065 敗走と遁走
啓達がエルストの御用邸を目指している頃、オルリック王国とカナート王国との国境付近では、両国の戦いが終盤を迎えていた。
オルリック軍には、オルリック王国第一王子のアイゼンベルナールと、第二王子のイザークジェラールも参戦している。オルリック軍は盤石の布陣で、カナートの軍勢を蹴散らすはずだった。
しかし戦況は、カナート軍がオルリック軍を圧倒していた。戦いの趨勢を決定付けたのは、アイゼンの負傷による、アイゼン率いる部隊の撤退だった。
負傷したアイゼンは、気絶したまま救護テントの中で治療を受けていた。そして今、ようやく目覚めたところだった。
「ここは……」
「殿下、良くご無事で!」
「無事なものかよ……うぐっ……」
「医療班!殿下の容態を確認せよ!」
慌ただしく動き続けている周囲の様子を、アイゼンは寝台の上から横目で見た。多くの兵士が治療を受けている。その中には、自分の護衛騎士達も含まれていた。皆、重傷者ばかりだった。
(俺をここにつれて帰るために、無理をしたのか……だが、なぜこんなことになった)
オルリック軍は、その数も戦力も、カナート軍を大きく上回っていた。さらに『鉄壁』の二つ名を持つアイゼン第一王子と、体は弱くとも頭脳明晰で、稀代の天才とも言われるイザーク第二王子が戦線をコントロールし、戦いの序盤はオルリック軍の圧倒的有利で進行していた。
戦況が変わったのは、戦いの中盤。勢いに乗ったアイゼン率いるバルダー部隊が、敵陣の中央突破を成功させた後のことだった。
分断されたカナート軍は、前面と後背に展開したオルリック軍に包囲されつつあったが、その時、後方から現れたカナートの援軍が、アイゼン王子の部隊に襲いかかった。
カナートからの援軍は、慌てて駆けつけてきたためか、バルダーの数も少なく、統率も取れていないように見えた。そこでアイゼンは、先にこの援軍を蹴散らすことにした。
数が少なくとも、余計な時間をかけるわけにはいかないと考えたアイゼンは、得意の戦法で敵の殲滅を図った。それは『鉄壁』の二つ名の通り、自分のバルダーをどんな物理攻撃も通さない強固な障壁で覆い、自らは戦場の中心で敵を引きつけ、敵からの攻撃を全て受け止めるというものだ。
戦場の内側からは自分自身が、外側からは味方が敵を殲滅していく。アイゼンの持つ女神の奇跡の技を使った、アイゼンだけにしかできない戦法だった。
しかし、絶対の自信を持っていたその戦法は失敗に終わった。敵の放った攻撃は、アイゼンの障壁をもろともせず、そのままアイゼンのバルダーを引き裂いたのだ。
まさかの事態にアイゼンのバルダー部隊は浮足立った。撤退を決めたアイゼンの部隊は、味方に多数の犠牲を払いながらも、なんとかアイゼンを救出し、自陣へと逃げ帰ったのだった。
(まさか鉄壁を打ち破られるとはな……)
アイゼンは全身打撲に加え、腕と足の骨が折れる重傷だった。命に別状はなく、五体に欠損が出なかったことは幸いだった。
医療班による処置を受けながら、アイゼンはふと、亡くなった妹のことを思い出した。
(こんな時にサルバティエラがいてくれれば、こんな怪我くらい、すぐに治してくれただろうな)
アイゼンの妹のサルバティエラ王女は、高度な治癒の能力を持っていた。子供の頃から腕白で、互いに生傷の絶えなかったアイゼンとサルバティエラは、無茶な遊びをして怪我をするたびに、サルバティエラが治癒を施していた。そしてその都度、侍従長に『危ないことをするな』と叱られていた。
その後、成長したアイゼンの『鉄壁』の技に磨きがかかり、ほとんど怪我をしなくなってしまったアイゼンに対し、サルバティエラは少しつまらなさそうな顔をしていたものだ。
