暗闇にて走る
「ハアッ、ハアッ、」
足は痛むが、まだ動く。動くなら走れる。
「ッつ! イタ、」
切り裂かれた皮膚に草が絡んで痛む。血が滲む。けれど我慢しなくちゃいけない。泣き言は言っていられない。
「ぁ、んぐ、ハアッ、ハアッ、!」
死にたくないから、喰われたくないから、今はただ足を動かすしかない。
追われにくいよう木々が生い茂る道を選ぶ。けど相手はそんなのお構いなしというように、木を倒しながら迫ってきていた。低い唸り声が笑っているように震える。背中に生暖かい息が吹きかけられた。狩りで遊んでいるのかもしれない。涙が溢れて視界が歪んだ。
昔から島に居る人間でも普段踏み入れないような森の奥だった。土地勘なんてあるわけがない。頼りにしていた月が雲に隠れる。闇に包まれる。
目の前が見えない!
足先が何かに引っかかって体が倒れた。地面の上に打ち付けられて痛い。頭をぶつけた。グワリグワリと視界がブレた。こんなことしている場合じゃない。すぐに起き上がらなきゃいけない。体中が重い。それでも逃げなきゃ。
わたしが動くよりも早く、頭上に大きな影が落ちる。背中の上にずっしりと重い獣の脚が乗り上げた。立てられた爪が衣服を巻き込み、その場に縫い付ける。
ぎょろぎょろと動く目玉がわたしの形を捉えてにんまりと口の端を上げた。鋭くとがった牙が見える。
ご馳走を前にして汚れた毛並みが逆立って、興奮したように荒々しい息をしている。深夜の狩りは怪物の圧勝で終わった。
それもそうだ。こんな奴にただの人間がかなうわけがないんだから。
眼前に黄ばんだ牙がゆっくりと近づく。生暖かく臭い息に吐き気がこみ上げる。
けれど不思議なことに、逃げようという気持ちはもう消えていた。
おとうさん、今どこにいるの。おかあさんの命日は毎年二人で過ごすって決めてたじゃない。一人の家は狭くて暗くて怖いの。だから、はやく帰ってきてね。