029 機動保安部隊の来訪
月曜日。
こちらの世界にもなぜか存在する七曜は、地球と同じく日曜日を休日としている仕事場が多い。
すると必然的に月曜日は、多くの人にとってこれから一週間の仕事が始まる日であり、人によっては『今週も頑張るぞ!』と気合を入れたり『もう月曜が来てしまった』と残念がる日であるところも地球と変わらない。
しかし、業種によっては必ずしも日曜日が休みで平日が仕事とは限らない。例えば、啓が経営する猫カフェ・フェリテは、月曜日を定休日と定めていた。
カフェは日曜の来客数が最も多い。説明するまでもないことだが、休みを利用してカフェにやってくる客が多いためだ。
そんな定休日のカフェの中で、啓はカウンター席でサリーと並んで話をしていた。
「機動保安部隊が来る?」
「ああ。明日、このユスティールに来るそうだ」
「つまりサリーは今日、その話をするためにここへ?」
「ああ。工房に行ったらケイは今日休みで、カフェにいると聞いたのでね……カンティーク、カウンターに爪を立てちゃダメだぞ。それとチャコちゃん、しっかり!」
そう言ってサリーは、カウンターの上でバル子と遊んでいるカンティークと、カフェの猫達と鬼ごっこをしているチャコに目を向けた。
チャコの様子は、側から見れば小鳥が猫の集団に包囲され、襲撃されているようにも見えるが、実際はチャコの方が一枚上手で、猫達が繰り出す猫パンチをギリギリの見切りで躱しまくっていた。まるで弟子達に稽古をつけている武術の達人のようだった。
「だけど、そんな話のためにわざわざ訪ねて来てくれてありがとう。言付けてくれたら、後でオレがサリーのところへ行ったのに」
「私は別に構わないさ。私もネコ達に会いたかったし。休日にこうしてネコカフェに入れるのも知り合いの特権だ。それに、ケイも私に会いたかっただろう?」
そう言ってサリーは啓をからかい、軽く笑った。
店が休みにも関わらず、啓がカフェにいた理由は幾つかある。カフェは営業スペース以外は自宅も兼ねているので、この家で啓が寝泊まりするのは当たり前ではあるが、平日は工房での仕事の後、そのまま工房に借りている客室に寝泊まりすることも多い。
しかし、工房が休みで、カフェが忙しい日曜日の夜は基本的にそのままカフェの奥にある自室で寝る。
開けて月曜日は定休日なので、工房で仕事をすることもあるが、今日は飲み物や備品の補充をするため、啓は工房の仕事を休んでカフェにいた。そこにサリーが押しかけて来たというわけだ。
「まあ、オレも機動保安部隊とかいうやつは気になっていたからね。その話が聞けるのは嬉しいよ」
「何だ、私は話のついでか?」
「そんなことはない。美人とこうして二人で話をできるのはとても光栄だよ」
「全く、君というやつは……」
サリーが啓の顔をジッと見つめる。そして少し身を乗り出して啓に近づこうとした時、カウンターの向こう側から手が伸び、ドンッと乱暴に果実水の瓶を置いた。
「おっと、手が滑りました。オーナー、果実水をどうぞ」
「ああ、ありがとう、シャトン……」
「いえいえ。こちらこそ、せっかく『美人さん』と『2人きり』になれるところをお邪魔して申し訳ございません」
部分的に単語を強調するシャトンの表情は微笑んでいるものの、啓はシャトンから何やら迫力、あるいは威圧のようなものを感じて、少しだけ顔を引き攣らせた。
シャトンにも自宅はあるものの、シャトンはカフェの居住スペースにシャトン専用の部屋をひとつもらっているため、自宅に帰らず、そのままこちらに泊まることが多い。
