101 約束
ミトラは過剰な魔力の吸収と、出力過多な女神の奇跡の力の行使によって、昏睡状態に陥った。
そのままミトラは目を覚ますこと無く、三日が過ぎた。
そして四日目の朝。
「んがあぁぁぁ!!……んんっ……ふう。よく寝たぁ……ん?」
唐突に目を覚ましたミトラは、傍で何かが転げ落ちるような音を聞いた。
音のした方向に目を向けると、そこには床に座り込む啓の姿があった。
「どうしたの、ケイ。変な姿勢で床に座り込んじゃって」
「……さっきまでちゃんと椅子に座っていたのだがな」
啓はいきなり飛び起きて奇声を発したミトラに驚いて、椅子からずり落ちたのだった。
なお、バル子はミトラの奇声と同時に、ダッシュで部屋の隅まで避難している。
「ケイ、大丈夫?」
「……ミトラがそれを言うか?」
「なにが?」
「……」
啓は椅子を寝台の横に移動させて座り直すと、ミトラが三日間も眠り続けたことを教えた。
「……あたし、そんなに寝てたの?」
「ああ、そのまま死ぬんじゃないかと心配したぞ」
「えっと……もしかして、ケイはその間、ずっとあたしに付き添っていてくれたの?」
「いや、サリー達と交代しながらだ。たまたまオレの番の時にミトラが目を覚ましただけだ」
「なーんだ。残念」
「ん?」
「なんでもないわよ。そっか。サリー姉とシャトンちゃんも看病してくれてたんだ」
「ああ。今サリーは軍と一緒に町の復興作業を、シャトンはオレと交代でフェリテの修繕をしている」
「修繕?」
「ああ。建屋にはそれほど被害はないんだが、ちょっとな……」
「そうなんだ……ふわあああ……んー!」
ミトラは大きなあくびをして、ふたたび体を伸ばした。啓はミトラの伸びが完了するのを待ってから、ミトラに尋ねた。
「ところで体調はどうだ?どこか痛いところはないか?」
「んー……大丈夫そうだよ。痛いところもないみたい」
「そうか、なら良かった。ミトラが寝ている間も、サリーがまめに癒しをかけてくれたおかげかもしれないな。後でお礼を言っておくといい」
「ん、わかった……そんなことより、レナさんは?助かったの?」
自分の体調よりも、他人の心配をするところがミトラらしいと啓は思った。あの時、ミトラは治癒の途中で気を失ってしまったため、その後のことを知らないのだ。
「レナさんは大丈夫だ。心配いらない」
啓はその時の様子をミトラに説明した。
それは今思い出しても、信じられないほどの驚きと感動だった。
ミトラが大量の魔力を一気に使って治癒の力を発現させた時、ミトラの手は正視できないほどの光を発した。
柔らかく暖かいその光は、やがてレナの全身を包み込み、レナの体の線をくっきりと浮き上がらせた。
光の線は、レナが失ったはずの左足の輪郭も描いていた。
「女神様……」
一緒に付き添っていた警備隊員は、思わずそんな言葉を漏らした。
ミトラは自身の体も淡く発光させ、優しい微笑みを浮かべていた。
その姿は、女神と喩えても遜色ないものだった。
やがて光が弱まり、完全に消えた時、レナの顔の傷は完全に癒えていた。包帯に包まれていた体も、傷一つ残さず癒えていることが後に確認された。
レナが失った左足も完全に復元されていた。その光景は文字通り、女神の奇跡と呼べるものだった。
治癒を終え、穏やかな寝息を立て始めたレナに一同が注目する中、ミトラはその場で崩れ落ちた。
力を使い果たしたミトラは、そのまま三日三晩、目を覚ますことはなかった。
「……というわけだ」
「まるで覚えてないけど……凄かったんだね、あたし」
「凄いなんてもんじゃない。レナは目を覚ました後、すぐ仕事に復帰できたほどだ。この部屋を出ていく時なんて、走って出ていったからな」
なお、レナが元気になったのは事実だが、部屋から飛び出していった本当の理由は、またしても啓に裸を見られた恥ずかしさのせいであった。
「そっか。良かった……」
「レナはミトラにすごく感謝していたよ。サリーは軽く凹んでいたけどな」
「えっ?なんでサリー姉が凹むのさ」
サリーが凹んだ理由は、ミトラのとてつもない治癒力を目の当たりにしたせいだった。
周囲には秘密にしていたとは言え、治癒の力はサリーの専売特許と言えるものだった。
それをミトラも使えるようになり、おまけにとんでもない威力で行使したのだ。
