037 カフェの珍客たち
どの世界にも、人様の物を盗み、奪い、金を手に入れようとする不埒者は存在する。
深夜に、カフェ・フェリテの様子を伺っている二人組の男も、その類の者達だった。敷地の外側の木の陰から、カフェの中に明かりが灯っていないことを確認した二人は、足音を立てずに敷地内に入った。そしてカフェの正面入口はそのまま素通りして、建屋側面の窓の下に身を潜めた。
1人がそっと立ち上がり、中の様子を窓から確認する。店内には僅かな星明かりが差し込んでいるが、常人ではほとんど中の様子は見えないだろう。しかし、男は泥棒家業のベテランであり、暗視にも慣れていた。そしてお目当ての『モノ達』を見つけると、再び腰をかがめた。
「親分、どうでした?」
「ああ、いたよ。お宝ちゃん達は良く寝ているようだ。店内にいるのはネコだけで、人はいない」
超小声で会話する二人は、互いに悪い笑みを浮かべた。
『猫と遊べるカフェ・フェリテ』は創業から大盛況であり、その評判は近隣の街にも伝わっていた。猫という動物を一目見ようと他の街から訪れた人は、猫の魅力に取り憑かれ、さらにその噂を周囲に広げた。オルリック王国全域にカフェ・フェリテの名が広まるのも、いずれ時間の問題と思われた。
そうなると、猫を自分で飼いたいと思う人が出てくるのも当然の流れだ。しかし、猫という動物をカフェ・フェリテ以外で見た者はいなかった。猫がどこに生息しているのか、どうすれば猫を手に入れることができるのか、それは誰にも分からなかった。
ならば店主から猫を買おう、と啓に商談を持ちかける人も現れる。しかし啓は、いくら大金を積まれても、猫を譲り受けたいという申し出は全て断っていた。猫の生息地について聞かれても『はるか遠方の大陸にいるようですが、詳しくはオレも分かりません。オレも先代から引き継いだだけなので……』といった感じで、はぐらかした回答を返すだけだった。
単に猫に惚れ込んで猫を欲しがる人や、その希少性に目をつけて自分も商売のネタにしようとする人など、様々な思惑が生まれる中、『だったら盗めばいいじゃない』と思う人間も、少なからず現れるのだった。
「調べておいた通り、今日、店主は勤め先の工房に泊まっているはずだ。奥の部屋には店番の子供がいるだけだろう」
「さすがは親分だ。ところで子供はどうするので?」
「気付かれずにネコを盗めればそれでいい。万が一、気付かれた場合は、ふん縛ってしまえばいい。所詮は子供だ」
「わかりやした。いつも人殺しをしない親分は、本当に立派ですねえ」
「泥棒に立派も何も無えだろうがよ」
そう泥棒の親分は答えながら、腰に下げた袋から小道具を取り出した。手下の男は、数枚のズタ袋を手に持ち、いつでも広げられるように確認した後、周囲の警戒を始めた。
長い泥棒家業で手慣れた二人は、何も言わずとも互いの役割を把握し、やるべきことを理解していた。
程なく、泥棒の親分は窓の鍵を解錠した。すぐに窓枠の隙間に油を馴染ませ、音が立たないようにしてから窓を開ける。親分は中の様子に変化がないことを確認した後、店内へと侵入した。
手下も店内に入ったことを確認した親分は、店内の様子を伺った時に目星をつけた猫を指差し、手下に捕まえるように指示した。全ての猫を盗むつもりはない。一匹でも十分な大金になるのだ。泥棒の親分は、猫を二、三匹だけ盗み、速やかに撤収することを最初から決めていた。
手下の男はズタ袋を構え、寝ている猫にゆっくりと近づいた。猫をズタ袋に放り込み、口を縛るだけの簡単なお仕事だ。目の前の猫が目を覚ます様子はない。男は既に、今日帰ってから飲む仕事後の旨い一杯に胸を昂らせていた。
「おい、変な音を立てるんじゃねえ」
「へ?親分、俺は音なんて立てて無えですよ?」
