021 生死
その時、サリーは自分の愛機であるカンティークの中で息を潜めて、時計台の屋根の上から、大通りを通り抜けようとする襲撃犯達を見ていた。
市長を先頭に、その真後ろを賊の1人が続く。市長は後ろ手に縛られている様子で、その後ろを歩く賊が小刀の鞘でさっさと歩けとばかりに市長を突いていた。
その賊の後ろをゆっくりと敵のバルダーが続いている。聞いていた通り、敵のバルダーの右腕にはレナがあられも無い姿で縛り付けられていた。サリーはレナがわずかながら体を動かしているのを見て、ひとまずレナがまだ生きていることに安堵した。
最後尾を歩くのはもう1人の賊だ。安心して油断をしているのか、退屈そうにあくびをしながら歩いている。他に仲間がいる様子もなく、これで全員だとサリーは判断した。
(それにしても、もう少しこちら側を歩いてくれると助かるのだが)
敵のバルダーは大通りの中央付近を歩いているため、サリーのいる時計台側とやや間隔が空きすぎていた。おそらく届かないことはないだろうが、無理な体勢で斬りこんだ後、脚に負荷がかかって壊れるかもしれない。
(だが今更作戦に変更はない。必ず当てる)
サリーは狙いを定めて、その時を待った。大通りを歩く敵のバルダーが自分の真下に到達する、その瞬間を。
だが目標地点に到達する前に、ふとレナが頭を上にあげた。レナの顔と目は、間違いなく時計台のほうを向いている。そしてサリーのバルダーに気が付いたのか、レナは目を見開いた。
(まずい、レナの動きで奴らに気づかれるかもしれない……)
だが、それは杞憂に終わった。それどころか、レナは賊達に何かを言っているような素振りを見せ、すると隊列がやや右側に寄り始めた。もしかしたらレナはサリーが何をしようとしているのか、気が付いたのかもしれない。
(やはりお前はたいした隊長だよ)
レナの機転に心の中で称賛を送り、サリーは手の汗を拭って操縦桿を握り直した。襲撃犯達の隊列が時計台の真正面に差し掛かる。そして敵のバルダーがサリーの見定めた目標地点に到達した瞬間、サリーは時計台から跳躍した。サリーがカンティークと名付けた白いバルダーは、星明かりを背中で反射しながら、敵の戦闘用バルダーをめがけて自由落下していく。
(レナ、死ぬなよ、ついでで悪いが、少しだけ痛いのを我慢してくれよ!)
狙いは敵のバルダーの肩口。バルダー本体そのものへの攻撃は爆発の危険があるために斬るのは避けるべきであると同時に、戦闘用バルダーの搭乗口は特に強固になっているはずなので、斬り損ねる可能性がある。
肩口を狙って腕だけを斬り落とす選択は、レナの安全に極力配慮した結果だ。それでも斬った時の衝撃や、バルダーの腕ごと地面を転がされた時にはレナの素裸に傷をつけてしまう。
サリーは必ず後でレナを治療することを自らの免罪符にして、敵のバルダーの肩口めがけて得物を振り下ろした。
だが、敵のバルダーは左足を軸にして後ろに半回転してサリーの斬撃を避けた。サリーの攻撃は空を切り、地面を叩く刃の音とバルダーが着地した衝撃音だけが大通りに響いた。
「そんな!今のを避けるだと!?」
『甘いな、白いの。俺が気が付いていなかったと思うのか?いきなり道の端に寄せらせて、おかしいと思わないとでも?愚策だったな!』
拡声器でバージルが煽る。サリーも流石に甘かったかと思ったが、レナを責める気にはならなかった。レナのおかげで無理な着地はせずに済んだのだから。むしろサリーは、敵のバルダーの急制動でレナが振り回されたことのほうが心配だった。
そんな心配を嘲笑うかのように、バージルはレナが縛り付けられている右腕を勢いよくサリーの方に向けた。
『白い奴。こいつを死なせたくなければバルダーから降りろ』
本来であれば腕を切り落とした後、サリーが腕を回収して急速離脱し、この先で見ているはずの啓が敵のバルダーを牽制する。そしてサリーがレナを安全な場所に退避させてから挟撃に持ち込むはずだったのだが、この状況では啓も手が出せないだろう。
敵のバルダーの右腕の上で、レナがぐったりとしている姿が見える。これ以上レナの体に負担をかけるのは危険と判断したサリーは、操縦桿を握る手を緩めた。
(すまない、レナ。すまない、ケイ……)
