006 初めての模擬戦 その1
「ふむ、バルダーは起動はしたが、残念な知らせだ。左腕は使い物にならん」
「そうですか……ですがそのおかげでミトラが無事だったのですから、腕の一本ぐらい安いものですよ」
ザックスの乗る黒いバルダーの強烈な体当たりを食らい、バルダーの左腕は損傷していた。しかしあの体当たりを食らってミトラが軽傷で済んだのは、左腕のおかげとも言える。
「そうだな。そういう考え方もある。ケイ、お前は良い奴だな。ミトラもいい男を見つけてきたもんだ」
「いえ、オレは別にミトラとそういう関係では無いです。そんなことより市長、オレにバルダーの操縦を教えてください」
「うむ。あまり時間も無いからな。ケイ、操縦席に座れ」
啓は頷き、市長が立たせておいてくれたバルダーの操縦席へと座った。いくつものレバーやボタンがあり、操作は複雑そうに見えた。操縦席の両側には競艇のスロットルレバーと同じ大きさぐらいの握りがある。
「まずはバルダーの起動だ。ケイは車を運転したことがあると言ったな?起動方法は同じだから問題ない」
「ええと……キーを回すところが見当たらないのですが。それとも今時のエンジンスタートボタンのタイプですか?」
「ケイは何を言っているのだ?なぜ右下あたりばかりを探っているのだ?」
「ええと、すみません。たぶんこの……国の車と勝手が違いまして」
啓は『この世界の』と言いかけ、慌てて言い換えた。ともかく、『普通の』車にあるようなエンジンスタートのための機構を啓は見つけることができなかった。
「ほれ、そこの魔動連結器のスイッチを下げろ」
「そこ?魔動連結器?」
全く聞き慣れない装置名を言われて啓は戸惑った。市長が指差す方向と、スイッチという言葉を頼りにそれっぽいスイッチを探すと、左側の後ろの方に、古い家屋のブレーカーや、工場の電源操作盤に付いているようなナイフスイッチのようなものを見つけた。
「これ、ですかね?」
「それだ。ガッと下げろ」
「はい……おお、揺れる!」
スイッチを下げると、バルダーが微振動をし始めた。アイドリングを開始したようだ。今の操作で起動するということは電動なのだろうか。しかし重機といえば大抵は石油燃料だ。果たしてどちらだろうか。
「バルダーの燃料は『ガソリン』ですか?それとも『電気』?」
「ガソリン?なんだそれは。そもそもバルダーに燃料なぞ使わん。動力源は魔硝石だ」
「ああ、そういえばそんなことを聞いたような……」
魔硝石というものの名前は何度か耳にしたが、それがどのようなものかは全く想像がつかなかった。磁石のように単体で何かしらの性質があるものなのだろうか。魔硝石という名前なので石だと思っているが、実際にそれが本当に石なのかも怪しくなってきた。しかし今はそんなことを気にする余裕はない。啓は疑問を飲み込み、次の指示を待った。
「起動したな。では操縦桿を握れ。左右の握りだ」
「はい、握りました」
「よし。あとは動かすだけだ。まずは軽く右手を動かしてみろ」
「……どうやって?」
いきなり腕を動かせと言われてもやり方が分からない。試しに右側の操縦桿を動かそうとしてみたが、操縦桿はビクともしなかった。そもそも右手を動かすという操作を考えれば、肩関節を動かし、腕関節を動かし、手を動かす、といった所作の命令を行わなければ思うように動いてくれない気がする。市長の教え方は雑すぎではないだろうか、と啓は思い始めた。
「何をしている。操縦桿を握って、右手を動かす思考をバルダーに伝えるだけだろうが」
「は!?」
啓は素っ頓狂な声を上げた。思考を伝えるとはどういうことだろうか。とりあえずハンドルやアクセルで運転するような代物では無いということだけはなんとなく分かった。何故ならそんなものはこの操縦席に無いからである。啓の頭は混乱し、両手で頭をかきむしりたい衝動に駆られていた。
