066 サリーとナタリア
オルリック王国の北北西に位置するエルストは、緑豊かで自然の多い土地である。そんなエルストの、周囲を森林に囲まれた敷地の中に、ひっそりと佇む大きな屋敷がある。
手入れの行き届いた美しい庭園の奥に立つ、歴史を感じさせる立派な屋敷は、オルリック王家が別荘として利用している御用邸だ。
しかしこの御用邸は、数年前に王女が事故死して以来、王家ゆかりの者が利用したことはなかった。その理由は、かつて王女のお気に入りだったこの御用邸に来ると、亡くなった王女のことを思い出してしまうからだ。
王族の足はすっかり遠のいてしまったが、この御用邸の支配人は日々の手入れを欠かすことなく、今でも美しい屋敷の姿を保ち続けていた。
その御用邸に、三人の男女が訪れていた。正確には、一人の男と一人の少女、そして獣の仮面を被った女性だ。
啓とミトラ、そしてサリー改め、ワルキューレの三人が屋敷の玄関から声を掛けると、中から一人の女性が現れた。
女性の顔には年を刻んだ皺が薄っすらと見えるが、背筋を伸ばし、凛とした美しい所作で玄関口まで歩いてくるナタリアの姿は、以前会った時と全く変わっていなかった。
「あの、どうも。お久しぶ……」
「初めまして。私はナタリアと申します。この御用邸の支配人を務めさせていただいております」
「えっと…………初めまして」
まるで、全くの初対面のように接してきたナタリアに啓は困惑した。ナタリアが自分達のことを忘れるなどとは、露程も思ってもいなかったからだ。
啓が次に何を言おうか考えているうちに、ナタリアが困った顔をして啓達に告げた。
「あの、皆様は旅のお方ですか?申し訳ありませんが、ここは王家御用達の別荘でして、宿泊はできないのですが……」
「えっと、それは承知の上で来たのですが……」
「あら、ご存知でしたか。では、もしかして、表の張り紙を見ていらっしゃったのですか?」
「えっと……」
「そうなんです!私達をここで働かせてくださいませんか」
返答に詰まった啓に代わって、サリーが返事をした。啓とミトラがキョトンとしていると、サリーは二人に顔を寄せ、超小声で「これは芝居だ。話を合わせろ」とつぶやいた。ナタリアのおかしな態度にピンときたサリーは、これが芝居であることに気がついたのだ。
サリーの言葉で事情を察した啓とミトラは、サリーと同様に、働きたいという意向をナタリアに伝えた。ナタリアは、手のひらを合わせ、喜びの表情を見せた。
「まあ、嬉しい!人手が足りなくて従業員募集をかけたのですが、なかなか希望する方が現れなくて、とても困っていたのです」
(……そりゃまあ、あの募集文句では誰も来ないだろう)
給料なしの過重労働、おまけに猫と鳥を飼っている必要ありという謎条件で、手を挙げられる者などいないだろう……この三人以外には。
「では、早速面接をしましょう。どうぞ中に入ってください」
「はあ……失礼します」
ナタリアは、啓達を御用邸の中に招き入れた。
◇
「そんなわけでナタリアさん。オレ、いや、私達は、張り紙を見て、是非雇ってもらおうかと……」
「ケイ様。お芝居はもう結構ですよ」
「…………それを先に言ってください」
引き続き芝居を続けようとした啓は、顔を少し赤くして俯いた。それを見たサリーが小さく吹き出す。
「それではケイ様、ミトラ様……そしてワルキューレ様。改めて、本題へと移りましょう」
「ここで……ですか?」
啓は口籠りながら、周囲をチラチラと見た。ケイ達がナタリアと話をしている場所は、玄関から入ってすぐの、オープンスペースの談話席だ。
こんな所で話をすれば、他の使用人に聞かれる可能性が高い。そう考えた啓は、ナタリアの私室に移動することを提案しようとしたのだが、その前にナタリアが言った。
「ケイ様。心配には及びません。現在、この御用邸内には私以外、誰もおりません。先程は野外でしたので、どこに誰の目や耳があるか分かりませんでした。そこで念の為に、あのような態度を取らせていただきましたが、ここでは誰かに話を聞かれる心配はございません」
「えっと、誰もいないんですか?使用人の皆さんは?」
「全員、王都での仕事に移ってもらいました。皆さんもよくご存知かと思いますが、今、王都はとても大変なことになっております。であれば、誰も訪れない田舎の御用邸よりも、王都で役に立ってもらうべきだと考えました」
いきなりクビにした訳では無いのでご安心を、とナタリアが付け加える。
「しかし、ナタリアさん一人だけでは、色々と大変なのでは……」
「多少時間はかかりますが、屋敷の掃除も庭の手入れも、私一人で事足ります。何より、時間に追われるような仕事ではございませんので、そういう意味でも人手は不要なのです。ですが、人払いをした理由はそれだけではございません」
「その……理由を伺っても?」
「理由はもちろん、ケイ様達を迎えるためでございます」
「オレ達を!?」
ナタリアは大きく頷き、姿勢を正して啓達の顔を順に見た。そしてその視線を、サリーの所で止めた。
「王都での事件は、すぐにこちらにも伝わりました。陛下が命を落とされ、王都の施設が爆破され、犯人は逃走したことを。そしてその犯人は、ユスティール出身のケイ様、ミトラ様、そして正体不明の女性であると」
「ナタリアさん、オレ達は犯人じゃ……」
「ですが!」
ナタリアは啓の発言を遮り、自分の話を続けた。
「ですが私は、ケイ様が犯人であるとは信じられませんでした。僅かな時間でしたが、私は前回ケイ様とお話させていただき、信頼に値する殿方だと確信しておりました。そして、ケイ様と共に行動をされている方が、そんなことをする為に王都に向かうはずがないことも」
