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001 女神に召喚された男

 梅雨もあけて盛夏真っ只中の7月末。畳の上に直に横たわり、大の字で昼寝をしていた啓は、開け放たれた縁側の窓の外から自分の名前を呼ぶ声に目を覚ました。


「けいちゃーん!起きんしゃい!」

「……んーーー!……ああ、吉田のおばさん。おはよう」


 横たわったまま伸びをしてから上半身を起こして縁側を見ると、隣で農家を営んでいる吉田家の夫人が立っていた。


「おはようじゃねーべよ。もう夕方だ」

「ああ、もうそんな時間か……で、なんか用?」


 寝汗で少し湿ったシャツを肌から剥がすように胸元をパタパタしながら、啓は縁側に向かった。吉田夫人の用事は見てすぐに分かった。吉田夫人はビーチボールのように丸々と大きく、陽の光を反射して艶々とした立派なスイカを抱えていた。


「ほれ、畑で採れたスイカだ。これでも食って英気を養いなさい」

「ありがとう……でも大きすぎて一人じゃ食いきれないよ」

「余ったら冷蔵庫に入れておけばよかべよ」

「1週間は帰れないんだぜ?……まあ、そのぐらいなら大丈夫かな」

「啓ちゃんの初めての大舞台なんだってね。父ちゃんと応援しとるからな」

「ああ、頑張るよ。ありがとう。おじさんにもよろしく言っといて」


 吉田夫人が帰るのを見送ると、啓はスイカを網に入れ、家のすぐ横を流れる用水路に持って行った。山から湧く清流を田畑に通すために作られた用水路は、夏場でも冷たく、澄んでいる。杭に網を引っ掛け、スイカを水に浸す。

水流に揺蕩うスイカのそばを数匹のメダカが通っていく。競うように泳ぐメダカに、啓は自分の姿を重ねていた。



 某競艇場、開催4日目。

 今日はここで明日の決勝レースに向けた準優勝戦が行われていた。昨日まで行われていた3日間の予選中に良い成績を収めた上位18人の競艇選手が準優勝戦(準優、準優戦と略すこともある。要するに準決勝)に進み、その準優勝戦で1着と2着を取った選手、合計6名が明日の決勝レースに進むことができる。3レースある準優勝戦のうち、既に2レースの準優勝戦が終わり、残りは1レースとなっていた。


 その戦いに臨む選手達は今、レース前の待機室で競技委員からの呼び出しを待っている。啓もその一人だった。


「よお、天才。緊張してるか?」

「……天才はやめてください。楽してここまで来たわけじゃ無いですからね」

「いやいやその若さで大したもんよ」

「先輩だってまだ若いでしょうが」


 啓に声をかけたのは4期上の先輩レーサーだ。普段から気さくな先輩であり、軽口を叩ける間柄ではあるが、今日これから一緒に走る先輩であり、倒すべき敵でもある。啓が言う通り、その先輩もまだ『この業界では』まだ若手の部類に入るのだが、若手レーサーの中でも勝率が群を抜いて高く、今回のレースでも注目を集めている選手の一人だ。


「まあ、俺が言うのもなんだが、啓が才能だけでここまで来たとは言わんよ。暇さえあれば水面に出て熱心に練習しているお前は、天才というよりも努力の塊みたいなもんだしのう。おまけに1号艇で、そこそこ顔もイイとくりゃ人気も出るわな」


 競艇はイン有利と言われており、イン側を走りやすい1号艇には人気が集まる傾向にある。無論、競艇場の特性や天候、そして選手の技量もあるので必ずしもイン有利とは限らないのだが、啓の1号艇にはそれなりに人気が集まっていた。


