105 侵入者その2
その日の深夜。
グレースとパトラは、姿を消して再び町に侵入した。
町に入った二人は姿を消したまま、悠然と町の大通りを歩いていた。
かつては夜遅くまで営業している酒場や飲食店、そして昼夜問わず仕事に精を出す工房の活気で、たとえ深夜であっても、灯りや人の姿が絶えなかった大通りは、今は暗く、人気もない。
加えて、未だに住人の大多数がユスティールに戻っていない現状では、家屋から漏れ出す灯りも無く、通りはほぼ真っ暗だった。
そんな大通りの先には、ユスティール最大の取引所である市場と、都市管理の中枢である管理棟があるが、グレース達が向かっているのは、その途中にあるガドウェル工房だ。
巡回の兵士すらいない無人の大通りを歩きながら、グレースはパトラに小声で尋ねた。
「パトラ、どう?周囲に異常はない?」
しかしパトラは答えなかった。
「パトラ?聞いてるの?」
姿を消しているせいで、互いの姿も見えてはいないが、グレースも暗部に所属する一員である。
自分のすぐ近くにパトラの気配があることは感じ取っているため、離れた所を歩いているようなことは無いと分かっている。
だからこそ、急にパトラが足を止め、立ち止まったこともすぐに分かった。
グレースも足を止めて、再びパトラに尋ねた。
「パトラ、どうし……」
「やられた。嵌められたわ」
「嵌められたって……一体どういうこと?」
パトラは自分達を見つめる視線こそ感じていなかったが(姿を消しているので、当然と言えば当然だが)、自分が抜かったことを、今更ながら悟った。
「町の中に警備の兵士が全くいない。外の警備は厳重だったが、見ての通り、この大通りも無人だ」
「……それがどうしたのよ」
「グレースは分からないか?アタシ達は今、囲まれてる」
「は?パトラ、今、周りには誰もいないって……」
「ああ。外にはいない。だが、建物の中は兵士だらけだ。クソッ……住人がまだ戻っていないことを逆手に取って、住居内に隠れていやがる」
グレースはそっと大通り沿いの建屋に目を向けた。
グレースも人の気配を察知する能力に長けてはいるものの、パトラほど鋭敏には察知できない。しかし集中すれば、気づけることもある。
グレースは建屋の中から、金属が擦れるような小さい音を幾つも拾った。それも一軒ではなく、複数の建屋から。
それは、武装した兵士が隠れていることを意味していた。
「私も理解したわ……でもパトラ。こちらの姿が見えない以上、私達がここにいるとは分からないはずよ」
「だが、待ち伏せされているのは事実だ。もしもガドウェル工房の扉を破ろうとすれば、その近くで隠れている兵士達がすぐに異変に気づくだろう。いや、ガドウェル工房内にも兵士達がいるかも知れない。これが何を意味しているか、分かるよな?」
「……私達の侵入が、ばれている?」
「そういうことだ」
グレースは苦虫を噛み潰したような顔で、大通りの先を睨んだ。
まさか自分達の侵入が既に掴まれているとは思わなかったからだ。このままではミトラを拉致するどころか、自分達が捕まるかも知れない。
「グレース。ここは一旦引いたほうがいい。作戦の練り直しをするべきだ」
「パトラの言う通りね。悔しいけどここは引き……」
引きましょう、と言いかけたその時、パトラは忌まわしい音を聞いた。
以前、この町で苦渋を飲まされた時の、忌まわしい二つの記憶が蘇る。
忌まわしい二つの記憶のうち、一つはもちろん激臭だ。そしてもう一つは、まるで槍で突き刺されたような激痛だった。
「パトラ、身を伏せて!羽音と、カチカチする音を避けて!」
グレースは身を屈め、姿隠しの効果に影響が出ないよう気をつけながら、滅茶苦茶に手を振り回した。パトラもグレースの指示通り、周囲を振り払うように身を動かした。
「なんだこりゃ……虫か?」
「ええ、そう。人を襲う虫。以前、私はそいつに刺されたのよ」
刺された当時は分からなかったが、後に傷跡を確認したところ、小さな毒針のようなもので刺された痕があった。この世界でも危険な虫類はいる。グレースはその類の虫にやられたのだと推測していた。
振り払う仕草をしばらく続けたところで、ようやく虫の襲撃が収まった。
幸い、二人とも蜂に刺されることはなかった。
実際、モンスズメバチは夜でも見える眼を使って獲物を捕らえるが、さすがに姿の見えない敵を刺すのは容易ではないのだ。
しかし、本当の狙いはそこではなかった。蜂姫隊の役目は、嗅覚と気配察知を駆使して、ターゲットのアタリをつけることだった。
