118 暴走したミトラとの対決
「ケイに触るなあああ!」
絶叫するミトラの体からは、溢れた魔力が陽炎のように立ちのぼっていた。
「ミトラ、オレは大丈夫!大丈夫だから!」
「ミトラ様!しっかりなさってください!」
啓とバル子がミトラに呼びかける。しかしミトラの耳には全く届いていなかった。
ミトラの体がゆらりと傾いた。
その直後、ミトラは地表を滑るようにレオに向かっていった。
この動きは、レオにとって全くの想定外だった。
普通の人間ならば、必ず動き出すモーションがある。
だからレオは、その挙動を見逃さないように注意していたのだ。
しかし飛行できるミトラには、そんな常識は通用しない。初動もなしに、地面スレスレの低空飛行で詰め寄ってきたミトラに、レオは面食らった。
それでもレオは、「別の目」でミトラの動きに気づいていた。
そのおかげで、レオはギリギリで真横に体を投げ出し、ミトラの突進を躱すことができた。
地面を転がったレオは、勢いがつきすぎて体を地面にしこたま打ち付け、擦り傷を量産した。
一方のミトラも勢いのあまり、かなり遠くの位置まで移動していた。
「おいおい、あんなのありかよ……」
「レオ!」
啓とバル子はレオのそばに駆け寄った。
「お、旦那。俺の心配を心配をしてくれるのかい」
「いや、オレが心配してるのはミトラだ」
「そこは嘘でも俺の心配を……」
「ある意味ではそうだ。レオ、お前は堕ち子のことに妙に詳しいよな?」
「まあ……それなりには、だな」
「だったら教えてくれ。どうすればミトラを止められる?どうすればミトラを助けられる?」
啓はレオの肩を揺さぶって助言を求めた。
地面を転げたせいで体のあちこちが痛むレオは、啓の揺さぶりに顔を歪めた。
「痛てて……まあ、落ち着けって。だいたい、助けるっつってもよ。ああなっちまったらもう止められないってじっちゃんが言ってたし、無理じゃねえか?」
「じっちゃん?レオの祖父か?」
「ああ。そうだよ。そのじっちゃんが言ってたんだ。堕ち子が暴走したら、力を使い切るまで止まらない。そして最後は、魂もボロボロになって死ぬんだとよ。じっちゃんはそれでひどく辛い目に遭ったんだ。だから……」
「辛い目?お前の祖父はもしかして……うわっ!」
「ご主人!」
突然、レオが啓を突き飛ばした。
バル子も思わず声をあげた。
間髪入れず、レオは腰から短棒を抜き、杖先を向けた。
しかし杖先を向けた先は啓ではなかった。
「おらよっ!」
レオの掛け声で、短棒の先から炎が吹き出した。
それは啓に向けても使われた、炎を吹き出す魔動武器だった。
まるで火炎放射器のように吹き出た炎は、再び向かってきていたミトラの全身に浴びせられた。
不意の炎攻撃を喰らったミトラは、勢いよく上空に逃げて、浴びた炎を振り払った。
「レオ、やめろ!」
「やらなきゃこっちがやられるじゃねえか。仕方ねえだろうが!」
「しかし、それではミトラが……」
「こうなっちまったら、早く解放してやったほうがいいんだよ」
啓が望んでいるのは、ミトラを助ける方法だ。
だが、それは決して「死を与えて解放する」ことではない。
しかしレオはミトラを殺すことを考えている。
啓がレオに堕ち子になりたいのかと聞いた時、レオは冗談じゃないと答えた。
そして今、レオは自分の祖父が堕ち子のせいで苦しんだと言った。
「なあ、レオはもしかして堕ち子を憎んでいるのか?堕ち子に祖父を殺された恨みを晴らすために、ミトラも殺そうとしているんじゃないか?」
啓はレオの言葉から導き出した推理をぶつけてみた。
しかし、レオから返ってきたものは失笑だった。
「はっ!旦那、全然ちげえよ。じっちゃんは堕ち子に殺されたりしてねえ。むしろ、堕ち子を殺したのはじっちゃんだ」
「……そうなのか?」
「それに俺だって本当は堕ち子を殺したくねえ。できれば助けてやりてえよ」
「…………そうなのか」
「ご主人の推理、大外れでしたね」
「バル子、悲しくなるからやめてくれ」
そんな啓とバル子のやりとりに、レオは今度は失笑ではなく、普通に面白さで吹き出した。
「悪い悪い、ケイの旦那。こんな時なのに、旦那達は面白えな」
「で、結局どういうことなんだよ」
「まあ……簡単に言えばだな……」
レオの顔が真顔に戻った。
「堕ち子だったのは、俺のばっちゃんだ。そんでもって、ばっちゃんを堕ち子にしたのが……俺のじっちゃんだ」
