110 命名
啓の活躍で……正しくは「一人で戦果を上げてこい」と言われてきっちり結果を出してきた、アスラ軍との戦いから約三ヶ月が経過した。
ユスティール工房都市は疎開していた住人達も戻り、以前と同じような活気が町に戻っていた。
オルリック王国とアスラ連合の国境付近では、小競り合い程度の戦いは起きていたものの、大規模な侵攻はなく、攻めてくるアスラ連合軍は、オルリック軍の国境防衛部隊によってすべて撃退されていた。
一方、カナート王国との国境側では、カナート軍による猛攻が続いているとの情報が入り、ウルガーは護衛騎士隊を連れて王城へと戻っていった。
国王不在の今、国王代理として奮闘しているウルガーの兄、アイゼンベルナール第一王子を補佐するためである。
ただ、ウルガーの護衛騎士隊の一員であるアーシャ・リーだけは、そのままユスティールに留まり、サリーの護衛を務めることとなった。
サリーの正体は元王族であり、王位継承権第二位のサルバティエラ王女である。
過去の事故……真相は暗殺未遂事件だが、世間一般には死亡したものと見なされ、王女が生きていることは一部の人間しか知らない。
サリー自身も「もう王族は辞めた。私は単なる一般市民」と主張しているが、弟であるウルガーと、その周囲の人間の一部は頑なにそれを認めるつもりはなかった。
アーシャ・リーもその一人だった。
アーシャはほとんと押しかけ的に、サリーの護衛をするために残ると自ら主張した。
現在のアーシャの任務は、護衛騎士隊一員としてウルガーを守ることだが、ウルガーの姉を護衛するために残ると言われれば、ウルガーとしても反対しにくかった。
実際、アーシャは護衛の任務も得意としている。
アーシャは「認識阻害」の能力を持っているため、自身の存在を隠して護衛対象に同行したり、攻撃対象に気づかれずに近づく事もできる。
現に啓はこの能力によって、一度取り押さえられている。
ただし、この能力も万能ではない。
効果範囲には限度があるため、例えば広い戦場では効果が薄い。近くにいる敵には察知されなくても、範囲外の敵からは丸見えになるためだ。
要は使い方次第ではあるが、護衛任務には極めて有用な能力なのである。
ウルガーの了承を得たアーシャは、改めてサリーに対して護衛させてほしいと願い出た。
しかし、それに強く反対したのはサリー自身ではなく、護衛騎士隊の隊長であるマルティン・テイラーだった。
マルティンはアーシャの婚約者でもあるため、反対するのは当然だった。
もしもサリーがこのままユスティールに留まり、一生温和な生活をするというのであれば、一考の余地があったかもしれない。
しかし、サリー達はこれから「とても過酷な任務」に向かう予定なのである。だからこそ、尚更マルティンは猛反対した。
このままでは埒が明かないと判断したアーシャは「ちょっと二人で話をする」と言って、マルティンを連れ出した。
二人だけで話し合いをすること十数分。
軽く震えながら顔面蒼白で戻って来たマルティンは、サリーに「アーシャに姫様護衛の任をお与えください。切に……切にお願いいたします」と願い出た。
無事、サリーの許しを得られたアーシャは、恍惚の表情を浮かべて「一生、貴女をお守りします!」と、知らない人が聞けば勘違いしそうな意気込みを述べた。
なお、マルティンとの話し合いについては、あくまで「穏便に話をつけた」と主張した。
その現場にいた全員が、アーシャとマルティンの結婚後の力関係を想像するのは容易なことだった。
兎にも角にも、頼もしい仲間が一人増えた啓達だが、いよいよ「とても過酷な任務」……アスラ連合国に攻め込む日が間近に迫っていた。
そんな啓達の事情を知っている有志達の図らいで、啓達の壮行会と「お披露目会」が、市場でしめやかに行われた。
◇
「ほらほら、もっと見てよ。あたしのバルダー。すごーくかっこいいでしょ!」
「はいはい。何度も見てますって。てか、ミトラ。あんた飲み過ぎじゃないの?」