サリーはレナの全快を喜びつつも、自分の力で治せなかったことを悔しく思っていた。
そしてミトラの力を見た後には「私の価値が……私の存在意義が……」と独り言を漏らしていた。
「いやいや、サリー姉の凄いところはそんなことだけじゃないから!あたしはサリー姉に勝ったとか、そんなこと考えてもいないわよ」
「オレも分かってるから大丈夫だよ。だが、サリーもあれでなかなかの負けず嫌いだからな。もっと精進しなければと言って、負傷した兵士達を片っ端から治癒して回っているよ」
なお、サリーはバレてしまった出生をもはや隠すつもりは無く、遠慮なく能力を使いまくっていた。
「あはは、サリー姉らしいわ」
「だな。それにしても……」
啓は難しい顔をしてミトラを見た。
視線に気づいたミトラは軽く狼狽した。
「な、なにがよ……」
「ミトラは、一体どうやってその治癒の技を覚えたんだ?」
「どうやってと言われても……いつの間にか使えるようになってたし……」
「ミトラは治癒能力だけではなく、空を飛ぶ能力も持っている。おまけに魔力の吸収をすることもできる。不思議だと思わないか?」
「そんなこと、あたしに言われても知らないわよ」
「サリーが言っていたが、女神の奇跡の技は、基本的には一種類しか使えないらしい。だが、あくまで基本的には、だ。例えばオレは例外だと思う。サリーも今は例外に含まれるかもしれない」
サリーは元々治癒の力を持っているが、今はカンティークを通じることで、ハンマーのような打撃系武器の具現化能力も使えるようになった。
啓に至っては、自力で何か能力を発現させることはできないが、女神の奇跡の力の根源である魔力を吸収したり、与えることができる。
そして、サリーと同様に、バル子とチャコを通じて、槍や盾といった武具を具現化できる。
まだ試してはいないが、セジロスカンクのミュウやフェリテの猫達、そして蜂姫隊のモンスズメバチを介して、別の能力を発現できる可能性も高いだろう。
ただし、どちらのケースも召喚した動物を介しての事であり、自身の力で発現した能力ではない。
しかしミトラは自身でそれをやってのけているのだ。
「そう考えると、ミトラは例外中の例外だと言える」
「なんか、あたしだけ仲間はずれにされた気分だけど……それで?」
「だからオレも考えてみたんだ。ミトラはどうやってその力を使えるようになったのかって」
「……何か、分かったの?」
啓はあくまで推論だが、という言葉を付け加えて、自身の考えを披露した。
「空を飛ぶ能力については、ミトラの願望が生み出した天性のものだとする。それ以外の能力……治癒の力はサリーから、魔力の吸収はオレから受け継いだとすれば、少し納得がいく」
「受け継ぐ?どうやって?」
「実際に自分で体験してだよ。ミトラもサリーに怪我を治してもらったことがあるだろう。その時に治癒のやり方を学んだのではないだろうか」
「別に教わったわけじゃないよ?」
「教えられなくても、体が覚えているということかもしれない。魔力の吸収にしたってそうだ。オレとの特訓で、体に魔力を貯め込むというやり方をミトラは会得したんだ」
ミトラは後付けで女神の奇跡の力を得るために、体の中に魔力を流し込むという特訓を行った。その際、啓はミトラの体に魔力を放出したのだが、ミトラ側から見れば、それは魔力を吸収するという事になる。
「つまり、ミトラは他者の女神の奇跡の技を体験することで、その技を使えるようになるのかも知れない」
「はあ……でもなんで、あたしだけがそんなことをできるのよ」
「これも推測だが、ミトラの魔力は後付けしたものだ。元々個人に備わっていない魔力だから、特性が無くて、どんな力にでも使えるのでは無いだろうか」
「なるほど……なんか少し納得できたわ」
啓の話を聞いたミトラは、口では納得したと言ったものの、その表情は沈んでいるように見えた。
「ミトラ、大丈夫か?」
「うん……大丈夫。大丈夫だよ。えへへっ」
ミトラは笑ってみせたが、どう見ても下手な作り笑いだった。
「……だってさ、なんか、あたし凄くない?こんなこと、ケイにだってできないんでしょ?」
「ああ、できない」
「あたしにこんな馬鹿げた力があるってことも、きっとすぐみんなに知られちゃうよね」
