028 穏やかな日常と思いがけない来客
某酒場にて。
「はあ?一番かわいいのはティルトちゃんに決まってるだろう?」
「お前、分かってねえなあ。断然アルトちゃんだろ?お前もあの金色の瞳で見つめられてみろ。骨まで溶けるぞ」
「いーや、ティルトちゃんのしなやかな体、細い腕。あれは最高だよ。それにいつも俺にくっついてくるんだぜ?ありゃ俺に惚れてるな」
「それならアルトちゃんだって……」
「なーに?お客さん達。別の店の女の子にご執心なの?」
常連客の男達の話に、酒場の女店主が割って入る。もちろん話の内容に興味はあるが、常連客が他の店に鞍替えするのではないかという危惧の方が勝っていた。
「いや、女の子というか……なあ?」
「ねえ、教えてよ。どこのお店?どんな子がいるの?」
商売敵の情報を少しでも聞き出そうと、女店主は身を乗り出した。ご立派な胸の谷間が男達の視界に入ることを計算して。
「お、おう。街の南の倉庫の方に最近できた店だよ。知らないのか?」
「南の倉庫?あんなへんぴな所?」
南の倉庫といえば、工房や商店街から外れた場所であり、とてもこの手の商売に向いている場所とは思えなかった。それを覆すほどに魅力的な経営者、あるいは従業員が接客するのであれば、自分の店の売上にも影響が出る可能性が高い。
今は郊外で経営しているようだが、いずれ街の中心部や、この近所に店を出さないとも限らないのだ。
「へえ……貴方達、そんな所まで足を伸ばすなんて、よっぽど素敵なお店なのでしょうね」
「ああ。最高だよ。『フェリテ』という名前の茶屋さ」
「は?茶屋?」
「お前、茶屋じゃなくて『カフェ』だろ?」
「そうだった気もするけどよ、実際『カフェ』って何だよ。別に茶屋でいいだろ?酒は無いんだし」
「別に何でもいいわよ。とにかく茶屋なのね」
女店主は拍子抜けした。酒場でなければ競合は起きにくいし、商売敵とは言えない。女店主は今度こそ、話の内容の方に興味を持った。
「一体どんな茶屋なの?」
「たくさんのかわい子ちゃん達が俺達をもてなしてくれるんだ。最高だぜ?」
「……それ、本当に茶屋なの?いかがわしいお店なんじゃないの?」
これだから男は……と思う女店主だったが、客の男は思いがけない言葉を女店主に放った。
「あんたも一度行ってみなよ。きっとあんたも骨抜きにされるぜ?」
「はあ?あたしにそんな趣味はないわよ!」
「おっと、そんなに怒るな。俺が悪かったよ。ネコが嫌いなら仕方ないもんな」
「……ネコ?」
そう言えば、最近、街で『ネコカフェを開店した』という宣伝を見た覚えがある。得体の知れないものに興味がない女店主は、すぐにそれを記憶の片隅に追いやったが。
「ネコって何なのよ……」
後日、『ネコと遊べるカフェ・フェリテ』に訪れた女店主は、その後もフェリテに足繁く通う常連となる。
◇
先日、ついに開店した啓の猫カフェは、初日はプレオープンに訪れた人から紹介された人と、単なる興味本位で訪れた人がまばらに来ただけであり、大した忙しさもなく無事に営業を終えることができた。
猫を見るのが初めての人達も、すぐに猫の可愛さに籠絡されていった。猫達が『シャトンの指示に従うこと。程よい距離感でお客と接すること』という啓の命令に従い、見事にホストをやり遂げたことも成功の裏にあるが、そのことを知るのは啓とミトラとサリーだけである。
なお、店の名前は、ネーミングセンスのなさに定評のある啓が最初は『シャトンが店長だからシャトンの名前を』という意見を出したものの、シャトンが断固拒否した。
ならばと啓は、シャトンの名をもじって店の名前を考えてみたものの、お菓子やアイスを扱うお店の名前や、牛肉の高級部位の名前しか思い浮かばず、最終的にシャトンに命名を委ねることにした。
シャトンは少し考えた後、『フェリテ』という名前を提案した。シャトン曰く、幸せとか、感謝といった意味合いの言葉なのだそうで、それを聞いた啓は店名を『フェリテ』とすることに決めた。素敵な名前をつけてくれたシャトンに啓は最大級の感謝を伝え、シャトンは頬を真っ赤にした。
その流れで、シャトンは全ての猫に名前をつける権利も与えられ(押し付けられ)、啓のネーミングセンスに翻弄されることなく、皆、シャトンから素敵な名前を与えられた。