お披露目も無事に終わり、飲食タイムとなった市場内の特設会場で、ミトラはレナにうざ絡みをしていた。
「そんなこと無いしー。酔ってないしー。バルダーだってちゃんと操縦できるしー」
「飲酒運転で逮捕するわよ」
レナはミトラのお姉さん的な存在であるが、ユスティールの警備隊隊長でもある。
「ミトラ、飲み過ぎ、ガアッ!」
「ほれみろ、ノイエもそう言ってるぞ」
「大丈夫だって。ねえ、ケイ?」
「いや、オレに振られても困るが。だがバルダーに乗るのは駄目だ」
「ケチー」
啓もミトラが飲みすぎているとは感じていたが、ミトラの嬉しい気持ちもよく分かるため、止めようとはしなかった。
何故なら、今日の壮行会では、ミトラ専用のバルダーもお披露目されたからだ。
ミトラは念願だった、自分だけのバルダーを完成させたのだ。
とは言っても、ミトラが一人で製造したわけではない。
ガドウェル工房とロッタリー工房の職人達によるサポートの元、啓のバルダーの構造をベースに、ミトラの能力と趣向に合わせた改良を加えて、ミトラ専用機が造り上げられた。
縦長で細身のボディに、同じくスラリとした腕と脚。パワー主体の土木用バルダーとは真逆の、スピード重視のバルダーだ。
操縦席はバイクの座席に近い構造で、サドルに腰掛けたら脚をフットレストに固定する。
こうすることで胴体部の強度を損なうことなく、より細身にすることができた。
武器は細身のサーベルで、上腕部に格納し、必要な時に取り出すことができる。
ガドウェル工房とロッタリー工房が戦闘用バルダーを製造する許可を得られたことで実装できた武器だ。
ちなみに啓とサリーのバルダーも、ついでにパワーアップされ、万全の体制となっている。
ミトラは若干座った目で、全体を真っ赤にカラーリングされたミトラ専用機をウットリと眺めた。
「あたしのバルダー……うふふっ」
「ところでミトラ」
「何?レナさん」
「名前はつけたのか?」
「何に?」
「何って、バルダーに決まってるだろう。お前の専用機なんだ。名前ぐらいつけてあげなよ」
「あーーー。何も考えてなかったわ。あははっ」
ミトラのバルダーが完成したのはつい昨日のことだ。
それまで不休の突貫で製造にあたっていたため、名前など考える余裕などなかったのだ。
「みんなは『赤いの』とか『細いの』って呼んでた」
「見たまんまか……そうだ。せっかくだからケイがつけてあげなよ」
「オレ?」
「却下」
「却下です」
「却下です、レナ様」
「おい、こら」
レナの提案にNGを出したのはミトラではなく、傍で話を聞いていたサリーとシャトンとバル子だ。
なお、サリーの横ではカンティークもウンウンと頷いている。
「オーナーは何かと優秀ですが、名付けの才能だけはないと思います」
「ああ。ケイだけに任せるのは不安だな」
「……そうなのか、ケイ?」
「……あまり評判が良くないのは確かです」
レナはミトラが啓に惚れていることを知っている。だからこそ、啓に名付けを任せるのが良いと思ったのだが、まさか周囲から却下されるとは思っていなかった。
「じゃあ、自分で名前をつけるか?」
「ん…………」
ミトラは少し悩んでから、首を横に振った。
「ううん、レナさんの言う通り、ケイにつけてもらいたい」
「待て、ミトラ。早まるな」
「そうですよミトラさん。オーナーに任せたら、きっととんでもないことに……」
「サリー、シャトン。ちょっとひどくないか?」
啓も不平を漏らすが、ネーミングセンスの無さに「多少」は自覚があるので、それ以上のことは言わなかった。
「いいの。ケイのつけた名前がいい」
「ミトラ様。本当によろしいのですか?」
「バル子ちゃんは、バル子って名前、嫌い?」
「いいえ。バル子はご主人からいただいたこの名前を気に入っております」
「でしょ?それと同じよ」
ミトラは啓に向き直り、笑顔で言った。
「ケイ、素敵な名前をつけてね」
「ああ……」
啓はサリーとシャトンの怪訝そうな表情は無視して、本気でミトラのバルダーの名前を考え始めた。
