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森は枝葉が生い茂っているけれど密度はそれほどじゃない。木と木の間は大分余裕があるから箒で飛んで移動するにはまるで苦労はなかった。
やっぱり箒や羽を使って空を飛ぶことを想定された試験だと思った。
けど、次の課題もとい罠の事情を知っている私にして見れば試験官のいやらしさが際立っているようにも見える。きっと後ろの人達も、これは空を飛ぶことを前提にされていると気が付くのがほとんどだろう。
私はできるだけ悟られないように木々で身を隠すと箒を降りた。そしてすぐさま足に魔法をかける。
『友と歩みて片足無くせ』
そうして木々の間を滑るように移動し始めた。この魔法を使った後の感覚はアイススケートに近い。文字通り滑るようにして移動するための呪文だから。
こんなことをするよりもそのまま箒に乗っていた方が手っ取り早いのは百も承知だ。けどそろそろ地面にいないと厄介な領域に差し迫っている。私の考え、というか先生のアドバイスが正しいことは、ありがたいことに他の受験生が不合格と引き換えに証明してくれた。
木の枝葉が形を変え、まるで無数の手のようになって空を飛ぶ人達を捕まえていく。動きが緩慢だから多少は飛行能力に自信があれば難なく躱すことができるかも知れない。
もちろん、私だってあれを躱すくらいはどうってことないが、更に上で待ち構えている奴らを相手取るのは難しい。
そもそも枝に捕まっているのは幸運だ。枝葉は実は躱されている様で上へ上へといつの間にか誘導している。
餌を待ち構える巨大な蜘蛛たちの巣へと。
私の頭上では絶叫と悲鳴が響くところになっている。早く抜け出してしまわないと、本当の意味で血の雨が降り注いで来てしまう。汚れるのは嫌だ、特に血って服に着くと落ちないし。
それに強引に蜘蛛を殺して突破する人も出てくる。私だってそうしたいのは山々だし、実力的に余裕でできるけど……そう言ってチラリと上を見る。そこには枝の道をカサカサと器用に歩く蜘蛛がいた。
途端に全身に悪寒が走った。
やっぱり無理。
蜘蛛だけは死んでも無理。
視界にすら入れたくないほど無理。
実家には父の家来たる蜘蛛の妖怪も住んでいた。子供の頃、『絡新婦』の出産の最中に出くわしてしまったことが、フラッシュバックする。あの薄暗い部屋に無数に蠢き縦横無尽に駆け回る子蜘蛛の群れを思い出すと、身を竦めてしまう。
一瞬でも魔が差して上を見た事を後悔して、私は急いでゴールの校舎を再び目指し始めた。
「よう。一人か?」
その時、不意に声を掛けられた。振り向くと見知らぬ男が唇を舐めながら私の事を見ていた。手持ちのランプに照らされているのは男の顔だけで、首から下は不可思議にも森の闇と同化してよく見えない。
魔法使いの見習いじゃない。
こいつは悪魔だ。
私は直感的にそう感じ取った。
「上の蜘蛛に気が付いたから、こんなところを通ってんだろ? やるな、お前」
「…どうも」
「アジア人か。まさか海外からわざわざ来たのかな? ご苦労様」
言葉の端々に嗜虐的な雰囲気をまとっている。そもそも顔が獲物を見つけた時の奴のそれだった。もしかしなくても、試験に託けて私の事を食べる気まんまんだ。性的にか文字通りなのかは知らないけれど。
ただそんな事はどうでもいい。私の本能がコイツからさっさと逃げろと知らせている。それは決して実力が劣る、分の悪い勝負になるからとかそんな理由じゃない。
コイツの正体が、マズい奴だ。
この世の悪魔は神に背き、神に呪われた十三の生き物の系譜から始まっている。すなわち、
山羊、蜘蛛、蛇、烏賊、蝙蝠、豚、猫、兎、禿鷲、蝗、鼠、蛙、蝿。
悪魔たちは例外なく、このいずれかの生き物の化身なのだ。そして最悪なのはその十三の呪われた系譜の内、私も最も呪っている生物が見事にノミネートさえているということ。他の生き物については知らないけれど、その一点だけについては呪いをかけた神様とやらに激しく同意できる。
この目の前の男の闇に包まれた部分。
見ることが叶わなくても、私の肌が生理的に嫌悪している。
「悪いんだけどさ、俺もこいつらも腹減っててさぁ…」
こいつら?
…ら?
複数形?
嘘でしょ。お願いだからそこから出てくるな!
私の祈り空しく男は八本の足を巧み使い、闇の中から這い出てきた。ご丁寧に自分の眷属たちを引き連れて…。
「上の蜘蛛に気が付いたのに、下で蜘蛛に食われるってのは可哀相にな。せめて美味しく頂いてやるからよ」
私は震えていた。
傍から見れば恐怖と悔しさに打ちひしがれているようにしか見えないだろう。その様子を見て男はますます厭らしい笑みを浮かべた。次に私が悲鳴を上げることを心底期待している目をしている。
「ふ―――」
「え?」
「―――ふっざけんなぁぁぁぁぁっっ!!!!!」
リクエストにお応えして悲鳴を森の中に響かせてやる。だだし悲鳴は私のじゃなくてこの蜘蛛男の悲鳴だけどね。
私は嫌悪感を惜しみなく放出してやった。
「何の為に箒を降りて下を通ってると思ってんの!!!」
「っっっ!?」
悪魔は鬼気迫る私の殺気に目に見えて慄いた。
『右に剣、左に炎。望みは責め、願いは裁き。万物は彼の赦しなくして、得ざるなりけり』
呪文を唱え終わると魔力を込めた右足で思いきり地面を踏みつけた。その途端、金色の爆炎が私を中心に広がっていく。それは水面に石を投げ入れた時にできる波紋のようだった。
蜘蛛男は背中を見せる間もなく、今夜で一番の悲鳴を上げて消し飛んだ。その悲鳴も私の放った魔法の爆音にはあっけなく掻き消されてしまったけど。
魔法が止むと最も忌むべき生き物は塵も残さずにいなくなっていた。それどころか周辺の草木や岩石も吹っ飛んでしまっていた。風景は一変し、ここだけ隕石が落ちてきたようにお椀型に窪んでいる。
おかげで視界が開けている。前にリードしていた人も後ろから追いかけてきていた人も皆足を止め、口の開いたマヌケな顔を見せつけてきていた。
「な、何なんだアイツ…?」
「今の魔法、きっと『冒涜の天球』だろ…受験生が使えるレベルの魔法じゃないぜ」
「受験生どころか、高位にならないと無理だろ」
「アイツなんじゃないのか。コルドロン・アクトフォーの弟子って」
「本当か?」
「じゃなかったら、あんな上級魔法使えないわよ…」
四方八方から好機と恐怖と羨望と悪意とが呟きに乗って耳に届けられてくる。もう半分は素性がばれしまった。
こうなったら下手に結束して妨害されたり、潰しにかかってきたりするかもしれない。実力を知らしめて注目を集めるのは好きだけれどもう少しスマートに目立ちたかった。乱暴に力を誇示したり、ひけらかしたりするような行為はぶっちゃけ私の美学に反するところではある。
もっと裏を掻いたり、相手の意の外側をかすめ取るような力の見せ方をしないと綺麗じゃない。
読んで頂きありがとうございます。
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