝わったな」
「ああ、もう……お願い、忘れて……」
昨日今日と、自分のアイデンティティーが崩壊していく音が聞こえるサリーだった。
「姫様の言う通り、私もウルガー様が王の命を狙うとは思えません。そもそも、ウルガー様には動機が無いように思います。ですが、もしもウルガー様が誰かに操られているとすれば、話は別です」
「確かに……」
ナタリアの仮定話に、啓の背筋は寒くなった。洗脳や精神支配に類する実験を、啓は王立研究所の地下実験場で見てきたばかりだ。必ずしも不可能なことではないだろう。
「姫様、そしてケイ様、ミトラ様。ひとまず犯人が誰かは置いておきましょう。私の心配はそれだけではございません。もしも貴方達三人だけで、その謎の組織に立ち向かわれるのであれば、さすがに戦力が乏しいように感じます」
「ナタリア小母様の言うことは分かる。実際、敵の組織の規模も人数も分からないし、こればかりは正直何ともいえない。しかし、少人数だからこそ行動のしやすさもある。それに、このケイは、こう見えても頼りになる男だ。様々な女神の奇跡を行使することもできるんだ」
「そうだよ、ナタリアさん。ケイは見た目は頼りないかもしれないけれど、ケイはバルダーの操縦の腕も凄いんだよ!」
「ちょっとおふたりさん。いちいち一言余計だと思うんだけど……」
それを聞いたナタリアは、首を傾げた。
「ケイ様が女神の奇跡を使えることは説明していただきましたが、それは動物を召喚するだけではないのですか?」
「あー、それは説明していませんでしたね……オレは、オルリック王国を立ち上げた建国王と同じように、女神シェラフィールから直接力を授かりました。建国王ほどの万能さはありませんが、そのへんの貴族よりも強い力を持っているみたいです。それにサリーが言った通り、オレは召喚した動物の力を使って、武器や防具を具現化させたりすることができます。それだけではなく、最近は、建国王が残してくれた手記を参考に、この力の使い方を深めることができるようになりました」
「建国王の手記でございますか。それは大変貴重な文献ですね。一度拝見してみたいものです」
「ただ、手記に書かれている文字は、オレの世界の文字で書かれているので、たぶん読めないとは思いますが……実物、見てみます?」
啓の言葉に、一同がざわめいた。
「おい、ケイ……まさか、手記を持ってきてしまったのか?」
「ケイ、盗んできちゃったの!?」
「盗んだとは心外だな、あの時、色々ありすぎて、返すのを忘れてしまったというか、ドサクサで持ってきてしまったというか……オレも今の今まで忘れていたけど」
「ふふっ、ケイは手癖が悪かったのだな」
「いやいや、城の窓からオレをいきなり突き落としたのはサリーだろう。返す暇なんて無かったじゃないか……」
ブツブツと文句を言いながら啓は立ち上がると、荷物がおいてある客室へと向かった。部屋の中には女性陣だけが残った。
啓の足音が完全に聞こえなくなった時、ナタリアが口を開いた。
「ところで、姫様。ミトラ様」
「何?」
「何ですか?」
ナタリアは小さく咳払いしてから姿勢を正すと、二人に聞いた。
「ケイ様とお付き合いされているのはどちらですか?」
「はっ!?」
「へっ!?」
サリーとミトラは思わず吃驚の声を上げた。その声に驚いたチャコとノイエが羽根をバサつかせ、猫達はビクッと体を震わせた。
「お二人の様子から、ケイ様に好意を持たれていることは手に取るように分かります。それはケイ様も同じのようですが、どちらとお付き合いしているのかは分かりませんでした。私でも看破できないほど巧妙に隠されているものと推測しますが」
「いやいや、付き合ってないから!」
「そうですよ!あたしもケイと付き合ってないですし!」
「そうなのですか……どちらかが抜け駆けして、隠している様子もございませんし、本当にお付き合いされていないようですね」
それからナタリアは小さく溜息を吐いて、サリーとミトラに忠告した。
「姫様。私は人を見る目はあると自負しております。ケイ様であれば、姫様を安心して任せられると確信しております。姫様がケイ様を伴侶とするつもりならば、このナタリアは全力で姫様を応援いたします」