シャトンは両親を早くに亡くして天涯孤独の身であるため『誰もいない自宅に一人で帰るよりも、猫達がいるこの家の方が賑やかで安心するのかもしれない』と啓は思っていた。特に、啓が自宅で寝泊まりする時にはシャトンもほぼ必ずと言っていいほど一緒に泊まっていくので、啓は『猫だけでなく、やはり大人が一緒の方がより安心なのだろう』と考えていた……事実はやや異なるが。
そんなわけで、昨夜はカフェに泊まったシャトンは、今日が休みにも関わらず、カフェの掃除をしていたのだった……啓とサリーの監視を兼ねて。
「えーと、シャトン。今日は休みなんだし、掃除は明日で構わないよ。ゆっくり休んでくれ」
「いえいえ、どうぞ私のことはお構いなく。サリーさんもごゆっくりどうぞ」
「ああ、ありがとう、シャトン」
シャトンはサリーにも飲み物を提供した。シャトンとサリーが互いに爽やかな笑顔を向けあう。啓はその時、二人の間の空気の温度が上がったような気がしたが、きっと気のせいだろうということにした。
「それで、サリー。話を戻すが、機動保安部隊は何で今頃来たんだ?前に市長から聞いた話だと、もっと早く来る予定じゃなかったか?」
「ああ、あいつらはこんな辺境に興味なんてないからね。道中の街で豪遊でもして、ダラダラしながらやっと到着したのだろう」
「そんな仕事の仕方でいいのか……」
「だが、我々には都合が良かった。違うか?」
「違わない」
サリーと啓は、互いに含みのある笑顔を浮かべた。
「予定よりも大幅に遅れてくるような連中だ。『あれ』がどれだけ重要なものかなんて、知っているはずもないさ」
サリーの言う『あれ』とは、ユスティールの至宝と呼ばれる、巨大な魔硝石のことだ。膨大なエネルギーを持ち、使いようによっては都市どころか大陸を焦土に変えることも可能だと言った市長の言葉を啓は思い出していた。
そんな危険な物がユスティールにあることを他者にも知られれば、再びユスティールが襲われる可能性が高い。そのため市長は、先日の襲撃事件に関する事情説明を機動保安部隊にする際、犯人達の引き渡しと一緒に、ユスティールの至宝も保安部隊に持ち帰ってもらうつもりでいた。
「だが、これで『あれ』の存在は公然のものとなる。大々的に公表するつもりはないが、『そういったものが王都に移送される』という噂はすぐに広がるだろう」
「ユスティールの平和のためにも、そうあってほしいね」
啓は、チャコと猫達が遊んでいるホールを眺めながらそう言った。チャコに翻弄され、激しく走り回る猫達が、オープン前に張り替えたばかりの床に爪を立てまくっていることを気にしながら。
「ところでサリーは、市長と一緒に事情説明に出るのかい?」
「いや、私は出ないよ。そんな面倒な事は、市長と警備隊長に任せるさ」
「レナさんも大変だな……」
レナはこの街の警備隊長を務めている。啓はそのレナを猫カフェのプレオープンに招待したのだが、レナは啓の顔を見るなり、顔を真っ赤にして俯き、終始ぎこちなく啓と接した。
その理由は、レナが襲撃犯に捕縛され、全裸で拘束されたままの状態で啓とサリーに救出されたことに起因する。レナは啓に、自分の素裸を見られたことを知っているためだ。
しかし、天然フェミニストの啓は、レナの裸をなるべく視界に入れないよう意識して行動していた。そのため、確かに目には入ったものの、せいぜい『肌色が多かった』ぐらいの記憶しか残っていない。
啓もレナにそう説明したのだが、レナは啓が自分に気を遣ってそう言ってくれているのだとしか思っていなかった。
また、賊と対峙している時のレナは『裸なんぞいくらでも見せてやる!」という気概だったが、いざ救出されて冷静になると『もうお嫁に行けない……』としばらくの間、立ち直れないでいた。
そんな事情を知らない啓は、レナが小声で『責任とってもらわなきゃ……』と呟いたことの方が気がかりだった。
