062 アドバイス
『女神様は、この力は魔力だと教えて下さいました。私は魔力を持つ者、すなわち魔女となったのです。かつて私は、魔女という言葉に心も体も傷つけられました。そのことを、私は決して忘れることはないでしょう』
「……」
『しかし女神様は、魔女ではなく、聖女におなりなさいと仰ってくれました。私は女神様から賜った力を、復讐や私欲のためではなく、人々の為に使いました。そして私は、この地で魔女ではなく、聖女と呼ばれるようになりました。王になってしまったのは予想外でしたが』
「・・イ!」
『この力は、人々だけではなく、私にも幸せを与えてくれました。私は心から救われたのです。願わくば、貴方も魔女ではなく、聖女たらんことを……』
「ケイ!」
「おわっ!」
耳元でサリーに叫ばれた啓は、思わずビクッとなって身を反らせた。
「ケイ、この状況で何を呆けているのだ」
「ごめん、ちょっと建国王の手記を思い出してて……」
「まったく、呑気なのか、大胆なのか……」
そう言いながら、サリーは「下から」伸びてくる手を細身の剣で振り払った。
啓とサリーは、所長が開放した「魔硝石を埋め込まれて生き返った死体の囚人」に囲まれていた。その数はざっと30体ほど。
ゾンビと化している囚人達は、動きは鈍かったものの、魔硝石の力によって強化されているのか、思いの外、力も強かった。
サリーは(スカートから取り出した)細身の剣で応戦してみたものの、相手は元々死体であるためか、斬られても怯むこと無く迫ってくる。そこで啓とサリーは、手近な箱檻の天井に一時避難したのだった。
「こいつら、動きは鈍いし、頭も回ってないのか、檻を登ってくる様子はない、だが、いつまでもここでやり過ごすわけにはいかない。研究所が崩落するまで、もう時間がない」
「そうだな」
「しかし、この人数に囲まれてしまっては突破も難しいだろう」
「ああ、分かってる」
「ケイ、本当に分かっているのか?」
のらりくらりと答える啓に、サリーは少し苛立ちを覚えたが、啓は「大丈夫だ」と言って立ち上がると、周囲を見回した。
眼下には、唸り声を上げながら檻を取り囲む囚人達が見える。様々な箇所に魔硝石を埋め込まれた死刑囚達は、所長の最後の命令に盲目的に従い、啓達のいる箱檻に殺到していた。
やがて、箱檻のそばにいた囚人の一人が、後ろからやってきた別の囚人に踏み倒された。同じようにして倒れた囚人が新たな足場となり、ついに囚人の頭が、箱檻よりも高い位置に現れた。
啓はその正面に座ると、そっと手を囚人の額にかざした。
「ケイ!」
「ひいいっ!ご主人!?」
啓の仕草に、サリーが慌てて声を掛ける。啓の胸元から顔を出していたバル子に至っては、真正面で腐りかけている囚人と顔を合わせることになったため、半分は狼狽の意味で、もう半分は抗議の意味を込めて啓に向かって叫んだ。
「大丈夫。見ていてくれ」
すると、啓の掌が光を発し始めた。そして、囚人の額の魔硝石と光のパスを繋ぐ。
「ケイ……もしかして、召喚するのか!?」
サリーは、啓が囚人の魔硝石を使って動物を召喚するのだと思った。囚人に嵌っている全ての魔硝石を動物に変えてしまえば、囚人達は魔硝石から力の供給を失い、おそらく動きを止めるだろう。しかし啓は首を横に振った。
「召喚はしない。これだけの数をいちいち召喚して回っていたら時間が足りないと思う。それに……」
「それに?」
「こんな状況で動物を召喚しても、全員を地上に連れて帰れるとは限らないだろう?動物達を生き埋めになんてできないよ」
いかにも啓らしい意見に脱力しそうになったサリーだが、ならば啓は何をしているのだろうとも思った。しかし、その答えはすぐに出た。
啓の正面に身を乗り出そうとしていた囚人は、いきなり力を失い、後ろに倒れていったのだ。
「よし、うまくいった」
「ケイ、一体何を?」
「魔硝石の力を全部吸い取ってみた」
「はあ?」
それはサリーにとって、理解しがたい現象だった。魔硝石は、人の持つ力を増幅して、大きな力へと変化させるものだ。
貴族ではない一般市民でも、バルダーや自走車を扱えるのはそのためだ。そしてより大きな力を持ち、女神の奇跡を行使できる貴族にとっては、魔硝石は奇跡の力をも増幅できる効果を持っている。
しかし、どちらの場合でも、あくまでそれは魔硝石に向かって働きかける、いわば放出するものであり、魔硝石の力を吸収するものではない。しかし啓は、それをやってみせたのだ。
