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107 侵入者その4

 啓が到着した時、そこにミトラの姿は無かった。ミトラはパトラの「収納箱」の能力によって回収されてしまったからだ。


 パトラの「収納箱」は、言わば亜空間に物体を転送させるような能力だ。

 出し入れも自由で、収納されたものはまるで時が止まったように劣化することはない。ただしその容量はせいぜい人間一人分しかない。


 ミトラは今、その空間の中に捕らわれ、完全にこの世界から消え去っている状態になっていた。


 パトラは舐めるような視線を啓に向けた。


「確かケイという名前だったね。改めて見ると、なかなか良い男じゃないか。背が低いのがちょっと残念だわね」

「ミトラを返せ」


 啓はパトラの言葉を無視して、開口一番、ミトラの返還を要求した。

 なお、啓よりもパトラの方が、頭ひとつ分は背が高い。


「ミトラねえ……あの娘ならもう、手下が連れていっちまったよ」


 パトラは平然と嘘をついた。

 啓が到着した時には、パトラは既にミトラを取り込み済みで、能力が発動したところを啓は見ていない。


 そして実際、ミトラはこの場にいない。ならば既に連れ去られたと考えるのが普通だ。

 だからパトラは、自分の言ったことを啓が信じると疑っていなかった。


 しかし啓は首を振った。


「嘘はいらない。時間の無駄だ。あんたの能力で隠していることはもう分かっている」

「アタシの能力?一体何のことだい?」


 パトラはあくまでしらを切る姿勢を崩さない。


「てか、アタシ達と無駄話をしている間にも、ミトラはどんどん離れていくわよ。そんな悠長なことをしていていいのかい?もっとも、アタシもお前に手下達を追わせるつもりはないけどね」


 この挑発で「さあ、焦れ」とパトラは内心で思っていたが、啓は焦るどころか、バル子と顔を見合わせ、やれやれという身振りをした。


「そういうのはいい。全て分かっているんだ」

「分かっているって、何をさ」

「オレが一人でここに来たと思っているのか?」

「……一人しかいないように見えるが?」

「この子達がいるだろう?」


 そう言う啓の手のひらには小さい鳥が、そして

肩には黒い鳥、足元には猫がいる。

 小さい鳥はチャコ、肩にいる鳥はノイエ、そして足元にいるのはバル子だ。


「戦いの様子はこのノイエから教えてもらったよ。ミトラが消えた瞬間はチャコも空から見ていた」

「……その獣らが、言葉でも喋ってお前に教えたとでも言うのかい?」

「ああ。あんたがパトラで、そっちかグレースという名前であることも、あんたには物体を出し入れする能力があることも教えてもらった」

「……」


 自分達の名前と能力まで知っているとなれば、この男が嘘を吐いているとは思えない。


 ケイという男が獣使いであるという情報は入手していたが、まさか動物と会話までできるとはパトラもグレースも思っていなかった。


「獣と意思疎通できるとはねえ……ケイ、それがあんたの能力ってことかい」

「違うぞ。何を言っている。動物達に愛情を注げば、そこぐらい簡単だろう?」

「いやいや、無理だから。言葉まで理解するとか、絶対無理だから」

「そんなことはない。現にオレはできているわけだし」

「いやいや、普通はできないって」

「いやいや……」

「いやいやいや……」


 ケイという男が少し変わった奴だという情報は入手していたが、まさかここまでおかしな奴だとはパトラもグレースも思っていなかった。


 そんな啓とパトラの不毛になりつつある会話に痺れを切らしたグレースが、ようやく口を挟んだ。


「パトラ、もう用事は済んだわ。さっさと引き上げるわよ」

「はいはい。分かってるって」


 呑気に返事を返すパトラに向かって、啓は一歩前に踏み出した。

 手にはチャコの力で具現化した、淡く光る槍を持っている。


「逃がすと思っているのか?」

「アタシ達が逃げられないと思ってるのかい?なあ、グレース」


 啓が一瞬だけ視線をグレースに向けた。グレースの位置を確認するだけのつもりだったので、すぐに視線をパトラに戻した。


 しかし啓は二度見する勢いで、再び視線をグレースに向けた。

 正確には「先ほどまでグレースがいた場所」に目を向けた。


 何故なら、グレースの姿が消えていたからだ。


(姿を消したのか……)


 一瞬啓は焦ったが、グレースが姿隠しの力を持っていることも事前に把握していたため、すぐに冷静さを取り戻した。


 啓は槍を構えて、見えない敵の居場所を探知できる仲間の声を待った。


「オーナー、左です!」


 その声は啓の後方から聞こえた。

 その声に呼応し、啓はすぐさま自分の左側に半透明の、金色の盾を具現化した。

 

 その直後、硬質な音が響き、投げナイフが啓のそばの地面に落ちた。

 盾がナイフを食い止めたのだ。


(何故、私の場所が!?)


