025 サリーとの話
サリーの自宅に行くことになった啓は、その道中で目を奪われまくっていた。サリーが向かっている方向は街の北西側。市場や機械工房があるのは街の中心から南側で、北側は普通の住居や、金属や油の匂いとは無縁の店が多いらしい。
普段の啓も、こちら方面には全く用事がなかったため、今まで足を踏み入れたことは無かった。見たところ、周辺の建屋は無事な建物ばかりで、こちらの区域には戦禍による傷跡もなさそうだった。
そのため、啓が目を奪われたのは戦闘の被害による家屋や怪我人ではなく、この地区の工房や店舗の特色だった。
「ケイ、そんなに珍しいか?」
「ええ、普段はどちらかといえば機械まみれの日常でしたから、こう言った芸術的なものを見ることもありませんでしたし。なんというか新鮮です」
住居の合間に点在する工房の軒先には、様々な絵画や彫刻が並べられていた。工房の店員、いや職人は軒先で油絵を描いたり、身体中を粉塵まみれにしながら石の彫刻を制作している。
「この区画は、こういった技巧を凝らした品を多く作る職人が集まっていてね。私もいつも目を楽しませてもらっている。例えばそこの小物屋や服屋は、普段からよく買い物をさせてもらっている」
「確かに、オシャレな服が並んでいますね」
服屋と言っても量販店のような規模ではなく、ブティックという表現が似合う店舗が連なっていた。店によって置いている服の系統が違うので、それぞれターゲットとしている性別や年齢層が違うのかもしれない。
(工房都市と言っても、機械や油まみれな所ばかりじゃないんだな。まあ、そりゃそうか)
啓が機械工房とは毛色の違う街並みを楽しみながら歩いていると、突然、サリーを呼び止める声が聞こえた。
「サリーちゃーん!」
「やあ、ユーゴ、ごきげんよう」
ユーゴと呼ばれた青年は、笑顔でサリーに手を振っていた。ユーゴは茶色の角刈り風の髪型で、服の上からでも分かるほどに全身が筋肉の鎧で覆われているような体型をしていた。ブンブンと振る逞しい腕のその手には、ノミのようなものが握られており、彼の後ろには制作途中と思われる、女性を模した石像が立っていた。
「サリーちゃん、今日もお仕事だったの?そちらの素敵な男性は?」
「ああ、こちらはケイ。彼は賊共から街を守るために一緒に戦ってくれたんだ」
「あの、初めまして。啓と申し……」
「あらあら!まあまあ!貴方が!貴方が……」
啓が自己紹介を終えるのを待たず、ユーゴは嬌声を上げながら、ものすごい勢いで啓に近づいてきた。ユーゴの声量のせいなのか、ユーゴが踏み進む足が地面に伝えた振動によるものなのか分からないが、啓はユーゴが一歩接近するたびに空気が震えるのを感じ、そして啓も震え上がった。
あと一歩でユーゴと啓の距離がゼロになる、その危険な境界線を守ったのは、啓の頼もしい相棒達だった。
「……ケイ、なのね」
「シャーーー!」
「チチチチチチチチチチチチ……」
ユーゴの突進の勢いは、バル子の威嚇と、チャコの割り込みによって止められた。
「フーーー!」
「チチチチチチチチチチチチ……」
「サンキュー、バル子、チャコ。オレは大丈夫だよ」
「……変わった獣と鳥ね」
ユーゴは毛を逆立てたバル子と、啓の顔の前でホバリングするチャコを交互に見ている。ユーゴが足を止めた本当の理由は、見知らぬ動物に対して興味と警戒を持ったからだった。
啓は心臓の鼓動がほぼ平常運転に戻るのを待ってからユーゴに質問した。
「あの、ユーゴ……さん?」
「あらあ、ケイちゃん、何?何?」
「(いきなりちゃん付けで来たか……)失礼ですが、ユーゴさんの性別って……」
「見ての通りよ。男に決まってるでしょ?」
「ですよね……」
サリーがやれやれという顔をして啓に説明する。
「ケイ。ユーゴは見ての通り男だが……その、なんだ……心は乙女で、男の子にしか興味がないのだ」
「ええ、まあ、そんなことだろうと思いました」
「サリーちゃん、それは少し違うわよ。私はね、男の子が好きなんじゃなくて、かわいい男の子が好きなの。そこ、とっても大事だから間違えちゃダメよ」
ものすごくどうでもいい、と啓は思ったが、口には出さなかった。
啓も競艇選手時代、先輩の優勝祝いで新宿界隈に繰り出した時に、三次会あたりでこの手のお姉様方にいつも大変可愛がられたという思い出がある。しかしお姉様方はとても(ある意味)紳士的で、エンターティナーだった。啓はその界隈のお姉様方と飲むのはむしろ楽しくて好きだった。そのため、初見での驚きはあったものの偏見等は全く無く、対応にも苦労しなかった。
「かわいいと言ってくれて光栄です。今日はサリーさんと仕事の話でこちらの方に伺いました。今後も何かと足を運ぶこともあるかもしれませんので、よろしくどうぞ」