「まあ、我々が奴らに関わる必要はないってことだよ……ところでケイ、食事の方はどうだ?」
「朝食ならもう食べたよ。サリーはまだ食べていないのか?」
「私らの話じゃない。こっちだよ」
サリーは懐から小袋を取り出して振って見せた。袋の中からシャラっと音が聞こえる。袋の中を見るまでもなく、そこに魔硝石が入っていることを啓は理解した。
サリーは先日、バル子が危機に陥った時、バル子に魔硝石を与えることでバル子を助けた。サリーはそのことから、『エネルギー源が魔硝石である動物達に魔硝石を与えれば、その力が強くなるのでは』という仮説を立てた。
その推測の元、サリーと啓は、バル子とチャコに魔硝石を与えてみることにしたのだ。
「ああ、それなら……ほら。見ての通り、成果が出てるだろう?」
「そうか……確かに、そうだな」
ホールには、チャコを捕まえられずに疲れて、あるいは諦めて、床の上で伸びている猫達が転がっていた。そしてその上では、ハチドリ特有のホバリングをしながら、まるで勝利の凱歌のように気持ちよく囀っているチャコがいた。
単純に魔硝石のエネルギー差を考えれば、チャコの魔硝石は猫達の魔硝石よりも小さいものであり、空を飛べるアドバンテージを考えたとしても、チャコのほうが先に息が上がっていただろう。
しかしチャコはあえて猫達が届く範囲を飛行し、ギリギリのラインで猫達の攻撃を躱し続けるという立ち回りを行った。そして、最後まで全ての攻撃を避けきった。
以前のチャコではそこまでの技量も活動量も無かったはずなので、明らかに魔硝石を食べさせた成果が出ていると啓は考えている。
「チャコとバル子に……その、『干し肉』のかけらを少しずつ、定期的に食べてもらったが、結果は見ての通りだよ。もちろん、過剰摂取にはならないように、ちゃんと様子を聞き……見ながら食べさせているよ」
「そうか、やはりな。うちのカンティークも良い感じで成長しているよ」
啓はあえて魔硝石を『干し肉』と隠語表現で言ったのだが、サリーには誤解なく、ちゃんと伝わった。しかし、言葉通りに捉えたシャトンからは非難の声が上がった。
「お二人とも、自分の大切な子達に干し肉を少ししか食べさせてないのですか!?」
「あー、いや……バル子もチャコも割と小食なんだよ」
「ちゃんと食べさせないと駄目ってオーナーも言ってたじゃないですか。健康維持も大事な仕事ですよ!……はーい、みんな。遊び疲れたでしょう?干し肉ですよー」
シャトンは干し肉を乗せた大皿を両手に持って、猫達の前に置いた。寝転がっていた猫達はノソノソと起き、干し肉を食べに集まってきた。
実際のところ、猫達は魔硝石の自然回復効果によって、特に食事をせずとも問題はない。しかし、食事をしない動物というのは普通ありえないため、シャトンには『猫達には食事として干し肉を与える』というポーズをとっている。
なお、(通常の生物とは仕組みが異なるが)消化器官も味覚もあるため、食べることも味わうこともできるし、満腹感もあるとバル子から聞いているが、トイレに関しては『乙女はそんなものしません!』バル子に怒られてしまったので、それ以上は言及しなかった。
「てことは、サリーさんのカンティークも、新しい『芸』を?」
「ああ。まだ練習中だがな。ケイはどうだ?」
「ああ。こっちも練習中だ。なるべくバル子達が傷つかないようなものをね」
「ははっ、ケイらしい。だが私も同感だ。カンティークは私の大切な相棒だからな……さて」
サリーは立ち上がり、カンティークを呼んだ。
「私はそろそろ帰るとするよ。休みのところを邪魔して悪かった。今度はうちに招待するよ」
「ああ、喜んで」
「またいらしてください、サリー様」