 そんなグレースの疑問に答えるように、林の中から一匹の獣が現れた。


 猫と比べると一回り以上大きく、細長い顔からはスッと鼻と口が伸びている。首から胸元まで豪華な飾り毛で覆われたその獣は、啓のそばに近づくと、フサフサの尻尾をブンブンと振った。


「ありがとう。助かったよ、シャトン」

「当然です。私の鼻は優秀ですから」

「バル子がご主人に教えようと思いましたのに……」

「ふふっ。ごめんね、バル子ちゃん」


 そんな会話をよそに、パトラは目を丸くして啓達を見ていた。


「本当に喋ってる……それもネコなのかい?」

「違う。この子は犬だよ。シェットランド・シープドッグという犬種だ。かわいいだろ?」

「……今は憎らしいわよ」


 パトラ達は、姿を消したグレースが啓に不意打ちを仕掛け、啓が怯んだ隙に退散するつもりだったのだ。

 しかしその目論見はシャトンの登場で見事に崩れ去った。


「オーナー、グレースがさらに左へ……遠ざかるようにゆっくり移動しています。気をつけてください」

「どうして分かるんだよ!」


 姿を消したグレースの居場所はパトラにも分からない。にも関わらず、現れた獣はグレースの位置を概ね把握している。


 グレースの姿消しは、全力で走るような激しい動きをすると解除されてしまう。

 姿が見えない状態だからこそ、ゆっくり動いても敵に見つからずに隠密行動や逃走が可能だ。しかし、大雑把でも位置を把握されてしまっては、その利点が失われてしまう。


 不意打ちも逃走も困難になってしまった今、このまま時間を浪費して、さらに援軍が来るようなことになったらまずい。そう判断したパトラは、グレースに向けて叫んだ。


「グレース!ここはアタシに任せて、あんたは先に逃げな!アタシが全員、相手してやるよ!」


 パトラは啓と獣を排除することに決めた。


 (奇妙な槍と盾……おまけに獣を使役するとか、何なんだよこの男は……情報不足で戦うってのは趣味じゃないんだけどなあ……まあ、仕方ねえか!)


 パトラは身を低くして、啓に突進した。

 啓は盾を正面に展開した。しかしパトラの狙いは、啓の後ろでグレースの動きを警戒していたシャトンだった。


 パトラは素早いサイドステップで啓を躱すと、シャトンへと迫った。パトラの手には、腰から抜いた刺突向きの短剣が握られている。


「シャトン!」


 啓は振り向くと同時に、シャトンに逃げるよう指示しようとした。

 しかしシャトンは一歩も動かないまま、ただパトラに顔を向けて口を開いた。


 啓は慌てて耳を塞いだ。バル子も毛を逆立て、慌てて前足で耳を押さえる。ノイエとチャコは上空へ避難した。


 シャトンを射程に捕らえたパトラは、短剣を強く握った。


(貰った!)

『わん!』


 パトラの素早さは人間離れしたレベルだと言えるが、それでも音速に比べれば遅い。

 パトラはシャトンに刃を立てる前に、鈍器で頭の中から何度も殴られたような衝撃を感じ、よろめいて後退した。


 シャトンが鳴き声と共に放ったのは、魔力に起因した衝撃波のようなものだ。

 物理現象の衝撃波とは若干異なるものの、本気を出せば、まとめて数十人を昏倒させることもできる。ある程度は指向性もコントロールできるため、啓達への被害は最小限に食い止められた。