「あらまあ、なんて礼儀正しいこと!本当にかわいい子ね。街を救ってくれた英雄とは思えないわ」
「英雄!?」
「街の窮地に貴方が颯爽と現れて、敵をバッタバッタと倒して街を守ってくれたのでしょう?かわいい顔して、しびれるわあ」
啓はユーゴの言葉に驚いた。ユーゴの個性を知った時以上に驚いた。襲撃に巻き込まれなかった地域の人が知っているということは、街中に啓の話が流布している可能性もあるということだ。
「いやいや、一体どんな話が街中に流れているんですか!尾ひれがついて変に誇張されてますよ!?」
「んー?別に街の噂話ではないわよ?」
「あ、違うのですね……」
街中に啓の誇張された武勇伝が流布しているのではないか、という疑惑は啓の杞憂だったようなので、啓はひとまず胸を撫で下ろした。
「ではいったいどこから……」
「どこからも何も、私はサリーに聞かされたのよ。私が聞きもしないのにサリーが熱く語り始めて……」
「ケイ!私の家はもうすぐそこなんだ。さあ、時間も無いし、そろそろ行こうか。ではユーゴ、ごきげんよう!」
啓はサリーに手を引かれ、いや、引きずられてサリーの家へと連れて行かれた。
◇
ユーゴと別れてから数分後、ようやくサリーが足を止め、左側を指差した。
「私の家はここだ。一人暮らしなもので、手狭ですまないが」
「……どこがですか」
簡単な柵で囲まれている敷地は、ちょっとした公園ほどの広さがあり、その奥に立派な一軒家と、大きめの倉庫のような建屋が並んでいた。
(あの倉庫にサリーさんのバルダーが格納されているのかな?)
そんなことを考えているうちに、サリーは玄関の扉を開けて、啓を招き入れた。
「適当にその辺に座っていてくれ。お茶を淹れてくる」
広いリビングに通された啓は、楽に三人は腰掛けられそうなソファに腰を下ろした。ソファの向かいには、低めのテーブルを挟んで一人がけのソファがあるので、おそらくそこが家主の定位置なのだろうと考えたからだ。バル子も啓の肩から降りてソファに座った。チャコは花瓶に飾られた花の前でホバリングしている。
「チャコ、つまみ食いするなよ。しかし、なんというか、中流階級のお館って感じだな……」
啓はぐるっとリビングを見回した。リビングには様々な調度品が置かれている。意匠を凝らした花瓶に飾られた花、壁に飾られた絵画、そして彫刻。部屋の各所には、邪魔にならない程度におしゃれな調度品が置かれていた。
そのひとつに、啓はふと目を止めた。
「これって……猫の絵じゃないか!?」
啓が見つけたのは小さめのキャンパスに描かれた猫の絵だった。油絵のようだが、香箱座りでちょこんと座る猫の絵が描かれていた。だが猫の絵のように見えて、実際は猫では無いかもしれない。その理由は啓自身がよく知っている。
「いや、でもこの世界には猫がいなかったはずだ。ならば、いったい誰がこの絵を……」
「それは私が描いたのだ。恥ずかしいからあまり見ないでくれ……」
絵の作者が自分だと名乗り出たサリーは、少し頬を赤らめながら、リビングに戻ってきた。そしてトレイに乗せたお茶を啓の前のテーブルの上へと移す。
「いやいや、凄い上手ですよ。サリーさんにこんな絵の才能まであったなんて凄いです。この絵の猫はバル子を参考に?」
「ああ、バル子ちゃんを参考にさせてもらった。その……最初はバル子ちゃんそのものを描こうと思ったのだが、記憶を元に描いてみても、どうも本物とは違うというか、細かい部分で納得がいかなくてな。だから体型や骨格は似せつつ、少し長毛にしたり色を変えてみた。無論、架空の愛らしい獣という視点で描いているので、ネコとは言えないかもしれんが、あくまで架空の獣として考えれば……」
サリーは自分の描いた絵について怒涛の説明を始めた。作品を見られた気恥ずかしさと、猫に対する想いが溢れた結果だった。
たっぷり三分ほど絵の説明をしたところで、サリーの口はようやく止まった。
「……まあ、やはり本物のバル子ちゃんには及ばないがな」
サリーは啓の隣に座っているバル子と、絵を見比べながら苦笑した。
「いえ、この柔らかそうな体の曲線はまさに猫って感じで素晴らしいです。ロシアンブルーのバル子は短毛ですが、猫には長毛種もいます。この絵が原寸大だとするならば、バルコよりも大きいですから……そうですね。全体的にもっと長毛にして、特に首周りをモフモフにしたら、メインクーンという血統の猫に近い気がしますね」
「本当か!?そんな子もいるのか!?ああ、実際に見てみたいなあ……」
サリーはポヤポヤ顔で、啓が説明した猫のフォルムを想像し始めた。異世界でもやはり猫は人気が出そうな気がすると、啓は改めて思った。
「おっと、すまない。このままネコの話を聞きたいところではあるが、それは今度にしよう。今日の本題は別にあるからな」
