026 血筋と血統
「王族の血筋って、どういう意味ですか?」
「異世界?ケイは異なる世界からやって来たというのか?」
啓とサリーの互いのカミングアウトは互いに想定外のものだった。啓はサリーの言った『王族の血筋』にどのような意味があるのか分からず当惑し、サリーは眉間に皺を寄せて啓の発言の真偽を頭の中で検討し、バル子は欠伸をしている。
「とりあえず、私とケイのどちらが先に説明をするか、それを決めようか」
「そうですね……ジャンケンでもしますか?」
「ジャンケン?」
「あ、そっか。えっと、ジャンケンと言うのは……」
啓はサリーにジャンケンの説明をした。分かりやすいように手の種類をグーが石、パーが紙、チョキを剣として例え、その勝ち負けについて教えたのだが、サリーから異議が飛び出した。
「なぜ石が紙に負けるのだ?紙などすぐに破れるだろう?」
「いや、そう言われても」
「それに私の剣は石ごときに負けはしない」
「だからそういう問題ではなくてですね……」
「それにこのジャンケンとやらにケイは慣れているのだろう?私が不利ではないか?」
ジャンケンの経験差で有利不利が出るというのを啓は聞いたことがないが、確かにジャンケンを覚えたばかりの子はチョキを出す傾向にあると聞いたことがあるような気がした。少なくとも啓自身はそうだったように思う。
そう思うと、何となく自分にアドバンテージがあるような気がして、仮に啓が勝ったとしても公平さを欠くような気がした。
困り顔の啓に、サリーは見かねて助け舟を出した。
「まあ、いい……私から話そう」
「はあ、助かります」
「一応言っておくが、今日の話は他言無用だ」
「はい、分かりました」
一旦仕切り直す、と言ってサリーはお茶を淹れ直した。サリーはお茶で唇を湿らすと、姿勢を正して口を開いた。
「私はオルリック王の長女であり、本当の名をサルバティエラ・オルリックと言う。王位継承権は第二位だ。いや、第二位だった」
「それってつまり、王女様ということですか?」
「まあ、そうだな。王女だった」
いちいち過去形に言い直すところが気になる啓だったが、話の腰を折らないようにと思い、サリーの話の続きを待った。
「だから私は女神の奇跡の技が使えるのだ。分かっただろう?」
「んー……いえ、全然分からないです」
「……君は無知なのか、あるいは本当に他の世界から来たと言うことなのか?」
サリーの顔が少し呆れ気味になっている。
「いや、そんな顔をされても、知らないものは知らないんです。オレはこの世界のことをまだよく知りませんし、他の世界から来たってのも本当の事ですし……信じられないと言われても仕方ないですが」
「……普通は子供でも知っているようなことなのだ。寝物語にも、王子が女神の奇跡の技を使って悪を成敗する話が多い。それを知らないとは……」
サリーは少し考えた後、視線を啓の隣でちょこんと座っているバル子に向けた。
「バル子ちゃんは女神の奇跡の技について、何か知っているかい?」
「サリー様、バル子はご主人の知識をある程度受け継いでおりますが、バル子もこの世界のことや、女神の奇跡についてはよく知りません」
「そうか。バル子ちゃんも知らないのか」
「ただ、魔硝石の持っていた記憶のようなものはあります」
「魔硝石の記憶?」
「記憶という表現が正しいかは分かりません。漠然としていて説明が難しいのです。ですが、そのおかげで少しはこの世界のことや、バルダーの動かし方は分かるのです」
「そうか……ありがとう、バル子ちゃん」
ふむ、と1人で納得したような表情を浮かべたサリーは、視線を啓に戻した。
「では女神の奇跡について説明しよう。そのためには、オルリック王国の成り立ちから話をした方が良いだろう」
「はあ、よろしくお願いします」
そしてサリーはオルリック王国の歴史について話を始めた。
今から500年以上前、この大陸は小さな国や集落が乱立し、秩序もまとまりもなく混沌としていた。そんな中、大陸の南西で一つの強国が台頭し、武力による暴力と恐怖で近隣の国を制圧して国土を広げ、次第に勢力を増していた。