「それは、その……ありがとう」
啓が褒められていることに悪い気がしなかったサリーは、思わずお礼を返した。
「それからミトラ様」
「はいっ!」
「ミトラ様も、相手が姫様だからといって、遠慮することはございません。私は姫様の忠実な家臣ではございますが、人の恋路には口を出しませんし、依怙贔屓もいたしません。私はミトラ様も全力で応援させていただきます」
「はい……その……頑張ります……」
ミトラは顔を真っ赤にして、ナタリアとサリーを交互に見た。サリーも頬を赤らめて、目を泳がせている。
「姫様。ミトラ様。ケイ様はとても真面目で、真っ直ぐな方とお見受けしました。女性の心を惹きつける天性の素質もあるように思えますが、肝心のケイ様はそのことを分かっておらず、女心に愚鈍で、奥手で、向けられている好意に対しても鈍感なのではないかと」
「分かります!」
「分かります!」
サリーとミトラの声は完全にシンクロした。ナタリアの膝の上にいるバル子も「分かります」と言って頷いている。
「今はお二人がケイ様に最も近い所にいますが、この先、ケイ様に他の女性が近づいてこないとも限りません。うかうかしていると、別の女性に掻っ攫われるかもしれません。私がこのようなことを申し上げたのは、それが理由です」
「確かに、ケイならありえることだと思う……」
思い当たる節がありすぎるサリーは深刻な表情を浮かべ、ミトラも大きく頷いた。
「良いですか。鈍い殿方の心を射止めるのに必要なことは、はっきりと分かる行動力です。そのことを念頭に置いて、ケイ様を籠絡してくださいませ。姫様とミトラ様は仲の良い友人同士ですし、願わくば、お互い恨みっこ無しで、正々堂々と勝負なさってくださると嬉しいです」
「ああ、分かっている」
「分かりました!」
「ニャッ!」
「あら、バル子さんも恋敵なのですか?これは大変な強敵ですわね」
ふふっと微笑むナタリアに、皆も釣られて笑顔を浮かべた。
その時、廊下をバタバタと走る音が聞こえた。やがて皆が待つ部屋の扉が開き、息を切らせた啓が部屋の中に飛び込んできた。その手には、例の手記が握られている。
「ケイ様、そんなに慌てなくても……」
「ハア、ハア……違うんだ……ハア、ハア……」
「落ち着け、ケイ。何が違うんだ?」
啓は息を整えながら、サリーに顔を向けた。
「サリー……これ……」
「手記がどうかしたか。私には読めないし、大体、今それを見せる相手は小母様だろう」
「違う……これを」
啓は手記をテーブルに置き、手記を開いてみせた。そこには、一通の手紙が挟まっていた。
「この手紙は……」
「それは、王の執務室で見つけた手紙で……あの時、一緒に持ってきたんだ」
啓とサリーが王の遺体を発見し、執務室で証拠品を探していた時、啓は一通の手紙を見つけていた。
そして手紙を手に取った所で、サリーが啓を呼んで短剣の紋章を見せたり、その直後にウルガー王子が執務室を包囲するなど、立て続けに出来事が起きた。
そのドサクサで、啓はその手紙も持ち出していたのだった。
「無くさないようにと思って、手記に挟んだまでは良かったんだが、揃って忘れていたんだ」
「全く……やはり啓は手癖が悪いじゃないか。私にも手を出してくれればいいものを」
「女の子には奥手なくせに……」
「二人共、一体何の話をしているんだ?とにかくこれを見てくれ。これは君に……サリーに宛てた手紙だろう」
「えっ?」
あの時、サリーは正体を隠していた。もちろん父である王にも、自分が娘であることは明かしていない。それにサリーは王都にいる間、ずっとカンティークの仮面を被っていた。顔を見られることもなかったはずだ。
啓に促されたサリーは手紙を手に取り、宛名を見た。宛名には、小さな文字でこう書かれていた。
「獣の仮面の君へ」
ひとまず隠れ家で落ち着いた啓達。
ナタリアが色々とけしかけました。
手癖が悪いことが発覚した?啓は、王の手紙を持ち帰っていました。
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