「SG初出場で準優に乗れた物珍しさで、オレの舟券を買ってくれる物好きなお客さんが多いだけですよ。それに顔の良し悪しは関係ないです」


 SGというのはレースのグレードのことで、競艇界では最高グレードのレースを意味する。啓は今回初めてSGのレースに臨み、見事に準決勝まで勝ち進んでいるのだ。


「そおかあ?最近は競艇場にくる女性も増えたし、顔も重要な要素の一つだと思うぞ?」

「……結局何が言いたいんですか?」

「んー、まあなんだ。SGの準優戦はちょっとキツイと思うが、まあ頑張れや」


 頑張れと言いつつ、要するに『初出場の若造では決勝まで残れまい』あるいは『自分の前を走れると思うなよ』という意味合いの言葉だと啓は判断した。決勝に進むためにはこの準優勝戦で1着か2着を取らなければならない。3着でもビリでも結果は同じなのだ。だからこそ選手達は決勝に進む切符を掴むために、死に物狂いで突っ込んでくる。今日一緒に走るメンバーは、今話しかけてきた先輩も含めて全員が年上であり、何期も上の先輩達だ。まだ若い啓には負けたくないというプライドもあるだろうから、余計に厳しい戦いになるはずだ。


「啓、あいつの言うことなど気にするな。自分らしい走りができればいい」

「あっ、はい。ありがとうございます!」


 やりとりを聞いていた大先輩レーサーがフォローに入ってくれたが、続く言葉は啓など眼中に無いとも取れる言葉だった。


「窮鼠猫を噛む、と言うこともあるからな。レースは一発勝負だ。何があるか分からん」


 つまり裏を返せば、偶然が味方しなければ啓は勝てない、と言っているような言い草だ。啓と他のレーサーの実力差を考えればそうかも知れないが、鼠扱いされて黙っている啓ではなかった。ただ、言い返す方向性はやや独特だった。


「……鼠は鼠でも、タテガミネズミかも知れませんよ?」

「タテガミネズミ?なんだそれは」

「アフリカに生息する鼠で、ゾウでさえ心臓麻痺を起こす植物の毒を体毛に塗って身を守る鼠です。そう思って気をつけてくださいね」

「お、おう……」


 待機室の中が微妙な空気感に包まれる中、選手達は無言で出場の合図を待った。



 案の定、レースは激戦となった。トップを走るのは数回SGを制しているベテランの大先輩で、ミスさえしなければ既に安全圏と思われる位置を走っている。


 一方、啓は2着争いの真っ只中で、現在は3番手を走っているが、2番手との差はほとんどなく、抜ける可能性もある状態だ。しかし後ろを走る4番手も良い位置につけており、一瞬も気が抜けない状況でもあった。


 2周目2マークのターンに差し掛かり、前を走る2番手の艇がやや内側に寄った。ならば外側から捲るまで、と即座に決断した啓は、すぐさま外から被せるように捲りの体制で旋回動作に入った。


「今度こそここで抜く!……うっ!」


 しかしここで想定外の事態が生じた。漕艇ミスをしたのか、はたまた啓を牽制しようとして無理をしたのかは分からないが、内を走る2番手の艇がターンに失敗してひっくり返ったのだ。


 すぐ外側にいた啓の艇に向かって飛んでくる艇を避けようと、啓も急ハンドルを切ったが間に合わず、そのまま啓の艇を巻き込んで2艇とも転覆してしまった。その際、啓は飛んできた艇に対して腕で身を守ろうとしてハンドルから手を離してしまい、艇から落ちて落水していた。


 衝突の衝撃はあったものの、幸い意識を失う事は無かった啓は自分の艇のすぐそばで水面に浮上したのだが、『落水』は最悪の事態でもある。


 競艇選手は転覆してもハンドルから絶対に手を離さないようにと教え込まれている。その理由は、艇のプロペラに巻き込まれて怪我をしないようにすること、そして他の競走中の艇に轢かれないようにすること。轢かれれば怪我どころか、最悪の場合、命を落とすこともある。


 まさに今、啓の目の前には後続の艇が迫っていた。水面を走るモーターボートは最高速度が80km/hにもなる。後から来た艇は転覆した啓の艇を避けようと動いたが、避けたその先にいた啓をさらに回避する事はできなかった。