大陸北方の小国はその脅威に対抗するために同盟を結び、共闘することにしたが、敵は強大で、征服されるのも時間の問題と思われた。
「そんな時、突如、女神様の使徒が現れた」
「女神様の使徒?」
女神と言えばあの女神だろうか、と啓は思った。
「女神っていうのは、あのシェラフィールの事ですか?」
「そうだが、何とも不敬な物言いだな。偉大で慈悲深く、この世界の創造主にして我らの守護女神であらせられる。無論、私も女神様を敬愛し、崇拝している」
「はあ……」
ギャンブル好きでおっちょこちょいで、大神の怒りを買って追いかけ回された駄女神だ、などと言ったらサリーはどんな顔をするだろうか、と啓は思ったが、口に出すのはやめておくことにした。
「話を続けよう。北方の同盟国に降臨した女神様の使徒、御使い様は、女神様から賜った不思議な御力を使い、南西の強国の侵略を押し返した。数万の軍勢を、たった1人で撃退したと伝えられている」
そして、御使い様によって奮い立った北方諸国は同盟国を増やし、御使い様の先導の元、逆に南西の強国を圧倒した。この勢いのまま、北方諸国の同盟が大陸を統一するのではと思ったが、御使い様は不毛な争いを好まず、他国への侵略行為を禁じた。無論、攻撃されれば容赦ない反撃を喰らわせたが、反撃に乗じて侵攻したり、民への略奪行為は禁止し、破った者には厳罰を下した。こうして北方諸国は御使い様を中心にまとまり、平和と安寧を手に入れた。
「その後、北方諸国は正式に併合、御使い様を初代国王としてオルリック王国が誕生したのだ」
「なるほど……」
「啓はどう思う?この話を信じるか?」
「ええ、まあ……」
『御使い様』という存在に、啓には思い当たる節があった。啓をこの世界に送り出したシェラフィールはこう言っていた。
『啓、これから貴方をとある星に転生させます。まあ、実績はあるので大丈夫でしょう』
つまり実績というのは、シェラフィールによってこの地に転生させられ、シェラフィールに授けられた特殊能力でこの地に平和をもたらし、オルリック王国の初代国王になった人間のことに違いない。できれば一度お会いしたかったが、500年以上前の事らしいので、その人は既に亡くなっているわけで、もう会うことができないことを啓は残念に思った。
「その後、王は結婚して子孫を残した。その血族によって代々王政が続いているが、その子孫達は初代国王と同じく、女神の奇跡の技が使えたのだ。初代国王には全く及ばぬが、その力は火や風を自在に操ったり、治癒の力で傷を治すなど様々だ」
「だから使えるのですね、その、サ、サルバ……サルバティエラさん?も」
「私のことはサリーでいい。むしろその名を呼ばれると困る」
「あ、それもそうですね。失礼しました」
正体を隠しているのだから本名で呼ばれることはまずいに決まっているのだ。それに思い至らなかった啓は軽く反省した。サリーはバツの悪そうな啓の顔を見て、ここぞとばかりに啓にひとつの提案をした。
「そのついでで何だが、私に敬語は使わないでほしい。ミトラと同じく、気軽に話をしてくれた方が私は嬉しい」
「わかった……そうするよ、サリー」
啓の口調の変化に気を良くしたサリーは軽く微笑み、話を続けた。
「そんなわけで、初代国王の血を引く王族は大なり小なり、女神の奇跡の技を使えるものが多い。他の者と結婚して外戚となった者達の中でも、強い女神の奇跡が使える者達は貴族として国政に参加し、重宝された。今は名ばかりの貴族が多いがな」
「名ばかり、というのは?」
「女神の奇跡は必ずしもその子孫が全員使えるとは限らない。それに代を重ね、血が薄くなるごとに力が弱くなる傾向があるようだ。故に、既に女神の奇跡を使える者が全くいないにも関わらず、貴族を名乗り続けている家もある」
「だったら貴族の称号を剥奪すれば良いのでは?」
「奇跡の技が使えない貴族の中にも有用な人材はいる。その者達まで貴族で無くなるのは困るのだよ。口ばかり達者で、ろくに使えない傲慢な貴族共だけを排除できればそれが一番なのだがな。いっそその手の貴族は小悪事でも働いて捕まってくれた方が、爵位を剥奪する口実ができて助かる」