『どうした、早く出て来い!こいつを地面に叩きつけてもいいのか!』
バージルはバルダーの右腕を上げて、いつでも振り下ろせるぞという体勢をサリーに見せつけた。サリーはこれ以上の抵抗は無理と判断し、投降することに決めて搭乗口のスイッチに手を伸ばそうとした、その時だった。
パッと一瞬、目の前が明るくなったと感じた直後、バージルのバルダーの右腕が弾け飛んだ。
『なにっ!』
「なにっ!」
見事にバージルとサリーの声がシンクロしたことにサリーは少しイラッとしたが、先にやるべきことを思い出して動いたのはサリーだった。サリーは素早くバルダーを動かし、宙を舞うバルダーの右腕ごとレナをキャッチすると、そのまま大通りを市場方面に向けて走り出した。
「バージルさん!奴が逃げます!」
『あ、ああっ!クソが!まちやガアァッ!?』
呆気に取られていたバージルはアントンの大声によってようやく頭が再起動したものの、突然の背後からの衝撃で吹き飛び、よろめいた。バルダーの姿勢制御によって倒れずに済んだバージルはすぐに転身した。バージルが見たのは、一機のみすぼらしいバルダーだった。
バージルは、どう見てもスクラップ寸前のバルダーが自分の戦闘用バルダーに攻撃を喰らわせ、白いバルダーと人質をみすみす逃す羽目になったことに腹を立てた。
『テメェ、許さねえ……』
『サリーさんは追わせない!お前達はここまでだ!』
啓はサリーがレナを確保したことを確認すると、素早く飛び出してバージルのバルダーにケンカキックを食らわせた。本当ならば勢いよく体当たりをしたかったところだが、装甲がほとんど無くなりかけている啓のバルダーでは、自分のほうが壊れるかもしれないと思ったために蹴りに切り替え、バージルのバルダーを攻撃したのだ。
『この壊れかけの雑魚バルダーが!』
啓の蹴りに耐えたバージルは左腕を啓に向けた。バルダーの腕に内蔵されている砲弾を撃ち込むための動作だったが、啓も市場前での戦闘でその動きは何度も見ている。啓は敵のバルダーから離れ、敵に狙いをつけられないように素早く左右に動き回った。バージルは何度も発砲したが、啓はその全てを避けた。
「当たらなければ、どうということはない……ってなんか有名な台詞だったよな?」
「それはご主人の世界のお話ですか?」
啓の問いにバル子が質問で返す。バル子は啓の肩と頭に体を預けて乗っかっている。
「ああ、そうだよ。こんな感じでロボットに乗って……思い出した。たしかガン……」
「ご主人!」
「どうした、バル子?」
「市長が追われています」
バル子の示す方向を見れば、どさくさで逃走を図った市長を、2人の賊が追いかけていた。
「大変だ、市長を助けないと!」
「ですがご主人、その場合は敵のバルダーに背を向けることになります」
啓は砲撃を避けながらどうするべきか一瞬考えたが、結局、啓は即決した。
「それでも、オレは市長を助けに行きたい。助けるならば全員だ」
「ご主人ならそう言うと思っていました……仕方ありませんね」
「バル子?」
するとバル子はブルっと体を震わせて、そして啓の頬に顔を擦り付けた。
「これが最後です。もしもの時はバル子を見捨てて逃げてください」
「は?バル子、お前、一体何を……」
先ほどからバル子の様子が少しおかしいと感じていた啓だったが、やはり間違いではなさそうだった。バル子は何か力を使っているに違いない。
「ご主人、まもなく槍が戻ります。戻ったらすぐに敵のバルダーに投げてから、市長の追手を排除しに行ってください」
「戻る?よく分からないが、分かった」
二発の砲弾を躱した後、啓は自分のバルダーの右腕に何かが握られたのを感じた。それは先ほど投げた大槍だった。
『おい何だそれは!一体どこからそんなものを……』
『知らん!だが見たいならば、よく見せてやる!』
啓は躊躇なく大槍を投げた。今度の狙いは左腕。槍は光を放ちながら敵のバルダーを目掛けて飛んだ。そして槍先は期待通り、バルダーの左腕と胴体の左側面を抉り取った。敵のバルダーは煙と火花を上げ、動きを止めた。少なくともこれで敵の遠距離攻撃の手段は奪えた筈だ。
「よし、今のうちに市長を追う!」
啓は敵のバルダーに背を向け、走り出した。
◇
