064 逃走劇その2
王城の北側、海に面した一部の敷地には城壁がない。その代わりにあるものは、突堤式の埠頭が整備された軍港だ。
軍港と言っても、戦艦や駆逐艦のような海上兵力は少ない。昔も今も、他国との戦争は、そのほとんどが陸上で行われてきた。そのため、陸戦用のバルダーや自走車の開発は盛んに行われてきた一方で、船は主に物資の輸送目的で造られることが多く、城の軍港には輸送用の大型船ばかりが停泊していた。
「ミトラ、ここでいい。止めてくれ」
「分かった」
港の警備隊を蹴散らした後、啓はバルダーを荷台に格納してキャリアに乗り込んでいた。啓は一度海を眺めてから、ミトラにキャリアの操縦を代わるように言った。
「ねえ、ケイ……本当に大丈夫なの?」
「ヘイストが設計してくれたんだ。多分大丈夫だろう」
「多分が余計なんだけど」
ヘイストは、ガドウェル工房で研究開発を担当している技術者だ。好奇心旺盛で新技術に目がないヘイストは、啓が持ち込んだ様々な技術知識を形にして、啓のバルダーやキャリアに組み込んだ変人、もとい天才でもある。
「二人共、無駄なおしゃべりはそこまでよ。ウルガーが来たわよ」
「もう来たの!?」
サリーに促されて正面を見ると、複数のバルダーがこちらに向かってくるのが見えた。その中には、ウルガー第三王子のバルダーの姿もあった。
後ろからではなく、前から来たということは、城を逆方向から回り込んで来たのだろう。それにしても速すぎる、と啓は思ったが、その理由はサリーが教えてくれた。
「ウルガーの護衛隊長が持っている女神の奇跡の力は、索敵能力なのよ」
「つまり、こっちの動きはお見通しってことか……バル子!」
「はい、ご主人」
「キャリアの制御を頼む」
「にゃっ!」
返事代わりにひと鳴きしたバル子は、目を瞑って、体に力を込めるような仕草をした。啓はこの仕草をよく知っている。バル子のこの所作は、自身を魔動連結器に接続するための儀式のようなものなのだ。
バル子の体は魔硝石で出来ていると言って良い。今、バル子は、キャリアの魔動連結器に入っている魔硝石の代わりに、自分自身を魔動連結器に接続しているのだ。
するとキャリアは、一度完全停止した後、再びアイドリングを始めた。バル子は目を開いて、啓に顔を向けた。
「ご主人、準備ができました。キャリアはバル子と繋がりました」
「ありがとう、バル子」
「はあ。わざわざバル子ちゃんを使うなんて、本当にケイはバル子ちゃんがいないと駄目なんだねえ」
冗談半分にからかうつもりでミトラはそう言ったのだが、啓は普通に真顔で答えた。
「ミトラ、そりゃそうだよ。バルダーにしろ自走車にしろ、オレはバル子と繋がっている機体が一番操縦しやすいんだ。これからやろうとしていることを考えたら尚更、一番信頼しているバル子が必要だ」
「そんな、バル子が一番だなんて……もちろん、バル子の一番もご主人ですよ」
いつものバル子節に慣れつつある啓は、バル子のラブコールを軽く聞き流してキャリアを発進させた。
◇
一方、ウルガーとその護衛部隊は、啓達のキャリアがこちらに向かってくるのを確認した。あれほど強かったバルダーを収納して、わざわざ自走車で特攻してくる意図は分からなかったが、足止めの好機には違いなかった。
「殿下、爆砲の使用許可を!」
「許可する。準備でき次第、発砲せよ!」
ウルガーが攻撃指示を下す。先刻は啓のバルダーに一方的に蹂躙され、敗北感に打ちひしがれていたウルガーだったが、側近達からの叱咤激励と、護衛隊長からの軽口のおかげでメンタルを再起動させていた。
「父上の仇を絶対に抜かせるな。弾幕で確実に仕留めろ!」
再度、ウルガーが部下に号令を掛ける。王都軍の戦闘用バルダーに備えられている爆砲は、鉄の砲弾を高速で打ち出す武器だ。命中精度はそれほど高くないが、敵のバルダーや軍用施設を破壊するには十分な威力を持っている。