「あはは……」
サリーの物言いは乱暴だが、王族はきっとそんな輩に辟易しているのだろう。
(貴族ね……そういえばガドウェルさんも貴族がどうのと言っていたな)
啓の本名は王陸啓というが、啓が初めてガドウェルに名乗った時、苗字があることに対して『お前は貴族か?』と言われたことを思い出した。そして少し嫌な顔をされたことも。一般市民の間でも、あまり貴族を歓迎する雰囲気では無いように思えた。
「ただ、親が女神の奇跡の技を使えずとも、突然、子が奇跡の技に目覚めることもある。そこもまた悩ましいところではあるな。実際、発現するかどうかは分からないが、一応、王族や貴族に生まれた子は、幼少期から魔硝石を持たされて生活する」
「それは何故ですか?……じゃなくて、何故なんだ?」
「魔硝石は元々不思議な力を持つ鉱石で、昔から様々な用途に使われてきたが、女神の奇跡の力を増幅することも知られている。そのため、幼少期に魔硝石を持たせることで、女神の奇跡の力が発現しやすくなるのだ。謎の多い鉱石だが、私は魔硝石の力と女神の奇跡の力は何か関係があると思っている」
「確かに……」
啓もサリーに同意見だった。むしろ啓は魔硝石が無ければ動物の召喚を行うことができないので、尚更そう思った。
「私の治癒の力も、魔硝石を使ってその力を増幅できる。そして治癒対象が魔硝石との親和性が高い場合、つまり、女神の奇跡の力に精通しているほど、その効果が高くなる傾向がある」
「あー、だからオレも王族の血筋だと思った訳か」
しかしサリーは首を横に振った。だが、それは否定ではなく『そんなもんじゃない』という意味での否定だった。
「ケイは別格だった。前にも話したと思うが、私の治癒の力は切断された足を完治するほどの力はない。しかし啓の足は凄まじい勢いで回復していき、完治してしまった。だからケイは、王族の血を濃く受け継ぐ者に違いないと、そう思った」
「それは例えば、生き別れの兄弟のような?」
「いや、むしろ先代や先先代の王が愛人を囲って、見知らぬ女性に子を産ませていたとかだな」
「不名誉な話!?」
「ははっ、確かにそうだな。だらしのない祖父様達だな」
啓の反応にサリーは思わず吹き出した。自分の先祖が不貞を働いて隠し子を作ったなどという想像は不敬に当たるのでは、と思う啓だったが、サリーはそんなことはお構いなしにコロコロと笑っている。
「しかしその場合、ケイは私の遠い親戚ということになるな。いや、女神の奇跡を使える者達は皆親戚で間違いはないが……」
「オレは違いますよ。残念ながら」
「ああ、そうだったな。異なる世界から来たのであれば違うな、残念ながら。だが……」
ひとしきり笑ったサリーの顔が真顔に戻る。
「だが、この出会いはきっと意味があると思った。この男はきっと私の味方になってくれる。そんな予感がしたんだ」
「味方?」
「ああ……私を殺そうとした男を突き止め、国に仇なす者達を断罪するための味方になる、そう思ったんだ」
サリーの目は真剣そのものであり、唐突にぶっ込まれた重い話に『違いますよ、残念ながら』と冗談を言おうとしていた啓の口が動くことはなかった。
「私は殺されかけた。いや、実際は死んだことになっている。死体は上がっていないが」
「どうして……そんな……」
「王位継承争いに巻き込まれた、と思っている。確証はないがな」
サリーには他に三人の兄弟がいた。いずれも男子で、兄が一人と弟が二人だ。長男の第一王子が王位継承権第1位、弟がそれぞれ継承権三位と四位だった。
「ある日、私は父上……王と、兄弟達と一緒に地方外遊に出かけた。そして私は護衛騎士と側仕えと共に、その地方で一番眺めの良いと言われている岬に赴いたのだが、そこで私は『うっかり足を滑らせ』海に転落した。すぐに捜索が行われたが、私は見つかることはなく、死亡扱いとなった……らしい」
「……」
