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041 捕物劇 その1

 ポート商会に閉店時刻が訪れた。閉店後はいつも通り、職員がその日の売上や、来客者との取引記録の整理を行い、アメットに報告する。


 アメットが不在中の出来事については、商会に帰ってきた時に既に聞いているので、これから聞く報告は今日一日のものしかない。特に大口の取引案件も無かったため、当たり障りのない報告だけを聞いて終わるはずと思っていたアメットだったが、職員の報告の中で、ひとつだけ興味深い情報があった。


「ネコを洗ったほうがいい、だと?」

「はい。そのような話を聞きまして……」


 それは、閉店間際に訪れた女性がもたらしたものだった。高そうな服を身に纏い、付き人と思われる少女を連れた美女が商会を訪れて「ネコは扱っていないか?」と聞いたのだ。


 対応した職員は、ちょうど今、商会内に猫がいることを知ってはいたが、その猫は第三王子に献上するという話も聞いていたので、迂闊に内情を話すようなことはせずに「今は取り扱っていない」とだけ答えた。


 すると美女は、大層残念そうな様子を見せたものの「扱っていないのでは仕方ないわね」とすぐに諦めたという。その後、職員は美女の猫話に少しだけ付き合った。その職員自身も、猫に興味が沸いていたところだったので、都合も良かった。


 その話の中で、美女は自分の飼っている猫の自慢話や飼い方などを話したのだが「数日間洗わないと、匂いがキツくなったり、体毛に虫が入り込んだりするので、マメに洗わないと大変なことになるのよね」と話したという。


「ふむ、なるほどな。なかなか有益な情報だった。ご苦労」


 アメットは職員の対応と情報に礼を言い、今日の業務終了を宣言して、職員を解散させた。



 アメットが商会の業務スペースから居住階に戻ると、居住スペースの入り口では使用人達が壁側に並び、アメットの帰宅と同時に一斉に一礼した。


「お疲れ様です、旦那様」

「うむ」


 これはアメットにとって、仕事終わりの普段通りの光景だった。そして年配の家政婦長が一歩前に出て、やはり普段通りの質問をする。


「すぐにお食事でよろしいでしょうか」


 これも普段通りであれば、アメットは頷いてそのまま食堂に向かうのだが、今日のアメットは違った。


「ネコはどうしている?」

「世話役として二名ずつ交代で見ております。今、ネコは目を覚ましております。もちろん檻からは出しておりませんが」

「そうか、やっと起きたのか」


 移動中はずっと毛布の中で寝てばかりで、ろくに姿すら見せなかったくせに……とアメットがボヤく。そんなアメットに、家政婦長はふふっと微笑んだ。


「ようやく環境に慣れたのでしょう。私もネコという動物を初めて見ましたが、ネコは毛繕いをしたり、檻の中をのんびり歩き回ったりして、私達に可愛らしい姿を見せております」

「そうか、それは良かった。ところでこれからネコを……」


 しかしアメットの言葉は、家政婦長の口から滝のように流れ出した言葉に遮られた。


「あの美しい毛並み、魅惑的な体型。ああ、女神様は何という愛らしい動物をこの地に生み出してくれたのでしょう。クリクリとした瞳は光を反射して美しく輝き、凛とした顔立ちの中に秘めた愛くるしい顔としなやかな手足。その体に触れてみたいという衝動を抑えるのが大変でございます」

「おい、家政婦長?」

「ネコは私達の姿を見ると、まるで甘えん坊の子供が母を呼ぶように、可愛らしい鳴き声で私達を呼ぶのです。私も思わず仕事を放り出して猫に駆け寄り「はい、私はここにいまちゅよ」と声を掛けずにはいられず……」

「家政婦長!」

「はい…………今、私は何を言っておりましたか?」


 真面目で仕事人間である家政婦長をここまで惑わせる猫という生物の破壊力を、アメットは今まさに目の当たりにしていた。

 アメットは深い溜息を吐いた。そして、これから指示しようとしていたことを躊躇せずにはいられなかった。

 しかし、あまり時間をかけるわけにもいかないため、アメットは意を決して家政婦長に命じた。


「家政婦長。ネコを王子に献上する前に、ネコを風呂に入れる必要がある。ネコの全身を綺麗に洗ってやるのだ。その役目を誰かに命じて……」


 だが、アメットは指示を最後まで言い切ることができなかった。この場にいる使用人全員から異様な雰囲気、いや、圧力を感じたのだ。

 そして堰を切ったように、全員から立候補の声が上がった。


「私がやります!」

「いや、私が洗わせていただきます!」

「ここは年長者に任せるべき……」

「都合の良い時だけ先輩ヅラしないでくださいよ!」

「俺がやる!あのネコは間違いなく俺に惚れてる!」

「お黙りなさい。家政婦長の私がやるに決まってるでしょうが!」

「俺は実家で家畜を飼っている。動物の扱には……」

「料理長、あんたは大人しく料理を作ってなさいよ!」

「お前達!やかましいわっ!」


 このままでは収集がつかないと考えたアメットは、自分もお目付役としてついていくことにして、家政婦長だけを連れてネコのいる檻へと向かった。



「あっ、家政婦長!」

「旦那様っ!お疲れ様です!」


 アメットと家政婦長が檻の置かれた部屋に入ると、この時間の猫当番をしていた二人の若い使用人は猫の檻から離れて、二人に挨拶した。

 