 もはや衝突が避けられないことを悟った啓は、迫る恐怖に叫ぶことしかできなかった。


「うわああああああ!」

「いやああああああ!」

「ああああぁぁぁ……あ?」


 啓の目の前には、迫り来る船艇ではなく、悲痛な表情で叫ぶ女がいた。



 啓は、壁も天井もない真っ白な空間にいた。そしてレース中に着用している装備や服は一切なく、全裸で真っ白な床に座り込んでいた。啓はそっと手で自分の体のあちこちを触れてみたが特に異常はなく、体もちゃんと存在しているようだった。この場所が一体どこで、自分はどうなったのかという疑問はあるが、目下、一番気になる点は、目の前でアワアワと狼狽えている女性の事だ。


「あんたは誰?ここは一体……いや、つまり、そういうことか……オレは死んだんだ。つまりあんたは死後の世界の案内人で……」


 啓は少し考えたものの、自分なりにしっくり来る回答に辿り着き、一人納得した。ついさっきまでレースをしていた事は間違いない。にもかかわらず、今いる場所は競艇場ではなく謎の真っ白な空間である。ならばここは死後の世界に違いないだろう。


 目の前には西洋の神話に出てきそうな豪華な衣装を纏った女性がいる。何故か慌てふためいている様子なのが気になるが、今はそれ以上に現状と今後の事の方が気になっているので、目の前の女性の様子など後回しにして自分の置かれている状況をもう少し推測する事にしたが、やはり死後の世界にいると考えるのが妥当であると結論付けるしか無かった。


 すると、いつのまにか冷静さを取り戻したのか、無事にメンタルの再起動を終えたらしい豪華な衣装の女性が声を掛けてきた。


「あのう……啓さん?」

「えっ?あ、はい。なんですか死神さん」

「誰が死神ですかっ!女神に向かって失礼ですよっ!」


 どうやら返す言葉を間違えたらしいと悟った啓は、頬を膨らませて怒る自称女神に謝罪した後、最もシンプルな質問をした。


「あの……すみません。ここは何処ででしょうか?」

「ふふっ。ここは天界。神々の住む地よ。そして私は命を司る女神。名前はシェラフィールよ」

「命を……とするとオレはやっぱり死んでしまったのですか?」


 おそらく艇の衝突で自分は死んで、天に召されたのだろうと思ったのだが、シェラフィールは啓から目を逸らした。


「あの……そうね、結果的には死ぬか、良くても再起不能とか、そういうことになってるはずだから同じことよね。うん、きっとそうに決まっているわ……」


 再び挙動不審になって半ば独り言のようにブツブツ言うシェラフィールに、啓は首を傾げた。今、女神が呟いたことを拾い上げて考えれば、自分は死んでいない可能性もあるのではないかと。


「あの、シェラフィール……様?オレはもしかして死んでな……」

「往陸啓さん!」

「えっ?あ、はい!」


 突然人差し指を突きつけてフルネームを呼ぶシェラフィールに、啓は反射的に返事をした。何故名前を知っているのかという疑問と、神様ならば知ってても当然かという納得感を同時に感じていた。そして女神は流暢に啓のプロフィールを語りだした。


「おうりく・けい。往陸家の一人息子。いや、一人息子だった。親は自動車整備業を経営しており、啓自身も小さい頃から家業を手伝っていた。高校卒業後は家業を継ぐつもりだったが、高校在学中に両親が交通事故で他界。一人残された啓は残された田舎の土地と家を守るべく、すぐに働くことを決意。知り合いから競艇選手になることを薦められて競艇学校の入学試験を受験し、見事に一発で合格……」


 驚くべきことに、女神の語る啓のプロフィールに間違いはなかった。いや、神様だからこそ詳しいと考えるべきだろうか。


「高校を中退して競艇学校に入ると、自動車整備の手伝いで培ったモーター整備技術と、持ち前の運動神経の良さを武器に競艇学校を優秀な成績で卒業した後、プロのレーサーとしてデビュー。若手とは思えない思い切りの良い走りと鋭い旋回力が持ち味で、2年目に一般戦で初優勝。イン有利な競艇場で6号艇にも関わらず、大外からフライングギリギリの全力スタートから見事なマクリ差しを決めて勝利したあのレースは素晴らしかったわ」