こうして、『ネコと遊べるカフェ・フェリテ』という名前に決まった啓の茶屋(なお、『カフェ』はこの世界では一般的ではなかったが、啓がどうしても入れたいと主張した)は二日目以降も順調で、口コミで増えた客や、早くもリピートする客で来客数は右肩上がりで増えていった。
啓に接客の仕方と、『猫をお世話する時の心得』や『猫に触る客に伝える注意事項』を叩き込まれたシャトンは、啓の教えを忠実に(盲信的に)実行し、それを完璧にこなしていった。無論、猫側の協力もあってのことだが。
そして今日、啓はシャトン一人に店を任せてみることにして、啓は久しぶりにガドウェル工房で仕事をしていた。
「ほほう、それが『くらんくしゃふと』の仕組みか。実に興味深いね。上手く使えれば効率が上がるかもしれない」
「今説明したのはモーターの機構のほんの一部分だし、他にも色々と大事な部品や機構があるんだ。それに魔動連結器と動作原理が全く違うから工夫は必要だよ、ヘイストさん」
啓はガドウェル工房の製作室で、ヘイストにモーターエンジンの動作原理について説明をしていた。
ヘイストはガドウェル工房の技師であり、主に技術研究を担当している。前に啓がうっかり口を滑らせた地球の技術に食いつき、それ以降、何かと啓に相談を持ち掛けるようになっていた。
啓も半分諦め気味でヘイストの相談に乗っているが、そもそもこの世界は魔硝石と魔動連結器という装置で動力を生み出すことが主流であり、啓の知識も必ずしも役に立つとは言えなかった。そのため啓も『知っていることは話すが、活用できるかどうかは知らん』というスタンスを取っていた。
今回はヘイストから「より効率的に車軸を回転させるには」といった内容の質問を受けたため、啓は競艇で使うモーターエンジンの仕組みを話してみたのだった。
「いいかい、ケイ。魔動連結器は何かを回転させるという動作より、単純に押し出すという動作の方が効率がいいんだ」
「はあ、なるほど」
「だから、この……何だっけ?」
「クランクシャフト?」
「そう、クランクシャフトだ。この機構をうまく使えば、回転動作をより速く、より強く生み出すことができるかもしれない。そうだろう?」
「まあ、そうかも知れませんね」
「ただ、車軸の回転が上がって速度が出過ぎると、今度は曲がったり止まったりするのが大変になるだろうけどね」
だったら今度は油圧式ブレーキの原理でも教えてみようかな、と思ったところで、工房の事務員が作業場にやってきて、啓に声を掛けた。
「バル子ちゃんじゃないほう……じゃなくて、ケイに客が来てるんだ」
「……やっと名前を覚えてくれたのはありがたいですけどね。オレに客ですか?」
前にもこんなやりとりをしたなと思いつつ、啓は念のため確認した。
「ああ。少なくとも工房長とミトラ、そしてケイはご指名なんだが……そうだな、ヘイストも一緒に来てくれ。相手はロッタリー工房のザックスなんだ」
◇
啓とヘイストが応接室の扉を開けると、既にガドウェルとミトラが椅子に座り、テーブルを挟んだ向かい側にザックスが座っていた。
ケイとヘイストは空いている横の席に座り、話が始まるのを待った。
最初に言葉を発したのはガドウェルだった。
「で、ロッタリー工房の坊ちゃんがうちに何の用だ?」
「坊ちゃんはやめてください。今日は報告と、挨拶と、相談に来ました」
そう言うとザックスは少し目を伏せた後、立ち上がって、頭を下げた。
「ザックス?」
「まずはお詫びを。以前、俺はミトラに失礼な物言いで挑発した上、バルダー戦を行ってミトラに怪我を負わせました。正式な謝罪がまだだったので、ここで改めて謝らせていただきたい……申し訳ありませんでした」
「えっ?ええっ?」
1番驚いていたのはミトラだった。ミトラとしても済んだ話と思っていたし、バルダー戦では結局、啓がザックスを完膚なきまでに叩きのめしたため、気分も晴れている。
「やめてよ、ザックス。あたしは別に恨んでもいないし、むしろ忘れかけてたぐらいよ。もう気にしなくてもいいわよ」
「そうか。そう言ってくれると助かる」
ザックスはもう一度、軽く頭を下げた。
「なんか変わったね。ザックス」
「そうか?」
ミトラは、からかいと感心の気持ちが半分ずつ混ざったような口調でザックスに言った。ザックスは、ややぶっきらぼうにそれに応えた。
「俺もいつまでも子供じゃない。やんちゃはもう終わりだ。先日の襲撃事件の件でも、俺は色々と思い知らされた。親父の責任のことも含めてだ」
「別にザックスの親父さんが悪いわけじゃ無いだろう?」