「オーナー、大丈夫ですか?」

「……大丈夫だ。やると思ったんで、すぐに耳を塞いだからね」

「シャトン様、できれば一言仰ってから吠えてください。バル子の頭はまだクラクラします」

「ちゃんと威力を抑えて、方向も気をつけたのですよ……でもまさか、この女が倒れないとは思いませんでした」


 シャトンはパトラを気絶させるつもりで吠えた。しかしパトラは、ふらつきながら頭を押さえているものの、気を失ってはいなかった。


 ただ、思わぬ収穫はあった。ちょうどシャトンとパトラの延長線上にいたグレースも、シャトンの衝撃波を食らっていたのだ。


 集中を切らせたシャトンは姿を現し、地面に片膝をついていた。

 むしろ遠い場所にいるグレースのほうが、パトラよりもダメージを受けているようにすら見えた。


「獣風情が、やってくれるじゃねえか……」

「シャトンのアレを食らって喋れるあんたのほうが凄いと思うけどな。だが、ここまでだ」


 啓はパトラに右手を向けると、パトラの四方を取り囲むように、四枚の盾を具現化した。

 パトラは盾によって作られた檻に囚われた。


「本来は盾だが、こんな使い方もできる」

「てめえ!……くそっ!」


 パトラは内側から盾を斬りつけるが、具現化された半透明の盾はびくともしない。斬れないならばと、自慢の肉体で押したり蹴ったりもしてみたが、やはり無駄だった。


「畜生め……」

「よし、あとはグレースだな……あれ?」

「ご主人、グレースはまた姿を消したようです」

「またか……シャトン、すまないが……」

「いえ、オーナー。大丈夫です。心強い仲間が来てくれました」



 突然の衝撃で体制を崩し、姿隠しの術を解いてしまったグレースだったが、頭を振って正気を取り戻すと、再び姿隠しを行使した。


(全く、余計な手間を……)


 そもそもグレースは、自分を逃がそうとしたパトラの提案に猜疑的だった。

 グレース達の使命は、ミトラを連れて帰ることである。そしてそのミトラを「持っている」のはパトラだ。

 

 だからパトラは、むしろグレースを囮にして、自分だけ逃走すれば良かったのだ。

 グレース自身は捕まるか、あるいは殺されるかもしれない。しかし、現カナート国王であるイザークのためにだけ生きているグレースにとって、使命さえ果たせれば本望だった。


 自分の姿が消えていることを再確認したグレースは、パトラの様子を見るために頭だけ後ろを向けた。その視線の先にいたパトラは、半透明の金色の檻に囚われていた。


 パトラが啓に捕まっているのを見たグレースは、一瞬だけ躊躇したものの、とにかくこの場から離れることを優先した。


(馬鹿な女……)


 大見得を切っておいて、あっけなく捕まるなど、失態としか言いようがない。

 しかしパトラはミトラという人質を握っている。だからすぐにパトラが殺されることはないだろう。


(とにかくこの場は逃げて、パトラは後で助けに来ればいいわね……えっ?)


 そう考えたグレースは、自分自身に疑問を投げかけた。


(助ける?私が、誰を?)


 グレースは単なる部下であり、任務遂行のためのただの手駒だ。捨て駒をわざわざ助ける必要など無い。


 しかしグレースは、あの時のパトラの言葉がどうしても頭から離れなかった。


『アタシ達、友達だろ?』


 グレースには今まで、友達などと呼べる存在はいなかった。

 信頼できるのはイザークと自分自身だけであり、他の人間は利用するだけの価値しか無い。パトラだってその一人だ。助けに戻る必要など無い。


 グレースはそう自分に言い聞かせると、行動を開始した。

 幸い、啓達はパトラのそばから動く様子はない。ある程度の距離を取ったら、そこからは姿隠しを解いて全力で逃げるだけだ。


 そう決めたグレースは、ゆっくりと啓達から遠ざかるように歩き出した。

 それでもグレースは、パトラのことを完全に頭の中から切り捨てることはできなかった。


 姿隠しの継続と、啓達の動きを気にしながらこの場から離脱すること、そしてパトラのことで頭の中のリソースを使い切っていたグレースは、忌まわしい「あの音」を聞き逃していた。


 気がついた時には既に遅かった。

 グレースは、太ももに走った激痛によって、その場でうずくまった。

 姿隠しの能力も消え失せていた。



 グレースの姿隠しの効果が消えたため、啓とパトラはうずくまるグレースの姿をはっきり見ることができた。


 当然ながら、慌てたのはパトラだった。


「グレース!どうした!?おい、ケイ……お前、グレースに一体何をした!」

「それは……」

「ふふっ。グレースは、蜂姫隊に刺されたのです」


 答えたのは、啓ではなく、シャトンだった。


「蜂姫隊……なんだそれは?」

「蜂姫隊は、ハチという名前の虫の部隊で、オーナーの部下です。カフェ・フェリテの警備も担当しているのですよ。そして蜂姫隊は、たとえ敵の姿が見えなくても、敵の居場所を感知する能力に長けているのです」