「え?見ていたのですか?てか、妙に詳しいですね……」


 自分のレースを見ていたことよりも、専門用語が飛び出すほど競艇に無駄に詳しい女神に、啓は怪訝な目を向けた。そんな啓の様子など気にすることなく女神の語りは続く。


「成長株であることもさることながら、少し童顔で人懐っこそうな笑顔は『啓ちゃんスマイル』と呼ばれ、多くの女性ファンを獲得。啓に密かに恋心を抱く女性レーサーも少なくないのに、当の本人はニブチンで好意に気が付かず、影では朴念仁とか実は男が好きなのではと思われている節があるが、ただ単に不器用で奥手なだけで本当は女の子が大好きでお付き合いしたい、仲良くなりたいと思って枕を濡らし……」

「ちょっと待って!ストップ!」


 想像以上に自分の個人情報を垂れ流す女神の言葉を啓は慌てて遮った。


「神様だけあって色々ご存知なようですが……流石に恥ずかしいです」

「あら、私が啓をよく知っているのは私が貴方のファンだからですよ?」

「え?ファン?」


 神々の世界でも競艇が流行っているのだろうか。啓は再び首を傾げた。


「私は『こちらの』世界の担当なので『そちら』の世界への干渉は許されていないの。でも見るだけならば問題ないの。だってずっとここにいて何百年も同じ世界を見ているだけでは退屈なのよ。たまには、ほら……娯楽や刺激が欲しいじゃない?」

「はあ……」


 女神の生活環境など知らない啓は曖昧な返事を返すことしかできなかった。


「それで時々他の世界をちょっと覗くことがあるのだけれど、ある時、あなたのいた星、地球を見つけたのよ。もう何百年も前の事だけどね」

「何百年も前、ですか……」

「そう。地球は面白いわ。民族や文化の発展具合。独特な生態系。とても魅力的なのよ」


 地球のことを楽しそうに語るシェラフィールの表情はとても柔らかく、そして美しかった。シェラフィールの見た目の年齢は20代か30代前半のように見えるので、数百年以上の時を見てきたということに思考がなかなか結びつかなかったが、少なくとも数百年もこの場所にいるのであれば娯楽も欲しくなるだろう。啓はようやくシェラフィールの気持ちに同意できたように思った。同時に、年齢のことは聞かない方が良いだろうとも。


「私は人の命を司る神ですので、人の生き方にはとても関心があります。そして人同士が競い、高めあうことにも。地球の日本という国にはそれがありました。競馬、競輪、オートレース、そして競艇……どれも素晴らしい!」

「……全部、公営のギャンブルですよね?」


 人同士が競い、高めあう競技ならば普通のスポーツでも良いと思うが、なぜよりによって公営ギャンブルなのだろうか。競馬に至っては、もちろん騎手の技量もあるだろうが、競走馬の能力が重要なはずだ。シェラフィールはそんな啓の疑問には答えず、話を続けた。


「そんなわけで、私は競艇選手である往陸啓に注目していました。新規精鋭の貴方はその後も好成績を収め続けてついにSGの舞台に初登場しました。準優勝戦で勝てばいよいよ決勝、もしかしたらSG優勝の最年少記録を更新するかもしれないと期待を込めて応援していたのですが……」

「……事故に遭い、死んだという訳ですね」


 落水した後、自分の目の前に迫ってくる艇の映像は今でも瞼の裏に焼きついている。だが衝突のダメージや痛みは覚えていない。痛みを感じる前に即死してここに来たと思えば、それは不幸中の幸いだったのかも知れない。しかし、またしてもシェラフィールの歯切れは悪い。