「シャトン、なんか棒読み……」
「気のせいです、オーナー」
「そうか?」
「ええ。気のせいです、オーナー」
サリーは苦笑しながら、啓のカフェを後にした。
「さて、じゃあオレも……」
「そうですねオーナー、サリーさんもようやく帰ったことですし、今度は私と……」
「猫達と遊ぼう!」
「……」
休みの日に啓がカフェにいる最大の理由は、心ゆくまで啓が猫達と遊ぶためだった。
◇
火曜日。
ユスティール工房都市の中枢機関である市場の管理棟では、王都からの賓客を迎えていた。王都の機動保安部隊である。
総勢30名を誇る第4機動保安部隊の隊長であるダンティン・メリオールと、副隊長のフィニアス・ルーベンは、市長とユスティール警備隊長のレナに案内され、応接室で今回発生した襲撃事件の概要を説明された。
「なるほど。賊どもが狙ったのはその『ユスティールの至宝』とやらだという事か……ルーベンはその至宝の話を知っているか?」
「いえ、知りません」
「かなり古い遺物なので、聡明なお二人がご存じなくとも無理はないかと」
市長はメリオール達の矜持を傷つけないように、正確には不興を買わないように、慎重に言葉を選んだ。
「そうか。そうだろうな。こんな田舎の物ならば尚更だ」
「つきましては『ユスティールの至宝』を王都に持ち帰っていただければと考えております」
「ふむ……貴重な物であれば輸送は慎重に行わねばなるまいな。輸送用の自走車と、安全に運ぶための輸送費用を用意してもらうことになるが、構わないな?」
「……用意しましょう。至宝は既にこの管理棟の1階倉庫に運び出してあります」
市長はメリオールの要求に一切逆らうことなく承諾すると、メリオールとルーベンを至宝の保管場所へと案内した。
◇
「ほう、これが『ユスティールの至宝』か……年代物の風格を感じるな」
「なかなかの出来栄えですね」
メリオールとルーベンが『ユスティールの至宝』だと見せられたものは『女神を模したと思われる石像』だった。所々にヒビや破損が見られるが、年代物のために傷みが生じているのだと市長が説明した。
無論、これはサリーと啓、そして市長が共謀した偽装である。王都の兵士が本当の『ユスティールの至宝』が巨大な魔硝石であることなど知らないであろうことを利用した策略だった。
本当の『ユスティールの至宝』である魔硝石は隠したまま、女神の像を至宝として王都に持ち帰ってもらうことで、至宝がユスティールから持ち出されたことと、魔硝石が他者の手に渡ることを防ぐという一石二鳥の策である。
なお、女神像はユーゴに頼んで作ってもらった特注品であり、あたかも年代物の風格を出すため、わざと欠損やヒビを入れてもらっていた。
そんな女神像を食い入るように鑑賞したメリオールは、わざと難しい表情をして市長に再び提案した。
「これは本当に慎重に運ばねばなるまいな。輸送費用は先の金額の倍に変更させてもらおう」
「倍ですか!?」
思わず反応してしまったのはレナだった。ただでさえ法外で高額な輸送費の要求だったにも関わらず、さらにその倍を請求されたため、レナの憤慨はつい口から溢れてしまった。
「おい女、何か文句があるのか?」
「あっ!いえ、何も……」
「文句があるのだろう。言ってみろ!」
メリオールはレナに詰め寄ろうと一歩踏み出した。しかし後ろから静止の声がかけられ、二歩目で足を止めた。
「メリオール隊長、おやめください」
「あ?……ルーベン、この女は俺に楯突いた。違うか?」
「……警備隊長は普段目にしないような金額に驚いただけでしょう。それに支払うかどうかを決めるのは市長です。市長、よろしいですね?」
「……倍額、承知しました」