「じゃあ、このカチカチ聞こえる音はなんだ?」
泥棒の手下は手を止め、耳を澄ませた。変な言いがかりをつける親分こそが音を立てているのではないか、と訝しく思ったが、確かに手下の耳にもカチカチ音が聞こえてきた。しかも、突然、耳元で。
「親分、俺にも音が聞こえてふんむうううっ……!!!」
突然、泥棒の手下は口元を押さえて唸り、その場に座り込んだ。おそらく大声を出さないようにするために口を押さえたと思われる手下の様子に、親分は半分感心したものの、もう半分は手下の理解不能な行動に困惑していた。
「おい、何をしていやがる」
「……!……!」
「あ?耳がどうした……おい、なんだこりゃ……」
薄暗い中で手下が指を差す先には、異様に腫れて膨れ上がった耳たぶが見えた。手下は今でも口を押さえ、涙目で痛みを我慢しているようだ。
とにかく異常事態が起きたと判断した親分は、すぐに撤収することを決めた。たとえ些細なことであっても、問題が起きたら作業を中止して逃げる。それが長く泥棒家業を行っている親分の信条だった。
手下にも撤退するよう指示を出し、親分は侵入に使った窓枠に手をかけた。そして身を乗り出そうとした、その時だった。
「うぎゃあああ!いってええええ!」
気持ちが完全に撤収モードになっていた親分は、不意をついて襲ってきた激痛に、思わず大声をあげてしまった。
「親分!親分、叫んでないで早く出てくださいよ!」
俺だって堪えてるのにと、耳の激痛に耐えている手下がボヤきながら、窓枠の前で痛みに震えている親分の背中をグイグイと押す。しかし二人は、さらなる激痛に襲われる。
「いだっ!いだだだっ!」
「ぎゃああああ!」
背中とお尻に複数、さらに続けて足や腕にも生じた痛みに、もはや二人とも痛みに抗うことはできず、大きな悲鳴を上げた。
それでも二人は必死に窓から身を投げ、外に出た。落下の痛みは、全身のあちこちから起きている激痛に掻き消され、なにも感じなかった。
窓の下で激痛に苦しみのたうち回る怪しい男達。そんな二人の様子を、一仕事終えて少し上空から見つめるのは、8つの複眼と12個の背単眼。
この泥棒達を必殺の針で刺しまくって撃退したのは、「蜂姫隊」の4匹のモンスズメバチだった。
蜂姫隊は、普段はこのカフェ・フェリテに近づく不審人物の監視と撃退を行う「フェリテ第一警備隊」の任を拝命し、日々警備に当たっている。
そして、侵入者が現れた場合は「犯人の侵入を確認した後ならば遠慮なく刺してよし。ただし無理はしないこと」と啓から命令されていた。
果たして蜂姫隊は、見事に啓の指示を全うした。蜂姫隊の4匹は『ご主人のお役に立てた!』と喜び、夜空に8の字を描いた。
そんな蜂達とは裏腹に、激痛に悩まされている泥棒二人組は、さっさとこの場から逃げねばならなかった。親分と手下は痛みに必死に耐えながら立ち上がり、逃げるために必死に足を動かした。そして踏み出した足のその先で、黒くて丸っこい獣を目にした。
「なんだ?……もしかしてネコか?」
暗がりではっきりと見えない上に、猫の容姿にそれほど詳しくない泥棒の親分と手下は、とにかく目の前にいるのが何かしらの動物であることは分かった。
だが、馴染みのない動物が目の前にいて、ここが猫カフェの敷地内であることを考えれば、今、自分の目の前にいるのはネコに違いないだろう。親分はそう結論づけた。
「だったら……せめてコイツだけでも抱えて逃げてやる!」
この激痛に釣り合うだけの成果が無ければ割に合わん……そう思った親分と手下は、眼の前にいる獣に飛びかかった。
欲をかかなければ、この泥棒達はまんまと逃げおおせたかもしれない。だが、「フェリテ第二警備隊(しかし訳あって戦闘行為は野外限定)」の任を拝命している、黒と白のツートンカラーが美しいこのレディは、主人の邸宅に侵入し、挙げ句の果てに自分にも襲いかかってきた不埒者を逃すつもりはなかった。