息を整える間も与えず、次にグレースとパトラを襲ったのは、暗い大通りの闇を裂いて飛んできた、光る槍だった。
「パトラ!」
「分かってる!」
槍はパトラとグレースのいる場所のそばを通過していった。
あながち見当違いとも言えない場所に向けて投げられた槍は、さらに立て続けに何発も飛んできた。
「グレース、左端に寄れ!」
「分かったわ!」
グレースとパトラは、大通りの中央から端に寄り、建屋の外壁のそばで身をかがめた。
建屋の中や路地の先には伏兵がいる可能性があるため、なるべく近づきたくはなかったが、背に腹は変えられなかった。
グレース達は、ひとまずこの場で攻撃を避ける腹づもりだったが、槍は再びグレース達のいる場所をめがけて飛んできた。
「嘘だろ!?」
しゃがみ込んだ姿勢が仇となり、動作が遅れてしまった二人は、スマートに槍を避けることができなかった。二人は体を投げ出すようにして、大通りの中央に転がり出た。
通りの中央で仰向けに横たわったパトラは、そこでようやく気がついた。
自分達の真上で、小さな虫がグルグル飛び回っていることを。
「あの虫共が、アタシ達の居場所を伝えてたのか!?……くそっ!」
そのことをグレースに伝えようとしたパトラだったが、グレースはさらなる問題に直面した。
「おい、グレース、姿が見えてるぞ!」
グレースの姿隠しの能力は、槍を避けるための急な激しい動きによって、効果が破れていたのだ。
そして光る槍が、容赦なくグレースに向かって飛んだ。グレースは息を切らし、俯いている。まだ自分の姿隠しが切れていることにも、槍が自分に向かってきていることにも気づいていない様子だ。
「くぉらっ!」
パトラは起き上がり、グレースに向かって飛びついた。
そして迫る槍を、左手に持っていた杖で受け止めた。
パキン、という音と共に、槍の軌道が変わった。
そして、パトラが手に持っていた杖が弾き飛ばされ、暗い路地の方へ消えていった。
それと同時に、パトラの姿もあらわとなった。
「見えたぞ!」
「灯りをつけろ!囲め!」
パトラの推測通り、付近の建屋からわらわらと兵士達が現れ、グレースとパトラを囲み始めた。
しかし、決して二人に近寄ろうとはせず、遠巻きにして警戒態勢を維持している。
(近寄ってくれれば、捕まえて人質にできるものを……小癪な)
(時間を掛けている間にも兵士共が増える……ここは強行突破か……)
グレースとパトラがそんなことを考えていると、大通りの先から、数人が駆け寄ってくる音が聞こえてきた。
現れたのは、軍人風ではない女が三人と男が一人。そして動物が数匹。
サリー、ミトラ、シャトン、そして啓だ。
最初に口を開いたのはミトラだった。
「やっぱりあんたか。姿を消す侵入者だと聞いて、あんただと思ったよ」
「ミトラ……」
「へえ、あたしの名前、知ってるんだ」
ミトラはグレースに冷めた目を向けた。しかし啓達は、ちょっと違う目でミトラを見て言った。
「まあ、オレ達、指名手配されてたしな」
「オーナー達、残念な方向で有名になっちゃいましたからね」
「それは言わないで!」
そんな漫談に付き合う気のないグレースは、ストレートにミトラに疑問をぶつけた。
「いつから侵入に気づいていた……何故、姿を消していると分かった……何故、私だと思った……?」
「そんなの……答えるわけ無いでしょ。とにかく、あたし達にはお見通しだったってことよ。だからあたし達は最初から、姿が見えない敵に対する対策をしていたのよ!」
グレースに種明かしをするつもりは無いが、今回の侵入者が、かつてミトラと戦ったグレースである可能性が高いと推測できたのは、シャトンとミトラのおかげだった。
◇
シャトンはハルトからの連絡が途絶えた時、すぐに嗅覚を全開にして、ハルトの匂いを探った。
すると僅かではあるが、ハルトの匂いが町の外に向かって移動していることを掴んだ。
匂いは途中で途切れたため、それ以上の場所の特定は出来なかったが、少なくとも侵入者が町の外に出たことは分かったのだ。
そしてもう一つ、シャトンは決定的な匂いを感じ取っていた。
それは、ミュウによる激臭攻撃の残り香だった。
スカンクの分泌液を人間が浴びた場合、その分泌液は皮膚の奥にまで深く染み込む。
そうなると、分泌液の成分をすべてを洗い流すのは困難となる。そしてその匂いは、一ヶ月以上消えないこともある。
もちろん、いずれ匂いは消えていく。グレースがミュウの攻撃を食らったのはまさに一ヶ月ほど前のことだった。人の嗅覚では、既に匂いを感じることはできないだろう。