レオの告白に、啓は返す言葉を見つけることができなかった。
推理が的外れだったことなど、もはやどうでも良い。まさかレオの身内が堕ち子と呼ばれる存在だとは思っていなかった。
ただ、頭の中で整理するには情報量が多すぎた。
レオとその祖父母、そして堕ち子との関係は、まだ分からないことだらけだった。
「堕ち子にしたって、一体どういう……」
「話は後だ、ケイの旦那!ありゃ、何だ?」
レオの視線の先にいるのはもちろんミトラだが、ミトラの手にはいつの間にか、長さ一メートルほどの鉄鎚が握られていた。
「おいおい、どこにあんな武器を隠し持っていやがったんだ」
「あー、あれはスカート技と言って、スカートの中に大量の武器を隠し持っているんだ」
「……スカートなんて履いてないだろうが」
レオの言う通り、ミトラは今、スカートではなくズボンを履いていた。
「……そこは大して重要じゃない。とにかく、そういう技なんだ」
「全然意味が分からねえよ!」
いずれにしても、ミトラが武器を持っている事実は変わらない。
ミトラは鉄鎚を振りかぶり、再び低空飛行でレオに突撃した。
ぎいん、という音が周囲に響いた。
レオがやや無様な格好で、頭を庇ってうずくまっていた。
そんなレオのすぐ手前で、鉄鎚は停止していた。
啓が盾を展開して、レオを守ったからだ。
「旦那……俺を助けれくれるのかい?」
「オレはお前を助けたいわけじゃない。ミトラを助けたいんだ。だが、そのためには、堕ち子に詳しいお前の助けが必要だ。違うか?」
「……そう言うことなら、共闘といこうか!」
レオは腰から短杖を抜いた。
そして啓の張った盾の外側に手を伸ばして、その杖先をミトラに向けた。
啓はまた、あの火炎攻撃をミトラに喰らわせるのだと思った。しかも今度は至近距離からだ。
「おい!レオ、やめ……」
「きゃあっ!」
短杖から放たれた攻撃に、ミトラは思わず悲鳴を上げた。
レオの攻撃は火炎放射ではなかった。
かわりに杖の先から放たれたのは、強烈な突風だった。
ミトラは遥か後方に吹き飛ばされ、地面に倒れた。
一方、レオが使った短杖は、先端から真っ二つに裂け、使い物にならなくなっていた。
「おい、レオ、今のは……」
「これは風を起こす魔動武器よ。威力がある代わりに使い捨てだけどな。旦那があの娘を殺したくないって言うから、吹っ飛ばすだけにしたんじゃねえか」
そう言ってレオは、壊れた杖を投げ捨てた。
レオの腰を見ると、ホルダーベルトのような装備の中に、まだ数本の短杖がストックされている。
おそらく一本一本が様々な効果を持つ魔動武器なのだろうと啓は思った。
「多少時間は稼いだぜ、旦那」
「死んでは……なさそうだな」
ミトラはまだ起き上がってこない。しかしレオの言う通り、起き上がるのは時間の問題だろう。
吹き飛ばされたことで怪我をしていたとしても、ミトラならば自力ですぐに治してしまうに違いない。
「旦那。暴走した堕ち子は、命を削って限界まで能力を使い切る。そして最後は死ぬんだとじっちゃんが言っていた」
「レオはどうすればミトラの暴走を止められると思う?」
「そうだな……とにかく枯渇直前まで能力を使わせて、そこで気絶させるか、正気に戻ることを祈る……といったところか。だが、能力が枯渇する限界点がどれくらいかが分からねえ」
「オレがレオを閉じ込めたように、ミトラを盾の檻で閉じ込めて様子を見るのは?」
「そいつは駄目だ。むしろ悪手だな」
レオは即答した。
「堕ち子ってのは、相手の能力を吸収する力があるのさ。女神の奇跡の力で具現化したものってのは、要するに能力そのものだ。だからケイの旦那が作る盾の力は吸い取られて、奴の力が回復しちまう。そうなると余計戦いが長引くぜ」
「確かに……ミトラにも魔力を吸収する力があるな」
「マリョク?なんだそれは」
「なんで皆、リョにアクセントを持ってくるんだ……」
多分に漏れず、レオも「魔力」のイントネーションがおかしかった。
「魔力ってのは、女神の奇跡の能力の根源みたいなもんで……そんなことはどうでもいい。だけど、そういうことなら、勝算はあると思う」
「そりゃ、いい話だが……起きるぜ」
レオが視線で注意を促す。
その視線の先では、ミトラが体を起こそうとしていた。
「バル子!チャコ!」
「にゃっ!」
「ピッ!」
啓は二匹を連れて、ミトラに向かって駆け出した。
ミトラまであと十メートル程度のところで足を止めた啓は、能力を発現した。