「……そうだ。動いたようだな。だが何故頭上で手を振っているのだ?」
「えっ?」
啓は膝に影が落ちていることに気がついた。そしてその影はユラユラと動いている。啓が上を見ると、バルダーの右腕が上に上がり、アームが頭上で前後に動いていた。それは啓が頭を掻きむしるイメージそのものの動きだった。一方、左腕は下がったままで、かろうじて小さく揺れているだけだった。
「……そうか、そういうことか。どういう理屈かは分からないけれど、とにかくそういうことか!」
啓は、バルダーが思考制御型のメカだと理解した。バルダーは啓が思い浮かべた、両手で頭を掻きむしるイメージを受け取り、その動きを再現したのだ。左腕が上がらなかったのはおそらく先の戦闘で故障したせいだろう。バルダーの動かし方が分かった啓は、様々な動きをバルダーに伝えてみた。右手を前後左右に振る。ボクシングのようにパンチの動作をする。バルダーは啓の思い通りに右腕は動かしてくれた。バルダーの腕の長さや形は、先の模擬戦でよく見ていたので、想像するのも容易だった。足も同様で、その場で屈伸したり、足踏みをすることができた。
「市長、いい感じです!ちゃんと動いてくれます!」
「そのようだな。いいぞ、ケイ。初めてだから自分の思考とバルダーの動きに時間差があったり、思ったように動かないだろうが、そこは慣れるしか無い」
「そうですか……でもあまり時間差は感じませんし、思い通りに動きますよ」
そう言いながら啓はバルダーの右腕で4拍子の指揮振りをしてみせたり、今度は足も使って、某アイドルグループのダンスの振りをしてみせた。
「……こいつは驚いた。初めてのバルダーでそこまで親和性を見せるとはな。ケイには素質があるかもしれんな」
「でも、市長。思い通りに動くのであれば、これらのレバーやボタンは何に使うのですか?」
「それは機体固有の特殊な動きや、装備品の道具を取り出す時などに使うのだ」
市長曰く、作業用バルダーには荷物を運搬するためのウインチやワイヤーなどが装備されているという。それらを取り出したり、扱うための操作に必要なのだそうだ。
「だから今回の模擬戦では使用しない。もっとも、装備品は全て外してあるので、操作したところで何も起きないがな。だが、黒いバルダーは違う」
「……さっきの蒸気ですね」
ザックスがミトラとの戦闘中に見せた、強力な突進攻撃。その突進を行う直前、ザックスのバルダーは蒸気のようなものを機体から放出したのだ。
「そうだ。戦闘用バルダーには戦闘用に特化した装備や機能を持っている。おそらくザックスはそれを使った。バルダーの威力を一時的に増強するような仕組みなのだろう。機体に負担がかかるので常用は出来ないだろうが、十分注意するべきだろう」
「そうですね、何か対策を考えないと……ところで市長、何故このバルダーというものは操縦者の思考で動くのですか?」
「そりゃあ、魔動連結器があるからに決まっているだろう」
再び魔動連結器という単語が現れた。かなり重要な機器であることは分かったが、啓にはそれがどんなものなのか、まったく想像がつかなかった。
「魔動連結器って何ですか?どんな仕組みなのですか?」
「魔動連結器ってのは中にある魔硝石を活性化させて思考を動力に反映させてだな……儂にもそれ以上、詳しいことは知らん。造った奴に聞け」
「はあ、そうですか」
「だが、今はそんなことを考える時間はない。ケイに必要なのは操縦の練習だ。時間いっぱいまでバルダーを操作して慣れておくことだ。違うか?」
啓は市長の提案に同意し、試合開始の直前まで、バルダーの操縦練習に打ち込んだ。
◇