「虫だと……あの時の虫か!」


 蜂姫隊……それはモンスズメバチで構成された遊撃部隊である。

 ユスティールが平和な頃はカフェ・フェリテの警備を行い、不埒な泥棒を撃退したり、害虫駆除等をしていた。

 そして非常時には、こうして啓やシャトンと共に行動し、敵に奇襲を仕掛けるのである。


 パトラもユスティールの町に潜入した際、魔動武器の効果で姿を消していたにも関わらず、蜂姫隊に襲われかけている。そのため、すぐにピンときたようだ。


「てめえ……よくもグレースを……」

「話は後だ。まずはグレースも捕まえる」


 啓はグレースの周囲にも盾を出現させ、パトラと同じように檻を作った。


「シャトン、グレースを見張りに行ってくれ。もしもグレースがおかしな真似をしたら……」

「はい、オーナー、お任せください」


 シャトンはトコトコとグレースのそばに向かっていった。


「さて、パトラ……ミトラを返してもらおうか」

「……嫌だと言ったら?」

「お前達をオルリック軍に突き出すさ」

「へえ。アタシ達を殺さないんだ。もっとも、アタシを殺したら、ミトラは二度と戻ってこないけどね」

「……それはつまり、お前が能力を使ってミトラを解放しない限り、ミトラは返ってこないということか?」

「まあ、そういうことかもしれないねえ」


 パトラは決して嘘は吐いていない。

 ただ実際のところ、自分が死んだ時に「収納箱」に取り込んだ物体がどうなるかなど、パトラ自身にも分からないのだ。


「言っとくけど、アタシを拷問しても無駄だよ。アタシはそんなことに屈しないし、いざという時は自害してやるさ」


 啓としても、女性を拷問するような真似はしたくなかった。

 とはいえ、自殺されても困るので、何か方法を考えなければならないだろう。


「まあ、ケイならアタシの好みだし、寝床の上での拷問なら大歓迎よ」

「……」

「あれ、もしかして通じなかった?要するに、アタシを裸にして、あんたの……」

「分かった、分かったから、それ以上は言わないでくれ」

「ご主人……顔が赤くなっていますよ」

「何でもない。ほっといてくれ」


 この手のからかいに弱い啓は、これ以上パトラと話すのはやめにして、ひとまずオルリック軍の兵士達が到着するのを待つことにした。


 しかし、異変はその矢先に起きた。


 グレースを見張るように言ったシャトンが、全力で戻ってきたのだ。


「オーナー!大変です!」

「どうした。グレースが逃げようとでもしたのか?」

「いえ、違います。その……グレースが、急に苦しみだして……ハチに刺された痛みのせいという感じではないのですが、とにかく様子がおかしくて……」

「……分かった。オレが様子を見てくる。シャトンはパトラを見張っていてくれ」


 啓は急いでグレースの元に向かった。

 四方を盾に囲まれたグレースは、荒い息をしながら盾にもたれかかっていた。


 まるで喘息の発作を起こしたように、苦しそうにゼイゼイと呼吸をするグレースを見て、啓は一つの可能性を見出した。


「アナフィラキシーショックだ……」


 それは、過剰なアレルギー反応によって引き起こされる症状だ。

 蜂に刺された場合、一度目よりも二度目のほうが危ない。

 その理由は、一度目に刺された時に体内で生成されたハチ毒に対する抗体が、二度目に刺された時に過敏に反応して様々なショック症状を引き起こすためだ。


 グレースが初めて蜂に刺されたのは約一ヶ月前。体内にはまだ抗体が作り続けられている時期である。症状的に、アナフィラキシーショックである可能性が高いと見て良いだろう。