啓はレオを閉じ込めた時と同じ盾の檻をミトラの周囲に展開した。
「おい旦那!そりゃ悪手だと言っただろうが!」
レオが叫ぶ。
案の定、ミトラは盾に触れ、魔力を吸収して盾を消し去った。
しかし啓は間髪入れず、再び盾の檻を展開する。
「邪魔……しないでよ!!」
「ミトラ!落ち着け!」
「邪魔しないでって言ってるの!」
ミトラは、啓の制止に耳を貸すことはなかった。
気持ちも身体も暴走しているミトラは、レオを攻撃することしか頭の中に無かった。
ミトラは再び、自分の行動を邪魔する盾の檻を消した。
しかし啓もまた盾の檻を作ってミトラを閉じ込める。
そんな攻防を何度も続けながら、啓はミトラとの距離を徐々に詰めていた。
ミトラは空を飛ぶことができる。おまけに行動速度も尋常ではない。
ミトラを自由にすれば、啓を躱して、あっという間にレオに向かって攻撃しに行くだろう。
そうなれば対処が難しくなるし、いつまでもレオを守ることはできないだろう。
だから啓は、足止めのために何度もミトラを檻に閉じ込めたのだ。
やがて啓は、盾の檻に触れられる位置まで詰め寄った。
そしてミトラが盾を消し去った直後、啓はミトラの体をガッチリと抑え込んだ。
「ケイ……お願い……離して……」
「駄目だ、ミトラ」
「このままじゃ、あたし、ケイを……」
暴走が止まらないミトラは、啓に構わず飛ぼうとした。出力を上げれば、啓を振り切って飛べるはずだった。
しかしできなかった。
理性が働いたからではない。
能力が発動できなかったのだ。
「ミトラがオレの盾を消したのは、盾を構成している魔力を吸収したからだよな。でも、それはオレにもできる……」
啓の作戦は、ミトラが能力を使おうとした時に、ミトラの魔力を吸収して無効化することだった。
しかしミトラも同様に、相手の魔力を吸収する力がある。
啓はミトラに、魔力を吸収する能力の力比べを挑んだのだった。
「ミトラにこの力を与えたのはオレだ……だから、オレのほうが強いはず……そうだろう?」
「あっ……ああ…….」
この勝負は、啓に軍配が上がった。
啓の目論見通り、魔力を吸収する力も速度も、啓が圧倒していた。
「ミトラをこんな体にしたのはオレの責任だ……だからオレが止めなきゃいけないんだ……」
啓はミトラを拘束している両腕に力を込めて、吸収する力を強めた。
ミトラの体から啓に流れ込む魔力量が増えていくのを、啓ははっきりと認識した。
同時に、ミトラの力が抜けていくのも感じ取っていた。
「ミトラ、戻ってきてくれ……」
ミトラの力を抑え込むことには成功した。
しかし問題は、どれぐらい吸収すれば良いか、その判断が難しいことだった。
レオの話によれば、堕ち子は命を削ってまで能力を引き出すという。
もしも魔力を吸収し過ぎれば、ミトラは命を魔力に変換し、やがて命を落とすことになるだろう。
その加減が啓には分からなかった。
「バル子、ミトラの力がどれぐらい残っているか、分からないか?」
啓の足元で様子を見ていたバル子は、首を横に振った。
「著しく弱っていることは分かりますが、バル子にはそれ以上のことは分かりません。バル子と繋がっているご主人の力ならば、最後の一雫まで感じ取れるのですが……」
「そうか……」
ならば自分の勘を信じるしかない。
そう思った時だった。
「少し吸収の速度を緩めてくれ、旦那」
「レオ!?」
いつの間にか近づいていたレオが、啓に助言をした。
「もしかして、レオには分かるのか?」
「ああ。俺が授かっている女神の奇跡の力は、魔硝石の力を感じ取る能力だ。その力の大小も、色も性質も分かるぜ」
「色?性質?」
「ああ。そこの魔硝……じゃねえ、ネコだってそうだろう?」
「ああ、そういう……」
レオの言葉で、啓は腑に落ちた。
魔硝石の力を感じ取る力を持つレオだからこそ、バル子達が魔硝石から生まれたことを一目で見抜いたのだ。
ミトラの攻撃を何度も避けたり、猫によるドローン部隊の接近にいち早く気づけたのも、その能力によるものだった。
「ま、そういうこった。魔硝石の力と、女神の奇跡の力の根源は同じだからよ。そこの女の残りの力も見えるぜ」
「そいつは助かる!」
啓はレオに言われた通り、ミトラに負けない程度に、吸収する力を抑えた。
「んじゃ、ケイの旦那はそのまま吸収を続けてくれ。そこの女……ミトラの力が一定以上、減らなくなった所がおそらく限界点だ。それ以上吸収すると、命を削ることになるからな。限界点に達したところで、俺が旦那に教えるぜ」