「メリオール隊長、田舎者ゆえ、無作法であったことをお詫びいたします。大変申し訳ありませんでした」
レナはすぐに非礼を詫び、この場を収めてくれた副隊長と市長にも頭を下げた。
「……ふん。最初からそうすれば良いのだ。よし、輸送は引き受けた。必ず王都に送り届けることを約束しよう」
「よろしくお願いいたします」
気を良くしたメリオールをこれ以上刺激するまいと、レナはもう一切口を開かないことを誓った。しかし、続くメリオールの要求に、その誓いをものの数秒で破りそうになった。
「それと、賊共に戦闘用バルダーを売った工房だが……なんと言ったか?」
「ロッタリー工房ですが、何か?」
「その工房の責任者を王都に連れて行く」
「は?」
市長はメリオールが何を言い出したのか、すぐに理解できなかった。
「王国に献上するべきバルダーを横流しした疑いがある。賊共と一緒に、王都へ連行する」
「しかし、報告書にも書いた通り、ロッタリー工房は相手が賊だと知らずに……」
「それは我々が調べることだ」
「ですが、ロッタリー工房は最近、工房長が代替わりしまして、当時の責任者は既に引退を……」
「代替わり?ならば両者とも逮捕するだけだ。共謀していた可能性もあるからな」
市長は余計な事を口走ってしまった事を酷く後悔した。
◇
同日の午後、啓がガドウェル工房で作業に勤しんでいると、またしても啓に来客があると告げられた。なお、今回も『バル子ちゃんではないほう』と言われたが、もはや啓は何も感じなくなっていた。
来客はサリーだった。サリーが来たと聞いたミトラも啓と一緒についてきた。サリーは応接室に通されていたが、椅子に座る事なく、もどかしそうな様子で啓を待っていた。
「サリーさん、昨日の今日でどうし……」
「大変なんだ!ザックスが逮捕された!」
「逮捕?警備隊に?」
「違う、王都から来た機動保安部隊にだ。今、市場前の広場に連れ出されて、護送車に乗せられようとしている。すぐに一緒に来て欲しい。詳しい事は走りながら説明する!」
「分かった!」
啓はバル子とチャコも呼び、サリーとミトラと一緒に市場前広場に向かって走った。
◇
市場の前には人だかりができていた。啓達は、目の前にいる人達に声を掛けながら、人だかりを掻き分けて人だかりの最前列へと向かった。
最前列に辿り着いた啓達は、警備隊員達が作る輪の中で、紐で縛られて地べたに座っているザックスの姿を見た。ザックスのそばには同じように縛られた初老の男がおり、おそらくザックスの父と思われた。
少し離れたところには、揃いの囚人服を着て縛られている男達が、同じように地べたに座らされている。男達の周りはレナを含む警備隊員が囲んでいた。先日捕まえた賊共と思われるが、ザックスも賊共と同じ扱いを受けている事は一目瞭然だった。
啓は、近くにいた人になぜザックスが捕まっているのかを聞いてみた。するとその人は「ロッタリー工房は賊共と共謀してて、相手が賊だと知っててバルダーを提供した疑いがあるんだとよ。そんな訳ねえだろうによ」と憤慨しながら言った。恐らくこの人同様に、その噂を聞いた街の人達が抗議のために集まってきたのだろうと啓は思った。
程なく、市場の中から小さな格子窓の付いた自走車と、市場で所有している輸送車が現れ、囚人達の前で停止した。そして輸送車の中から、白っぽい鎧を着た二人の男が市長と一緒に降りてきた。機動保安部隊隊長のメリオールと、副隊長のルーベンだ。
「なんだこの人だかりは?見世物と勘違いしているのか?」
「おそらく、ロッタリー工房の関係者が逮捕されるとの報を聞きつけて集まった市民ではないでしょうか」
「はっ、知ったことか。ルーベン。とっととそいつらを護送車に入れるよう、指示を出せ」