「えっと……その……そう、死んだと思ったのですよ。ええ、間違いなく死んだでしょうね……命を司る女神である私がそう感じたのだから間違いございません」

「あの、女神様。さっきからオレが死んだかどうかハッキリと言わないのはどういうことですか?やっぱり死んでいないのですか?」


 啓の追求にシェラフィールは視線を泳がせ、そして長い溜息をついた。


「……やってしまったのです」

「……何をですか?」

「貴方が艇に轢かれて死ぬ、と思った瞬間、つい力が入ってしまい、貴方を引っ張り上げてしまったのです」

「引っ張り上げた?オレをですか?」

「ええ。貴方の体と魂を。貴方はあそこで死ぬはずでした。しかし私が貴方を天界に釣り上げてしまったため、貴方は今、生きても死んでもいない、中途半端な存在となっています」


 啓はシェラフィールの言葉を完全に理解できたわけではないが、少なくとも事故死は免れたということは分かった。『生きても死んでもいない状態』というものについてはさっぱり分からないが、少なくとも確実に死ぬはずだった自分を救ってくれたことには感謝すべきと思った。


「数百年前にもにも1度だけ同じ失敗をやらかしたことがありました。ただ、あの時は死にゆく人間が不憫すぎて情状酌量を貰える余地があったのですが、今回こそ私は許されず、罰を受けることになるでしょう」

「そんな……許されないのですか?オレは貴方に死から救ってもらった。なのに貴方が罰を受けるなんて……」

「仕方ないのです。今回はちょっと大きな賭けをしていたので、きっと大神は黙っていないでしょう」

「は?賭け?」


 想定してなかった単語が飛び出し、啓は一瞬思考が止まった。


「あの、賭けって……?」

「私は貴方の生粋のファンですから貴方が勝つことをただ願っていました。ですが、あのジジイに『ポッと出の若造が勝てるはず無い』とか言われては、黙っていられるわけが無いでしょう?ですから向こう百年のタダ働きを賭けてジ……大神と勝負をしまして」

「はあ……」


 ものすごく力が抜けた。まさか自分が神々の賭けの対象にされていたとは思わなかった。自分がここに引き込まれた理由も、賭けに負けそうになって興奮した女神がついうっかりやってしまった結果ということだ。


「あの、神様が賭け事をしていいのですか?」

「んー、でもまあ、どのみち賭けは無効ですよね?本人責任外の事故でしたから。それがなければ啓はきっと優勝戦に進んでいたはずですし!」

「いや、知りませんよ、そっちの賭けの事情なんて……」


 その時、この広い空間の隅々まで届くのではと思うほどに大きな声が響いた。


「シェラフィール!!!其方は何という事をしたのだ!」

「ひいいいいっ!!!」


 突然の大声にシェラフィールは悲鳴を上げた。大声に驚いたというより、声を発した相手に怯えたのであろう。声の主は考えるまでもなく、大神だと察した。


「今からそちらへ行く。大人しく待っているがいい!!!」

「……クソジジイめ」


 顔に似合わない悪態をつくシェラフィールに白い目を向けた啓は、大神が来ても我関せずの態度を取ることを決めた。しかし、大神の到着をのんびり待つわけにはいかないようだった。


「啓さん。こんなことになって申し訳ないと思っています。もしかすると大神はイレギュラーな貴方を消滅させるかもしれません」

「それって、要するに天に召されるということですか?」

「いえ、文字通りの消滅です。死者の魂が天界へ向かうのとは違い、存在自体が消されます」

「ええっ!?そんなあ……元はと言えば貴方が連れて来たんじゃないですか!」

「ですから、これから貴方を逃します」


 そう言うとシェラフィールは左手を光らせ、その掌の上にスクリーンのようなものを出現させた。そして忙しそうに手を動かすと、スクリーンに様々な星や風景を映し出していく。