そんなサルバティエラが、今はサリーと名を変えて隠れ生きていることを、アイゼンは知る由もなかったが。
診察と治療を終えたアイゼンは、簡易寝台から上体を起こした。そして部隊長から、全体の戦況を聞いた。
「状況は極めて悲観的です。撤退するべきかと」
「俺が倒されたせいで士気が落ちてしまったのだろう。すまなかった」
「いえ、殿下のせいではありません。敵の攻撃が異常なのです」
「異常とはどういうことか」
部隊長の話では、カナート王国軍は主力が分断された後、四方から小型バルダーの小集団でオルリック軍の各部隊を襲ったとのことだった。
その際、カナート軍のバルダーは、自爆による特攻を仕掛けて戦場を撹乱したという。
「むしろ、主力こそを囮にしたのではないかと思えるぐらいの手際です」
「卑劣な……」
戦争は命のやり取りである。戦場に赴く者は死を覚悟して戦いに臨むし、司令官もそれを割り切って指示を出す。だからと言って、自爆攻撃のような、最初から命を捨てることが必須の戦法を、アイゼンは是としていなかった。
「また、戦場から帰陣した者の中には、力が使えなかったと言う者が複数おります」
「力というのは、女神の奇跡の技のことだな?」
「はい、その通りです」
実のところアイゼンも、自分の敗北に違和感を感じていた。敵のバルダーから攻撃を受けた時、『鉄壁』は本当に、いつも通りに発動していたのだろうかと。
過度の疲労や、力の使い過ぎによって、奇跡の技の発動に失敗したことはある。ただしその場合は、明確に発動の失敗を感じ取ることができる。
先の戦闘では、そのような兆候は一切なかった。女神の奇跡を発動することはできた。しかし、発動はできたものの、『鉄壁』は正しく発現していないような違和感はあったのだ。
その時は戦いの真っ只中だったため、わずかな違和感など、気持ちの高揚による錯覚だと切り捨てたのだが、それが大きな失敗だったのかもしれない。今更ながら、そう思うアイゼンだった。
「おい、ちょっと俺を斬ってみてくれ」
「はっ!……は?」
突然、アイゼンから突拍子もないことを言われた部隊長は、思わず聞き返した。
「あの……斬れ、とは?」
「言った通りだ。俺を斬ってみてくれ。今、俺は『鉄壁』を発動している。本当に発現しているか確認したい」
「いや、しかし……」
もちろん部隊長は、アイゼンの女神の奇跡の技のことを知っているが、実際に斬りつけるとなると話は別だ。ただでさえ、先の戦闘で『鉄壁』を貫通されて負傷したばかりなのだ。万が一のことがあれば大問題になるに決まっている。
「やらぬのか?ならば仕方ない」
「……殿下!?」
アイゼンは寝台の横に置いてあった愛刀を手に取り、骨折している反対の腕の、肌が露出している部分に向かって刃を振り下ろした。
刃は硬質な音を立てて跳ね返った。アイゼンの腕には、切り傷どころか、刃の当たった跡すら残っていなかった。
続けてアイゼンは、折れた足を固定している保定具にも刃を立てたが、結果は同じだった。
「ふむ。やはり大丈夫なようだな」
「殿下……驚かせないでください。我々の心臓が大丈夫ではありません」
「はは、そうか。すまなかったな」
女神の奇跡が正しく発現していることを確認したアイゼンは、剣を置き、考えを巡らせた。
(少なくとも、今は問題なく発現できる。硬度もいつも通りだ)
(自身だけでなく、自分の周囲への障壁も問題ない)
(ならばなぜ、俺のバルダーは斬られ、倒された?)
(まさか敵の新兵器か?)
「……下?」
(あるいは敵の中に、女神の奇跡を無効化するような力を持つ者が?)