メリオールが格子窓のついた自走車を指さした。ルーベンは護送車に乗っていた兵士達に合図して、ザックスと囚人達を護送車に収容するように指示を出した。その直後、市民達から複数の声が上がった。
「おい、ザックスをどうするつもりだ!」
「ロッタリー工房は何も悪くねえ。俺達もそのぐらいのことは知ってるぞ!」
「ザックスは鼻持ちならねえ奴だが、悪いやつじゃねえぞ!」
「そうだそうだ!ザックスは嫌味で、人を見下す態度がいけすかねえ街の悪ガキだったが、この街を守るために体を張って賊共と戦ったんだぞ!」
市民達の騒く様子に、機動保安部隊の兵士達も動揺した。このまま連れて行ったら暴動になるのではないかと危惧した兵士が、警備隊長のレナに騒ぎを鎮めるように言ったが、レナは『え?なんですか?皆の声がうるさくて聞こえませんが?』と聞こえないふりをし、動こうとはしなかった。
なお、ザックスは、街の皆が擁護してくれる嬉しさと、ちょっと棘のある物言いの狭間で、複雑な心境だった。
一方、事態を収束せねばならないと感じたルーベンは、一旦収容の指示を取りやめ、メリオールの元に向かった。
「メリオール隊長、ここは一旦、ロッタリー工房の二人は開放して、改めて……」
「うるさいぞ、副隊長」
「ですが、隊長……」
「うるさい、と俺は言った。二度目はない」
メリオールはルーベンを一瞥した。するとルーベンは弾かれたように、後ろに吹き飛んだ。その様子を見た市民からは、一瞬悲鳴が上がり、そして静寂が訪れた。
啓も今の様子をはっきりと見ていた。メリオールは一切動かなかったはずなのに、ルーベンはまるで突き飛ばされたように倒れこんだのだった。
「今のは、もしかして?」
啓は小声でサリーに問いかけた。サリーは小さく頷き、同じく小さな声で啓に答えた。
「ああ、そうだ。あいつは今、女神の奇跡を使った。つまりあいつは貴族なんだ。平民からすれば、やつが使った力は得体の知れないもので、そんな貴族に逆らえば大変なことになることを皆が知っている。これが平民と貴族の違いであり、平民が迂闊に貴族に逆らえない理由だ」
吹き飛ばされたルーベンには目を向けず、メリオールはザックスの方に向かった。ザックスを見下ろすメリオールは、まるで汚物を見るような表情をしていた。
「お前がいると、市民が騒がしくてかなわん。機動保安部隊に、いや、貴族の俺に逆らうとどうなるか、お前には見せしめになってもらう……お前は、今ここで処刑する」
メリオールが腰の剣を抜いた。同時に、啓の横で、啓の腕にすがるように掴まっていたミトラの手に力が込められた。
啓は、メリオールが剣が抜かれた意味をすぐに理解できず、雰囲気に流されかけていたが、ミトラが力を込めたことで走った腕の痛みが、啓を我に返した。
このままではザックスが斬られると悟った啓は、反射神経でザックスの所へ駆け出しそうになったが、その前に、静まり返った広場中にミトラの声が響いた。
「やめなさい!」
メリオールは剣を下ろし、声がした方に目を向けた。啓もすぐに、声を上げたミトラの顔を見た。
ミトラはまっすぐメリオールを見ていた。そして次第に、ミトラの手から震えが伝わってきた。ミトラは貴族に逆らった恐怖に抗いながらも、決して目を背けることはなかった。
「ミトラ……お前、どうして……」
ザックスがミトラに問いかけた。そして「なぜ、こんな馬鹿な真似を……」と呟いた。ミトラは震える手を気合で止めて、ザックスの質問に答えた。
「……だって、ザックスは変わったじゃない。それに、これから一緒にお互いの工房を盛り上げていくのでしょう?そんなザックスを、あたしが見捨てられるわけ無いじゃない」
「ミトラ……」
ミトラはザックスに微笑みかけた。ザックスの目には涙が浮かんでいた。