今回は目標の背後に王都軍の兵士はいない。多少、港が破壊されたとしても、爆砲の使用を躊躇する必要はなかった。
ところがウルガーのバルダー部隊は、別の理由で発砲の手を止めた。今まさに爆砲を撃とうとした直前、啓のキャリアが海に向けて、方向を90度転換したのだ。
速度を落とすどころか、さらに加速した自走車は、ウルガーをはじめ、護衛部隊全員が想像した通り、埠頭の先端で止まれる筈もなく、そのまま空中に飛び出した。
埠頭から飛び出した自走車は、自由落下でウルガー達の視界から消えた後、大きな水柱を立てた。それは、自走車が海に沈んだことを意味していた。
目の前で起きたあっけない幕切れに、ウルガーはあっけにとられ、呆然とした。
(俺に討ち取られるぐらいなら、自害するということか……)
「殿下、海上の捜索を!奴らは泳いで逃げる気かもしれません!」
思考停止しかけたウルガーだったが、護衛隊長からの呼びかけですぐに我に返った。確かに、啓達の死体を確認するまで安心することはできない。
「その通りだな……護衛隊長、引き続きお前の力で索敵を続けてくれ。残りの者は全員、海面を注視して奴らを……何の音だ?」
聞こえてきたのは、大型の作業用自走車か、土木用バルダーが出すような大きな駆動音だった。駆動音に混ざって、水が跳ねる音も次第に大きくなっていく。
やがて、埠頭に向かって大量の水飛沫が上がると同時に、海に沈んだはずの自走車が先端を上げて、海を「走って」行くのが見えた。護衛部隊の面々が一同にどよめく。
「何だあれは……」
「船を隠していたのか?」
「いや、間違いなくさっきの自走車だろう」
ウルガーも、再び目の前で起きた予想外の出来事に驚き、バルダーの搭乗口を開けて肉眼でその光景を見た。ウルガーのそばでは、既に護衛隊長がバルダーから降りて遠ざかっていく自走車を目で追っている。
「おい……あれは何だ。あれは自走車ではなく船だったのか?」
「……おそらく、その両方かもしれません」
「両方だと?そんな事が可能なのか!?とにかくすぐに船を出して……」
「いえ、無理です。あれは速すぎます……異常なほどに」
「……くそがっ!」
ウルガーは血が滲むほど唇を噛み、拳を操縦席に叩きつけた。
(絶対に捕まえてやる。地の果てまででも追いかけてやるぞ、ケイ!)
◇
白波を立て、キャリアが海上を爆走していく。
やがてキャリアは右に車体を傾け、水飛沫を上げながら、大きく弧を描いてターンした。キャリアが走った後には、綺麗な曲線を描いた引き波が残った。
「思ったよりもターンで膨らむな。やっぱりボートとは勝手が違うか」
「ひいいいいい……・」
「あはっ!あはははっ!楽しい!面白い!」
キャリアの中では、三者三様の感想が溢れていた。
元競艇選手の啓は、海の上を走るキャリアの操作感を、一方ミトラは、船とは思えないほどの速さで海の上を走る恐怖で悲鳴を上げ、そしてサリーは、始めて遊園地のアトラクションに乗った子供のようにはしゃいでいた。
「ちょっと、ケイ……もう少し速度を落とさない?」
「いや、もう少し……もう少しで全力ターンができそうな気がするんだ」
「まだ全力じゃないの!?」
「ミトラ……苦しい……ガアッ……」
4点式シートベルトで座席にしっかり固定されているミトラ達は、波で車体が跳ねようが、カーブの遠心力を受けようが、座席から投げ出されることはない。
しかし、恐怖で体が強張るミトラの腕の中で強く抱きしめられているノイエは、今にも潰されそうだった。
「ミトラ、ノイエが死んじゃうわよ。離してあげなさい」
「嫌よ!離したらあたしが死んじゃう!」
「死んじゃうって大げさな……地上ではかなりキャリアを乱暴に運転してても平気じゃないのよ」
「乱暴じゃないもん!限界まで性能を引き出してるだけだもん!」
「海の上だって同じでしょう。それにこんなに面白いじゃない」