第二警備隊隊長(と言っても今は1人だけ)の、セジロスカンクのミュウは、二人にくるりと背を向けると、フワフワした長いしっぽを持ち上げ、必殺の臭気を泥棒達に浴びせかけた。二人の泥棒は、かすかな悲鳴を上げた後、気絶した。
泥棒達が気絶して程なく、カフェに明かりが灯った。そして店舗の入口から、猫達全員に先導されたシャトンが外に出てきて、庭でひっくり返っている泥棒を発見した。
シャトンは周囲に漂う匂いに口元を押さえつつ、ミュウと、上空を飛ぶ蜂達を笑顔で労った。そして捕縛用の縄を持ってくるため、一度建屋へと戻った。
その間、猫達は泥棒の周囲を取り囲み、逃げないように監視すると共に、武装の解除と、懐に怪しいものがないかを素早くチェックした。互いに『念話』で会話をしながら。
(まったく、寝たふりするのも楽じゃないわ)
(ご主人に『猫をかぶるように』なんて言われてなければ、あたしが倒して差し上げたものを)
(猫なのに、猫をかぶるって面白いよね!)
(だいたい、あたし達を盗もうなんて百年早いわよ)
(あら、何百年経とうとも、あたしはご主人のものよ?)
(はい!はい!あたしも!)
(わかってるわよ、皆そうよ)
(持ち物に怪しいものはなさそうよ)
(どうやら、ただの泥棒みたいね)
(ならば、あとはシャトンに任せましょう)
(そうね、このカフェの『秘密』を探りにきた訳じゃないなら、あたし達の出番は無いわね)
(でもちゃんと今日のことはご主人に報告して、後でご主人に褒めてもらいましょうね)
(賛成!)
わちゃわちゃニャンニャンと盛り上がる「フェリテ最終警備隊」の猫達は、泥棒達がシャトンによって手足を(めちゃくちゃ強く)縛り上げられた後、ユスティール警備隊に引き渡されたのを確認してから、再び安眠を貪った。
◇
「……そんなわけで、泥棒達は無事に捕まったんだそうだ」
「はあ。あのカフェに盗みに入るなんて、命知らずだねえ」
「まあ、知らない人には……ね」
「ふふっ、そうね」
昨夜、カフェに侵入した泥棒が捕まった顛末をミトラに話しながら、啓はガドウェルの工房でバルダーの製造を手伝っていた。
なお、ミトラは啓とサリーから様々な事情や秘密を聞き出し終えており、自分もその秘密を共有していることにご満悦だった。
「オレも早朝に呼び出された時は、一体何事かと思ったよ。でも聞いた時には事後処理まで全部終わった後でさ。犯人が捕まったのは夜中だったから、その時にすぐにオレを呼んでくれてもよかったのに、シャトンは『そんな世間の屑のためにオーナーが睡眠時間を削る必要などありません』なんて言うし。てか、オレがオーナーなんだけどなあ」
「シャトンちゃんって、色々とすごいわよね……」
「頼もしいのはありがたいんだけどね……バル子、そこのレンチを取ってくれ」
「ニャン」
バル子がトコトコと歩いてレンチを咥えあげ、啓に渡す。
「ありがとう、バル子。ところでミトラ。そっちの具合はどうだ?」
「大体終わったよ。これから油を注入して、漏れがないかを確認するところ」
今2人が作っているのは油圧シリンダーだ。以前、啓が説明した油圧式ブレーキやクランクシャフトの動作原理を参考に、ガドウェル工房の研究馬鹿であるヘイストが、魔動連結器のエネルギーベースで動作する、油圧システムの設計図を作り上げたのだ。
啓とミトラは、その設計図を元に製作を行なっているのだが『完成すれば、バルダーの動きが格段に向上するはずだよ!』とヘイストが興奮していた姿を啓は思い出していた。そして軽く思い出し笑いをした。
「どうしたの、ケイ。何が面白いの?」
「いや、ヘイストといえばさ……」
