第10話:推しキャラと銭湯
「つまり、今日が最後の夜ということですね……」
「まあ、結果、3泊しただけだけどな」
まるで10日くらい俺の家で暮らしていたかのようにルリが言うのでそう答えると、
「もう、そういうことじゃないんですよ」
と、頬を膨らませられてしまう。可愛い。
……まあ、突然訪れた最後の夜であることは、ルリの言う通りだった。
「あたしの家に来るのはどう?」
霜田の提案は正論すぎて、反論も議論も、ましてや口論などもなくそうすることになった。
霜田はそのまま家に連れて帰りたそうにしていたが、せっかく買った着替えやらなにやらの荷造りもあるし、霜田も明日は昼過ぎに仕事があるとかで、今夜はひとまず俺の家に帰って、明日の夕方にまたこの喫茶店まで迎えに来てもらうことになった。
ちなみに、霜田がどこに住んでるのかは知らないけど、わざわざ幡ヶ谷まできてもらうのも悪いので、俺が霜田の家の方までルリを送って行こうかと提案したところ、
「一応これでも女性声優だからね? 家が男性にバレるのはまずいでしょ?」
と、これまた正論を返された。そりゃそうだ。俺はシモディーではないけどな。
「マネージャーさんとわたしは、どうなってしまうんでしょうか……? 会えなくなってしまうのでしょうか?」
帰り道にあるこじんまりしたカレー屋さんでカレーを食べながらルリが不安げにつぶやく。
「どうだろうな」
実は、俺がルリを召喚(という言葉が適切かは分からないが)しただけで、ルリと俺にそれ以上の会う理由はなかったりする。情けないことだが、ルリの役に立てるようなことも現状ほとんどない。
「まあ、とはいえ、ルリの事情を知ってる人も俺と霜田だけだしな。定期的に面会させてくれって、明日霜田に頼んでみるか」
「なんだか、それ、離婚調停みたいですね? お二人がわたしの両親みたいです」
「そんなに縁深くないし、そんなに殺伐ともしてないけどな。……え、なんか怒ってんの?」
「別に、です」
ルリさん、なぜか不機嫌だ。自分でしたたとえ話に自分で引っかかっているらしい。可愛いな。
家に帰る途中、ルリが「あ」と声をあげる。
「ん?」
「いえ、なんでも……」
ルリの目線の先を追うと、昔ながらの銭湯・万石湯が建っていた。
「……ああ、お風呂か」
言われてみれば、2日連続でシャワーしか浴びていない。
ルリに毎日湯船に浸かる習慣があるのは、ファンブックに付いている4コマ漫画に描かれている超初歩的な情報なので、現状で結構無理しているのかもしれない。
とはいえ、男の家の湯船に浸かるのもなあ……という感じなのだろう。
「じゃあ、一旦帰って、タオルとかシャンプーとか持ってくるか」
「いいんですか?」
俺の提案にパァっと笑顔を咲かせるルリ。
「ダメな理由がないだろ」
そんな可愛い顔向けられたら、なおさら。
ということで、一旦家に帰ってからまた銭湯までやってきた。
「それじゃ、1時間後にここで」
と出入り口のベンチを指さして別れる。
銭湯は貸切状態だ。一家に一つお風呂がついているのが当たり前の現代はすごいなあと改めて思う。
それでもこの銭湯が残っているのは、常連さんとかがいるからだろうか。
昔ながらの温冷が分かれた蛇口に手こずりつつ、実体のある自分の身体をゴシゴシ洗っていると、決してエロい意味ではなく、ルリにも実体があるんだよなあ、ということを思った。
……ていうか。
こんなこと、ルリにも霜田にも聞けないが、服の下ってどの程度キャラデザされてるんだろうか?
水着のシーンがあるから、水着の外側までは確実にされているんだろうけど、それ以上(具体的な名称は割愛するけど)はどうしてるんだろう?
もしデザインされてなかったとして、今女風呂にいるルリのそこらへんはどうなってるんだろう……?
決してエロい意味ではなく気になる。決してエロい意味ではなく。
「マネージャーさーん!」
「は、はいっ!?」
不意に天井の方から声がして、肩をびくつかせる。
まったく、エロくないこと考えてる時に驚かすなよ!
見上げると、天井のところで女風呂とも繋がっているらしい。
「こっち、貸切ですー! そちらはいかがですかー?」
「こっちも貸切だよー」
ていうか、こっちが貸切じゃなかったら気まずいからやめて欲しい。
「それで、どうしたー? 何か忘れ物かー?」
「いいえ、それだけですー!」
それだけかよ。可愛いな。
銭湯から出て入口のベンチで牛乳を飲んでいると、
「ドライヤー、持ってくるの忘れちゃいましたね」
と、困り眉で濡れた髪のルリが出てくる。
「あれ、ドライヤーなかったか?」
「すっごく風力が弱いのはあったんですけど、ちょっと乾かせなくて……。ちゃんとしたのは6分100円とかで」
「ああ、なるほど……」
俺は慌てて、着ていたパーカーを脱いで差し出す。
「へ? これは……?」
「上に着とけ。フードもかぶって。うちに帰るまで髪を冷やさない方がいいだろ」
「え……で、でも、マネージャーさん、寒くないですか?」
「いいから」
俺が押し付けるように渡すと、ルリは受けとって羽織る。
「ありがとうございます……」
そして、遠慮がちにフードをかぶって、
「えへへ、マネージャーさんの匂いがします」
と、はにかんだ。……可愛い!
家に帰り、ルリが髪を乾かしている間に布団を敷く。
二人仲良く歯磨きをして、霜田の番組のアーカイブなどを見た後、ルリはベッドに、俺は布団に横になった。
部屋の電気を消して、天井を見ていると、怒涛の2日間だったな、としみじみ思う。
ルリが現れて、朝ごはんを食べて、大学に行って、買い物して、バイト先に言って、寝て、イベントとサイン会にいって、霜田茜とカフェに行って、カレー食べて、銭湯行って……。
色々あった気もするけど、でも全部羅列できる程度の出来事しかなかったとも言える。
『マネージャーさんとわたしは、どうなってしまうんでしょうか……? 会えなくなってしまうのでしょうか?』
さっきは、なんでもないような態度をとってみせたけど、それは本当に寂しいことだ。ていうか、俺は生きていけるんだろうか、とすら思う。
なんせ、もう『アイプロ』の中には、つまり、俺のスマホの中には、ルリはいないのだ。つまり、ルリのいない世界で生きていくも同然なんじゃないだろうか。
そんな実感が追いかけてくると、鼻の奥がつーんと痛み始める。
……ここで泣き出したりしたら、ルリを困らせるよな。
そう思って、せめてルリに背を向ける形に寝返りを打った、その時。
「マネージャーさん、起きてるんですか?」
囁くような声が聞こえる。
「……もう寝てるよ」
「起きてるじゃないですか」
ふふ、とルリは笑ってから、
「あの、マネージャーさん」
何かの決意をするように、しっとりと問いかける。
「……そっちに行ってもいいですか?」
 