啓はザックスを慰めたわけではなく、単に事実としてそう声を上げた。ロッタリー工房の工房長であるザックスの父は、相手が賊とは知らず、むしろ騙されて戦闘用バルダーを売ってしまったのだと聞いている。
「いや、結果的に町の被害に加担したことは事実だ。だからロッタリー工房は資産の半分を使って、街の復興のための寄付を行なった。それで償いになるとは思っていないがな」
「そんなことはない。立派だと思うぞ」
「……その言葉、素直に受け取っておく。それと、この件を受けて、親父は引退を決めた。今は俺がロッタリー工房の工房長だ」
「ええっ!?」
「あんたが!?」
「ああ、俺がだ」
啓とミトラの、考えようによっては失礼な驚きの声にも、ザックスは過剰に反応することなく、冷静に返した。
「俺が工房長になった。報告というのはこの事だ。そして、次が相談だ」
ザックスは背筋を伸ばし、ガドウェルに向き直った。
「ガドウェルさん。ロッタリー工房と技術提携をしてくれませんか?」
「……技術提携だと?」
ガドウェルは訝しそうな顔をしてザックスを見返した。
「ええ。失礼ですが、ガドウェル工房は今、農耕向けの小型機械や自走車を主に製作していて、バルダーは制作していない、そうですね」
「ああ。そうだ」
「そのことを、俺はもったいないと思っています。ミトラはバルダーを個人で作っていると聞いています。実際、ミトラのバルダーは未完成でありながら、襲撃事件で素晴らしい性能を発揮し、賊共を撃退しました」
「いや、あれはケイが操縦したからで、あたしのバルダーの性能じゃなくて……」
「だけど、個人の技量だけではどうにもならないこともあるだろう?ケイもそう思わないか?」
「ああ……もちろん」
熱く語るザックスには申し訳ないが、啓も多少『自分だったから』と思わないでもなかった。自惚れているわけではないが、啓自身のバルダー操縦技術、言い換えるならば魔硝石との親和性に加えて、バル子やチャコ達との連携でどうにか切り抜けた感がある。
しかし、だからといって啓が口を挟む問題ではない。ザックスが申し入れをしているのは、ガドウェル工房の工房長に対してであり、最終判断をするのはガドウェルだからだ。そのガドウェルがザックスに問いかけた。
「……具体的な提携内容を聞こうか」
「細部は後で詰めますが、ロッタリー工房からはバルダー開発の技術と、バルダーを製作するための場所と設備を提供します。製作にかかった資材費はもちろんガドウェル工房持ちですが」
「……で、こちらが提供するものは?」
「試作機のバルダーの試運転や、性能試験のための人材を提供してほしい」
「はっきり言え。ケイを寄越せと言いたいのだろう?それが本当の目的じゃないのか?」
「えっ?オレ?」
全員の目が啓を見た。ガドウェルの指摘は的を射ていたようで、ザックスも静かに頷いた。
「……そうです。ケイの操縦技術には目を見張るものがあった。だから是非、力を貸していただきたい」
「なるほどな……ケイをウチからこっそり引き抜こうとしない姿勢は気に入ったが……うちはそれだけでいいのか?」
「ちょっと父ちゃん!それだけって何よ!」
ガドウェルの物言いに噛み付いたのはミトラだった。
「ケイを取られちゃうんだよ!ダメに決まってるじゃない!」
「ミトラ、ケイは正規の社員じゃない。それにこれは悪い話ではないと俺は思う」
「だからって、そんなの……」
「悪い話ではない。だが、まずはケイの気持ちを聞くべきじゃないのか?」
「あっ……」
ミトラが口をつぐみ、再び啓に注目が集まる。確かに今回は啓自身が判断するべきことだが、啓も正直困っていた。
「オレは……どうしましょうかね。実際、猫カフェの経営もあるし……」
「ケイ、行っちゃいやだよ……」
ミトラが今にも泣きそうな顔で訴える。その様子に、ザックスはさらに提案を出した。
「ケイが経営している店のことも知っている。それももちろん考慮するし、この話に応じてくれるのであれば、ロッタリー工房は追加で提案を受ける用意がある。希望があれば言ってほしい」
「だったら!」
ミトラは噛み付くような勢いでザックスに向き直った。
「あんたが乗ってた黒いバルダーを寄越しなさいよ!もうきっと修理も終わって、使える状態になってるんでしょう?あんたの専用機ぐらいじゃケイは釣り合わないけど、その権利ごと、まるっとうちに寄越してみなさいよ!」