「建国王は、魔硝石に自分の力を込めたり、逆に魔硝石から力を吸収して、自分の力として使うことができたんだ」
「そうなのか?」
「ああ。やり方は建国王の手記に書いてあった。オレは建国王と違って、最初から大量の魔力……じゃなくて、力は持ってない。でも、オレの力と、建国王の力の根源が同じものであれば、きっとオレにもできると思ったんだ」
建国王も啓も、女神から直接力を授かった者同士だ。動物を召喚する能力は啓のユニークスキルだとしても、根本的な魔力操作に関しては、建国王同様に扱えるはずだと啓は考えたのだ。
啓は再び、建国王の手記の一文を思い出した。
『願わくば、貴方も魔女ではなく、聖女たらんことを』
(オレは男だから、魔女でも聖女でもないけどな)
建国王は、次に召喚されてくる人間も女性だと思っていたのかもしれない。ともかく啓は、建国王の残してくれたアドバイスに感謝しながら、再び立ち上がった。
「サリー、今から囚人達の魔硝石の魔力を全部吸収する。カンティークが巻き込まれないように、サリーはオレの後ろに回ってくれ」
「わ、分かった」
啓はサリーが自分の背後に移動したことを確認すると、眼下の囚人達に手を向けた。
「無理やり起こされて辛かっただろう……今度こそ、安らかに眠ってくれ」
そして、啓の掌が激しく光った。
◇
「ひいいい!まだ追ってくるよおおおおお!」
「ミトラ、次、右、ガアッ!」
「右?右ね!おりゃああああ!」
全速力で走っていたキャリアが、一気にブレーキをかける。後輪をドリフトさせて車体を大きく振ったキャリアが、右手の路地の正面に向いたところで再び加速し、路地へと消えていく。
ミトラはこんな調子で、王都の城下町でキャリアを爆走させていた。その理由は、王都の警備に追いかけ回されているためだ。
王の執務室に行った啓とサリーから、すぐにキャリアへと戻るように(ノイエ経由で)指示されたミトラは、ノイエを連れて、速やかにキャリアに向かった。
ミトラはキャリアの中で、啓とサリーの戻りを待っていたが、やってきたのは物々しい装備で固めた城の警備兵だった。
直感で危険を感じたミトラは、反射的にキャリアを発進させて逃走を図ったが、すぐに王国警備隊の自走車とバルダーがキャリアを追いかけてきた。結果、ミトラは王都内を走り回って逃げる羽目になったのだ。
幸い、ミトラのドライビングテクニックは一級品であり、キャリアの操縦にも熟練していたため、建物に当たることもなく、人を轢くこともなく、縦横無尽に華麗に運転してみせた。
とはいえ、王都の警備兵もただ追いかけるだけではなかった。
『よし、そこで左に誘導しろ!その先は行き止まりだ!』
『はい……あ、右に逃げられました』
『くそっ!』
王都の警備兵は、ミトラを袋小路に誘い込もうとしたり、事前に網を張って待ち伏せしようとした。しかしミトラは、その策に一切引っかからなかった。
『なぜだ!なぜ捕まえられない!』
『おそらくあの娘は、王都の地理に熟知しているのではないかと』
『やはり陛下暗殺は、用意周到な計画だったということか。小癪な……』
王都の警備兵達はそんな会話をしながら、必死に逃走犯を追いかけたが、警備兵達の認識は間違っていた。実際の所、ミトラは王都の地理など、全く詳しくなかった。
「ノイエ!次は!?」
「……左に曲がって、すぐに右。ガア!」
「はいよっ!……チャコちゃんには、後でたくさんお礼しなきゃね!」
ミトラが器用に逃げ回れている理由……それは、上空から俯瞰しているチャコが警備隊の動きや路地の先を確認し、適切なルートをノイエに念話で伝えているからだった。
しかしミトラも、このままずっと逃げ続けられるとは思っていなかった。いずれ、キャリアの動力が停止するか、包囲網が完成して捕まるに違いない。王都を脱出しようにも、おそらく城下町の出入り口は既に完全封鎖されているだろう。
最悪の場合、損傷覚悟で強行突破しなければならないと考えているミトラだったが、いずれにしろ、啓とサリーを回収するまでは、王都から出るつもりはなかった。
ミトラがそんなことを考えていると、突然、王城付近で大きな爆発が発生した。ミトラを追いかけていた警備隊も一旦足を止めて、爆発した方角を眺めている。
「何だろう……別にあたしは何もしてないよね?」
「ミトラ!ミトラ!」
「ノイエ、何か分かったの?」
