106 侵入者その3
ユスティールから逃走したグレースとパトラをいち早く追いかけたのはミトラだった。
オルリック軍に囲まれたパトラは、大量の煙幕を放ち、その煙に紛れて逃走した。
啓達がパトラを見失う中、ミトラはすぐに上空に飛び上がって煙幕を回避した。そして逃走するパトラを見つけて空から追いかけたのだ。
やがてミトラは、町の外で休んでいる二人を目視で確認した。
「あれ、二人共いる……そうか、あいつら、姿を消せるんだっけ」
林の中の空地で座り込む二人を見たミトラは、そんな疑問をこぼし、そして自己解決した。
最初にミトラが見つけたのはパトラだけだった。
もしもその時にミトラがパトラをすぐ追いかけていれば、町から出る前にパトラを捕捉できたかもしれない。
しかしミトラは、グレースの所在を探して周囲を飛び回ったため、初動が少し遅れたのだ。
結局、ミトラはグレースを見つけることを諦め、パトラが逃走した方角に向かって飛んだ。そして再びパトラを見つけた時、そこには一緒にグレースもいたというわけだ。
だからミトラは、見失ったもう一方の女は姿を消して移動したのだと推測したのだ。
実際のところは、パトラが「収納」という女神の奇跡の力でグレースを運んでいたのだが。
なお、ミトラは上空から奇襲をかけることも考えていたが、パトラが仰向けに寝転んでいたせいでミトラの接近に気づいてしまったので奇襲は諦め、二人から少し距離を取った場所に向かって降下を始めた。
「おい、グレース。空を飛べる人間なんて見るのは初めてだぞ」
「やっぱり私の見間違いでは無かったということね……というか、ちゃんと情報は伝えていたわよね?」
「いやあ、グレースの見間違いだと思ってたわ。あはは!」
「パトラ、あんたねえ……」
そんな雑談をよそに、ミトラは地面に着地した。
パトラ達のいる場所から五メートルほど離れた、一触即発という距離ではない絶妙な位置だ。
「逃がさないわよ、女盗賊さん達。いや、殺し屋かしら!」
ミトラの右手には、柄の長い鉄鎚が握られていた。
鉄鎚と言っても、先についている鎚はそれほど大きくはない。
例えるならば、ゴルフクラブのドライバーヘッドを少し大きくしたようなものであり、振り回しても自重で体が持っていかれることはない。
その鉄鎚を振り回しながら、ミトラはパトラに迫った。
「それはアタシの台詞だ。お前を誘い出す手間が省けてちょうど良かったよ」
「あら、残念ね。あたしはもう賞金首じゃないわよ。だいたい、あんた達の狙いは王子でしょう?」
「はあ?婿も金もいらねえよ。アタシ達の狙いは、最初からミトラ、お前の体だけだよ」
「体!?」
「パトラ、お喋りが過ぎるわよ」
「おっと。わりぃ、グレース」
パトラはグレースの叱責におどけて見せた。
「ま、そういうことだから、大人しく捕まりな。お嬢ちゃん」
「それは、あたしの台詞でしょうがっ!」
言い終えた瞬間、ミトラの姿はその場から消えた。いや、消えたように見えた。
ミトラは足に小さい羽を生やし、地面を滑るように高速移動してパトラに迫った。そして鉄鎚を振るった。
グレースは飛び退き、パトラはミトラの攻撃を短剣で受け止めた。
「……なかなかえげつないことをするじゃないの、ミトラさんよ」
「パトラさんだったかしら……あたしもまさか受け止められるとは思わなかったわ」
移動の力と遠心力で荷重のかかった鉄鎚を短剣の刃で止めるには、かなりの膂力と体幹が必要だろう。しかしパトラはそれをやってのけたのだ。
「名前を覚えてくれて光栄だね」
「そっちのグレースさんも名前を覚えたわよ。後であたしの仲間にも教えてあげるわ」
ミトラはほんのわずかだけ浮き上がり、水平移動で後退した。そして空中へ飛んだ。
地上から五メートルほどの空中で停止したミトラは、そこで武器を構え直した。
(あのパトラとか言う奴、思っていたよりも腕が立つわね。どうしようか……)
もともとパトラだけを相手にするつもりだったが、この場には既にグレースがいた。
だからミトラは、最初の一撃でパトラを戦闘不能にするつもりでいたのだが、思わぬ計算違いに困惑することとなった。
ミトラは以前、グレースと戦っている。だからグレースも一筋縄ではいかない戦闘力があることも知っている。
だからひとまず上空に逃げて攻め方を考えようと思ったのだが、突然ノイエが大きな鳴き声を上げた。
ミトラはすぐにノイエの警告を理解した。
グレースが投げナイフを数本、ミトラに向けて投げていたのだ。
そのことを察したミトラは、素早く横移動して投げナイフを回避した。
「ミトラ、油断するな。ガアッ!」
「ありがとう、ノイエちゃん。助かったわ」
空中では格好の的となる上、敵の動きが見えにくいと判断したミトラは、一旦地上に降りた。
(二対一じゃ不利ね。でもやるしかない……)
「ノイエちゃん。グレースの動きに注意して。攻撃する素振りを見せたら教えて」