まもなく試合開始の時間になる。啓はバルダーを開始位置まで移動させると、搭乗口を開いた。思考操作とはいえ、初めて乗ったバルダーの中でずっと操縦席にしがみついてバルダーを操作するのは、かなり疲れる作業だった。汗をかいて熱のこもった体を冷やすために啓は搭乗口を開いたのだが、そのおかげで啓は自分のバルダーに近づく足音にすぐ気がつくことができた。自分のバルダーの整備を終えたザックスが歩いて近づいてきたのだった。
「よう。危なっかしい足元だったが、多少は乗れてるみたいじゃねえか。お前、やっぱり操縦は初めてじゃねえだろ?」
「いや、正真正銘、初めてだ」
「ふん。どうでもいいが、どうやら左腕は動かねえみたいだな。そんな壊れかけのバルダーで俺に勝てるとでも思ってるのか?」
「お前こそ、足元が危なっかしいと言ったり、左腕が動かないことに気がつくなんて、そんなにオレの練習が気になったのか?」
「……なんだと?」
「お前はこれから初心者のオレに負ける。それも戦闘用バルダーが片腕しか動かない作業用バルダーに負けるんだ。今から負けた時の言い訳を探しておきたいのは分かるが、そんなことよりも謝罪の練習と、どっちの頬を殴られるかを考えておくことをお勧めするよ」
「……絶対に殺してやる」
ザックスは啓をひと睨みして、自分のバルダーに向かって歩き去った。
啓はザックスの冷静さを欠かすために挑発してみたものの、あともうひと押し必要かな、と考えていた。競艇は冷静さを失ったら勝てない。それどころか大事故を招く恐れすらある。元競艇選手の啓は何度もそんな場面に遭遇してきた。だから啓は、ベテラン選手からの挑発や冷やかしにも動じず、常に冷静な頭でレースに臨むことを心がけ、自分に言い聞かせてきた。
「啓。ここは勝負駆けの時だ。だが熱くなるな、冷静であれ、だ」
◇
啓とザックスの模擬戦を見る観客の数は最初の試合の時よりもかなり増えていた。模擬戦の噂を聞きつけて、市場にいた人のほぼ全員が見に来ていたのだ。中には自分の出品ブースを休止してわざわざ見学に来る人まで出ている始末だった。観客の歓声の中、市長が試合開始の合図を出した。
(ザックスはいきなり突撃してくるかと思ったけれど、意外だったな)
ザックスが開幕と同時に攻撃してくる可能性を考えて警戒していた啓だったが、ザックスは軽く機体を揺さぶるだけで、突撃してくる様子はない。一応、ザックスも啓を警戒しているようだ。ならば、と啓は右腕を前に伸ばし、指先をクイクイと曲げてみせた。かかってこいよ、という挑発である。観客の歓声が更に大きくなる。
「舐めやがって……ぶっ殺してやる!」
ザックスはコクピットの中で叫んでいた。半分壊れたバルダーに乗り、初めてバルダーを操縦するとほざく男が、このロッタリー工房の跡継ぎである自分を挑発するなど、許されることではない。ザックスは性能強化のスイッチを押した。黒いバルダーの関節から蒸気が吹き出す。そしてザックスはバルダーの左肩を目の前にいる壊れかけのバルダーに向けた。
黒いバルダーが蒸気を吹き出すのを見た啓は、すぐに迎撃の態勢を整えた。ザックスが挑発に乗ってくれたのはありがたいが、自分があの速度に対応できなければ意味がない。
(突進の速度は一度見た。あの速度ならば対処できるはず!)
最高時速80km/hで水面を走るモーターボートの世界で生きてきた啓は、速度に対する感性が養われていた。相手の速度や侵入角度で『何秒後にどのあたりにいるか』とか、『この速度ならば相手と接触せずにすり抜けられるだろう』など、速度に対するイメージを感覚で理解していた。
(水面とは違う。乗っているものも違う。だがそんなことは問題じゃない!奴のバルダーを見ろ!集中しろ!)
黒いバルダーが一瞬腰を落とした。直後、黒いバルダーが弾けた。啓のバルダーに向かって体当たりを仕掛けたのだ。迫り来る黒いバルダーを啓は見ていた。啓が仕掛ける一瞬のために。
(……今!)