しかし、シャトンの嗅覚はその僅かな残り香も感じ取っていた。
その匂いを発する人間がハルトの匂いと共に町の外に出ていき、その後、町に戻ってきていないことをシャトンは把握していた。
これこそが会議の時にシャトンが言った「侵入者達はもう町の中にはいません」の根拠だったのだ。
さらにこのことは、侵入した人物の特定と、町に侵入できた理由の推測にも役立った。
ここ最近で、ミュウの激臭攻撃を食らった部外者は一人しかいない。
その人物こそ、このユスティールでミトラと戦い、ミュウの攻撃を直に食らったグレースだ。
ミトラはその時に戦った女の特徴を改めて皆に共有した。
グレースという名前こそ知らないが、その女が怪しげな魔動武器を使っていたことや、姿を消す能力を持っていることを皆に伝えた。
姿を消すことができれば、厳重警戒中のユスティールを部外者が出入りすることも容易である。よって侵入者の一人は、その時の女に違いない……
◇
こうして、筋の通った推測が成り立ち、啓達はこれらを踏まえて、今回の作戦を立案するに至ったのだった。
まず、敵が姿を消して町に侵入してくると想定し、猫達を町の各所に配置して敵の気配を察知させる。
そして猫達が何か違和感を感じたら、すぐにシャトンに念話で場所を知らせる。
シャトンは嗅覚を全開にして、侵入者の大まかな場所を特定する。
大まかな場所が分かったら、啓達はその付近に急行して身を隠し、シャトンと蜂姫隊の嗅覚を駆使して、さらに場所を絞り込んでいく。
ある程度絞り込めたら、そのポイントめがけて、チャコの力を借りて具現化した光の槍をぶっ放す。
この時に一発で倒せれば御の字だが、おそらく敵も手練れである以上、一発でやられる可能性は低い。
だからシャトンと蜂姫隊による位置特定作業を行い続け、その場所に向かって槍も投げ続ける。こうして姿を消していても無駄であることを分からせる。
そして姿を現したところで、建屋の中に予め潜んでいた兵士達も飛び出し、侵入者を取り囲んで捕まえる。
これが作戦の概要だった。
果たして、作戦は概ね成功したと言えるだろう。
「とにかく。お前達が姿を隠そうとも、こちらはお前達を見つける術を持っているということが分かっただろう。だから大人しく投降してほしい。抵抗しなければ殺しはしない」
「……貴方、確かケイという名前だったわね。相変わらず、甘い男ね」
「相変わらずって……オレと何処かで会ったことがあるのか?」
「そうね……何度かね」
「えっと……いや、オレは全く面識が無いんだが……」
サリー達は「またこの男は……」とか「また何処でたぶらかしたのやら」とボヤいたが、全く身に覚えのない啓は「違うぞ、オレはほんとに知らないからな!」と狼狽した。
「と、とにかく!お前達の身柄は拘束する。変な真似をしたら……分かっていますね」
「……」
グレースとパトラから返事はなかったが、それを肯定と受け取った啓は、兵士達に合図を送った。縄を持った兵士が、二人にゆっくりと近づいていく。
その時、突然パトラが叫んだ。
「あー、忘れてた!そういえばアタシ、ネコを一匹捕まえたんだよねー」
パトラの叫びに、縄を持った兵士は足を止め、周りの兵士達は武器を構えた。
啓達も、パトラの一挙手一投足を見逃さないよう注視し、臨戦態勢を取った。
パトラはそんな周囲のリアクションを見て笑みを浮かべ、言葉を続けた。
「……灰色のネコなんだけどさあ」
「……ハルトのことか?」
「へー。ハルトって言うんだ。もしかして、あんたのネコ?」
啓はもちろん、ハルトのことを忘れてなどいない。
二人を拘束した後で、ハルトをどうしたのか、尋問するつもりだった。
ハルトとは未だに念話が通じない状況にある。だから啓は、最悪の事態があることも想定していた。
しかし今、目の前の女は「捕まえた」と言った。それは、ハルトが未だ健在である可能性も示唆していた。
啓はパトラの動きに注意しながら、パトラに聞いた。
「……ハルトはどこにいる?」
「どこって……あんたの目の前にいるじゃない」
「……目の前?」
「見えない?ほら、ここだよ」
パトラがそう言った直後だった。
パトラの右手に、後ろから首根っこを掴まれたハルトが出現していた。
「ハルト!?」
「ニャニャッ!?」
突然現れたハルトに啓達は動揺した。そしてハルト自身も、動揺しているように見えた。
「ハルト!!……お前、ハルトを一体何処から……」
「勝手に捕まえて悪かったわね。返すわ。ほらよっ!」
「えっ……わわっ!」
パトラは無造作にハルトを放り投げた。