「レナ、レナ!」
「ん……あっ、サリーさん……私は……」
「無事でよかった。もう大丈夫だ」
レナは自分が目の前のサリーに抱き抱えられていることに気がついた。心地よい感覚にこのまま身を委ねたいと思ったレナだが、すぐに顔を赤らめた。
「あっ、あの、レナさん、ごめんなさい!」
「こら、急に動くんじゃない。まだ傷は癒えていないんだ」
「でも、私……あれ?」
レナはサリーに抱えられていることよりも、自分が裸であることを思い出して赤面したのだが、いつのまにか服を着ていた。
「この服は……」
「ああ、すまない。それは私がバルダーに積んでいた替えの服だ。大きさも好みもレナに合わんかもしれんが、しばらく我慢してくれ」
「は、はい……」
レナは手で服の上から胸やお尻を触り、その感触で下着も履いていることに気がついた。自分がサリーに下着まで着せられたと思うと、余計に恥ずかしくなった。
「どうした、レナ。耳まで真っ赤だぞ?」
「みみみみ見ないでください!」
「レナ、すまないが私はまだ戦っているケイの手助けに行かなければならない。ここで少し待っていてくれるか」
「えっ、はい、もちろんです!行ってください!」
手をブンブンと振り、早く行くように促すレナを見たサリーは「本当に大丈夫か?」と呟きながら、再びカンティークに乗り込んだ。
レナはあまりの恥ずかしさに、身体中についていた擦り傷や、鎖の圧迫による怪我がほとんど消えていることに気が付かなかった。
◇
啓は市長を追いかけたものの、やはり市長は年齢と体力的に、若い襲撃犯から逃げ切るのは不可能だった。今度は啓が市長を人質に、襲撃犯達から投降を迫られている状況になっていた。
「さっさと降りてこい!市長を殺すぞ!」
抜き身の小刀を市長の首元に押し付けたアントンが啓に向かって叫ぶ。啓は搭乗口を開いて、アントンに答えた。
「そんなことをしてどうする。お前達の命の保証はするから、市長を放して投降してほしい」
(命の保証か……実際、そんな権限もないけれど、一体どうしてこうなったんだろう)
ふと啓は、なぜ自分はこんな命のやり取りをするような世界に放り込まれたのだろうかと思った。たまたま事件に巻き込まれただけかもしれないが、その理不尽さに少し腹も立った。
「テメェ、馬鹿か?これが見えないのか?さっさとそのクズバルダーから降りてこいって言ってんだよ!」
アントンが市長の喉元にあてた小刀を揺らす。このまま見殺しにできないと考えた啓は、仕方なくバルダーから降りようとした。だが、そこに思わぬ救世主が現れた。
「痛ってええええ!」
「おい、どうし……だあっ!痛ええっ!」
突然、アントンともう一人の襲撃犯が苦しみ出した。二人は足や首を押さえ、のたうち回っている。まるで蜂にでも刺されたように……。
「……これってもしかして、モンちゃんズか!?」
「どうやら間に合ったようですね。ほらご主人。向こうも見てください」
「あ……ああっ!」
通りの向こうから複数のバルダーがやってくるのが見える。バルダーの種類はまちまちで一貫性はないし、戦闘用にも見えなかった。だが、それが味方であると啓は確信していた。
「街のみんなだ……バルダーの倉庫が開放されたんだ!」
街の大倉庫に軟禁されていたバルダーがようやく開放され、街の有志達がバルダーを操縦して加勢にきてくれたのだった。
啓は召喚したモンスズメバチ達に、倉庫を開けるために奮闘していた彼らの護衛を頼んでおいたのだが、無事に役目を終えてちょうど戻ってきたところだったらしい。さすがスズメバチの中でも最強の攻撃力を誇る種であるだけに、効果は抜群だったようで、むしろ啓は複数箇所刺された襲撃犯達を気の毒にすら思った。ついでに間違えて市長を刺さなくて良かったとも。
やがて、啓の目の前に四匹のモンスズメバチが現れ、「褒めて!」と言わんばかりにクルクルと八の字に飛び回った。
「ありがとう、モンちゃんズ。必ずもっといいチーム名を送るからな!」
啓は蜂達を労うと、操縦席から身を乗り出した。
「みんなー!おーい!!!」