「後に聞いた話だが、私が転落した時、手の届く範囲には誰もおらず、護衛騎士も側仕えも互いに私を落とすような行動はしていなかったそうだ。そのため、事故死と見做されたのだが、私は間違いなく、その時誰かに背中を押されたのだ」
「それで、サリーは……」
サリーは一口紅茶を飲み、話を続けた。
「海に落ちた私は死にはしなかったが、気絶しそうなほどに全身が痛かった。まずいと思った私は気を失わないよう、気合いをこめて自分自身に治癒をかけた」
「気絶していたらもう死んでいただろうね……」
高さにもよるが、高所から海に落ちた場合、落下による気絶、あるいは全身打撲による衝撃と痛みで気絶し、そのまま溺死するケースが多いらしい。治癒の力を持っていたサリーだからこそ助かったのだろう。
「なんとか一命は取り留めたものの、私はこのまま戻っても殺されると思った。案の定、護衛騎士達ではなく、怪しげな集団が海岸をうろついているのが見えた。万が一私が生きていたら止めをさすつもりだったのだろう。だから私は奴らに見つからないよう、海を泳いで逃げた」
「たくましいな……」
「私はお転婆だったのでな。泳ぎも走りも得意だったのだ」
「しかし、そうすると犯人は兄弟の誰かということに?」
「いや、兄様や弟達の派閥の者の暴走かもしれない。私としても、兄様や弟達が私を害そうとしたとは考えたくはないな」
それからサリーは捜索隊に見つからないよう、自力で食べ物を探しながら首都から離れていった。時には小さな村で畑の野菜を盗み、村民に追いかけられることもあったという。
「そして行き着いたのがこのユスティールだ。しかし私は長い逃亡生活で疲れ果て、森の中の街道で力尽きてしまった。その時、たまたま通りかかった市長に保護されたのだが……その場所は、まさにケイが倒れていた場所と同じところだったのだよ」
「そんな偶然が!?」
「な?だからこそ、この出会いにはきっと意味があると思ったんだ」
サリーの話に啓も驚いた。もしかしてあの女神は、そこまで予見して自分をあの森の街道に送り出したのではないかと一瞬思ったが、『あの女神』のことだから本当にただの偶然で、そんな意図はこれっぽっちもないだろうと考え直した。
「市長に保護された私は、これもきっと女神様のお導きだと思い、市長にだけは私の正体を告げた。信じてもらうために『ユスティールの至宝』の話もした」
「やっぱりサリーもそのことを知っていたんだね。そんな気はしていたんだ」
「ああ。王城の禁書庫に昔の記録が残っていた。禁書庫を遊び場にしていたのは誰でもなく、この私だ」
市長との対談で、誰も知らないはずのユスティールの至宝を何故賊達が知っていたのか、という話になった時に、サリーが『王城の禁書庫から文献を見つけたのかもしれない』と言っていたことを啓は思い出した。
「それから市長は私の正体を隠したまま、この街に住めるように色々と手配をしてくれた。私は名前も髪型も、髪の色も変え、ここで王女としてではなく、一般市民として生活している。本当に市長には頭が上がらないよ。だからこそ、私はこの街と市長を守るために全力を尽くしている」
「なるほど……色々と繋がりました」
「そして私がここで生活を始めてしばらくすると、王女の死が正式に公表された。私は晴れて死んだこととなった、というわけさ」
「死亡扱いされているのに、そうも明るく振る舞われると、なんだかこっちの調子が狂うな……」
「時間が経てば辛い思い出も風化するんだよ。それに、お陰で自由に犯人探しもできる。私は商人達の護衛で他の街や、時には王都近郊にも赴く。その時に色々と情報収集もしているのさ。しかしまだ犯人につながる手がかりは見つかっていない……だからケイ。君にも是非協力してほしいと思っている」
サリーが再び真剣な顔になり、啓の目を真っ直ぐ見つめる。美人の熱い眼差しを受けて、啓は少しだけ体温が上がったような気がした。
「……もちろん、協力するよ」
「ありがとう。助かる。重ねてお願いするが、私の正体は秘密だからな」
「もちろん……あれ?そう言えばこの辺りに貴族はいないのか?見たことも会ったこともないが」