ハルトは放物線を描き、啓達のほうに飛んでいく。
突然のことに面食らった啓は、ハルトを受け止めようとワタワタした。
サリー達や兵士達の目も、宙を舞うハルトに一瞬奪われた。
パトラはその瞬間を逃さなかった。
パトラは腰から素早く球体を取り出し、それを地面に叩きつけた。
破裂した球体から、真っ黒い煙が吹き上がる。
その煙は、パトラとグレースを中心に、爆発的に周囲に広がった。
「グレース、手を!逃げるよ!」
「ゲホッ!パトラ、やるならやると」
グレースの文句はそこで途切れた。
そしてパトラは煙に紛れ、包囲網からの逃走に成功した。
◇
「みんな、大丈夫か!?」
「バル子は無事です!ご主人の指示通り、すぐに盾を張りました。褒めてくださいませ!」
「ああ、私も無事だ」
「はい、オーナー。私も大丈夫です。ちょっと鼻が馬鹿になりましたけど……あ、ハルトちゃんも無事です!」
煙が薄らいで視界が戻った時、既に二人の侵入者の姿は無かった。
黒煙に包まれた直後、啓はすぐに周囲に盾を展開し、敵の奇襲に備えたが、どうやら侵入者達は逃げることに徹して、攻撃はしてこなかったようだ。周りの兵士達も全員、無事だった。
なお、黒煙のせいで啓はハルトを受け止め損ねたが、ハルトもいっぱしの猫である。ちゃんと自力で体勢を立て直し、無事着地を決めていた。
「すまない、みんな。ハルトのことで動揺して、油断してしまった」
「ケイのせいじゃない。それにハルトちゃんが無事で良かったじゃないか」
「ああ、そうだな……あれ、ミトラは?」
啓は周囲を見回してみたが、ミトラとノイエの姿は見当たらなかった。
「まさか、ミトラ……奴らを追っていったんじゃ……」
啓の不安は、残念ながら的中していた。
◇
町外れまで逃げおおせたパトラは、地べたに座り込んで呼吸を整えた後、右手を横にかざした。
すると突然、パトラの横にグレースが出現した。
「先に言ってよ!……って、あれ?」
グレースは周りの様子が一変していることに当惑した。
周囲に敵がいる様子もない。いるのは隣に座って、ニヤけた顔で自分を見ているパトラだけだ。
「ここは?……奴らは?」
「ここは町の外。奴らは煙に巻いてきた」
「ああ、そういうことね……助かったわ。感謝する」
グレースはすぐに理解した。自分がパトラの「女神の奇跡」の能力によって、一緒に助け出されたことを。
パトラの能力は「収納箱」。左手で触ったものを見えない収納箱にいれることができる。そして取り出す時は、右手から外に放つのだ。
なお、パトラは便宜的に収納箱と呼んでいるが、パトラ自身、その原理はよくわかっていない。収納中の物体はまるで時間が止まっているように、腐食も進まないし、生物であれば呼吸も必要ない。おまけにその物体の重さも感じないのだ。
ただし収納には制限がある。大きさはせいぜい二メートル四方までであり、たとえ小さいものでも、一つの物体しか収納できないのだ。
しかし、人間一人を誘拐するには十分な能力だ。グレースはパトラのこの能力を使い、ミトラを拉致するつもりだったのだ。
実際、パトラは煙に紛れたどさくさで、ミトラに触れて連れ去ろうかとも考えたのだが、リスクのほうが大きいと判断して断念した。
代わりにこの能力でグレースを拾い、逃げることに全力を注いだのだった。
助けてくれたことに礼を言うグレースに、パトラは陽気な態度で応えた。
「いいってことよ。アタシ達、友達だろ?」
「……私は貴女の上司であって、友達じゃないわよ」
「つれないなあ。ま、いいけどさ」
そう言うとパトラは、バタッと仰向けになった。
「で、これからどうするよ。アタシ達が姿を消して町に入っても、すぐに見つけられるんじゃ仕事にならないわ……あ、そうだ。すまねえ、グレース。姿消しの魔道武器、無くしちまったわ」
「……いいわ。私を連れて逃げてくれたことで相殺しましょう。どうせ姿を消しても見つけられるわけだし。それよりも、どうやってミトラを誘い出すかを考えましょう」
「……なあ、グレース」
「何よ」
「誘い出す必要、無さそうじゃね?」
「……どういうことよ」
「ほれ、上」
パトラは横になったまま、夜空を指さした。
その指の先には、空を飛んでグレース達を追いかけてきたミトラの姿があった。
シャトンちゃんの鼻、最強説。
ハルトは無事確保できたものの、自分がターゲットとは知らないミトラが勝手にグレース達を追いかけてしまいました。
果たしてミトラは……
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