ユスティールの住人達は戦火に巻き込まれないよう、他の町に避難している。だから今、このことを知っているのは、町にいる警備隊と軍の人間だけだ。
しかし人の口に戸は立てられない。ミトラに女神の奇跡の力が宿ったことは、いずれ周囲に知られるだろう。
「びっくりだよね。あたしが……貴族でも王族でもない、ただの小さな工房の娘が、そんな凄い力が使えるようになったんだよ。怖いよね。笑っちゃうよね。あはは……」
「ミトラ……」
ミトラは笑ってみせたが、啓にはその表情が寂しそうにも、恐れているようにも見えた。
「すまない、ミトラ!」
「え、何?」
啓は唐突にミトラに向かって、勢いよく頭を下げた。
「ミトラがこうなったのは、全部オレのせいだ。オレがミトラに魔力を与えたせいで、ミトラがこんなに苦しむことになるなんて……」
「え、違う。違うよ?」
「だってミトラ。その力が怖いんだろう?」
「あー……うん、怖いっちゃ怖いけど……むしろ、あたしは嬉しいよ」
ミトラは人差し指で頬を軽く掻きながら、ゆっくりと口を開いた。
「これは、あたしが望んだことなんだよ。ケイやサリーと肩を並べたくて……あたしも二人の力になりたくて……その願いを、ケイは叶えてくれたんだよ」
そう言ったミトラは、自分の発した言葉を反芻するように、何度も頷づいた。
「そうだよ、せっかくケイが授けてくれた力なんだから、もっと活用しなくちゃね。サリー姉を殺そうとした奴らを見つけて、とっちめるのが、あたし達の目的だものね。だから、あたしはもっと強くなってみせるよ」
「ミトラ……本当にそう思っているのか?無理してないか?」
「全然。無理なんてしてない。これはあたしの本心だよ」
今度こそ、ミトラは満面の笑みを浮かべて見せた。
啓はその顔を見て、ミトラの言葉を信じることにした。
「ああ。分かった。でも、ミトラ……」
啓は一度言葉を切って、少し頭の中を整理した。
啓はミトラに言わなければいけないことがあったが、もしもミトラが能力のことでナーバスになっているのであれば、時間を置こうと考えていた。
しかし、ミトラが前向きに考えているのであれば、今そのことを話しても問題はないだろう。むしろ釘を刺しておく意味でも大事なことだった。
「……ミトラ。シャトンから聞いたよ。潜入作戦の時に起こったことを」
「えっ……」
「シャトンが包み隠さず教えてくれたよ。早く言わなきゃと思っていたのに、言いそびれてしまって申し訳ないとも。全く、そんな大変なことを言わないなんて……」
「うあああ……言っちゃったのか……」
ミトラの笑顔は、バツの悪そうな表情に一変した。
ついにバレてしまったのだ。町の被害の半数以上が、バルダーを操縦した猫達によるものであったことが。そしてそれを口止めしていたのがミトラであることが。
ミトラは頭を抱え、必死に言い訳を考えた。
その姿を見た啓は短い溜息を吐いた後、言葉を続けた。
「ミトラ、お前……」
「でも、仕方なかったんだよ!」
ミトラは素早く反論、いや、言い訳を被せた。
「だって……まさかあたしだって、ネコ達がバルダーを操縦できるなんて思わなかったんだよ。でもそのおかげで軍を引っ掻き回して、陽動作戦は成功したんだよ。そりゃ、町の建物を壊したのは悪いと思ってるけれど、ネコは小さいから操縦席から外が見えにくいじゃない?だからちょっと足を引っ掛けたり、道じゃないところを歩こうとしたりしても仕方ないってもんじゃない?むしろその程度の被害で済んで良かったと思ったほうが……」
「ちょ、ちょっと待て。落ち着け、ミトラ」
早口でまくし立てるミトラを静めた啓は、ミトラが何か勘違いしていることを告げた。
「ミトラ、オレがシャトンから聞いたのは、ミトラが侵入作戦の時に倒れたことだ。アスラ軍が持ち込んだ魔硝石から魔力を吸収しすぎたせいで、ミトラは体調を崩して倒れたんだろう?」
「え、そっち!?」
「……猫達がバルダーを操縦した、という話は初耳なんだが」
「んっ?……んんんっ?」
ミトラは盛大に目を泳がせ、啓から顔を背けた。同時に、全身から大量の汗が吹き出した。
「えっと、あたし……そんなこと、言ったっけ?」
「おい……まあ、いい。オレが言いたいのは、ミトラが倒れた原因でもある、魔力の吸収の話だ」