サリーは1人がけのソファに座ると、お茶を一口飲んだ。啓も姿勢を正し、サリーの言葉を待つ。そしてサリーは、どストレートに啓に聞いた。
「ケイ、君は何者だ?」
「……何者、と言われると、なんと答えればいいのか分かりません」
「私から家に招いておいて何だが……答えによっては、君を敵として認識し直し、対応しなければならないかもしれない」
「敵って……」
啓の全身に寒気が走った。啓の答え次第では、こんなに親しく接してくれているサリーにここで殺される可能性がある。そう思うと啓は何も言えなくなってしまった。
だが、その沈黙を破ったのはサリーの吹き出し笑いだった。
「ははっ!すまない。いや、試したわけでは無いが、君が敵だとは正直思えない。だからいきなり斬るような真似はしないから安心して欲しい」
「はあ……」
啓は目が泳ぐ様を演じながら、念の為にサリーの周囲を確認した。ひとまず、武器になりそうな得物はサリーの周囲にはなかったので、仮に万が一の場合には、サリーが得物を取ってくる間に全力で逃げることはできそうだと判断した。
「だが、君の正体ははっきりさせておきたい。その代わりと言っては何だが、私も正直に答えたいと思う」
「では、オレから質問してもいいですか?」
啓はサリーから質問攻めされる前に、先手を取ることに決めた。
「初めてサリーさんがオレを見つけた時……森で奴らに襲われて死にかけた時のことです。何故オレを助けて、ガドウェルさんのところに預けたのですか?」
「それは私が何故、見ず知らずの君を信用したのか、という質問と同義だろうか」
「ええ、そうですね……そう考えてもらっても構いません」
啓の問いかけにサリーは答えず、代わりに右の掌を上に向けると、小さくつぶやいた。
「癒しを与える力を」
すると、サリーの掌の上に、赤く小さな光の玉が現れた。啓は目を見張って赤い光を見つめた。
(この光……見覚えがある。そうだ、あの時だ)
街で啓が敵のバルダーから奇襲を受け、倒された時、サリーが啓の窮地を救った。サリーはその後、啓に治療を施した。啓は激痛で気絶したと思っていたが、薄く残った意識の中で、確かにこの光を見たことを思い出した。そして、サリーに膝枕をされていたことも。
啓がそんなことを思い出しながら、サリーの掌を見つめていると、サリーは掌を閉じて光を消した。
「これは私の癒しの力だ。私もケイと同じく、魔硝石の力を使い、女神の奇跡を使うことができる」
「オレと同じ?いや、オレは癒しの力なんて持ってないですよ」
啓はサリーの言葉に当惑した。
「いや、そこではない。魔硝石の力を奇跡の技として行使できることだ」
「奇跡の技……」
確かに、啓は魔硝石を変質させて動物を召喚することができる。まだ完全に掌握できている訳ではないが、その力を行使できることは間違いない。
「ですが、それとオレを信用することがどう繋がるのですか?あの時、サリーさんは、オレにそんな力があることなんて知らなかったはずです……なにしろ、自分も知りませんでしたし」
「君が魔硝石と高い親和性を持っていることはすぐに分かったよ。偶然の産物ではあったがね」
森で襲われ、足を切り落とされていた啓を見つけたサリーは、気を失っている啓に癒しの力を行使した。だが、それは単なる気まぐれでしかなかった。切り落とされた足を治せるほど、サリーの癒しの力は強くなかった。足を失った啓を気の毒に思ったサリーは、せめて血を止め、痛みを和らげるつもりで癒しをかけた後、速やかに立ち去るつもりだった。
「だが、君の体は私の想像を超えた反応を示した。癒しの力が増幅され、たちまち傷口が癒えていった。むしろ私は慌てたよ。足を繋ぐ前に、切れた部分が閉じてしまうのではないかと思ってね」
「それは、想像したくないですね……」
「私はすぐに切り落とされた足を拾い、切り口同士を合わせて癒しを再開した。すると君の足は見事に接合して、完治してしまった。こんなことは初めてだったよ」
「それは……改めて、ありがとうございます」
啓は座ったまま、深々と頭を下げた。
「頭を上げてくれ、ケイ。ともかく、ケイは魔硝石との親和性が高い、それもずば抜けてだ。ということは……君も私と同じ生い立ちなのだろう?」
「同じ!?まさか、サリーさんも!?」
啓の心臓の鼓動が跳ね上がった。自分と同じ、ということは、つまりサリーもそういうことなのだろう。
「ふふっ。その顔は図星かな?だからもう隠す必要はない。私と同じく、君は……」
サリーは一度言葉を切り、息を吸った。啓もサリーに呼吸を合わせ、同時に言葉を発した。
「王族の血筋!」
「異世界転生者!」
「……」
「……」
「はい?」
「はい?」
二人の呼吸は全く合わなかった。
次回、サリーの話が続きます。
レビュー、ブックマーク、評価、誤字指摘などいただけると大変励みになります。
よろしくお願いいたしますm(_ _)m