啓はここからでは声が届かないと分かっていたが、わざと大声を上げて街のバルダー軍団に向かって叫んだ。本当の目的はそこで痛みに耐えて転がっている襲撃犯達に聞かせるためだ。果たして、街の援軍が来たことと、もはや退路を絶たれたことを悟った2人は、完全に戦意を失い、降伏した。市長のマウロは突然痛みで苦しみ出した襲撃犯達を不思議に思いながらも、啓のバルダーに近づき、頭を下げた。
「ありがとう、ケイ。おかげで助かった」
「いえ、市長。無事でよかったです。でもまだ向こうに敵のバルダーが1機残っていて、そいつはまだ動けるかもしれません。市長は街の皆と合流してください」
「ああ、承知した」
市長が街のバルダー軍団の方へ向かうのを見届けた啓は、先の戦闘で半壊させた敵のバルダーを確認しに行くために転身しようとした。しかし、バルダーは動かなかった。
「あれ?動かない?ついに壊れちゃったか……なあバル子、どう思う?……バル子?」
バル子は啓の呼びかけに応えなかった。バル子は啓の肩で目を閉じたまま、全く動く様子がない。
「バル子?……どうしたんだよバル子。返事してくれよ!」
啓がバル子を軽く揺するが、バル子は何も反応しないまま、啓の膝の上にぽてっと落ちた。
「おい、やめてくれよ……バル子!バル……ぐあっ!!」
啓がバル子に呼びかけているその時、後ろから激しい衝撃を受け、啓はバル子ごと操縦席から放り出された。バルダーも後を追うように前のめりに倒れた。啓はとっさにバル子をしっかりと抱き抱えてバル子が地面に衝突するのを防いだが、啓は背中と頭を激しく打ちつけて悶絶した。
「くそっ……いてて」
『俺をこんな目に合わせやがって!ぶっ殺してやる!』
啓を背後から襲ったのはバージルのバルダーだった。両腕を失ってもなお、まだ動けたバージルのバルダーは、啓のバルダーに体当たりを仕掛けたのだった。
『殺してやる!!殺してやる!!』
バージルは拡声器で叫びながら、地面の上でうずくまる啓の真正面に立った。そしてバルダーの左脚を上げた。自分を踏み潰す気だと啓は悟ったが、激しい痛みと恐怖で、啓の体は動かなかった。
『死ねええええ!』
バージルが叫ぶ。啓は死の恐怖で、反射的に目を閉じた。
しかし、バルダーの脚が啓を踏み潰すことはなかった。代わりに聞こえたガァンという大きな衝撃音によって啓の耳に痛みは生じたが。そして目を開いた啓が見たものは、長刃の武器が左脇腹から搭乗口を抜けるように貫通していた敵のバルダーの姿だった。
「この武器は……サリーさん?」
啓が通りの先に目を向けると、そこにはサリーの白いバルダーが、武器を投げ終えた姿勢のまま静止していた。サリーは敵のバルダーを取り押えるには間に合わないと判断し、一か八か、バージルのバルダーめがけて武器を投げたのだ。
幸いにも、先の戦闘で啓がバージルのバルダーに負わせた左脇の損傷部分は装甲が薄くなっていた。サリーの投げた武器は見事にその場所にヒットし、そのまま貫通させることができたのだった。
『あ……が……』
バージルのバルダーの拡声器から悲痛な声が聞こえる。自動姿勢制御によって、振り上げたバルダーの脚がゆっくりと地面に降りる。バルダーの搭乗口は内側から飛び散った血によって中の様子が見えなくなっていた。長刃はバージルの体も貫通していたのだ。その数秒後、バージルは絶命した。
◇
「ケイ、無事でよかった」
カンティークを降りて啓に駆け寄ったサリーは、地べたに座る啓の肩をポンポンと叩き、健闘を讃えた。
「残った賊も街の皆に取り押さえられた。市長も無事なようだ。全て君のおかげだ。ありがとう、ケイ」
「……」
「ケイ?どうした?やはりどこか怪我でも……」
「サリーさん!バル子が!バル子が……」
啓は涙を流しながらバル子を大事に抱えていた。息をしていないバル子を愛おしそうに抱きしめながら、啓はサリーを見上げた。
「サリーさん!バル子を助けてください!オレの命が必要ならいくらでもあげます!バル子を!」
「いや、君が死んでは私が困る……ではなく、すまないが私は死んでしまった生物を生き返らせることはできない」
「そんな……」
啓はバル子に何かしら無理をさせたことに途中から気づいていた。だがバル子は啓の期待に最大限に応え、何度も窮地を救ってくれた。啓はそんなバル子に甘えていた自分に腹が立った。同時に、バル子の死を受け入れられずにいた。