(赤いバルダーだよな……赤と言えば、やっぱりアレか……)
「ご主人、専用機で赤、そして速度重視といえば、やはり三倍速く動けるというシャ……」
「バル子、オレの心を読むのはやめてくれ」
超有名アニメに連想を持っていかれそうになった啓だったが、ギリギリ踏みとどまることに成功した。
(とりあえず方向性を変えよう。赤は英語でレッドだよな……あれ、そう言えばノイエって確かドイツ語で新しいって意味だったような……なら、赤はドイツ語だと……)
「ルージュ……ノイエ・ルージュってのはどうかな」
啓から出た名前に、一堂がざわめいた。
「……なんかカッコいい響きの名前が出たぞ」
「そうですね、サリーさん。ちょっと意外です。びっくりしました」
「バル子も、ご主人にしては上出来だと思います」
「……だったらもう少し普通に褒めてくれないかな」
若干不貞腐れた啓だったが、ミトラは目を輝かせて啓に尋ねた。
「ノイエ・ルージュ……ノイエちゃんの名前をバルダーにもつけてくれたの?」
「それはたまたまなんだが、ノイエはオレの世界にもある言葉なんだ。直訳すると『新しい赤』になるんだけど……」
それを聞いたサリーとシャトンは、大きく頷いた。
「やはり、意味は平凡だったな」
「オーナーらしいですね。安心しました」
「おーい、二人とも……」
しかしミトラは満面の笑顔で、啓の命名を受け入れた。
「ケイの国の言葉をつけてくれるなんて最高じゃない?。あたしは気に入ったよ。ノイエちゃんと同じ名前もついてるし、とってもいいと思う」
「ケイの国?なんの話だ?」
レナは啓が他の世界から来たことを知らない。
そのことを知っているのは、サリーとミトラとシャトン、そしてウルガーと護衛騎士達の一部だけである。
「まあ、なんというか、うちの田舎の方言みたいなもんだよ。とにかく名前が決まって良かったな」
「うん!」
強引に話を誤魔化した啓は、これで命名話は終わりとばかりにこの場から立ち去ろうとした。
しかし、ミトラはそれを許さなかった。
「まだだよ、ケイ。もう一つ、大事なことが決まってないよ」
「……何かあったか?」
「ケイのバルダーの名前よ。まだ決めてないでしょ?」
「ああ、まあ確かに……」
「ミトラ様。ご主人のバルダーの名前はバル子ですよ?」
「いやいや、それはバル子ちゃんの名前でしょ。バルダーの名前じゃないでしょ?」
啓が今までバルダーに名前をつけなかったのは、今、バル子が言ったことが関係している。
バル子は、啓が初めて搭乗した土木工事用バルダーに使っていた魔硝石から生まれた。
その後も、啓が乗ったバルダーは全て、バル子の力を使って操縦しており、自分の専用機ができた現在でも同様だ。
そのため、啓の中では自分のバルダー=バル子、という印象が強く、わざわざ名前をつけようとは思っていなかったのだ。
「あたし、ずっと『ケイのバルダー』って呼び続けるのもどうかと思っていたのよ。せっかくあたしのバルダーに名前がついた事だし、ケイのバルダーにも名前をつけようよ」
「うーん……バル子はどう思う?」
「よろしいのではありせんか。バル子はバル子として既にご主人に愛されておりますし、バルダーは単なる乗り物と考えて差し支えありません。バル子も命名に協力いたします」
「バル子がそう言うなら、そうするか」
「……なんか少し腹が立ってきたわね」
「何か言ったか?ミトラ」
「ううん。なんでもないわよ」
「さて、それじゃ名前を考えるか……ミトラはどんな名前がいいと思う?」
「そんなの、好きにつければいいじゃない」
「ミトラ、やっぱり怒ってないか?」
ミトラが不機嫌になった理由は分からないが、きっと酒のせいだと思うことにして、とりあえず啓はバルダーの名前を考えることにした。
(オレのバルダーは青白くて、そこそこ細身だよな。機動力もあるから……)
「ご主人、ここはやはり、機動戦……」
「バル子、そっちに誘導するのはやめてくれ」