「はい、魔力の吸収の話ね!聞きます!」
ミトラは「町破壊事件」について、啓のほうから話を逸らしてくれたことに心から安堵した。
「今後、魔力を吸収するのは禁止だ」
「なんで?」
「なんでって……ミトラ、さすがに分かるだろう。潜入作戦の時もそのせいで倒れているんだ。もしもそのことを先にシャトンから聞いていたら、爆破装置から魔力を吸い出す作業をミトラにやらせはしなかった」
「でも、そのおかげでレナさんは助かったんだよ?」
「その代わりにミトラが死んでいたかも知れない」
「それは……」
ミトラも啓が言わんとしていることを理解し、口を閉ざした。
「ミトラが女神の奇跡の力を使えるようになったことはオレも嬉しい。でも力を無理して使うために魔力の吸収までして、ミトラが危険な目に遭うことは看過できない」
「うん……」
女神の奇跡を使うための力は時間経過で自然回復する。そのため、魔力を他から吸収してまで回復する必要はないのだ。
そもそも、そんな真似ができるのは啓とミトラだけなのだが。
「ミトラに魔力を宿らせたのはオレだ。それについては最後までオレが責任を取る。ただ、そのためにはミトラの協力も必要だ。普通に力を使う分には何も言わない。でも魔力の吸収はしないと、約束してほしい」
「……責任、取ってくれるの?」
ミトラは少し上体を啓に寄せ、上目遣いで啓を見つめた。
少し色っぽいミトラの仕草に、啓は思わず息を飲んだ。
「ねえ、ケイ。それって男が女に対して取る責任って意味?」
「えっと……」
ミトラは期待に満ちた目で啓を見つけ続けている。
啓は少し考えてから、口を開いた。
「……オレは男で、ミトラは女だから、オレが責任を取るという意味では、その言葉通りなんじゃないか?」
「……よく意味が分からないんだけど」
「正直、オレも自分で言っててよく分からん。とにかく、ミトラの魔力については責任を取るってことだ」
「はあ……なんだか、はぐらかされた感じだわね」
「そうか?」
啓がいくら朴念仁とはいえ、ミトラの言葉の意味は「一応」理解していた。
ただ、何につけても奥手の啓は、煮えきらない答えを返すのが精一杯だった。
「ま、いっか。うん、分かったよ。魔力の吸収はしない。約束する」
「よろしく頼む」
脱力した啓を微笑ましく思いながら、ミトラはもう一度伸びをすると、寝台から飛び降りた。
「待て、ミトラ、もう少し寝ていたほうが……」
「もう三日も寝たわよ。大丈夫。あたしも町の復興を手伝わなきゃ」
「そうは言っても……」
「全く、ケイは心配性だなー。じゃあ軽めに、フェリテの掃除でもしにいこうか?」
その言葉に、啓の表情が少し曇った。
「ねえ、もしかしてフェリテに何かあったの?やっぱり壊されてたとか?」
「いや、そこまで壊されてはいない……ただ……」
啓は一度言葉を止めて、椅子から立ち上がると、ミトラに近づき、顔を寄せた。
「え、えっ?なに?」
啓が迫ってきたことでミトラは軽く狼狽したが、啓が近づいたのは、周りに話を聞かれないようにするためだった。
今までの話もかなり際どい内容だったが、それよりも重要な内容だった。
「さっきは言いそびれてしまったんだが……フェリテの、建屋としての被害は、扉と、店の床が壊されただけだ」
「なんだ、それぐらいなら……って、床?まさか……」
啓は小さく頷いた。
フェリテの床下の秘密を知っているのは、啓、サリー、ミトラ、レナ、ユスティール市長、そして自力で気づいたシャトンだけだ。
そして、その床下にあったものは……
「ユスティールの至宝は……あの巨大な魔硝石は、何者かに奪われてしまったらしい」
「そんな……」
ユスティールの至宝と呼ばれた魔硝石が保有する力を悪用すれば、一国を滅ぼすこともできるだろうと、かつてユスティールの市長は話していた。
その魔硝石が失われたと聞かされたミトラは、かつてない大惨事が引き起こされる予感に身を震わせた。
ミトラと啓の話が中心の回でした。
町破壊事件を自白してしまったミトラ。
この回ではスルー気味ですが、もちろん有耶無耶にはしません。
次回、奪われた至宝の話です。奪った人も(久しぶりに)登場します。
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