「こんな田舎に来る物好きな貴族はいないさ。だから私も正体を探られることがなく、安心して過ごすことができる」
「なるほど」
啓はサリーの言葉に納得すると、一息入れるためにお茶を飲み干した。サリーの話は一段落した。ならば次は自分の番であると、啓は心の準備をしたのだった。
「今度はオレの話だな。まず異世界から来たというところから……」
「ああ、信じるよ」
「はい!?」
唐突な肯定に啓は拍子抜けした声を上げた。啓の裏返った声に、バル子がビクッと体を揺らす。
「いや、そりゃ助かるけれど、まだ何も説明してないし……」
「そうか?だって初代国王も転生者とかいうやつなのだろう?」
「あー……おそらく、たぶん……」
啓は、自力でその答えに辿り着いたサリーの慧眼に感服した。啓自身は、初代王が転生者であることが、自分の身の上とシェラフィールの話から推測できたものの、サリーにはそんな手がかりもないはずだ。だが、完全に皆無というわけでは無かったようだ。
「実は王城には、初代国王が残した言葉が色々残っているのだが、言葉の意味が分からないものも多くてね。もしも他の世界から来たのであれば合点がいく」
「はあ、なるほど……」
「機会があればケイに見てほしいが……どうやって王城に忍び込むか考えなければな」
「いや、そんな危ないことは考えなくていいよ。信じてくれたのならばそれでいい」
「ケイは私の味方になってくれると言った。だから君の身の上がなんであろうと構わない。それだけで満足なんだよ」
サリーは満足げにそう言うと、新しいお茶を取りにキッチンへと向かった。
サリーがお茶を持ってくるまでバル子と遊んでいた啓は、戻ってきたサリーから羨ましそうな目を向けられたのを感じたので、(サリーが啓を信じると言ってくれたお礼も込めて)バル子をサリーに送り出した。サリーはバル子を抱きしめ、『バル子成分』を充填し始めた。
「ああ、バル子ちゃん……やっぱり本物は違うなあ」
「あの、サリー。聞いてもいいかな?」
バル子をワシワシして存分に堪能しているサリーに、啓は聞いてみた。
「サリーが猫を気に入ってくれたように、この世界の人達に猫は受け入れられると思うか?」
「そうだな……まずこの容姿を見て、きっと皆は骨抜きにされるだろう?そして鳴き声で腰が砕けるだろう。頬をスリスリされたらもう死んでもいいと思うんじゃないかな」
「それはサリーだけでは……」
「まあ、受け入れられるとは思うぞ。危険は感じないし、なによりこの愛らしさだ。きっと大丈夫だろう」
「そうか……実はオレにちょっと考えがあってね。サリーに聞いてもらいたいんだ」
そう言うと、啓は懐から魔硝石を取り出した。
「その魔硝石は、市長から貰ったものか?」
「ああ。まさかバルダー用のものを貰えるとは思わなかったよ」
それは、啓が市長に貰った魔硝石だった。啓は街を救った報酬として、市長から市民権と一軒家を貰ったのだが、他にも欲しいものがあれば言えと言うので、追加で啓がお願いして貰ったものだった。
市長が『金銭以外のものならば構わない』と言ったので魔硝石をお願いしてみたのだが、市長は鹵獲した襲撃犯達のバルダーに使われていた魔硝石をそっくりそのまま啓に渡してくれたのだ。
「しかし、そんなにたくさんの魔硝石をもらって、一体どうするんだ?」
「実は、猫を増やそうと思ってるんだ」
「……なんだって!?」
バル子から目を離さなかったサリーの顔が勢いよく啓の方を向いた。その目と表情からは、興味津々な感情が溢れまくっている。
「オレの世界には『猫カフェ』というものがあってさ。飲み物を飲みながら猫を愛でられる茶屋だと思ってくれればいい」
「ケイ、今すぐ私をそこに連れていって欲しい」
「いや、オレも帰れるならばそうしたいところだが……とにかく、それをこの街に作ろうかと思ってる。幸い、市長から商売もできる一軒家を貰ったことだし」
「なるほど。つまりケイは、その魔硝石を使って……」
啓は頷くと、魔硝石を一つ握り込んだ。そして握った手に力を込め、魔硝石に念じた。
(さあ、来い……!)