ザックスの専用機だった黒いバルダーは戦闘用のバルダーであり、ロッタリー工房で開発した最新機のプロトタイプでもあった。
それを権利ごと寄越せというのは、工房の技術の流出だけではなく、自社の製品を丸ごと一つ失うことと同義である。ただでさえ街の復興資金のために資産の半分を失ったロッタリー工房にとっては、とても承諾できる話ではない……ないはずだった。
「分かった。いいだろう。バルダーは明日にでも持って来させる。ガドウェル工房は戦闘用バルダーを製作する資格を持っていないだろうから、戦闘装備は外した状態で引き渡しをする。設計図等の資料もその時に添えて渡そう」
「えっ……あれっ?あれれっ?」
「あれれ、じゃないよミトラ。どうするんだよ……」
「だってだって……えっと、これでケイはロッタリー工房に引き抜かれちゃうの?ロッタリー工房の人になっちゃうの?」
「そういうことになるんじゃないか?」
「ごめん、ケイ、ごめん……」
ミトラは涙目で啓を見つめる。いや、泣きたいのはこっちだが、と啓は思った。
そんな二人に助け舟を出したのはザックスだった。
「あー、二人とも。何か勘違いしていないか?俺はケイを借りたいと言ったんだ。うちの工房に引き抜く気は全くない。ケイの都合がいい時に、ケイを『貸して』くれればいいんだ」
「え、だってケイを寄越せとか、こっそり引き抜くとか……」
「それを言ったのはガドウェルさんだ。俺じゃない」
「あっ……!」
ミトラと啓はガドウェルを見た。ガドウェルはそっぽを向いて、目を合わせようとしない。
「父ちゃん……父ちゃん!」
「……工房では工房長と呼べと言っているだろ……イテテテ!」
バツの悪そうなガドウェルに本当に噛みついたミトラは、そのまま軽い親子喧嘩を始めた。その様子を横目に、啓はザックスに聞いてみた。
「なあ、そこまでオレを買ってくれるのは何故だ?黒いバルダーはお前専用で、大事なものなんだろう?」
「ロッタリー工房は、もう戦闘用バルダーを作らない。いや、作れない。きっと今回の件で資格も剥奪されるだろう。それに、結局俺にはあのバルダーは乗りこなせなかった。お前が操縦した作業用バルダーに負けたことがそれを証明している。だったらお前に乗ってもらった方がいい。それだけのことだ」
「そうか……なんか申し訳ない」
「お前が謝ることじゃない」
「でも、オレの労力ひとつに戦闘用バルダーを一式では、工房としても割に合わないだろう?」
「俺は構わない。責任者は俺だ」
「でもオレは……」
「だったら!」
啓とザックスのやり取りに、突然ヘイストが割り込んだ。そして何か含むような笑顔を見せながら、ヘイストは提案を持ちかけた。
「ケイは我々の知らない技術を色々と知っている。ケイの労力と合わせて、ケイの技術知識もロッタリー工房に提供するというのはどうだろう?」
「ヘイストさん!?」
「ザックスさん、ケイの技術知識はものすごいんだよ。でもガドウェル工房ではそれを実現できる設備が足りなくてガッカリしていたんだ。でもロッタリー工房ならば設備も充実してるだろう?きっとすぐに実用化できると思うんだよね。技術提携というのはそういうことじゃない?」
「ヘイストさんの言うとおりだな。それならばバルダーの一機や二機ぐらい安いものだ。ロッタリー工房としても、是非ともお願いしたい」
「ヘイストさん……それって結局自分の興味を充実させるためだよね?」
結局、啓自身だけではなく、啓の知識も提供する、ただしその知識はガドウェル工房とロッタリー工房だけで共有することを追加条件に、ガドウェル工房とロッタリー工房の業務提携は成立した。
なお、ヘイストは、ガドウェルの知らぬ所で勝手に話を進めたことと、ガドウェル工房の設備にケチをつけたことに対して落とし前をつけることとなり、暫くの間、工房の掃除を一人で行う羽目となった。
翌日、約束どおりに黒いバルダーがガドウェル工房に届けられ、ミトラとヘイストは嬉々としてバルダーの構造を調べたり、性能調査に勤しんだ。啓も猫カフェ経営と工房作業の二刀流で、充実した日々を送っていた。
……ザックスが王国の治安部隊によって逮捕されたと聞いたのは、それから数日後のことだった。
猫カフェは順調な滑り出しを、ガドウェル工房は新生ロッタリー工房と提携しました。
レビュー、ブックマーク、評価、誤字指摘などいただけると大変励みになります。
よろしくお願いいたしますm(_ _)m