「……私が管轄している『こっち』の世界ならば貴方を転生させることができます。あとは場所……うん、そうね、ここがいいでしょう……それで、これをこうして……」


 ブツブツと独り言を言いながらスクリーンに向かって手を動かし、作業を続けるシェラフィールを啓が見ていると、やがて啓の輪郭が青く光り出した。


「これは……!?」

「啓、これから貴方をとある星に転生させます。まあ、実績はあるので大丈夫でしょう」

「実績?実績っていうのは……」

「一応、その星の言語は全て理解でき、話せるようにしました。服もその星で一般的に着られているものを用意しました。それと、その星は地球の文明の進化とは少し方向性が違いますが、啓の能力を活かすには良い環境の星だと思います。とはいえ、いきなり放り出されても困るでしょうから、貴方に特別な力を与えましょう。貴方が欲しい力を教えてください。まあ、聞かなくてもなんとなく分かりますけどね」

「オレが欲しい力……」


 ふふっとシェラフィールは微笑み、啓の回答を待つ。唐突だが魅力的な申し出に、啓は何を要求するかじっくり悩みたいところだったが、あまり考えている時間はないだろう。ふと啓は昔から思い描いていた夢について思い出した。


「オレが望むのは……」

「ええ、分かってますよ。スピード感溢れる、痺れるようなレースができるような強靭な肉体と人並み以上に優れた反射神経、そして……」

「たくさんの動物に囲まれて過ごしたいです!」

「……はい?」


 シェラフィールは全く想像していなかった啓の回答に、思わず転生作業の手を止めた。


「ど……動物ですか?」

「はい。オレは昔から動物が好きで好きで大好きで、たくさんの動物達に囲まれて暮らしたいと思っていました。小学校の卒業文集には動物園を作りたいと書いていたほどです。まあ、家の都合でうちでは犬を飼うのが精一杯でしたし、動物園はさすがに非現実的なので、将来は猫カフェとかエキゾチックアニマルカフェなんかが経営できればいいかなと思っていまして……」

「え、ええ。貴方が動物を好きなのは知っていますよ?でもそれほどまでとは思いませんでした……でも、競艇のように血湧き肉躍る生き方は……」

「それは女神様もご存知の通り、1人で稼いで生きていくための手段ですから。いずれ引退後は動物達に囲まれたスローライフを送りたいと思っています」

「はあ……そうですか……」


少しがっかりしたような様子にも見えるが、シェラフィールは再び独り言と共に手を動かし始めた。


「動物……動物ってことは召喚系?そういえば地球の動物ってどんなものがいたかしら……この星の生物のとは少し毛色が違うわね……とりあえずあの時と同じようにして……それからえっと……」

「あの、女神様。無理ならいいですよ?さっき女神様が言ってた、強靭な肉体云々でも……」


 しかし無常にもタイムリミットは訪れた。周囲に再び大きな声が響く。


「シェラフィーーール!!!」

「ああっ!クソジジイめ!」


 女神が顔を向けた先にポツンと小さな点が見えた。そしてその点はグングンと近づいてきて、その点はやがて人の形に見えてきた。大神とやらがやってきたのだ。


「啓さん!」

「は、はい!」

「時間の都合で中途半端になってしまいましたが力は授けました。説明している暇はありませんのであとは自力でなんとかしてください」

「はい!?」

「……貴方の第二の人生が豊かなものでありますように」


 ニコッと微笑む女神の美しさに啓が目を奪われた直後、景色が一転した。



 目を開けた時、啓は真っ暗な場所にいた。今度は天界から地獄にでも落とされたのではと一瞬考えたが、ゆるい風に乗って漂う草木の青臭さに、少なくともここは地獄ではないだろうと思えた。やがて目が慣れてくると、どうやらここは暗い森の中で、森を通り抜けるために軽く舗装された道の上に立っていることが分かった。外灯もなく、夜空に瞬く星の明かりだけが光源だった。


「今は夜なのか?……しかしこんな所に放り出されても、これから一体どうすれば……おっ?」


 振り向いて道の反対側を見ると、緩やかな下り坂のその先に、たくさんの明かりが集まっている場所が見えた。


「あれは街かな?街ならばこれからの方針が見つかるかもしれない。どのみちここにいても仕方ないし、とにかく街へ行って……」

「誰だ!」


 不意に聞こえた声に、啓は思わずビクッとした。啓は慌てて声がした方を向いた。その方向は道から外れた森の中だが、やがて森の中から男が近づいてきた。そしてそれは1人だけではなかった。