啓の手の中から光が溢れ出す。啓がゆっくり手を開き、光の塊を床にそっと置くと、激しい光が周囲を照らし、やがて収束して形を作っていく。
現れたのは、茶トラ柄の短毛で、耳がピンと立つ丸みのある愛らしい顔、そしてコロコロとした体型をさらに引き立たせる短い足の猫だった。
「……召喚成功だ」
「ケイ、それは……そのネコは……!?」
「マンチカンという血統の猫だよ。かわいいだろう?」
「そういえば、バル子ちゃん以外にもネコには種類があると言っていたな。確かに顔立ちも体型も違うな……」
「こんな感じで沢山の猫を召喚して、猫カフェを作ろうと思うんだ。どうかな?」
「最高だ……それ以外に言葉が見つからないよ……」
「ははっ。ありがとう、サリー」
サリーのお墨付きも出たので、啓はひとまず召喚したマンチカンに、こちらにくるように指示した。
召喚されたばかりのマンチカンは、トコトコと啓に近づくと啓の膝に飛び乗り、啓の体に頬をスリスリした。その姿を見たサリーは天を仰ぎ、激しく呼吸を乱した。
「はうっ!……ケイ、ずるいぞ!」
「ずるいと言われてもなあ……ねえ君、オレが君を召喚したんだ。分かるかい?」
「ニャーン」
「……あれ?」
「ニャン?」
マンチカンの反応に、啓は何か違和感を感じた。何だろうと思った啓がそれに気づいたのは、バル子の一声だった。
「ご主人、その猫ですが……」
「あ、そうか!違和感の正体はそれだ!この猫は喋れないのか?」
「ニャン」
何度問いかけてもマンチカンは喋らなかった。一応、啓の声がけに反応して鳴き声は出すものの、言葉を発することはなかった。
「なあ、バル子。この子は何でバル子と同じように話せないんだと思う?」
「今それをご説明しようと……」
そう言ってバル子はトコトコと啓の所にやってきて、マンチカンを見つめた。例によって念和的なものでマンチカンと話をしているようだ。
「ご主人、やはりこちらの猫は言葉を喋れないようですが、チャコと同じく、言葉は理解できるようです。ご主人がご主人であることもしっかり認識しています」
「そうか……では何故喋れないんだ?魔硝石はバルダー用のもので、大きさも十分だろう?実際、召喚にも成功したし」
「この表現が適切かどうかは分かりませんが、おそらく魔硝石の経験値と親密さが関係しているのではないかと」
バル子の説明によれば、マンチカンの核となっている魔硝石は、バルダー用の品質はあるものの、まだ使用実績が少ないことが理由だという。つまり、魔硝石をバルダーなどで長い時間使いこみ、魔硝石の経験値を積む必要があること、そして操縦する者との信頼関係を築くことが必要なのでは、ということだった。
「ゲームのアイテムやスキルのように、熟練度上げが必要だと言うことか……でもまあ、喋れなくても問題はないかな?うっかりお店で喋って驚かれても困るし、オレには喋れるバル子がいるし」
「もう、ご主人てば……バル子もご主人が何より大切です」
啓は、バル子が啓の言葉を少し曲解しているような気がしたが、バル子は身をくねらせるほどに喜んでいるので、あえて訂正する必要はないと判断した。
「しかし、どれぐらいの熟練度が必要なんだろう?」
「バル子の魔硝石は、十年以上、作業用バルダーの動力として使われてきました。経験としては十分な期間だったと思われます」
「そう言えばそうだったな」
啓がひょんなことからロッタリー工房のザックスとバルダーで戦うことになった時、市長に借りたのは年季の入ったバルダーだった。そのバルダーに使われていた魔硝石が現在のバル子である。
「それにご主人は、バル子がまだバルダーの魔硝石だった頃から、名前をつけて可愛がってくださいました。バルダーが壊された時には、涙を流して悲しんでくださいました。バル子はそれがとても嬉しかったのです」
「そうだな、オレにとって初めてのバルダーだったし、壊れた時は本当に悲しかったなあ」
つまり、魔硝石の経験と思い入れの量が、召喚した動物に影響を与えることに関係するという推測が立った。
そんな啓とバル子の話に聞き耳を立てていたサリーが、突然立ち上がった。