 啓は再びシャトンとパトラの元に戻り、事情を説明した。


「要するに、てめえがグレースに毒を盛ったってことか!」

「いや、そうじゃない。原因はグレース自身が体内で作った抗体によるもので……」

「じゃあ何か!?グレースが悪いっていうのか!?」

「お二人とも、落ち着いてください!」


 さもなければ気絶させますよと、シャトンは本気とも冗談ともつかないことを言い、啓とパトラの口論を終わらせた。


「……それで、グレースはどうなるんだ?」

「このまま何も処置をしないと、十分程度で死ぬかもしれない」

「てめえ、やっぱりそれが狙いか!グレースを人質にして、ミトラを……」

「そんなつもりはない!オレだって助けたい!」


 真剣な眼差しで反論する啓に、パトラは思わず口を閉ざした。


「……とにかく、アナフィラキシーショックに対処するには、アドレナリン注射が有効なんだが、この世界にアドレナリン注射なんてあるのか分からないし……」

「なんだよ、この世界ってのは……大体、あど……ナントカなんて聞いたこともないぞ」

「だったら、せめて治癒術が使えれば……でもサリーはいないし、今から呼んでも間に合わないかもしれない。とにかく時間の勝負なんだ」


 その時、バル子が啓の足をトントンと叩いた。


「ご主人、ミトラ様ならば、治癒が使えるのでは?」

「ああ、分かってる。ミトラも使えるさ。でもミトラは……」


 啓がチラッとパトラに視線を送る。パトラもそれに気づいた。


「ミトラなら、グレースを治せるのか?」

「可能性だけだ。確実とは言えない。だが、危険な状況は脱せるかもしれない」

「そうか……」


 啓の言葉を聞いたパトラは、少し悩んだ後、啓に提案を持ちかけた。


「ケイ。アタシと取引をしないか……いや、させてほしい」

「取引?」

「アタシはあんたにミトラを返す。その代わりに、グレースに治癒を施してほしい。ついでに、できればアタシ達を見逃してくれると助かる。アタシ達はこれ以上、何もせずに帰ると約束する」


 グレースの提案は、人質の交換と、グレースの治療依頼だった。

 啓はパトラの目をじっと見つめ、そして答えた。


「……そうしたら、もうユスティールには来ないと誓うか?」

「ご主人!危険です!」

「オーナー!この女を信じるんですか!?」


 提案を飲もうとした啓に、バル子とシャトンは不賛成の意を示した。


「……オレは信じたい。それに無益な殺し合いをせずに済むなら、そのほうがいい」

「甘いです、オーナー!この女が約束を守ると思っているのですか?グレースを治癒したら、きっとまたすぐに私達を攻撃してくるに決まっています!」

「黙れ、獣。アタシは必ず約束を守る。女神に誓って」

「そんな安請け合いする女神なんていません!」


 あの駄女神なら安請け合いしそうだなと啓は思ったが、口には出さなかった。


「パトラ。そこまでしてグレースを助けたい理由を聞いてもいいか?」

「理由だと?そんなの、友達だからに決まってんだろ!」

「そうか……分かった。オレも誓うよ。必ずグレースを治癒する。だ……じゃなくて、女神に誓って」

「ご主人!」


 バル子の叫びも虚しく、啓はパトラを覆っていた盾の檻を解除した。


「ご主人……本当に甘いです」

「すまない、バル子。オレはパトラを信じることに決めたんだ。敵を信じるなんて、おかしな話だけどな」

「凄くおかしいですよ、ご主人……でもそんなご主人も素敵です」

「じゃ、次はアタシの番だな」


 自由になったパトラは、右腕を啓に向けた。

 シャトンはすぐ啓を守れるよう、身構えた。


「ほら、返すぜ」


 その言葉と同時に、ミトラが突然、啓の目の前に現れた。


「……奪い取るのよ!……って、うわわっ!」


 飛び出したミトラを、啓が慌てて抱きとめた。


「大丈夫か、ミトラ」

「うええ?う、うん、だいじょうぶ、です……」


 ついさっきまでパトラと戦い、啓が救援に来たところで時間が止まっていたミトラは、この急展開に頭がすぐに追いつかなかった。

 しかし状況から見て、おそらくパトラに捕まっていた自分が、たった今解放されたのだろうとミトラは推測した。


 なにより今は、啓に抱きしめられているという事実に、パトラの心は舞い上がっていた。


 実際、ミトラはパトラとの戦いで左足を負傷しているため、大丈夫とは言い難いが、そのことを完全に忘れるほどだった。


「そうか。なら、一つ頼まれてくれないか。すぐにそこで倒れているグレースに治癒をかけてやってほしい」

「……はい?」


 今度こそ、ミトラの頭は展開に追いつかなかった。


「だから、グレースに治癒を……」

「いやいや、ケイ。分かってる?あいつは敵よ?敵なのよ?何故あたしが、そんな奴を助けなきゃならないのよ!」

「説明している暇はない。とにかく、ミトラを解放する条件がそれなんだ。後でちゃんと説明するから、とにかく頼む」

「ミトラ、アタシからも頼む。絶対に手は出さないと女神に誓った」


 そう言って、パトラはミトラに頭を下げた。


「……本当に、一体どんな状況なのよ……」


 ミトラはブツブツ言いながら、啓に肩を借りてグレースの元へと向かった。

 その啓達の前を、シャトンに睨まれながらパトラが歩いている。


 グレースが囚われている盾の檻に着いたパトラは、振り向いて啓とミトラを見た。


「ケイ、ミトラ。よろしく頼む」


 頷いた啓は盾の檻を消した。

 グレースは寄りかかる場所を無くし、そのまま地面に倒れた。

 相変わらずゼイゼイと荒い呼吸をしているグレースの顔には、脂汗が滲んでいた。


 グレースの傍に腰を下ろしたミトラは、最後の確認を啓にした。


「……本当にいいのね?」

「ああ。頼む」


 ミトラは溜息を吐き、そして深呼吸をすると、グレースの胸に手を当てた。


 ミトラの手が淡く光り出す。そしてその光はグレースを包んでいった。

 