「チャコ、ミトラ、呼んでる。王城へ行け。ガァ!」
「王城!?せっかくそこから逃げてきたのに、また戻るの!?」
「王城、行け。ガァ!」
「ああん……もう!行けばいいんでしょ!」
腹を決めたミトラは、王城を目指してキャリアを再び爆走させた。
◇
箱檻の天井から降りたサリーは、動かなくなった囚人達を見て舌を巻いた。啓は予告通り、囚人達の魔硝石の力をすべて奪い取って、かりそめの生命活動を全て止めたのだ。
「本当に見事だよ、ケイ……ところで、何をしているんだ?」
「ん?……まあ、一応ね」
合掌して黙祷する啓の仕草は、この世界の作法には存在しない。それでも啓は、そうせずにはいられなかったのだ。
「よし、サリー。脱出しよう。どっちの扉から出ればいいと思う?」
「どちらかと言えば、城への地下通路だろう。研究所内の道は分からないし、途中で崩壊が始まったら逃げ場もない。あの紋章の秘密を知っていそうな所長を追えないのは残念だがな」
カマを掛けているだけかもしれないが、所長はサリーの正体にも気付いているようだった。そんな危険な人物と、今は鉢合わせしないほうが良いと考えた啓は、サリーの意見に賛成した。
「よし、じゃあ元来た道を戻るとしようか」
「だが、問題は扉だ。所長が封鎖したと言っていたし、簡単には開かないだろう」
頑丈そうな扉なので、破壊するにしても時間がかかる、とサリーが言った。
しかし啓は、迷うこと無く地下通路への扉に向かって歩き、真正面に立った。
「ケイ?」
「オレ の中には、さっき吸収した魔硝石の力がある。それを使ってみようと思う」
「行けそうか?」
「直感だけど、大丈夫だと思う」
魔力を使う時には、やりたいことと、その結果を具体的に思い描くことが大事だと手記にも書かれていた。漠然とではあるが、啓は今、自分がこの扉を破壊できないとは微塵も考えていなかった。
ただ、それは啓自身ではできないことだった。
(今のオレでは、取り込んだ魔力を直接使うことはできない)
啓はまだ、自分の力だけで魔力を変質させて何かを具現化するようなイメージを思い浮かべることができなかった。経験のないことをぶっつけ本番で成功させる自信も無い。
(だったら、経験のある方法を使えばいい)
啓は服の中に手を突っ込み、バル子を服の中から引っ張り出した。バル子は「あああ……」と名残惜しそうな声を上げる。
「バル子、手伝って欲しい」
「もちろんです、ご主人。お役に立てたら、また服の中に入ってもいいでしょうか?」
前向きに検討する、と答えた啓は、まずバル子に吸収した魔硝石の力を分け与えた。バル子の実体は魔硝石なので、啓は難なくそれを実現させた。
「ご主人、凄いです……力が溢れてきます」
「よし。それじゃ、バル子。扉を攻撃すると同時に、その力を使って強力な盾を張る。破壊の衝撃から全員を守ってくれ」
「承知しました。ところで、扉はどうやって破壊するのですか?」
バル子の問いに、啓は視線で答えた。視線の先にあるのは、サリーと、サリーの仮面に模したカンティークだ。
「サリー。扉を破壊するのはカンティークに頼みたい。カンティークは、バル子よりも武器の具現化が得意だったはずだよな」
「……そういうことか。分かった。カンティーク、いいかい?」
「ええ、もちろんです、ご主人」
カンティークは仮面の変身を解き、豪奢な毛並みのメインクーンに戻った。
啓はカンティークの背中をモフりながら、カンティークに言った。
「カンティークにもオレの力を分ける。その力を使って、扉を破壊して欲しい」
「承知しました、創造主様」
啓はカンティークにもバル子と同じように魔力を分け与えた。カンティークは全身をブルッと震わせた後、サリーに向かって「いつでも大丈夫です」と答えた。
「よし、カンティーク。破壊槌でいこう。それで扉を吹き飛ばす」
「承知しました、ご主人」
「バル子、盾の準備だ」
「準備できております、ご主人」
サリーの手に金色の長柄のハンマーが出現する。サリーはハンマーを構えて、扉の前に立った。
「いくわよ……せーのっ!」
「ご主人、天井が!」
サリーがハンマーの先端を扉に叩きつけたのと、研究所の崩壊が始まったのはほぼ同時だった。
建国王のアドバイスで、啓とサリーは活路を見出しました。
ミトラも必死に逃走中です。
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