「……バル子はオレにとって大切な相棒なんです。元は魔硝石かもしれないけれど、この世界で初めてオレの知っている大好きな動物に……猫になってくれたのはバル子だったんです。オレは動物の全てが好きですが、バル子はその中でも特別だったんです……」
啓の告白にサリーは首を傾げた。すぐには理解できない啓の言い回しを、何度か頭の中で整理した。そしてサリーは啓のそばでしゃがみ、自分の顔を啓の顔のそばに寄せた。
「サリーさん、近……」
「ケイ、すまないが手短に教えてくれ。この獣は元が魔硝石と言ったが、間違いないか?」
サリーは啓だけに聞こえるように小声で啓に問いかけた。
「あ……はい、うっかり言ってしまいましたが、そうです。でもこれは秘密に……」
「君は今、魔硝石を持っているか?」
「え?……えっと、はい。小さいやつですが」
「それを今すぐにこの獣に与えてやってくれ」
「与える?」
啓は理解できぬまま、ポケットから小袋を取り出した。前にアルバイトの報酬で貰った魔硝石の入った袋だ。啓は袋から魔硝石を取り出し、サリーに見せた。
「これですが……」
「ああ、これで構わない。とりあえず試してみよう。その魔硝石をこの獣に……」
「猫です」
「ネコ?」
「獣、獣と言わないでください。バル子は、猫です」
「……この獣はネコというのか。だが今はどうでもいい。早くそれを……」
「どうでも良くないです。『猫』です。それもロシアンブルーという血統で、毛並みは美しく……」
「ああ、もう、君は存外めんどくさいな。いいから魔硝石を貸しなさい」
そう言うとサリーは啓から魔硝石を取り上げて、魔硝石をバル子の口の中に突っ込んだ。
「ちょっと、サリーさん!猫にそんなものを食べさせてはダメですよ!」
「食べさせるも何も、死んでいるのだから食べられないだろう」
「いくら死んでるからって、やっていいことと悪いことがありますよ!」
「……ンニャァ」
「ほら、バル子もそう言って、えっ?」
膝の上から聞こえた鳴き声に、啓は息を呑んだ。啓が膝の上に目を落とすと、啓の顔を見上げているバル子と目が合った。
「……バル子?」
「ご主人?」
何かありましたか、とでも言うように澄ました顔のバル子が啓をまじまじと見る。
「いや、バル子。お前は死んでしまって……」
「あ……なるほど、失礼しました。どうやらバル子は動くための力が尽きてしまっていたようですね。ですがご主人が補給してくれたようですので、もう大丈夫です」
「補給って、魔硝石のことか?」
「はい。時間をかければ自然回復もしますが、急速な補給には魔硝石をいただくのが一番のようですね。バル子も初めて知りました」
「そうか……そうなのか、うん、うん……」
啓は何度も頷き、バル子が生き返った喜びを噛み締めた。
「完全に魔硝石の力が枯渇していたらバル子は本当に死んでいました。危ないところを助けていただき、ありがとうございます、ご主人」
「オレがバル子に魔硝石を与えられたのはサリーさんのおかげなんだよ。オレはお前が死んだとばかり思ってたから諦めていたんだ。慌てて埋めたり、火葬にしなくてよかったよ……」
「……バル子は本当に危ないところだったのですね」
そして啓はバル子を強く抱きしめ、頬をバル子に何度も擦り付けた。
「ご主人……そうしてくれるのは嬉しいですが、ほどほどにお願いします。チャコ達が嫉妬しますよ」
「バル子、本当に良かった……」
「……聞いてませんね、ご主人。バル子は別に構いませんが」
そんな1人と1匹の様子を、サリーは生温かい目で見ていた。
「なんだか私も馬鹿らしくなってきたが、そのけも……ネコが元気になったのは私のおかげであることを忘れてくれるなよ、ケイ」
程なく、チャコも啓の元に飛んで戻ってきた。啓とバル子がイチャイチャしている様子を見たチャコが少しだけ啓の背中をつついたが、啓はチャコにも等しく労い、無事の帰還を喜んだ。
ユスティール工房都市を襲撃した犯人達は全て死に、あるいは捕えられた。多くの犠牲と傷跡を街に残したものの、ひとまず都市の危機は去った。
ようやく襲撃を退けました。
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