「誰だコイツは。お前の知り合いか?」

「い、いや、知らない顔だ!」

「チッ、話を聞かれたか?」


 森の中から現れたのは5人の男達だった。星の明かりだけでは薄暗く、顔ははっきりと見えないが、男たちは啓よりもガタイは良いように見える。男達は、啓を包囲するように詰め寄ってきた。


「えっと、あの……」

「お前は誰だ?」

「オレは誰って……おお、会話ができてる!」

「あ、なんだコイツは?会話ができたからってなんだっつーんだ?」


 一体何語かは分からないが、相手が言っていることも分かるし、自分が喋った言葉が通じている事に啓は軽く感動を覚えた。とにかく意思疎通ができることに一安心した。意思の疎通ができるならば、へんな誤解を与えることもないだろう。


「えっと、オレは通りすがりというか……初めてここに来たというか……」

「新参者か?どこから来た?」

「どこって、それは……」


 この星の地名など知るはずもない。かと言ってこの星に転生して来たと言って通用するかどうかも怪しい。啓が回答に困っていると、男達の中の1人が道の先に見える街を指差した。


「お前、あの街に行くのか?」

「え?ああ。そのつもりだけど……」


 ちょうど街に向かおうと決めた所なので嘘は吐いていない。せっかくだからついでにこの男達に街についての情報を聞こうと啓は思ったのだが、事態は想定外の方向に向かった。


「街に行くのであれば、見過ごせねえな」

「えっ?」

「お前ら!」


 リーダー格と思われる男が他の男達に合図すると、男達は腰から武器を抜いた。長めの刀身が星明かりに反射する。


「は!?それって剣!?」

「俺達の計画を漏らされては困るんだよ。聞いてたんだろ?」

「いや、オレは何も聞いてない!本当だ!」


 啓は後退りしながら弁明するが、男達は啓の言葉に耳を貸す様子はない。剣を抜いた4人の男達が啓ににじり寄る。残る1人は男達の後ろで怯えた様子を見せているが、その男にリーダー格の男が声を掛けた。


「おい、てめえ、まさか俺達をはめようとしたんじゃねえだろうな?」

「ちっ、違う!俺はこんな奴のことは知らねえ!」

「そうか、ならば……やっちまっても構わねえよな!」


 リーダー格の男が腕を振るったのが見えた。直後、啓は左頬に痛みと熱さを感じた。


「っ!……血!?、う、うわあああ!」


 頬から流れる血と痛みに、啓は剣で切られたと悟った。啓は恐怖に腰が砕け、尻餅をついた。


(逃げなければ……逃げなければ殺される!)


 うまく立ち上がることができないまま、啓は四つん這いで男達の反対方面へと逃げた。後ろから男達の笑い声が響く。笑われようと構うものか。とにかく逃げなければ殺されるのだ。


「逃がすかよ!オラ!」


 ドン、という音と共に地面が軽く振動する。一瞬遅れて啓の足に激痛が走った。


「う、うあああああああ!」


激しい痛みと同時にショックが体を走り抜けていった。啓の右足は膝から切断されていた。血が吹き出し、切り落とされて転がった足が、自分の血でできた水たまりに浸かっていくのが見える。しかしその視界も、灼けつくような痛みと、滲む涙でぼやけていく。さらに追い打ちをかけるように、背中にも激しい痛みが走る。背中を斬られたのだと啓は直感でそう思った。


(こんな……こんなことならば、女神様に強靭な体をもらえば良かった……)


 啓は薄れゆく意識の中で後悔の念に駆られたが、もはやどうにもならなかった。地面に突っ伏した啓は、男達が上げる声と、近づいてくる足音と振動を感じながら、激痛と急激な失血でそのまま意識を失った。


「ポニーテールの勇者様」完結から約半年。新連載、開始しました。

やや多忙のため、当面は不定期掲載になりますが、お時間のある方、目に留まった方、よろしければ今回も完結までお付き合いくださいませ。


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