そんな二人の様子に、土足で踏み込んだのはメリオールだった。
「おい女。俺に逆らうつもりか?それがどういうことか分かっているのか?」
「……ザックスは無実です。ちゃんと調べてもらえれば分かることです!」
「それは俺の質問の答えではない……いや、そうとも言えないか」
メリオールは剣先をミトラに向けた。
「女。お前から処刑することにしよう。罪状は反逆罪だ」
「そんな横暴な……」
「そうか。ならば、オレも同罪だな」
「ケイ!?」
今度はミトラが啓の顔を見た。啓自身、今にも足が震えそうだったが、想いはミトラと同じだった。こうなった以上、自分も同じ土俵に上がってしまえ、と啓は腹を決めた。
何より、ミトラを危ない目に合わせるつもりは毛頭なかった。
啓は自分の腕を掴むミトラの手に、自分の手を乗せた。
「すまない、ミトラ。ミトラが声を上げなくても、オレもザックスを助けるために動いていたと思う。後出しで言うのはカッコ悪いけどな」
「ううん……全然、そんなことないよ」
「だから、ミトラ。後はオレに任せてくれないか?」
「うん……分かった。ケイなら大丈夫だって、あたしは信じてる」
ミトラとは反対側の啓の隣では、ウンウンとサリーが頷いている。最初から他力本願をするつもりはないが、いざという時にはサリーも手助けしてくれると啓も信じていた。
サリーだけではない。肩の上には啓の額をポンポンと叩いて啓を鼓舞するバル子が、頭の上には「ピュイ!」と力強く鳴き声を上げるチャコがいる。皆、啓に力を貸してくれる頼もしい仲間だ。
啓は小さく頷くと、前に進んでミトラの前に立った。
「あんた、偉そうだが隊長さんなのか?隊長さんなら、もっと適切な判断が必要なんじゃないか?」
「ほう……お前が先に死にたいという事はわかった。貴族に逆らったことを後悔しながら死ね」
「まあ待ってくれ。オレと勝負をしてくれないか?オレが勝ったら……」
「知らん。今、死ね」
メリオールは剣を振り上げ、そして啓に向かって振り下ろした。周囲から多くの悲鳴が上がる。だが、悲鳴を上げた者達が想像した惨劇の未来はやってこなかった。剣はメリオールの手から弾き飛ばされ、音を立てて地面に転がった。
「人の話は最後まで聞けと教わらなかったのか?訓練所なら教官に指導されているぞ。とりあえず腕立て伏せ100回しとくか?」
啓は競艇学校時代のことを思い出しながら、メリオールを説教した。
「……何だ……何だそれは!?」
「何だと言われても、盾だが?」
啓の左腕には円形の盾が装着されていた。直径は肩幅程度で、なめらかにゆるい曲線を描いた盾の表面は自ら淡い光を放っていた。
「お前、いつの間にそんな物を……一体何処から……」
(来た!来たぞ!)
待ってました!と啓は思った。こんな時のために、啓は決め台詞を用意していたのだ。
それは、かつて啓が目の当たりにして感服したミトラの妙技であり、その後でミトラが放った台詞を元に考えたものだ。ミトラの妙技、それは様々な武器をスカートの中に隠し持つという、まるで手品のような技だった。啓は、間違いなく今がその台詞を言う時であり、このチャンスを逃す手はないと考えた。
そして啓は、意気揚々とその台詞をメリオールに叩きつけた。
「男のズボンの中には秘密がいっぱいあるんだよ。知らなかったのか?」
「……」
「……」
「……」
「……あれっ?」
さすがにそれは無理があるだろう、とその場にいた全員が心の中でツッコミを入れた。
「女の子のスカートの中には秘密がいっぱいあるのよ?知らなかった?」
12話より抜粋
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