啓はバルダーの右足を大きく後ろに振った。真後ろではなく、左後方に向けて大きく振った。その間にも黒いバルダーが迫る。啓とザックスのバルダーが衝突すると思われた瞬間、啓のバルダーが体勢を崩し、左足を軸にしてクルッと時計回りで転身した。バルダーが転身して空いた空間を黒いバルダーが通過する。啓は見事にバルダーを躱してみせた。
これは啓が操縦の運転をしている時に思いついた体捌きだった。普通の人間ならば体勢を崩して転倒するかもしれないほどに多少無理のある動きだが、啓が着目したのはバルダーの『オートバランス』機能だった。それは今日、市場でミトラが教えてくれたことだ。
『バルダーが倒れそうになって一定以上の傾きを検知すると、自動的に姿勢制御が動いて倒れないように足や手を動かすんだよ』
ミトラが言ったことを市長にも聞いてみると『外部からの負荷や足場が悪いところならばともかく、自分の動きであれば平面で倒れることはないようにバルダーは設計してあるものだ』と教えてくれた。だから啓はバルダーを信じて、そんな無茶な動きをしてみせたのだ。無論、操縦練習中にもいくつか無理な動きをしてみて倒れないことは確認済みである。おそらくザックスの目には、運転に慣れない奴がバルダーの操縦に手こずっているようにしか見えなかっただろう。現にザックスは啓に『危なっかしい足元をしている』と言ったほどだ。結果、啓の思惑通り、バルダーは体制を立て直すために勢いよく転身して見せたのだった。
だが、啓はここでひとつだけ計算違いをしていた。バルダーの姿勢制御には『手足を動かして倒れないようにバランスを取る』という動作がある。元々腕がないバルダーであれば足だけで姿勢制御を行うかもしれないが、この『流星』シリーズのバルダーには2本の腕と2本の足がある。バルダーは全身のバランスを考慮して姿勢制御を行う。啓のバルダーも自動的に姿勢制御が働いたものの、『動かない左腕』は姿勢制御に役に立たないだけではなく、足を引っ張った。かくして、啓のバルダーはすんなりと姿勢制御が働かず、更に半回転、余計に回ってしまった。その計算外のせいで、意外な結果を生むこととなった。
ゴン!という乾いた金属音が試運転場に響いた。啓は思わず『あっ』と声を漏らした。余計に半回転した啓のバルダーの左腕は、制御を離れて慣性のまま振り回された結果、啓のバルダーの真横を通過しかけていたザックスの黒いバルダーの上半身を激しく叩いた。啓のバルダーはもう半回転した後で止まり、今度こそ姿勢制御によって倒れず立ち止まったが、黒いバルダーのほうは体勢を崩した上に余計な加速を付けられてつんのめり、そのまま前のめりに倒れて地面を滑っていった。
「2戦目の勝者はケイ!」
市長が啓の勝利を宣言すると、観客席から大きな歓声が上がった。啓はバルダーのハッチを開き、しっかりと黒いバルダーが倒れていることを目視で確認してから、市長と、観客席に向かって手を振って歓声に応えた。
「凄いな今のは!」
「流石に偶然だよな?」
「だが相手のバルダーはどう見ても戦闘用だろ?だらしねえなあ」
歓声と共にそんな声も混じっている。実際、啓自身も棚ぼたの勝利に驚いていた。危うい姿勢制御だったが、最終的には倒れずに立っていたバルダーの性能にも感心した。
「バルダー、ありがとう!お前、大したやつだよ!」
思わず啓はバルダーに向かってお礼を言ってしまったが、これは啓の昔からの癖でもあった。啓はボートレーサー時代にも、自分の乗った艇やモーターにお礼を言ってしまう癖があった。勝っても負けても艇にねぎらいの言葉をかける啓の姿に、女性レーサーの幾人かはキュンと胸をときめかせることもあったが、朴念仁の啓にはそれを知る由もなかった。そんな啓は、ここでも変わらず、何度もバルダーにお礼を言った。
”どういたしまして”