「面白くない!」
意地でもノイエを離さずに怖がり続けるミトラに、サリーと啓は苦笑した。
「それにしても、ぶっつけ本番だったけど、うまく走ってくれてよかったよ。さすがはヘイストの設計だ」
「そうね、まさか本当に使うことになるとは思わなかったけどね」
それは啓とヘイストがキャリアの設計について打ち合わせをした時に、啓の何気ない一言から始まったことだった。
『そういえば、ケイは昔、船乗りだったとミトラから聞いたが、本当かい?』
『まあ、そう言われれば、そうとも言えるね。一人乗りの船で、速さを競う試合をやっていたんだ』
『だから、あんなに素早くバルダーを扱えるのか』
『陸上と水上では勝手が違うから、なんとも言えないよ。でも、そうだな。久しぶりに水面を走ってみたいかな。どうせなら、自走車が水の上も走れればいいのに』
『ケイ……詳しく聞かせてもらおうか』
『……え?』
獲物を見つけたヘイストは、啓から船に関する知識と、モーターボートの構造やそのエンジンの構造についても色々と聞き出した。
それからヘイストは、元々のキャリアの設計をすべて一から見直した。
その結果、ヘイストはキャリアの中を船のように空洞構造にして、しっかりと浸水対策を施した(空洞部分は、そのままバルダーを格納するためにも都合が良かった)。このキャリアが普通の輸送用自走車に比べて車体が高く、運転席も高い場所に設置されているのはそのためだったのだ。
完成したキャリアには、運転席の操作盤から切り替えを行うことで、キャリアの動力を車輪ではなく、車体後部に取り付けられているプロペラモーターへと伝える機能が備わっていた。
また、バルダーにも取り入れている自動姿勢制御によって、水の上で車体が横転しない機能も組み込まれた。
こうしてキャリアは、「理論上は」水の上も走れるスーパーカーとなったのだ。
「ねえ、ケイ。もう海の上を走れることは分かったでしょ?だから、少しだけで良いから、速度を落として!お願い!」
「そうは言っても……」
啓としても、別にこのキャリアでボートレースと同じように、走行速度やターンの鋭さを突き詰めるつもりは無かった。無理に車体に負担を掛けて、壊れてしまっては元も子もないのだから。
それでも啓は、キャリアを操縦した感触で、なんとなく気付いたことがあった。
「バルダーの重さもひとつの原因だと思うけど……おそらく、速度を緩めたらこのキャリアは沈むと思う」
「……はい?」
「今、こうして走っている分には問題ない。ただし、ずっと浮いていられないということさ。バル子はどう思う?」
「そうですね。ご主人の言う通りだと思います」
現在、キャリアの制御全般を掌握しているバル子は、キャリアの状態もほぼ把握していた。そのバル子も啓と同意見だった。
「推進力のお陰でキャリアは沈まずに済んでいますが、推進力が無くなった時、おそらくキャリアは海に沈むでしょう」
「ひいいいいいいいいいい!」
バル子の見解を聞いたミトラが、再び悲鳴を上げる。
「ど、どどど、どうすんのよ、ケイ!」
「だから、こうして走っているんじゃないか。このまま走って、できるだけ急いで王都を離れる。それからどこかに上陸する。それしか無いだろう」
「ねえ……もしも途中でバル子ちゃんが疲れちゃったり、キャリアが壊れたら……」
「その時はまあ、キャリアを捨てて、泳ぐしかないかな」
それを聞いたミトラは、真っ青な顔をしてうなだれた。
「ミトラ?」
「…………のよ」
「何だって?」
「あたし……泳げないのよ!」
「……ミトラが怖がっている理由って、もしかして速度ではなく、泳げないせいなのか?」
「だったら何よ!悪い!?」
「いえ、悪くないです……」
ミトラに逆ギレ気味に怒られた啓は、これ以上ミトラを刺激するのは危険と判断し、話題を変えるつもりでサリーに話しかけた。