「分かった。ガアッ!」
呼吸を整えたミトラは、再びパトラに急接近した。
今度はグレースも視界に入るよう、なるべく直線上に二人がいるような立ち位置を意識してパトラと戦うことにしたのだ。
「おっ!地面の上でやる気になったか。嬉しいねえ」
「グレース、殺さないでよ」
「ああ、分かってるよ。殺さずに持って帰るさ。お前はそのへんでのんびり見てろ」
この会話はミトラにも聞こえていた。
本当か嘘か分からないが、パトラは一人でミトラと戦う気でいるらしい。
「舐められたものね!」
再びミトラがパトラをめがけて鉄鎚を振るう。パトラは上体を反らして躱し、そのまま後転して距離を取る。
それをミトラが水平移動で素早く追撃し、鉄鎚を振り下ろす。パトラは今度は避けずに、短剣で鉄鎚を払いのけた。
「足を動かさずに近寄ってくるってのは、どうも調子が狂うなあ」
そう言いながらも、パトラはミトラの攻撃をすべて受け止め、受け流した。
ミトラもケンカには強い方だが、腕はパトラのほうが上であることを認めざるを得なかった。
そもそもミトラは自己流であり、軍隊のような組織で格闘術を学んでいるわけではない。ある意味、正規の訓練を受けているパトラのほうに分があるだろう。
それでもミトラには、普通ではない戦い方がある。
ミトラの鉄鎚をしゃがんで避けたパトラに、今度は大上段から鉄鎚を振り下ろした。
パトラは避ける動作と同時に、ミトラを組み伏せるつもりでタックルを仕掛けた。
鉄鎚の先は軽く地面にめり込んでいる。ミトラが武器から手を離さない限り、パトラのタックルは躱せないだろう。
しかしミトラは地面を蹴り、鉄鎚を支点にして、前方に体を投げ出してタックルを避けた。
だがそれもパトラは読んでいた。パトラはすばやく上体を起こし、まだ空中で身動きが取れないミトラに向かって短剣を振るった。
普通の相手ならこれで詰みだったろう。しかしミトラは普通ではなかった。
ミトラは、鉄鎚を支点にして飛び上がったのではなく、自力で飛んでいたのだ。
ミトラは逆さまの体勢のまま、鉄鎚と一緒に宙に浮き、短剣を躱した。
そしてくるっと半回転した後、飛行を停止して、回転の勢いと落下する自重を鉄鎚に乗せて、パトラの頭に振り下ろした。
避けきれないと判断したパトラは、左手で頭を庇った。
勢いのついた鉄鎚を素手で受けるなど愚の骨頂だが、頭蓋骨粉砕に比べればましと判断したのかもしれない、とミトラは思った。
(片腕で済むと思うな!)
躊躇することなく、ミトラは鉄鎚を振った。
その勢いは、間違いなくパトラに大きなダメージを与えるはずだった。
しかし、想定外の事態が起こった。
突然、鉄鎚が消滅したのだ。
いきなり得物を失ったミトラは、体勢を崩して地面に膝をついたものの、まずは距離を取るべきと判断して、素早く後退した。
「危ない危ない。まったく、飛べるってのは厄介だねえ」
「……あたしの鉄鎚、どこにやったのよ」
「どこだと思う?」
薄ら笑いを浮かべたパトラにイラついたものの、得体のしれない不安を感じたミトラは、攻撃したい気持ちを抑え込んでパトラを睨みつけた。
「そんなに返してほしいなら、返してやんよ!」
パトラは短剣を腰のホルダーに戻すと、ミトラに向かってダッシュした。
ミトラはいつでも後退できる態勢で待ち構えたが、パトラはミトラに届かない位置で急停止し、その場で「何も持っていない右手」を振るった。
「ぐあっ!!!」
ミトラの左太ももに鈍い痛みが走った。脳天にまで届いた激痛に耐えられず、ミトラは足を押さえて地面に転げた。
「いやあ、これ軽くて使いやすいね。あたしに売ってくれない?」
「……すっごく高いわよ……痛たっ……」
パトラはいつの間にか手にしていたミトラの鉄鎚を、軽く投げては宙でクルクルと弄んでいる。
(骨までいってるかも……まずいわね……)
痛みに顔を歪めながら、ミトラは怪我の具合を推測した。むしろ自分の武器を使われ、意表をついた攻撃を食らったことに対する怒りのほうが強かった。
(武器を見えないようにした?いや、それだとあたしが殴った時に、武器が本当に消えたことが説明できない……一体どういうことなのよ……)
「そっか、高いのかー。なあグレース。金貸してくれない?」
「馬鹿なこと言わないでよ。貴方が奪い取ったんだから、そのまま貰っておけばいいでしょ」
「それもそうか。んじゃ貰うわ」
「あげないわよ!」
くだらない会話だが、ミトラはその中で重要なヒントを得ていた。
(やっぱり奪い取ったんだ……つまり、それがパトラの能力)
パトラが手に触れたものを奪える能力だとすれば合点がいく。そう考えたミトラは、その能力について、もうひとつの可能性を考えた。
(パトラはあたしを『殺さずに持って帰る』って言った。『連れて帰る』じゃなく、『持って帰る』って確かに言った。つまり、あたしごと持ち帰ることができる能力ってこと?)