「ああ。レオ、よろしく頼む」
「へへっ、まさかこんな力が魔動武器作り以外に役に立つとはな……ところで、なんでこのネコは俺を蹴ってるんだ?」
バル子は、自分よりも啓の役に立っているレオに嫉妬し、レオに蹴りをくらわせていた。
「えっと、まあ……気にしないでくれ。それより、ミトラの様子を頼む」
「ああ、任せろ」
堕ち子を助けたい、そう言ったレオを信じて、啓はレオの合図を待った。
「……旦那、そこまでだ!」
レオの合図で、啓は魔力を吸収する力を弱めた。
魔力の吸収を止めるのではなく、ミトラが吸収する力と同等にして、均衡を保つように調整したのだ。
あとはミトラを正気に戻すだけだ。
「ミトラ!戻ってきてくれ!オレは大丈夫だから!」
啓はミトラの耳元で叫んだ。
ミトラの心に届けと言わんばかりに叫んだ声は、確かにミトラに届いていた。
しかし、それ以上に効果をもたらしたのは、別の要因だった。
魔力の枯渇で、ミトラの心は少しずつ落ち着きを取り戻していた。
そしてミトラは、今の状況についても徐々に理解していった。
啓はミトラが逃げないように、しっかり「拘束」している。
しかし、ミトラの視点では異なっていた。
(……あたし、啓に、強く、抱きしめられてる……)
そして耳元で、自分へ向けて呼びかける熱い声。
恋する乙女の感情は、負の感情を完全に押し除けた。
啓は、ミトラが魔力の吸収を止めたことを感じた。
それと同時に、ミトラは意識を失い、啓にもたれかかった。
静かな呼吸音を立てて眠っているミトラの様子を見た啓も、魔力の吸収を止めた。
「なんとか、なったのか……?」
「ミトラ様は気を失っているだけのようです。やりましたね、ご主人」
「ああ。ありがとうバル子。それと……ありがとう、レオ」
「いいってことよ。でもよ、旦那。目を覚ましてみねえと、まだ分からねえんじゃねえか?」
「そりゃ、まあ、そうだけど……」
「だったら、まだ俺の協力が必要じゃねえか?」
レオは並びの良い歯を見せ、ニッと笑った。
◇
啓はトータス号に戻り、皆に無事な姿を見せた。
シャトンは泣きながら怒り、サリーもうっすら涙を浮かべて、啓の帰還を喜んだ。
そして啓は、動物達にもみくちゃにされた。
アーシャもヘイストも啓の無事に安堵した様子だったが、ヘイストは啓の愛機であるバルバロッサが回収困難であることを聞き、喜びから一転、愕然としていた。
念話の中継役として無理矢理留守番を命じられていたノイエは、主人であるミトラとの再会を喜び、ミトラが目を覚ますまで、片時も離れようとしなかった。
一段落した後、啓は皆に心配をかけたことを謝ったが、啓にはもう一つ謝らなければならないことがあった。
「そんなわけで、ミトラの恩人を連れて帰ってきちゃいまして……」
「……こいつはアスラの軍人だろう?信用できるのか?」
「オレは信用できると思う。実際、レオがいなければ、ミトラは死んでいた。それに、レオには色々と聞きたいこともある」
「はあ……まあ、いざという時には、私達もいるし、何とかなるだろう」
サリーが承諾したことで、レオを客として迎えることが決まった。
すると、レオが自己紹介を始めた。
「俺はレオだ。皆さんよろしく!ちなみにバーボック砦の司令官だ」
「はあ!?」
「司令官だと!?」
「おい、ケイ、お前も驚くのか?」
「いや、聞いてないし!」
啓はレオがバーボック砦に詰めている兵士だとは思っていたが、役職までは聞いていなかった。
「てか、俺は別に軍人じゃねえよ。たまたまケイ達が攻めてくると聞いたから、砦の司令官に志願しただけで、本業は領主と、アスラ連合の評議会議員で……」
「はあああああ?」
啓達の、困惑と驚愕のゲージが徐々に上がっていく。
「あ、でも俺、元はオルリック王国の出身なんだぜ?」
「……」
ついにゲージは、最高点を突き抜けた。
ミトラの暴走、なんとか止まりました。
レオの身の上も徐々に判明。
前の更新から時間がかかってしまいました。
巷では「11連休」とかなんとか言ってましたが、私は4月末から実に19連「勤」でしたorz
でも無理はしてませんよ?(いや、本当にブラックじゃないんで)
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