 グレースの呼吸は徐々に落ち着き始め、苦悶の表情もほどけていった。


 ようやく少し体が楽になったグレースは、ゆっくりと目を開いた。

 そして傍で自分に治癒をかけているミトラと、心配そうに自分を見つめるパトラの姿を見つけた。


「……パ……トラ……」 

「グレース、喋るな。もう少しの辛抱だ」


 しかしグレースは、構わず喋り続けた。


「パトラ……何故……私を……」

「何故って……言っただろう?アタシ達、友達じゃねーか」

「…………馬鹿」


 やがてグレースの呼吸は完全に落ち着いた。体は弱っていそうだが、危険な状況は脱したように見えた。


 峠を超えたと判断したミトラはグレースから離れ、今度は自分の足の治療を始めた。

 いざという時にすぐ戦えるようにするためだが、そんなミトラの気持ちをよそに、啓はパトラに近づいていった。


「パトラ。グレースの容態だが、危険な状態は脱したと思うが、再度悪化しないとは限らない。良かったら完全に治るまでオレ達が……」


 しかしパトラは話の途中で首を横に振り、グレースを抱きかかえた。


「約束は果たした。約束通り、アタシ達はこのまま帰る。グレースの治療の続きはこっちでやる」

「だが、もしすぐに再発したら……」

「アタシが連れて帰るんだから大丈夫だ。問題ない」


 そう言うとパトラは、左手をグレースに添えた。


「パトラ、ちょっと待」


 その瞬間、グレースの姿が消えた。パトラがグレースを「収納箱」に取り込んだのだと啓は理解した。


「ありがとう、ケイ」


 そう言うとパトラは、林の闇の中へと消えていった。

 その背中を、啓が追うことは無かった。


「本当に甘いですね、オーナー」

「そうなのよ、ケイはいつも女の子に甘すぎなのよ」

「でも、そこがご主人の良いところです」

「……頼むから、今起きたことは、サリーやウルガー王子には内緒にしてくれないか?」



 残念ながら、啓の願いは聞き届けられなかった。



 数日後。

 オルリック王国の国境に近いアスラ連合の町に、パトラはいた。

 パトラは町外れにある森の中に向かい、森の中にひっそりと建っている、今にも崩れそうな小さな掘っ立て小屋に入っていった。


 掘っ立て小屋の中には、生きているのか死んでいるのかすら分からない半裸の男が四人、部屋の四隅に座っていた。


「……そろそろ限界みたいね。また新しいのを設置しなきゃだわ。使い捨ての駒とはいえ、哀れなものね」


 その男達の額や体には、魔硝石が埋め込まれていた。

 男達は、とある女神の奇跡の力を行使するための媒体として、この小屋に配置されているのだ。


 いつもなら男達に侮蔑の視線を送るパトラだったが、今日は哀れみの視線で男達を見た後、深い溜息を吐いた。


「……でも任務に失敗したアタシも、いずれこうなる運命かもしれないか」


 まあ友達のためだからしゃーないか、と小さく呟いたパトラは、部屋の中心に立ち、深呼吸した。


「さ、アタシ達を王城に移動させて」


 その声に呼応した四人の男が、ゆっくりと両手を床につける。

 

 小屋の中央に光の柱が立った。

 光の洪水に飲まれたパトラの姿は、徐々に光に同化していく。


 光が消えた時、パトラの姿は消えていた。


 同時に、四人の額の魔硝石が砕け散り、男達は息絶えた。

啓無双(動物無双?)の回でした。

ミトラ、無事救出。

グレースも救出。


なお、筆者は休出してましたorz


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― 新着の感想 ―
更新お疲れ様です。 そうかアナフィラキシーショックか…この辺は異世界人でも回避出来ないんですね。研究者みたいな人からしたら「異世界人と地球人の共通項が見つかった!」と喜びそうなデータですね。 それは…
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