「えっ!?」
今、どこからともなく声が聞こえたような気がしたが、啓の意識は怒声に上書きされた。
「どういうことだ!?ああっ!?」
黒いバルダーから出てきたザックスが周囲の男達をどやしつけていた。おそらくロッタリー工房の関係者だろう。男達はザックスにペコペコと頭を下げながら、機体のチェックをしていた。
「このぐらいでぶっ倒れるような不良品を造ったお前達のせいだ!戻ったらクビにしてやるからな!」
「……あーあ、酷い言い草だな。絵に書いたような『社長の馬鹿息子』ってやつか」
荒れているザックスを見ながら啓はそう呟いた。啓の今のつぶやきが聞こえたとは思えなかったが、ザックスが鬼の形相でこちらに歩いてきた。
「てめえの幸運はもう売り切れだ。次は叩き潰してやる」
「どっちの頬を殴られることにするか、もう決めたのかい?」
「ほざいてろ。戦闘用バルダーの力がこんなもんだと思うなよ」
最終試合の開始はザックスの希望により早められた。先と同じように30分のインターバルを取ると市長は言ったが、ザックスの機体に何の異常がなかったことを理由に、すぐさま試合を行いたいという申し出があったのだ。啓もバルダーの操作に慣れてきたところなので、勘が鈍らないうちに試合を続けたいと思っていたし、啓のバルダーも今の試合で何の損傷も増えていなかったので、時間を早めることに異存は無かった。
「最終試合、始め!」
市長の号令と同時に、ザックスの機体が走り出した。蒸気は吹き出していない。ただ普通に走って啓のバルダーに向かってきたのだ。さすがに訝しく思った啓は、いつでもサイドステップが切れるように構えた。しかしザックスはバルダーの足を止めると、左手を前に伸ばして、指先をクイクイと曲げた。前の試合で啓が挑発した動作をそっくり返したのだ。
(どうする……挑発に乗るか、無視するか……)
ザックスの思いがけない行動に啓は困惑した。啓はザックスの挑発で頭に血が昇って突撃するような真似こそしなかったが、あえて挑発に乗ることで勝機があるかもしれないと考えた。
(あんな転身の回避は何度も使えない。いや、むしろ次にやったら読まれて今度こそ吹き飛ばされるかもしれない。だったら、このバルダーのパワーを信じてみるか)
『流星』シリーズはアームの力が強い。たとえ相手が戦闘用バルダーだとしても、たとえ片腕しか使えなくとも、クリーンヒットすれば体勢を崩すことができると信じて、
「頼むぞ、バルダー!信頼してるからな!」
まかせて、と返事が聞こえた気がした。たとえ空耳であっても、啓は心強さを感じた。
啓はバルダーを進めて、互いに手の届く位置まで接近した。もう一歩進めば搭乗口同士がぶつかるほどの距離だ。すぐさま黒いバルダーが右腕でパンチを繰り出す。腕のリーチは啓のバルダーの方が長いが、啓のバルダーは左腕が動かない。啓はバックステップでパンチを躱し、その直後に再び前に一歩足を出しつつ、右腕で黒いバルダーにパンチを繰り出す。黒いバルダーは左腕を振り上げて啓のバルダーのパンチを弾く。そんな泥臭い叩き合いがしばらく続いた。
啓もザックスも必死に有効打を狙っていた。片腕だけしか使えない啓の方が不利に思えた殴り合いだったが、実際に殴り合ってみると、ザックスのバルダーはあまり機敏に動いていないことに啓は気づいた。動き始めの所作や、動作と動作の間隔が啓よりも長いのだ。戦闘用バルダーの性能が悪いとは思えないので、ザックスとバルダーの親和性の問題だと啓は考えた。一方の啓は、タイムラグをほぼ感じることなくバルダーを動かせている。その差が如実に現れていた。