「でもご主人が一番、バルダーをうまく動かせるわけですし……」
「うん、分かったから、少し黙ってようか」
しかしバル子のおかげで、『バルダム』という命名を思いとどまることができたのは僥倖と言えた。
(気を取り直して……えーと、オレのバルダーは割と人型に近いから、それっぽい兵器と言えば……)
「ご主人、人型汎用決戦兵器と言えば、エ……」
「おーい、バル子。それ以上は言わせないぞ。あと的確にオレの心を読まないように」
「そんな……逃げちゃ駄目ですよ」
「お前、わざとやってないか?」
協力する気があるのか無いのか、その後もバル子は色々と自由すぎる意見で啓を惑わせた。
「バル子、頼むから、少し、黙ってような?」
「ご主人……顔が怖いですよ?」
ひとまずバル子を黙らせた啓は、ようやく考えに没頭することができた。
(バルダー、バル子……やっぱりバルがついた方が良いかなあ……バル、バル……バルバル……)
「バルバロッサ?」
語感からなんとなく連想した単語が、啓の口から飛び出した。
「バルバロッサ……なんかカッコいいわね」
「どんな意味なのですか、オーナー!」
「えっと……昔の王様の名前だった気がするな」
「へえ、いいんじゃない?バルダーのバルもついてるし」
「違いますよ。バル子のバルですよ、ミトラ様」
「どっちでもいいわよ!」
というわけで、啓のバルダーの名前はバルバロッサに決まった。
◇
啓達が壮行会で盛り上がっている頃、カナートの王城では、オルリックに攻め入っていた部隊が一定の戦果を上げて帰還した。
城で部隊を迎えたのはグレースだった。
グレースは、蜂に刺された時のアレルギーショックでしばらくの間、療養生活をしていたが、一ヶ月ほどで職務に復帰していた。
国王の筆頭書記官であるグレーズがわざわざ一部隊の帰還に顔を出すことなど普通はしない。
しかし、今回は理由があった。
グレースはユスティールに潜入して、ミトラを誘拐するという任務に失敗した。
その時、一緒に行動していたのはエリート部隊の一つである『白耀騎』に所属していたパトラだ。
パトラは帰還後、『任務の失敗はすべて自分の責任』だと主張した。
そしてパトラは罰として降格の上、前線へと送られたのだ。
グレースは意識不明のまま城に連れ帰られたため、その経緯を知ったのはグレースが出立した後のことだった。
だからグレースは、帰還したパトラを労い、先日のお礼を言うつもりだった。
「パトラ!」
グレースはすぐに部隊の中にいたパトラを見つけた。
グレースは小走りでパトラに駆け寄った。
本来であれば、部隊長に最初に労いの言葉をかけるのが筋であるが、グレースにはパトラしか見えていなかった。
「パトラ……先日はすまなかった。どうしても礼が言いたくて……パトラ?」
しかし、パトラの反応はグレースの考えていたものと異なっていた。
『いいってことよ。アタシ達、友達だろ?』
『理由だと?そんなの、友達だからに決まってんだろ!』
自分を友達だと言ったパトラの面影はそこには無かった。
「何か御用でしょうか」
「御用って……そんなかしこまらなくていいわよ。私は友達なのでしょう?」
「私には友達などおりません。ましてや上官殿を友達と呼ぶなど、畏れ多いことです」
「……パトラ?」
「御用が無ければ失礼致します」
パトラは踵を返すと、再び部隊の列に合流した。
去っていくパトラの背中を、グレースは困惑の目で追い続けた。
(グレース、一体どうして……あれは!?)
パトラの後頸部で、魔硝石が鈍く光っていた。
ミトラの専用機が登場。名前も決まりました。
ついでに啓のバルダーにも名前がつきました。
バルバロッサというと、赤ひげとか、赤い戦艦のイメージがありますが、そこは啓の預かり知らぬところです。
パトラとグレースもちょっとだけ登場。
次回、いよいよアスラ連合に攻め入ります。
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