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『アンチェントパプル家』
言わずと知れた悪魔にとっての名門一族。時代と共に盛衰の移り変わりが激しい悪魔の情勢下にあって今日まで一度たりとも名声を伏した事のない『吸血鬼』の家系。
本来悪魔たちは人間に存在を悟られることを良しとせず、秘して表立たずに人間に干渉することを美学にすることがほとんどだ。
アンチェントパプル家も例に漏れない訳だが、それでも尚、悪魔の世情に疎い私が知るほどの影響力を持っている…。
マサチューセッツ州に入った時から、風に乗ってその噂だけは耳に届いていた。まだ誰かの悪戯か何か意図あっての心理戦の可能性も否定できないけど、嘘であれば入学試験のハードルが下がり、本当であればアプローチしたい筆頭候補になるだけ。どっちに転んでも私にとっては不利になることはない。
この際だ。浮かれている上に鈍そうな奴だから、ちょっと隙を見せてみてもいいかもしれない。
「…そう言えば私、『シクレット』の関係者が受験をするって噂も聞きましたけど」
「あ、君も聞いたんだ? 噂じゃそのアンチェントパプル家の子息様の首を狙ってるなんて話だけど、どうなんだろうね」
「どう、なんでしょうね…」
「本当だったら面白いけどね。エクソシスト、怪物殺し、魔女狩人のシクレットとアンチェントパプル家の対決なんてぜひ一度見てみたいよ!」
…。
コイツ、自分がその渦中にいるって事分かってないの?
その二人と試験で争う可能性だってあるんだよ?
この森にいるくせに何で一傍観者気分でいられるの?
「けどそんな方がアカデミーを受験するものですかね?」
「何でもそのアカデミーの学長が推薦状を書いたって話だから」
どうだい、僕の情報網は!?
と露骨に顔に書いてあった。ここまでお調子者だと私は高度な罠にハメられているんじゃないかとさえ思えてくる。
けどまあ、学長が推薦状を書いたという話は私も知らなかったので笑顔とお世辞の一言くらいはサービスしてやろう。
そしてそれを真に受けたショーンは会ってから一番の締まりのない笑顔を見せると、図らずも私のご機嫌を一番取るような言葉を口にした。
「でもでもでも。今年一番のニュースは何と言っても、あの伝説のコルドロン・アクトフォーの愛弟子が来るってことだろうね」
「え?」
素直に驚いた。
当然私は一度も口外したことはない。それなのに噂になっているなんて…。しかも少なくともコイツの中ではアンチェントパプル家やシクレット家よりも話題性があるらしい。
という事は私の存在を結構重く受け止めている人が多いのかも知れない。
「あれ? これは知らなかった? かなり騒がれてるよ。なんでもコルドロン・アクトフォーの弟子を探して歩き回ってる奴がいるんだって。ミーハーな奴だよね」
自分の事を棚に上げたショーンがさも愉快そうに言う。
それはさておき、探している人がいると言うのは少し気になる。少なくともその人は私がコルドロン先生の弟子だという確証か、それに近い何かを持っているはずだ。
アメリカについてから気付かない内にポカをやった?
それとも日本を出る前から目を付けられていた、とか?
ひょっとしてコルドロン先生が何かしらの意図をもって私の情報を流した?
そもそも何で私に会いたいの?
…そりゃ私がコルドロン先生の弟子だからか。
ともかく先生のネームバリューはどうやら本物らしい。そうなればその人に直に魔法を習い、アカデミーの受験を止められはしなかった事に自信が湧いてきた。
だだ、それはそれとしてやはり私のことを探している誰かの事は気になってしまう。もう少し可愛げを見せてやってもいいか。
…。
……。
………。
でもダメみたい。もう少し話をしてみたかったけど。
だってこの人、あと少しで食べられちゃうみたいだから。
後から狙われてるの…少し遠いけど気が付いてないの?
蛇かな? いや違う。何かの植物の蔦だ。足元をスルスルと這ってきているのにやっぱり気が付いてないみたい。それともそう言う演技をしてるのかな? だとしたら、私なんかよりもずっと狡猾だよ、君。
その無理に明るく振る舞ってる陰キャっぽいあなたは本当なの? それとも嘘?
もう少しではっきりする。蔦が足に絡みつけば、どっちなのかがはっきり分かるはず。
さあ、どっちが正解?
3。
2。
1。
…。
ふふっ。
本物だった。
「本当に気が付いてなかったんだね」
私は足を止めて、そして見上げた。その弾みでフードが取れて髪も顔も全てさらけ出してしまった。
そんな私とは対照的に彼の身体はどんどんと得体の知れない植物の花弁の中に飲み込まれている最中だ。
「た、すけ」
辛うじて出ている折れた右腕を必死に真下の私に伸ばしながら、漏れる様な声を出した。
「私が助けたところで、もう助からないと思うよ。それじゃあね、色々教えてくれてありがとう」
せめて最後は可憐なものが見たいだろうと思って、とびっきりの笑顔をサービスして上げた。あんな危険な植物が人間のおいそれと立ち入れるような場所にあるとは考えにくい。
という事は、もう試験会場はすぐそこなんだろう。
気を取り直して歩き始めたのに、私はすぐに足を止めて振り返った。別のあの男が気になった訳じゃない。ただちょっかいを出されて、その上で無視して放っておけるほど私はできた人間じゃないだけだ。
「その男だけで我慢しておけば良かったのに」
それとも単純に食い足りなかっただけなのか。どっちでもいいけど。
貪欲に花弁と蔦とが隠れる気も見せずに襲ってくる。
『其処にその神々を遺し往きたれば、命の火持ちて焼き払え』
呪文と共に右手の人差し指を突き出すと、花弁と蔦は面白いくらいによく燃え始めた。
ちょうどいい。
運が良ければあの人助かるかもね。
運が悪ければ…蔦に骨を砕かれて食われた上に、火にも焼かれることになるけれど。
あの食べられちゃった人、受験生の中じゃどのくらいのレベルなんだろ。願うなら下の下の下くらいであってほしいところ…もしも上のレベルだとしたら、流石に同級生に対して張り合いがなさ過ぎる。
そんな事を考えてもう一回歩き始めると、ぐにゃりと一瞬だけ空間が歪んだ気がした。そしてすぐにそれは気のせいじゃないと思い知った。
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