また、ザックスもそれに気づいたのか、ザックスは途中から防御に重みを置き、啓の攻撃を防ぐことに注力しているようだった。だが『流星』シリーズのアームのパワーは、ザックスのバルダーの腕に着実にダメージを与えていた。そしてついに、ザックスのバルダーの左腕関節は負荷限界を超え、折れて動かなくなった。黒いバルダーの左腕が力なくだらんと垂れたことを目視確認した啓は、このチャンスを逃すまいとバルダーの右腕を振り上げた。その時だった。
「この音……来たぞ、あの蒸気だ!」
黒いバルダーから蒸気が吹き上がる。この蒸気は黒いバルダーが自身の性能を強化する時に噴き出す合図だ。だが啓も対策を考えていないわけでは無かった。距離を取るために後ろに下がる黒いバルダーに啓は素早く肉薄し、重心をなるべく低くして黒いバルダーの右腕に自分のバルダーの右腕を絡めた。
「あの速度の体当たりは厄介だが、こうやって組みついてしまえば速度は活かせない。そうだろう、ザックス!」
蒸気が収まるまでこのまま組みついて時間を稼ぐ。その間に殴られても多少は致し方なしと考えていた啓だったが、黒いバルダーの左腕が故障したことは僥倖だった。こうして右腕を封じてしまえば反撃もされにくくなる。無理に引き剥がそうとすれば、今度は右腕まで損傷する可能性もあるだろう。もっとも、性能強化で『流星』シリーズの腕力を上回るほどのパワーが出るならば別だが、今のところ振り解かれる様子はない。
「奴の性能強化はきっと何度も連続で使えない。使えるならば最初からずっと使っていたはずだ!」
啓の考えは当たっていた。黒いバルダーの性能を一時的に向上させる機能は長時間使えず、再使用にはクールタイムが必要だった。黒いバルダーは蒸気を噴き続けながら、右腕を振り解こうともがいていた。少なくとも啓にはそう見えていた。だが、ザックスの狙いは別にあった。
「わざわざ近づいてくれるとはなあ……手間が省けたぜ!」
ドン、ドン、という重低音が試運転場に響く。立ちこめる蒸気のせいで観客からはバルダーの様子がよく見えなかったが、何かが起きたことは察せられた。金属同士の衝突とは違うその音の余韻が消えるのと、バルダーの周りに立ちこめた蒸気が晴れていくのはほぼ同時だった。
腕を取られていたはずの黒いバルダーはいつの間にか自由になっていた。そして後退して啓のバルダーと距離を取る。啓のバルダーは倒されていない。だが、様子はおかしかった。
「右腕が動かない!?」
黒いバルダーが何かをしたことは間違いない。だが無理に腕を引き剥がしたような感じではなかった。ひとまず右の肩関節にあたる部分は動くので、右腕を前に出してみると、右腕は肘関節から先が言うことを聞かず、ぷらんとぶら下がるだけだった。見れば、右腕の肘関節にあたる部分に大きめの穴が空いていた。そのために関節の制御ができなくなっているのだ。それを見た啓は、黒いバルダーが何をしたのか分かった気がした。
至近距離にいた啓は確かに見た。黒いバルダーの肩付近が開き、円筒状のようなものが突き出てきた様子を。最初は蒸気の噴出孔かと思った。だがその直後、その円筒状のものから何かが発射されたように感じた。おそらく銃火器だろう。それが啓のバルダーの右腕に損傷を与えたに違いなかった。
「状況が悪いな……とにかくこっちも一旦下がろう。後退……しない!?足もやられたのか!?」
バルダーの右足の動きが鈍い。完全に動かないわけでは無いが、制御の伝達がうまくいかず、微速で動かすのが精一杯だった。啓が過度な動作をさせたために壊れたのかもしれないが、右腕同様にこちらも撃たれた可能性が高い。
「両腕は動かない、機動力も無くなった……一体どうすればいいんだ!」
黒いバルダーは今、距離を取って立ち止まっている。だが啓には黒いバルダーが、まるで獲物を狙うチーターのように啓のバルダーを見つめているように感じていた。
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