「……陛下?」
「ん、ああ、すまない、何だ」
アイゼンは、部隊長の呼びかけにすぐに気付けないほど、深く考えこんでいた。思案の底から戻ってきたアイゼンは、部隊長から撤退すべきとの意見を聞かされた。部隊長の顔色は悪く、声も重く暗かった。
「そんな顔をするな。撤退の意見を出したからといって、お前を叱責するつもりはない。無碍に兵を動かし、死地に送り込むほど俺も無能ではない。ここで敗戦しても、次は必ず勝てばいい。そしてこの領地を取り返す。それでいい」
「はっ」
「よし、ではイザークを呼んでくれ。撤退の準備を整えたい」
弟を呼ぶアイゼンに、部隊長は暗い顔をしたまま、立ち尽くしていた。
「おい、聞いているのか?イザークを……」
「イザーク殿下は……戻られません」
「まだ戦場にいるのか?ならば伝令を……」
「違います。イザーク殿下は、戻られないのです」
最初、アイゼンは聞き間違えかと思ったが、部隊長は同じ言葉を二回発した。「戻っていない」ではなく「戻られない」と。
「……イザークはどうなった」
「イザーク殿下は……現在、行方不明です。イザーク殿下は戦場にて、後方支援に徹しておりましたが、後方にも敵の少数部隊が特攻し、一時乱戦となりました」
そして敵のバルダー部隊は自爆攻撃を行い、イザークのバルダーもろとも吹き飛んだという。その後、王家の紋章を刻んだバルダーの残骸が確認されたが、搭乗席にイザークはおらず、死体も見つかっていないと部隊長は言った。
部隊長の顔色が悪かったのは、この報告をしなければならなかったためだった。
「敵の捕虜となった可能性もありますが、現状、捜索は不可能です」
「ならば、俺が探しに行く!」
「殿下、おやめください!殿下は足も折れているのですよ!」
「そんなもの、『鉄壁』で固定すれば問題なく歩ける!」
「殿下、お気持ちは察します!ですが今は……」
実際、鉄壁を発動して骨折した足を固定したアイゼンは、寝台から立ち上がって歩き始めた。部隊長は非礼を詫びながら、外に飛び出していこうとするアイゼンを、体を張って止めた。
「アイゼン殿下!もしもイザーク殿下が捕虜になっているならば、お亡くなりにはなっていないということです。生きてさえいれば、必ずお救いできる機会は訪れます!」
「……くそがっ!」
外に出ることを諦め、力を抜いたアイゼンは、寝台にドカッと腰を下ろした。骨折した手足に痛みが走ったが、それ以上に弟を失ったことのほうが痛かった。
「イザーク……あれほど無理をするなと言ったではないか……」
「殿下……」
それからアイゼンは、イザークのことには一切触れず、全軍に撤退の指示を出した。撤退を決めたオルリック軍に対し、カナート軍が追撃をかけることは無かったため、撤退自体は速やかに遂行された。
戦地には、オルリック王国の大敗という結果だけが残された。
失意の中、王都へと戻ったアイゼンは、そこで王の訃報を聞き、さらに打ちのめされるのだった。
◇
海上から陸上に上がり、大陸北側の海岸沿いの道を使ってエルストに向かった啓達の逃避行は、概ね順調だった。
国中に手配がかかったものの、それが浸透する前に動き出せたおかげで、エルストまでは特に問題なく到着した。それでも周囲への警戒は怠らず、チャコとノイエによる空からの哨戒も絶やさず、危険と思われる場所は回避し、昼夜問わず交代で運転し続けたことで、御用邸前に到着した時には、全員が疲弊しきっていた。
しかし啓達にはまだやるべきことがあった。御用邸に到着したことがゴールではない。むしろ、これからが本番なのである。
これから啓達は、御用邸の支配人であるナタリアに事情を話して説得し、匿ってもらう必要があるのだ。
気合を入れ、気を引き締めて、いざ御用邸へ……と意気込んだ一行だったが、その意気込みは一瞬で霧散した。
それは御用邸の正門入口に張られていた、従業員募集の張り紙のせいだった。
『住み込みの従業員募集。仕事は王族の御用邸の使用人兼警備。名誉ある仕事であるため、給料は一切無し。提供するのは賄いの食事のみ。18時間労働。突然の無条件解雇有り。上司の命令には絶対服従』
とんでもなくブラックな募集文句に唖然とした啓だったが、目を留めたのは、最後に小さく書かれていた一文だった。
『ネコと鳥を飼っていることが必須条件』
啓とサリーは、この張り紙が間違いなく、ナタリアの仕掛けによるものだと察したのだった。
アイゼン敗北、イザークは行方不明。
一方、啓達は無事に目的地にたどり着きました。
次回、ナタリア再び。
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