ミトラが放った鉄鎚は目の前で突然消えた。そして一瞬でパトラの右手から現れた。そこから推測できることは、パトラが自在に物や人を出し入れできることだ。
(ひとまず、パトラの手には注意ね……それと……)
ミトラはパトラに向かって不敵な笑みを向けた。
「ねえ、相談なんだけど……その鉄鎚はあげるから、代わりにあたしを見逃してくれないかしら」
「それは無理だね」
「でも、その鉄鎚、本当に良いものよ。あたしなんかより高く売れると思うわ」
「アタシ達の目的は人身売買じゃない。お前だ」
「あたしの価値なんて、たいしたことないと思うんだけどね。ただちょっと空を飛べるだけの、ごく普通の一般市民よ」
「どこに空を飛べる一般市民がいるってんだ。それにお前は……」
「パトラ!」
ミトラとパトラの話を遮るようにグレースが叫んだ。近づいてくるグレースの手には、数本の投げナイフが握られている。
「なんだよ、グレース。手出しは無用だと……」
「ミトラの狙いは時間稼ぎよ。そいつは自分自身の傷を治せるわ!」
「あぁん?……そういうことか!」
「あはは……ばれちゃったか……」
グレースの言う通り、ミトラはパトラとの話を引き伸ばしている間に、怪我した足の治療をしていた。完全に治すには時間が全然足りず、多少痛みを緩和することしかできなかった。
「パトラ、遊びはもう終わりよ。さっさとミトラを捕まえなさい」
「へーい」
「ミトラ、少しでも飛ぶ素振りを見せたらこいつを叩き込むわよ」
「……」
グレースはこれ見よがしに短剣を見せつけながら、そしてパトラは鉄鎚を振り回しながら、ジリジリとミトラに近づいていった。
実際、ミトラは足の痛みのせいで飛行に集中できそうもなかった。中途半端に飛んだところで、グレースの投げナイフの餌食になるだろう。
それでも自分の治癒力を信じて、投げナイフを食らってでも逃げる選択肢もあった。
しかしミトラはそれを選ばなかった。
「……あたしは逃げないけれど……あんた達は逃げたほうがいいかもしれないわよ」
「……どういうことだ?」
その疑問は、すぐに解決した。
「ミトラーーー!」
「にゃにゃにゃっ!」
町の方角からミトラを呼ぶ声が聞こえた。その声は紛れもなく、啓とバル子の声だった。
「ミトラ、貴様……」
「二人組はあんた達だけじゃないのよ。あたしも同じよ」
ミトラがパトラと戦っている間も、ノイエは念話で仲間に情報を送っていた。
そして啓とバル子がようやくこの場に駆けつけた。
時間稼ぎをしていたのは、治癒のためではなく、応援を待つためでもあったのだ。
「ケーイ!あたしはここよ!敵もここにいるわ!」
ミトラが叫んだのと、グレースが啓の姿を視認したのはほぼ同時だった。
「あの男か……パトラ!」
「あいよっ!」
パトラが左手を伸ばし、ミトラを掴む。
「ケイ!パトラの能力に気をつけて!パトラは触ったものを」
ミトラの声はここで途絶えた。
啓がグレース達と対峙した時、そこにミトラの姿はなかった。
ミトラ対パトラの戦いは、パトラの優勢勝ちとなりました。
(最近影の薄い)主人公、ようやく到着です。
次回、啓 vs パトラ&グレースです。
#先月は労基法に抵触するレベルの忙しさでした。
#今月もスタートから激務ですorz
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