「ケイ、ちょっと……ちょっと待っててくれる?」
「はい?」
そう言うとサリーは玄関から飛び出していった。ドアを開けっぱなしにしたまま、遠ざかっていく足音が聞こえる。そして遠くでドンガラと物音が聞こえたかと思うと、再びバタバタと足音が近づいてきた。
「ハア、ハア……ケイ、この魔硝石で……私にネコを召喚してくれないか?」
「ええっ!?」
サリーが持ってきた魔硝石は、掌の上には乗るものの、握り込むには大きすぎる程度には大きいものだった。艶があり、半透明で薄い黄色の魔硝石は今までに見たことがないほど美しい物だった。
「サリー、まさかこの魔硝石って……」
「ああ。私が幼少の頃から持っていた魔硝石で、今は私のバルダーの動力にも使っている」
「いやいやいやいや!」
そんな貴重なものを使うなんてとんでもない、と啓は断ったが、サリーは首をブンブンと振り、啓の両手を握りしめた。
「頼む、ケイ!私はこの魔硝石と共に生きてきた。きっとこれからずっと一緒だ。もしもこの魔硝石がネコになって、私と意思の疎通ができるようになれば、この上なく幸せだ!」
「いや、気持ちはわかるけど、万が一失敗するようなことになったら……」
「その時は諦める。絶対にケイに責任は問わない。私が全責任を負う!」
「いや、責任と言われても……」
サリーは全く引く様子がなかった。このままでは埒があかないと思った啓は溜息を吐くと、サリーに言った。
「……分かった。そこまで言うならやろう。オレも失敗するつもりはないけれど、万が一の時は恨まないでくれよ」
「ああ、もちろんだ」
「あとは……なあ、バル子。オレがこの魔硝石で召喚をすると、オレが主人になってしまわないか?魔硝石の気持ちとしてはどうなると思う?」
『魔硝石の気持ち』という表現が正しいかどうかは分からないが、これについてはバル子に聞いた方が間違いないと思った啓は、そうバル子に問いかけてみた。
「その場合は、ご主人が主人の変更を命令すればよろしいかと思いますが……そうですね、試しにおふたりで召喚してみてはどうでしょうか」
「ふたりで?」
「はい、こう手を合わせてですね……」
啓とサリーは、バル子に言われるままに魔硝石を握った。下からは啓が、上からはサリーが包みこむように魔硝石を握る。
「はい、そうです。このままご主人が召喚を行なってください。その間、サリー様は魔硝石に向かって念じてください。サリー様が主人だと念じながら」
「うん、分かった。ありがとうバル子ちゃん!」
「じゃあ、やるよ……」
啓は再び念を込めて召喚を開始した。啓に迷いはない。サリーのために召喚する猫のイメージはできている。
啓がふとサリーを見ると、サリーはキュッと目を瞑り、必死に念じているようだ。ならば後は啓も召喚を中断することなく、最後まで念を込めるだけだ。
果たして、召喚は成功した。サリーの目の前には、やや大きめで、真っ白な長毛の猫が現れていた。フカフカの毛並み、特に首から胸にかけて生えている毛はまるでたてがみのようで、猛々しくも凛々しい印象を醸し出している。目の色は右目が金色で左目が青色。いわゆるオッドアイであり、神秘的な印象すら受ける。そんな素敵な猫が召喚されたのだった。
「ケイ……この子は……」
「猫の絵を見た時に話をした、メインクーンという血統の猫だよ。この子はホワイトソリッドといって全身が真っ白なんだ。左右の目の色が違うのはオッドアイと言って……あの、サリー、聞いてる?」
サリーは心ここに在らずという感じでメインクーンに見入っていた。そんなサリーを見たメインクーンは、首をちょっと傾げると、前脚を伸ばしてサリーの足に触れ、そして言った。
「どうしました?ご主人」
サリーは恍惚の表情を浮かべたまま、仰向けに倒れた。
「サリー!」
「サリー様!?」
「ご主人?」
幸せすぎて、もういつ死んでもいい……心からそう思っていたサリーだった。
マンチカンとメインクーン、召喚成功しました。
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