「それでサリー、これから何処に向かえばいいと思う?」
「ああ、問題はそこだな。ケイとミトラは既に王都で指名手配されているはずだ。オルリック全域に広まるのも時間の問題だと思う」
「あれ、サリーは?」
「私は仮面を被っていたからな」
「……なんかずるいな」
「そう言うな。だが、そのおかげで、私はある程度自由に行動できる。例えば、私が先行して、進む先の安全確認をしてくることもできるだろう」
便利に使ってくれ、とサリーは言った。しかし、そもそもサリーは元王女である身分を隠している。あまり派手に動くわけには行かないだろう。
「ユスティールに戻ったところで、居場所は無いかもしれないな……シャトンが心配だから戻りたいのは山々だが」
「シャトンなら、きっと大丈夫よ。心強い護衛が沢山いるじゃない」
「まあ、それはそうだけど」
啓がユスティールで経営している猫カフェ「フェリテ」は今、店長であるシャトンが一人で切り盛りしている。
一応、啓の不在中には、ガドウェル工房の職員や、サリーの友人である彫刻家のユーゴ、そしてユスティールの市長にも、時々様子を見に行ってもらえるようお願いしてある。
加えてシャトンには、それ以上に(物理的にも)心強い「護衛達」がいる。何かあっても、確実にシャトンと店を守ってくれているはずだ。
「そこで、ケイ。私達の行き先なんだけど……ひとつ妙案があるのよ。聞いてくれる?」
「妙案?」
提案ではなく、妙案という言い回しが気になった啓は、軽く身を乗り出した。
「ええ、妙案。普通なら考えつかないというか、そんな所に向かうなんてありえないと思うけど……」
「分かった。じゃあそこに向かおう」
行き先を教えてくれ、という啓にサリーは面食らい、目をパチパチとさせた。
「え?ちょっと、ケイ。向かうって言ったって、まだ何も話してないじゃない」
「何言ってるんだよ、サリー。だってサリーのほうがこの国のことに詳しいし、サリーが考えた案なら、きっと間違いないと思う。オレはサリーを心から信頼しているし、理由なんて向かいながらついでに聞かせてくれればいいよ」
「ケイ……本当に君という奴は……」
そう言って微笑みかける啓に、サリーは顔を赤らめて俯いた。
「はーい、そこ。二人で雰囲気を作らないでくださーい」
「ご主人、そろそろ自覚なさってくださいませんか」
啓とサリーに、ミトラとバル子が茶々を入れる。なお、啓はサリーがなぜ顔を赤くしているのか、全く分かっていなかった。
「で、サリー。何処に向かえばいいんだ?」
顔を上げたサリーは軽く頷くと、啓とミトラに行き先を言った。
「行き先は、エルストだ」
「エルスト?聞いたことのあるような地名だな……」
「エルスト……あっ!思い出したよ、サリー姉。温泉のある御用邸があった所だね!」
「そうだよ、ミトラ。私達が向かうのは、エルストにある王家の御用邸だ」
王家の御用邸はその名前の通り、王族御用達の別荘だ。しかし、王を害した疑いで指名手配されている人間がそんな所に近づくのは、普通ならば馬鹿者の所業である。
しかし啓達は、王都に向かう前に一度訪れた経緯があるし、そこはサリーにとって、とても大切な思い出があり、とても大切な人がいる場所でもあった。
「あの御用邸か。管理人のナタリアさんは凄い人だったな……って、サリー、もしかして……」
「その通りだよ、啓。私はナタリア小母様を頼ってみたいと思う。私が正体を明かして訳を話せば、小母様はきっと力になってくれると思うんだ」
こうして啓達は、再びエルストにある王家の御用邸に向かうのだった。
キャリアは水陸両用でした。
無事に脱出した啓達は、再びエルストに向かいます。
なお筆者は、年度末進行の激務から、まだ無事に脱出できていませんorz
レビュー、ブックマーク、評価、誤字指摘などいただけると大変励みになります。
よろしくお願いいたしますm(_ _)m