そう熱弁するナタリアの目は、ずっとサリーを見たままだ。ナタリアからの視線の圧力を感じたサリーは、改めて自分達が犯人ではないことを主張した。
「ナタリア……さんの言う通り、私達は王を害してなどおりません。信じてください」
「ええ、信じますとも。いえ、信じていましたよ」
サリーの回答に、ナタリアは小さく頷き、微笑んだ。ナタリアは視線を啓に戻すと、話を続けた。
「そこで、私は考えました。濡れ衣を着せられたケイ様達は、一体何処に向かうのかと。ケイ様お一人であれば行き先は分かりませんでしたが、きっとケイ様は三人一緒に行動されることでしょう。しかし、今ユスティールに戻っても、きっと皆さんの居場所はありません。であれば、まずは落ち着いて身を隠せる場所に向かい、それから今後の行動を考えるのではと」
「もしかして、ナタリアさんはオレ達がここに来ることを初めから……」
「はい。予測しておりました。予想よりも早い到着に少々驚きましたが」
「ああ、海を渡ってきたからかな……」
「海を渡る?それは予想しておりませんでした。後ほど、詳しく教えて下さいませ」
「はい……」
啓は、ナタリアの洞察力や観察力が高いことを、身を持って良く知っている。実際、啓はナタリアに短剣を向けられ、殺されても言い訳できない状況に追い込まれたことがある。サリーも幼い時から、ナタリアには常に先手を取られていたという。
その洞察力や観察力がナタリアの持つ女神の奇跡の力かどうかは分からないが、とにかくナタリアには驚かされてばかりだと、今更ながら思う啓だった。
「ケイ様達がここに来ると推測した私は、すぐにもっともらしい理由を作って、使用人達に屋敷から出ていってもらいました。ケイ様達が私を信用してくれることは疑っておりませんでしたが、他者にはそうもいかないだろうと思いましたので。ワルキューレ様もそうですよね」
「ああ、その通りだ。私もナタリア……さんだけは、心から信用できると思っている」
いきなり話を振られたにも関わらず、サリーは落ち着いて返事を返した。さん付けが多少ぎこちないのは相変わらずだが。
「じゃあ、やっぱり、あのとんでもない条件の従業員募集は、あたし達に向けたものだったんだね」
「まあ、そりゃそうだろうな。「猫と鳥を連れていること」なんて条件、オレ達以外に当てはまるとは思えないからね」
「さすがに私も、ちょっとやりすぎかもしれないと思いました。ですが、その一文のおかげで、この敷地に入る際、無用な警戒をせずに入ってこれたのではありませんか?」
「確かに、言われてみれば……そこまで考えていたとは、さすがです」
「恐れ入ります」
そしてナタリアは、自分の話はこれで終わりとばかりに、深々と頭を下げた。それを見た啓は、サリーに顔を向けた。
「あのさ、ワルキューレさん……」
「ケイ、分かっている。これは私から言うべきことだ。今更かもしれないが」
啓に促されたサリーは、椅子から立ち上がると、ナタリアのそばへ歩いていった。そしてナタリアの横でしゃがむと「カンティーク、戻って」と呟いた。
仮面に擬態していたカンティークが、一瞬でフサフサの毛並みを持つ猫へと変身し、サリーの顔があらわになる。サリーの顔を見たナタリアは目を見開き、そして小さく口元を歪めた。
「やはり……やはり本当に、姫様なのですね」
「ああ。今まで言い出せなくて、本当にすまなかった。私は正真正銘のサルバティエラだよ、ナタリア小母様」
「本当に……本当によくご無事で。それに、こんなにご立派に成長なさって……このナタリア、姫様のお戻りを、心から嬉しく思います」
ナタリアは胸に手を当て、サリーに向かって一礼した。それを見たサリーは、小さく苦笑した。
「…………なんだ、残念だな」
「あの、姫様……何が残念なのでしょう?」
サリーは少し照れくさそうにしながら、ナタリアに悪態をついた。
「私はてっきり、ナタリアは感激して涙を流しながら、私に抱きついてくるかもしれないと身構えていたのだが……なんだか拍子抜けしてしまった」
「姫様。何をおっしゃいますか。私が先に泣いてしまったら、姫様に胸を貸せないでしょう」
「え、それは一体どういうぷっ!」
するとナタリアは素早くサリーの頭を抱え、自分の胸にサリーの顔を埋めた。そしてサリーに優しく語りかけた。
「私は、姫様が必ず生きていると信じておりました」
「……うん」
「生きていることを隠しての生活は、とても大変だったでしょう」
「……私は、別に……大変なんかじゃ……」
「それに貴方のことですから、お父様を亡くされたにも関わらず、仲間に涙のひとつも見せなかったのではありませんか?」
「…………」
「今まで、よく我慢しましたね。お辛かったでしょう、姫様」
「………………ナタリア小母様……私、頑張ったよ。頑張ったんだよ……」
「はい、分かっていますよ。だって貴方は、娘のように愛おしく、心から誇りに思っている、私の大好きなサルバティエラ姫様なのですから」
「…………小母様ぁ」
それからサリーは、声を押し殺そうともせず、大きな声で泣き始めた。それはまるで、今まで溜め込んでいた全てを吐き出しているかのようだった。
愛おしそうにサリーを抱きしめ、髪を撫でるナタリアの両目にも光るものが見えた。
啓とミトラと動物達は、二人に気を利かせて席を外し、前に借りた客室で一休みすることにした。
その後、しばらくしてから客室に駆け込んできたサリーは、目の周りを真っ赤に腫らしたまま「あれは私ではない。忘れてくれ!」と吐き捨てた後、温泉へと逃亡していった。
ようやくナタリアは王女に再会できました。
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