啓は、先日行われた王都保安部隊との決闘の直前、『なぜバルダーにこんな改造をすることにしたんだい?是非理由を教えてくれ!』とヘイストに詰め寄られた。
啓は仕方なくヘイストに『スカンク砲』のことを説明した。するとヘイストが、どうしても自身で体験してみたいと言い出したので、ほんの少しだけヘイストにスカンク砲を喰らわせた結果、ヘイストは著しく体調を崩したのだ(実際の様子を説明するとお花畑の映像やキラキラに切り替わるレベルで)。
その事が原因で、当日、ヘイストは啓の決闘を見ることができなかった。啓はそのことを思い出して笑ったのだった。
「あははっ。ヘイストらしいよねえ。あの研究馬鹿は、何でも身をもって経験したがるから、自業自得なのよ。おっと……ごめーん、ノイエちゃん、今落としたそのシャフト、取ってくれる?」
「シャフト、取る、ガァッ!」
ミトラのお願いを聞いたハシボソガラスが、光沢のある羽を大きく広げて軽く飛び、シャフトを拾い上げてミトラの元に戻ってくる。
「ありがと、ノイエちゃん。本当に賢い子!」
「ノイエ、賢い、ガァッ!」
ミトラの要望に応えて、ミトラが肌身離さず持っていた母の形見の魔硝石を使って召喚したのが、このハシボソガラスだ。
ハシボソガラスはミトラを主人として認識し、無事にミトラのパートナーとなった。そして主人のミトラは、この素敵なパートナーに『ノイエ』という名を与えた。
ノイエは、実は普通に喋ることもできるが、普段は人の言葉を真似る鳥として、カタコトでオウム返しをするだけの鳥の振りをしている。それでも人の言葉を理解していることは見て取れるので、その賢さは周囲に評判となっていた。
なお、鳥の出所については、啓が例によって『自分の故郷から追いかけてきて云々』という苦し紛れの言い訳を押し通している。
「さて、それじゃあミトラ、油を……」
「おーい、バル子ちゃんじゃないほう!」
次の工程に進もうとしたところで、啓は事務の職員に名を呼ばれた。啓の名を呼ばれたわけではないが、対象が啓であることは間違いなかった。
「結局またその呼び方に戻ったんですか?別にいいですけれど……それで、オレに何の用ですか?」
「またお客だよ。ポート商会の人だそうだ。知ってるか?」
「いや、知らないですね……」
「茶屋のことで聞きたいことがあるそうだが、ケイがこっちにいると聞いて、わざわざ来たんだそうだ」
「カフェのほうの用事ですか……って、やっぱりちゃんとオレの名前を言えるじゃないですか!」
事務職員とそんなやりとりをしつつ、啓はガドウェル工房の応接室へと向かった。
応接室には二人の男がいた。一人は高そうな服や装飾品で身なりを固めた恰幅の良い男で、もう一人はそれなりに身だしなみが整った青年だ。商会主と、その付き人だと啓は思った。
啓が応接室に入ると、恰幅の良い男はソファから立ち上がって、啓に挨拶をした。
「初めまして、あなたがケイさんですね?私はポート商会の会長をしているアメットと申します」
「啓です。初めまして。あの、早速ですが、要件を伺っても?」
早く作業に戻りたい啓がアメットに用向きを聞くと、アメットは深刻とも悲しそうとも取れる表情を浮かべて、ケイを見た。そして芝居がかった仕草と声で、啓に言った。
「今日、お伺いしたのは、あなたが盗んだ私のネコに関して、お話をさせていただきたいと思いまして」
アメットの爆弾発言に、啓は作業どころでは無くなった。
珍客は2組でした。
なお、筆者は海外ドラマ「ナイトライダー」でキッドを盗もうとする間抜けな泥棒の描写が大好きです。
次回、商会長から話を聞きます。
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