「二人ともご苦労。ネコの様子はどうだ?」

「すっごく可愛いですよ、旦那様!」

「ずっと見ていたいです……」


 ティルトは毛布の上でちょこんと座っていた。そして部屋に入ってきた二人に顔を向けると、小さく「ニャン」と鳴いた。


「ほぅ……全く、なんで可愛いのでしょう……」

「家政婦長……」


 完全に猫にやられている家政婦長を尻目に、アメットは檻の前に進んだ。


「これからお前達二人にはネコを洗ってもらう。いいな」

「私達がですか!?」

「ネコに触ってもよろしいのですか!?」

「私は!?私は駄目なんですかあ!?」

「……」


 背中から聞こえる家政婦長の悲痛な声に、アメットは頭を押さえながら振り向いて言った。


「家政婦長……何があっても取り乱さぬと誓うならば、許可しよう。できないのならば却下だ」

「…………もちろん誓います、旦那様。私は家政婦長ですので」


 頭を再起動させ、気持ちと姿勢をきっちり整えた家政婦長は、これまで見たこともない見事な直立不動からの最敬礼でアメットに答えた。


「よし、では合図をしたら檻を開けろ。私がネコを抱き上げて風呂場まで連れていく」

「え、旦那様がですか?」

「駄目かね?」

「いえ、そんなことは……」


 誰が猫を抱いて連れていくかでまた揉めるぐらいならばと、アメットは自分が猫を風呂まで抱いて連れていくことにした。

 事前の調査によれば、この猫は「人によく慣れていて、男女の好き嫌いなく、大人しく抱っこされる」とあったので、アメットが抱いても問題ないはずだと考えてのことだった。


 もっとも、アメットには、自分が猫を抱いて連れていく様を使用人達に見せつけてやろう、という下心も無い訳ではなかったが。


 アメットは檻の扉の前に陣取った。そして扉が開いたら、すぐに手を入れて猫を抱き上げる体勢を取った。ティルトはあくびをしながら、毛布の上で香箱座りをしてアメットを見ている。


「では、檻を開けよ」


 アメットは合図を出した。若い使用人が檻の扉の鍵を外して、扉を閉じている金具に手をかけた。


「では開けます!」


 金具を外し、ゆっくりと扉が開かれる。


「よーし、いい子だ。おいで、おいで……えええええええっ!?」

「旦那様!ネコが!」


 それは一瞬の出来事だった。檻の扉が開かれ、アメットが手を入れた瞬間、ティルトはお尻を持ち上げて後脚を力強く蹴り出し、アメットの腕の下をすり抜けて檻から飛び出したのだった。


 そしてティルトは全速力で廊下を駆け抜けていった。



「サリー様、ミトラ様。チャコから連絡です。『作戦開始』とのことです」

「ありがとう、バル子ちゃん。よし、こっちも始めるわよ!」


 事前に調べて調達しておいた使用人の制服を着込んだサリーとミトラは、互いの腕をコツンと合わせ、ポート商会へと向かった。



「旦那様がネコを逃してしまいました!全員、ネコを探して捕まえなさい!」

「家政婦長!言い方!」


 猫が逃走中のアメットの邸宅では、家政婦長が全使用人に向けて、猫捕獲の指示を出していた。


「言い方と言われましても、私は間違ったことは言っておりませんが」

「それは、そうだが……」

「さ、旦那様もネコの捕獲にご協力ください」

「うむ……」


 一応、猫が逃がした張本人だという自覚のあるアメットも、猫の捜索に参加することとなった。


 アメットの邸宅はそれなりに広い。居住スペースは商会スペースとも繋がっているので、さらに探索範囲は広くなる。

 使用人達は総出で各所を見回り、猫を探した。そしてすぐに猫は見つかった。否、見つけるだけならば簡単だった。


 ティルトはわざと使用人達の目に留まるように移動していた。ティルトを見つけた使用人達は、ティルトを捕まえようと殺到してくるが、ティルトは捕獲者の手を全て避け、躱し、逃げまくった。そして、わずかに開いた窓から庭へと飛び出した。


「まずい!ネコが外に出たぞ!」

「庭だ!街に逃げないよう先に回り込め!」


 庭の中を走り回るティルトがさらに外に出ないよう、使用人達は外に出て、庭の周りを包囲した。そして庭の中で徐々に包囲網を狭めていき、やがてティルトはわざと開け放たれた扉から再び邸宅の中に入っていった。


「よし、全員中に戻れ!戻ったら全ての窓と扉を閉めるんだ!」


 こうして再び舞台を邸宅内に戻して、猫との追いかけっこが続けられた。


 邸宅に戻る使用人の数が増えていることには、誰も気が付いていなかった。


計画通り、ティルトが逃走を開始しました。


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